亀山亮は、中学でラリー・バローズや沢田教一らに憧れ、高校に入るとラブホテルのリネン洗いのバイトをしてカメラを購入、PKO法案反対デモや三里塚の反対派農家を撮影する。その後、メキシコ、コロンビア、パレスチナ、アンゴラ、シエラレオネ、リベリア、スーダン、コンゴ、ソマリア、ケニア、ブルンジなどを渡り歩き、現在に至る。
一貫してフリーランスで活動してきた彼は、誰に求められたわけでもなく撮影に行き、ときに負傷し、機材やカネを奪われ、疲弊して帰国。そしてまた撮影に。誰に求められたわけでもなく──。
なぜ戦場に行くのか。どうして写真なのか。いつまで続けるのか。
自身が見てきた戦争の実相を綴った『戦場』を出版したばかりの亀山亮を八丈島の自宅に訪ね、話を聞いた。

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (1)

自宅裏の畑にて

ある書店員が『戦場』のことをTwitterに「あまりにも悲惨過ぎて、直視できない写真が沢山あります」と書いていました。そういう反応についてどう思いますか?

ふつうの人の感覚はそうなのかもしれない。発表したあとの評価は見た人が決めることだから、何を言われてもしょうがないと思う。でも、ネット右翼みたいな連中が挑んできたら、きっとスイッチ入っちゃうけど。

ことさら悲惨さを強調した写真ではないと思いますが。

悲惨さを強調した写真って、どういうの?

例えば、原型をとどめていない死体が写ったような。

たまたまそういう現場にいなかっただけかもしれない。でも、いたとしても撮るのは不可能に近いんじゃないかな。撮ったら自分も殺されるだろうし。言葉にしづらいけど、嫌な写真を撮らないで、好きな写真の「いいなぁ」と思う部分をとり入れたりしながら続けてきた結果が、今の自分の写真だと思う。ゼロからやっているわけじゃなくて、誰かの影響を受けてきた。例えば、ジル・ペレスの写真集『The Silence』(1994年のルワンダ虐殺を撮影)なんかは残虐な状況を撮っているけど、もっと静かで深いものを感じて、しっかり見ないといけないと思った。

戦争取材では写真と映像(ムービー)の両方を撮るカメラマンがいますが、あくまで写真にこだわる理由は?

映像は撮影してから編集があるけど写真は撮ったら完結するから、さっぱりしていて凄く好きだね。一瞬で終わるところがいい。撮ったあとにトリミングもしないと決めているから。こう撮ればよかったとか、あとから思うことはあるけど、ダメだったら次に撮ればいい。映像のほうが稼げるとかよく言われた時期があって、その反発から、よけいに写真にのめり込んだというのはあるかもしれないけど、それでよかったと思う。映像は状況を伝えるのには向いているよね。動きがあるし音声もあるから。でも、写真は要素が少ないぶん難しいけど、成立したときは強さを発揮できると思う。

ずっとフリーランスでやってきたことについて。

依頼を受けて撮影に行っているわけじゃないから、いつでもやめられるし、その点は自由だよね。自由すぎて寂しくなるぐらい(笑)。ただ、発表するあてがないまま行くので、現場が現場なだけにつらいのは確か。でも、出会った人たちは、わざわざ案内してくれて、嫌なことや悲しいことをいろいろ見せてくれるから、絶対にカタチにしないといけないっていうプレッシャーは常にある。撮って帰っただけで発表しなかったら、観光客と変わらなくなってしまう。大手メディアが行かないところを自分で選んで撮っているので、商業的にうまくいかないのはわかっているけど、発表できないとどんどん深みにはまってしまう。でも、そんな見捨てられたような現場のほうが酷い状況になっていることが多いから、自分はそういうところに行きたい。

パレスチナで撃たれて片目になったことで保険金がおりて、お金という問題をクリアできたのはよかった。その前は、資金を貯めるためにやりたくない仕事するわけじゃん。嫌なことを我慢してやるのが本当にダメみたいでさ。

パレスチナで撃たれたのが2000年、それまでは取材費を稼ぐためにどんな仕事をしていましたか?

土方が多かった。あとはゴルフの練習場の鉄柱に登ってネットを張り替えたり。日給は1万2000円ぐらいだったと思う。とっぱらいでもらえるし、お金さえゲットすればいつでも脱走できるから、月給の仕事よりも奴隷感は少ないよね。客商売は向いてないし、肉体労働ばっかりだった。

いつも、いくらぐらい貯めて撮影に行きますか?

円高か円安かによって違うけど、最初のころは頑張って100万円ぐらい貯めていたのが、後半は我慢できなくて40万とか50万で行っちゃって。パレスチナに行く直前までは解体のバイトをやっていたけど、新宿の花園神社でホームレスのおじさんと酒飲んでいるときに道具を盗まれて、やる気が失せた。金槌やノコギリなんかを一式1万円分ぐらい買っていたのに全部やられた。遅刻が多くなって、怒られるからますます行きたくなくなって、最後は「犬が死んだから現場に行けません」と言って電話切って、それっきり。長く滞在できるほどのお金がなくて、現地に行ってイライラしていた。

犬が死んだというのは本当に?

嘘(笑)。それどころか、飼ってもいなかった。

家族やパートナーから、危ないから行くなと言われたことは?

なかったと思う。言うと喧嘩になるのが、みんなもわかっているから。でも、目を撃たれて少したった2002年、親父が自殺した直後は、「なんで、あんた行くの」ってお袋に言われたけど、行かないと自分がダメになると思い詰めていた。でも、そのころには携帯やメールで連絡とれるようになっていたから、だいぶ状況はよくなっていたと思う。その前は行ったきりで、手紙のやりとりぐらいしかできなかった。2000年前後のコロンビアは誘拐も多くて、行くのが怖かった。

10代から写真を続けていますが、撮るうえでの転機は何かありましたか?

やっぱり目を撃たれたことかな。それまで中南米で撮っていたときは、どこかバックパッカーの延長みたいなところがあったけど、パレスチナで撃たれてから変わった。撃たれてケガをしたことで当事者になった気がしたのか、のめり込んで行った。日本に帰って2週間後にパレスチナに戻って、疲れたり飽きたりしたら帰って……。撮りに行っても現場が動いていないと、ダルいし帰りたくなって。今から思えば、他のものを撮ればいいんだけど、行ったり来たり好き放題にやっていた。でも、帰るところがあるんだから本当の当事者じゃないんだろうな。

他のものを撮るというのは、例えばどういう?

例えば、自爆した人の家族をインタビューして撮って、どういう家庭だったか、どうして自爆しなければならなかったか──そんなことを掘り下げてフォトストーリーを作るとか、何かしら手法があったらよかったんだけど、強い写真ばかりを闇雲に追い求めていて、問題の本質をゆっくり時間をかけて写真で見せることはできなかった。23、4の小僧だったから世間のことも知らなくて。

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (2)

パレスチナ自治区ガザ地区/2001年/町に侵入してきたイスラエル軍の戦車から逃げる人々(亀山亮著『戦場』より)

モノクロフィルムで撮るのはどうしてですか?

通信社の人がカラーフィルムをくれることがあったから、最初のころはカラーとモノクロ両方で撮っていた。カラー写真のほうが掲載される可能性が高いので仕事になりやすかったし。でも、カラーとモノクロでは撮るときの感覚が違うから、現場でややこしいという欠点もあって。それでジェニンの虐殺のときに、売るためにではなく、自分のために撮るんだからモノクロで撮影しようと決めた。自分が影響を受けたカメラマンがみんなモノクロで撮っていたから、影響されたのかもしれない。ベトナム戦争のころはカラーフィルムが高かったっていうのもあってモノクロ写真が多くて、そんな当時の写真をよく見ていた。ヘリが撃墜されて亡くなったラリー・バローズなんかはカラーでもいい写真がいっぱいあったけど。

転機について聞きましたが、撃たれて以降はどうですか?

都心を離れて八丈に住むようになったのもそうだし……アフリカの撮影も転機だったかな。パレスチナのころはとにかく現場に行って、戦闘シーンを撮りたいという思いが強かったから、瞬間勝負で本能にまかせてやっていた。でも、アフリカは、撮りたいものや会いたい人を探しながら全体像を組み立てていく作業で、それは初めての体験だった。どうしても無意識のうちに自分に都合のいいストーリーを描いてしまうから、偏りすぎないようにするのが難しかった。写真で何かを断定するのだけは避けたかった。試行錯誤の連続で、しんどかった。

アフリカの中でも、リベリアの戦争は転機だったかもしれない。怖くて体が動かないなんて初めてだった。あまりにも酷すぎた。理解できない暴力の塊みたいなものを感じて、咀嚼できないまま、ズルズルはまっていった。

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (3)

リベリア共和国モンロビア市/2003年/戦闘中に酒を飲む政府軍兵士(亀山亮著『戦場』より)

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (4)

リベリア共和国ニンバ州グレ/2004年/一日中マリファナを吸う少年兵(亀山亮著『戦場』より)

本の中の頁に載せる写真と表紙にする写真の違いについて聞きます。元兵士の夫に両腕を切られた女性の写真はとても強いけれども、表紙にはしませんよね。ブルンジでの写真です。

ダメダメ、それは。

その理由は?

表紙にすると彼女を売り物にしてしまうから。礼儀として、やってはいけないと思う。それに「戦争ダメ!」みたいな、ステレオタイプなイメージになるから。物凄く危険なことだよね。

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (5)

ブルンジ共和国マカンバ州/2007年/元兵士の夫に両腕を切られたフランシネ(24歳)。「子供をどうやって育てていけばいいのかわからない」(亀山亮著『戦場』より)

撮るときのことを聞きます。現場でやらないと決めていることはありますか? 越えてはいけない一線というか。

 お金をあげて写真を撮らない。その見返りとして、こっちの都合のいいことをやってもらうような関係性にどうしてもなっちゃうから。ただ、撮らせてもらったあとで、別れ際に少しのお金をあげることはあるけど。自分からではなく無理矢理とられたこともあるし、カメラをとられそうになったり、お金を渡さないと帰れそうもなかったり、怖くてどうしようもなかったりで、仕方がなくてあげたことはある。

他にやらないことあるかな……画作りのために死体を移動したり、死体の顔の向きを変えたりはしない。そのあたりの線引きは人によって違うから、なんとも言えないけど。

現場でお金を払って撮影する同業者は多いですか?

状況によると思うけど、そういう人はドキュメンタリーのカメラマンではないと思う。お金払って撮っているのが知られたら、それだけですべての仕事の説得力がなくなってしまう。

お金といえば、少し話がずれるけど、さっきの両腕を切られた女の人のポートレイトを日本で新聞に載せたときに、彼女のためにお金を寄付したいっていう人が連絡をくれて、凄く悩んでしまって……。

彼女の義手を作るための寄付ですね。

そう。自分はカメラマンでしかないから、そこに関わったら泥沼にはまるのはわかっていた。被写体になってくれた人の人生を変えるようなことに初めて手を貸すわけだから。どうして彼女だけ助けるのか、他の人は助けなくていいのかっていう考えも当然出てくるし。でも結果的には彼女をサポートすることにした。子供がいるのに両腕がないって……どうしようもないっていうか、トイレにも行けない、メシも食えない、だから……お金で少しでも変わるのなら、やらない理由がわからなかった。でも、連絡をくれたその人の寄付だけでは足りなくて、残りのお金を集めるのが大変でさ。他にもいろんなことがあって、なかなかうまくいかなくて、他人の人生にかかわることの難しさが身にしみた。でも、やってよかったと思う。やらなかったら、うだうだ言っておしまいだったから。そのときは初めて一線を越えた気がした。この先、同じ状況になったとして、やるかどうかはわからない。
(以下、vol. 2 )

戦場カメラマンの憂鬱 vol. 1 - 強い写真を闇雲に追い求めていたころ - 亀山亮 (6)

『戦場』亀山亮(晶文社)
定価:本体1800円+税

 

亀山亮(かめやま・りょう)
1976年、千葉県生まれ。96年よりサパティスタ民族解放軍の支配地域など、中南米を撮影。2000年、パレスチナ自治区ラマラでインティファーダの取材中、イスラエル国境警備隊が撃ったゴム弾により左目を失明する。コンゴ、シエラレオネ、リベリア、ブルンジなどアフリカの紛争地に8年間通い、12年に写真集『AFRIKA WAR JOURNAL』を発表する。同作で第32回土門拳賞受賞。最新刊は写真と文章によるドキュメント『戦場』。