『アリラン祭り』(2002年)

現在、VICE PLUSで配信中のシリーズ、〈映画で知る朝鮮民主主義人民共和國〉では、1972年カルロビバリ国際映画祭特別賞受賞作品であり、北朝鮮映画史を代表する名作『花を売る少女』から、『ゴジラ』の日本人特撮スタッフがSFXを担当した怪獣映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』、そして10万人が参加した大マスゲームの模様を収めたドキュメンタリー『アリラン祭』まで、今後も続々と〈北朝鮮を知る映画〉の配信を予定している。

北朝鮮の国家事業である映画は、建国以来、経済発展計画のいち部を占めている。特に、第二代最高指導者であった金正日は映画に精通しており、約2万本のビデオテープを所有していたとされる。自筆の著書『人間の証し―映画芸術論』は、ここ日本でも翻訳刊行されているほどだ。

そんな北朝鮮の映画事情を最も知るのが、映画プロデューサーの小林正夫氏。小林氏が取締役を務めるカナリオ企画は、北朝鮮が製作する映画作品の日本での著作権及び頒布権を委任されており、DVDのリリースをはじめ、映画週間には、北朝鮮映画を日本国内で上映している。根っからの映画人である小林氏に北朝鮮の知られざる映画事情を訊いた。

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どのようないきさつで北朝鮮映画に関わるようになったのですか?

長いですよ(笑)。かつて僕は、大映の東京撮影所にいました。大映が倒産し、後に徳間事業団傘下の大映映画では、ずっとテレビの製作をしていました。土曜ワイド劇場とかね。その後、トクマ・エンタープライズという海外向けの会社を立ち上げましてね。そこからトクマ・エンタープライズUSA、トクマ・エンタープライズ香港なども設立して、ネットワークを広げていきました。そのとき、1992年に〈シネマ・ビーム〉というプロジェクトを始めたんです。これは、各国の若い映画監督を育成するプロジェクトでして、スピルバーグのような新しい監督を世界に輩出する事業でした。どんなジャンルでもいいから、とにかく観終わったあとに、生きる喜びを感じられて、人間っていいな、と思えるものであれば、製作過程は自分たちで考えてもらう。そういう動機で募集したんです。世界各国の映画製作に関わりたい学生から2500作品くらい集まりましたね。

すごい数ですね。

監督のブライアン・シンガー(Bryan Singer)は、知ってますか? 『ユージュアル・サスペクツ』(The Usual Suspects, 1995)の監督ですけど、彼からも企画は送られてきました。『パブリック・アクセス』(Public Access, 1993)という作品なんですけど、それをこのプロジェクトで映画化したんです。結局サンダンス映画祭でグランプリを受賞したんですよ。『ユージュアル・サスペクツ』には、〈コバヤシ〉という弁護士が登場するんですが、これは僕の名前から取ったそうです。彼なりのお礼だったと(笑)。

粋なお礼ですね(笑)。

そのプロジェクトの応募企画のなかに、『バード』というのもありました。それこそが北朝鮮から届いた企画だったんです。実在する鳥類学者の父子がモデルになった南北離散家族の再会を描いたストーリーで、これも『パブリック・アクセス』同様に映像化しました。北朝鮮に投資をして映画を創ったわけです。その頃は、日本と北朝鮮の関係もそれほど悪くなかった。このようなことがきっかけで、シネマ・ビームが始まりでした。

シネマ・ビームではどれくらいの作品を製作したんですか?

その他、米国、フランス、チェコスロバキア等、合計6作品を製作したのですが、バブルがはじけると同時に終わってしまいました。僕も大映を辞めて、フリーになりましたが、しばらくして大映から「北朝鮮の方から連絡が入っています。また映画を創りませんか? こちらにお越しいただけませんか?」とね。「大映の方では処理できないので、ご対応お願いします」って。僕が会社を辞めたことなんて、北朝鮮の人たちは知りませんでしたから。

それで訪朝されたんですか?

はい。まず映画祭に呼ばれたんです。すごく大きな会場でね。海外からいろんな映画人が全員集まってるわけ。特にヨーロッパ系の人たちが多かったですね。

初訪朝ですよね? 不安とか、心配とかはありませんでしたか?

もちろんありましたよ(笑)。北朝鮮に関しては、日本国内での情報しか知らないので、あんな怖いところはイヤだって思ってました(笑)。初めてのときは、極端な言い方をするなら、生きて帰れないのではと思ったくらい。(笑)。

どうしてですか(笑)? 軍人に囲まれたとか?

軍の人じゃなかったけど、空港に迎えに来てくれた人があんまり喋らないの(笑)。

ええ(笑)。

通訳もあまりしゃべらない。ホテルに着いて、偉い文芸関係の連中たちが迎えに来てくれていたから、そこでやっといろんな話ができました。国はそれぞれでも、映画人同士はなぜかすぐ仲良くなれる。そこから隔年ごとの映画祭に出席するようになるんです。

そして1995年からは、北朝鮮との合作映画『高麗女人拳士』(未公開)の製作をスタートされますが、やはり北朝鮮から依頼があったのですか?

そうですね。向こうから提案がありました。もともとは『懲罰』っていう題名でしたが、僕の希望で『高麗女人拳士』に変えました。でも僕自身も、最初はあの国の映画はどんな風に製作されているのか? まったくわからなかった訳ですよ。創ろう、と提案されても、どんな形で創られているのかがわからなかった。そんな感じでスタートして、ミーティングを何十回もやっているうちに、やっとシナリオが出来上がりました。シナリオ作りの骨子だって徹夜でやり合うのですが、初めてだから怖い(笑)。下手に抵抗すると…ねぇ(笑)。問題点で解決がつかないとき、たまには頭に来て「もう、辞めた!」って帰ろうとすると「わかりました。ではまた明日やりましょう」って。問題が解決するまでトコトンやるんですよ。ぶつかり合って徹底的にやり合う。これは本当に見事だと思いましたね。

どっちかが折れるとかではないと。

妥協点を見つけ出すんです。とにかく意見がぶつかりあっても、一致点を見つけるように努力する。そのときの努力が説得力なんですよね。僕が最終的にシナリオをOKしたときも、「あ、ここだったんだ。ここは僕が気付かなかった部分だ」とわかったので、納得しましたね。

その知らなかった部分というのは、なんだったんですか?

彼らの思想です。思想の〈核〉となる〈種子 ーチョンジャー 〉を肉付けていく映像作業が北朝鮮の映画です。

この『高麗女人拳士』は、どれくらいの期間で製作されたんですか?

完成したのは1997年だから、2年かかりましたね。現像は東京現像所で、それを再度向こうに送りました。当然試写はピョンヤンですから、行くじゃないですか? そのときに信じられないかもしれないけど、「この映画によって小林さんが、日本でどれだけ苦労なさったかということはわかっています。そのなかにあって、小林さんのご家族もどれだけ苦労されたのかはわかりませんから、せめて奥さまだけでもお連れください」って、家内も招待されたんです。一寸、欧米風の気遣いですね。一緒に映画が製作できたのが嬉しかったみたい。完成して1年後、僕は恥ずかしながら勲章をいただきました。確かに日本とはあまり良い関係ではなかったけど、映画という接点があったことを、彼らも喜んでいたはずです。

『高麗女人拳士』の製作中に驚いたエピソードなどはありましたか? 日本とはまったく違ったところとか?

この映画には、『洪吉童 ホン・ギルドン』という作品で主役だった俳優も準主役で出演しているんですが、僕の映画では悪役だったんです。キャスティングのときに「俺は二枚目だから、二枚目しかやらない。悪役はやらない」っていうのはないんですよ。国が製作する映画、極端にいえば、監督をもとに国家命令ですから。エキストラの動員も簡単です。皆、国家公務員だから、どこの職場でも〈何日から何日まで、映画の撮影があります。エキストラになりたい方、募集〉ってやるわけですよ。僕の映画では、のべ1万人動員しました。3日間ですよ。

すごいですね。

現場に行ったら、ちゃんと時代劇の用意がしてあって、いるんですよ、わーっと。すごかったですね。

『プルガサリ ~伝説の大怪獣~』(1985年)

撮影所はどんな感じなのですか?

 メインの撮影所は、〈朝鮮芸術映画撮影所〉というところで、僕の映画のような文芸関係作品はここで撮影しますね。その他には、〈朝鮮4・25芸術映画撮影所〉っていうのがあるんだけど、大掛かりなアクションもの、戦争ものは全部ここで創る。〈6・24児童映画撮影所〉は、その名の通り、児童映画からアニメーション製作をやっています。日本ではまったく知られてないけど、フランスとかイタリアのアニメーションはほとんどここで創られていると聞いています。かなり受注が多かったので、おそらく現在のアニメ部門は、独立しているのではないでしょうか。トクマ在任中、僕はテレビアニメ『銀河英雄伝説』のプロデューサーでした。日本のアニメ製作会社が、このアニメを韓国に下請けさせているとは知っていましたが、韓国が更に北朝鮮のこの会社に孫受けさせていたんです。この訪朝の折に知り、僕はのけ反りました。映画の世界は、まさに国境無しですね。

撮影所は広いんですか?

ものすごく広いですよ。100ヘクタールくらいある。あらゆる美術があり、オープンセットでは、日本の戦争当時の建物とか、韓国ソウル大学とか、自国の時代順の建物、欧州の別荘地各所、これら全てが立体的に建っているんですよ。どの方向からも撮影出来るように。オープンセットの管理人は、このセットの一角に常駐しているようです。

すごいですね。ちなみに市民は映画館で作品を観るんですか?

もちろん。映画というのは、北朝鮮の大きな娯楽であり、芸術なんですよ。極めて尊重しているわけです。劇場でも当時立ち見は絶対にさせていませんでした。立ち見をさせるということは、創った人間に対して失礼だという精神なんです。いかにあの国が芸術というものに対して大変な想いを寄せているかが、よくわかりました。

なるほど。

映画だけじゃないですよ。クラシック・オペラとかもそうです。ものすごく瀟洒で、コンパクトで、ヨーロッパ風の真っ白な建物が最近できたんですけど、そこで僕が見たアリアのオペラ・コンサートは、軍隊に所属する歌劇団によるものでした。故・金正日総書記は、軍人であっても芸術を理解し、人間性を常に意識することで、世界水準の音楽を身につけろという方針だったのでしょう。彼は本当に音楽も含め芸術が好きでしたから。

小林さんは、〈有限会社カナリオ企画〉を設立し、日本国内における北朝鮮映画の著作権、そして頒布権を委任されましたが、これはどうしてですか?

やっぱり映画が面白かったからですよ。それに北朝鮮の映画のことを日本の人は誰も知らなかったでしょ。単に紹介したかったんです。

しかし、これらの映像を無断で使用した日本テレビとフジテレビを相手取り、2006年に北朝鮮映画の著作権侵害に対する損害補償を求めて訴訟を起こされました。あれは、どのような状況だったのでしょうか?

あの裁判は問題です。北朝鮮の記録映画撮影所では、国家元首の映像を特殊撮影班が35mmで撮影し、〈文献映画〉の歴史的資料として国家が後世に残していました。劇映画も35mm素材で同様です。現在はどうなっているかわかりませんが、当時はそうでした。日本の国内のテレビキー局には、この旨を事前通達していました。でもテレビ局は、北朝鮮の衛星画像からコピーし、無断でバンバン使った。金正日総書記がピストルを撃つ姿、観たことあるでしょう? あれもここからの映像ですよ。日本にある限りの北朝鮮の映像全てを無断で使用し続けたんです。それで、フジテレビ及び日本テレビと裁判したんだけど、まず東京地裁で敗訴、次の高裁では勝訴、しかし結局、最高裁で敗訴したんです。北朝鮮も日本も国際法〈ベルヌ条約〉加盟国として、サインしているから、お互いに守らなくてはいけないんだけど、日本は北朝鮮と国交がないから、それを認める必要はないというのが最高裁の判決でした。この判決に北朝鮮は、ベルヌ条約を無視した日本に対し、「だからといって我が国も日本の著作物を無視して使用するという道義的に恥ずかしいことはしない」と伝えてきています。国内法より上位にある国際法を無視した日本に対し、後々どんな処置を北朝鮮は考えているのでしょうかね。

裁判はどれくらい続いたんですか?

2006年から、2007年12月14日判決までの1年間、本当に大変でしたよ。

北朝鮮映画をいくつか観たのですが、特に『ある女学生の日記』(2007)が衝撃的でした。日本の家族ドラマと全く変わらない。最後の〈将軍様を讃えるシーン〉は、解せませんが。

この映画の特徴は〈お父さん批判〉なんです。今までは家族制が強くて、批判できなかったのでしょう。

仕事忙しくて、お父さんがいつも家にいないから、娘が怒って。

ごく普通の話でしょう? 一般家庭にありがちな。

『花を売る乙女』は、日本統治時代が舞台なので、徹底的な〈抗日〉プロパガンダ映画を想像していましたが、ちょっと違いました。

そうですね。あれは金正日総書記が映画担当部長時代に指揮製作されたもので、要するに戦争を描くとき、何もドンパチばかりではない。戦争というものを文芸作品として扱うようにと提案したんです。また当初、この映画の監督は、シーズンごとに主人公の乙女の衣装を変えていたんですが、それを金正日は違うと指導した。「度々衣装を選べる状況では無かったのを、お前たちも知っているだろう」ってね。だから主人公は、あの着物一着で通したんですよ。情況のリアリティーを重視したのです。

『花を売る乙女』(1972年)

プロパガンダ色の強い映画ばかりじゃないんですね。

北朝鮮の映画っていうのは、音楽と喜劇から来ているんです。〈パンソリ〉っていう伝統的民俗芸能があるんだけど、音楽と映画の関係ではそれが原点だと僕は思っていますね。それと勧善懲悪がはっきりしている。あと必ず歌が入る。そして先ほどもいいましたが、思想です。主体思想です。

主体思想ですか?

そうです。主体思想、つまりは北朝鮮ではチュチェ思想といいますが、これは金日成主席が北朝鮮の歴史と抗日闘争の歴史を踏まえた上での国家の理念です。政治、経済、文化芸術、軍事のすべてにおいて自主、自立を貫く思想です。これを理解していないとわからない問題が出てきます。例えば、僕の映画もそうだったんだけど、悪政に痛めつけられて、それに反抗する家族がどんどん殺されていく話だったんですね。両親が殺された身寄りのない男の子と女の子が、復讐するためにテコンドーを〈道師〉に習うわけですよ。ふたりは成人して相思相愛、そして一緒に悪政と戦うんです。で、ここが問題なんだけど、シナリオでは、途中で男の子の方がバッサリ袈裟懸けで相手に斬られちゃうんです。「おい、話が進まなくなるじゃないか?」って、僕は思ったんです。「あれ? なんでここで殺すの?」って。

ええ。

でもね、それは僕が浅はかだった。この国を理解していないのが良くわかった。なぜかというと、そこから女の子は立ち上がるんです。彼女は、男の子と一緒に育ったという事実環境に甘えていた。そして彼に頼り切っていた。彼はもういない。自分自身が彼の意志を引き継ぎ、復讐するという気持ちでやらなくてはならない。自分でそう決めた。だから私は戦う。そういうストーリー立てになったんですね。これこそが主人公の表現する、自分が自立する〈主体思想〉だったんです。

色々とお訊きしましたが、でもやはり不安、そして心配もあります。実際にミサイルも飛んできていますし…。小林さんは、どのような形で北朝鮮と日本との関係を望んでらっしゃいますか?

ユネスコってあるでしょう? 憲章の前文を読むと良くわかるんだけど、「すべての戦争は、それぞれお互いの民族、文化、思想、風習、生活を理解し合えていないことから始まる」って。だから文化交流を積極的にやりましょう、って。これです。僕の信念はやっぱり〈文化芸術〉の架け橋になることです。年齢80、まだまだ頑張りたいです!

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