(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE

御年88にして、なお精力的に映画を撮り続ける鬼才〈アレハンドロ・ホドロフスキー(Alejandro Jodorowsky)〉。彼の新作『エンドレス・ポエトリー』(原題:Poesía sin Fin)が11月18日(土)より公開される。

2013年公開の自伝的作品『リアリティのダンス』(La Danza de la Realidad)の続編となる今作では、故郷トコピージャからチリの首都サンティアゴへと移住した、ホドロフスキーの青春時代が描かれている。血縁の呪縛から逃れ、アーティストたちと出会い、初めての恋をして、ついに詩人としての自分を手に入れる……そんな瑞々しいホドロフスキー青年を演じるのは、監督の実の息子、アダン・ホドロフスキー(Adan Jodorowsky)。俳優のみならず、ミュージシャンとしても活動している彼は、ADANOWSKY名義でデヴェンドラ・バンハート(Devendra Banhart)とのコラボ作品を発表し、数々の映画音楽も手がけるなど、幅広く活躍している。役者として映画初主演となる今作で彼は、実の父親役、しかも監督がその〈父親〉という大きなプレッシャーがかかる状況のなか、青春の甘美な歓びから深い絶望や苦悩まで、生き生きと演じている。

そんなアダンが、東京国際映画祭に合わせ初来日。ユーモラスな語り口でジョーク好きな彼は、人当たりが良い真面目な男性、という印象だが、彼が語る哲学的、宗教的な独自の視点、確固たるヴィジョンには、父親アレハンドロの血を色濃く感じる。プライベートな話から、彼が手がけた今作のサウンドトラック、更にはフェミニズムの在り方まで、アダン・ホドロフスキーに話を訊いた。

写真:荒牧耕司

お父様の作品への出演は初めてではないにしろ、4年ぶりの俳優業ですね。やはり自分の父親役というのは、かなりプレッシャーがあったのではないでしょうか?

もちろんプレッシャーはありました。初主演ですし、監督・演出は父親ですから。ただ、私が演じたアレハンドロも、当時はまったく自信のない青年でした。そこから徐々に自分のアートに対して自信を得る。その進化が語られている作品なんです。時系列順に撮影したので、現場入りしてから演技に自信をつけるまでが、主人公アレハンドロの成長と重なりました。ですから、すごく自然に演技できました。

では特に役づくりはしていないと?

そもそもアレハンドロの実の息子である時点で、俳優としての準備は完了していますから。ただ、パントマイムや人形劇の動きは勉強しました。アレハンドロがかつて読んでいた本を読んだりもしましたよ。あとは、当時の父の体型に寄せるため、15キロ減量しました。

本作で演じられたのは、20代の頃のお父様ですよね。

21か22歳ですね。なので若く見せるために、毎日運動していました。

アダンさんは今…

38歳になります。

お誕生日だったそうですね。おめでとうございます。

はい。10月29日です。悪魔と契約して若返らないと。ただどちらかというと、あまり年齢というものは信じていなくて、むしろ人生をサイクルと捉えています。年齢は重要ではないんです。常に新しい挑戦をしていると、脳は活性化されます。もちろん肉体は年をとります。でも情熱があれば、それは〈老化〉ではなく〈変容〉です。バカな年寄りは若いときからバカだ、ってことです。

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キャスティングはお父様が決められたのですか?

はい。父が決めました。プロの俳優はほんとうにわずかです。身体的な特徴だけでなく、父は、人が内面にもつエネルギーをただちに見抜けるんです。あとは本物かどうか。つまり、ダンサーを演じる人は本当にダンサーだし、レズビアン役は本当にレズビアンなんです。出演者は多いですが、キャスティングはすぐに決まりました。

劇中でアレハンドロの親友エンリケ・リンを演じたレアンドロ・ターブ(Leandro Taub)が、実生活では、アダンさんの奥さんの元恋人だった、というエピソードを東京国際映画祭(TIFF)でのQ&Aで伺って仰天したんですが、ふたりが親友役としてキャスティングされたのは、もしかして裏に何か意図があったんでしょうか?

偶然ですよ。レアンドロがパリにいる父親に会いにいき、そこで役が決まったそうです。そしてそのあとに彼と妻は知り合い、3〜4ヶ月付き合っていた。でも彼女は、10年くらい前から私のことが好きだったらしいんです。だから、ホドロフスキーの映画に出演する、とレアンドロから聞いて、驚いたそうです。彼女にしてみれば、好きな男の父親の映画に自分の彼が出演するんですからね。そのあといろいろあって、私も彼女と結婚したいと考えるようになり、最終的に妻はレアンドロを捨て、私といっしょになった。それから撮影が始まったので、レアンドロにとっては傷心の現場入りでした。ただ、私たちは親友役なので、こちらとしても積極的に話しかけたり、何とかしなければという気持ちはありました。しかし彼の抱える怒り、悲しみはあまりに大きかった。それぞれにとって、非常にストレスフルな状況でした。でも皮肉にも、本作にぴったりな状況でもありました。劇中で、アレハンドロがエンリケの恋人と寝てしまうシーンがあるんです。彼は演技ではなく、本気で怒っていました。

てっきり過去の話かと思っていましたが、撮影中に進行していたんですね。

そうです。ちゃんと克服しましたけどね。

仲直りできたんですね。

いや、そういうわけではありません。最終的には、お互いそれぞれの場所でがんばろう、と。

では、実生活では違ったんですか? 映画には、ふたりが和解するシーンがありましたが。

彼は撮影中、私や現場に来ていた彼女と話すために、私たちの部屋のドアを叩いたりとか、いろいろしてきたんです。ホテルの部屋が隣同士だったんですよ。

それは嫌ですね。

私は許しましたけどね。彼も許してくれたはずです。撮影が終わったときには、お互い挨拶もせずに帰りましたが、時間が癒してくれるでしょう。

プライベートな話をすいません。

本当ですよ。パパラッチだ(笑)

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では、サウンドトラックについて伺わせてください。アダンさんは、前作『リアリティのダンス』に引き続き、今回も音楽を担当されています。主演と音楽、お忙しかったのではないでしょうか。

今回は、演じながら音楽をイメージしていました。撮影の合間に、閃いたメロディの鼻歌をレコーダーに録音しておきました。だから本格的に音楽制作を始めるときには、すでにアイデアはあったんです。でも、出演しているシーンに音楽をつけるのは難しかったですね。

前作と今作でテーマソング的な役割を果たしている〈Los Mineros〉の印象的なメロディは、いつどのように浮かんできたのでしょう。いち度聴いたら頭から離れないメロディです。

『リアリティのダンス』で、とても長いシーンに曲をつけなければいけなくて、悩んだすえに浮かんだのが、当時よく聴いてたエリック・サティの〈ジムノペディ(Gymnopédies)〉だったんです。そこから〈Los Mineros〉のアイデアを得ました。でも、いざ完成してみると、編集の女性が、「このシーンにこの曲はちょっと…」と難色を示したんです。でも、父が「俺の息子が間違うわけないだろう。これでいいんだ」と推し進め、この曲に決まりました。あのとき父が諦めないでくれてよかったです。

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音楽活動をするうえでは、何から影響を受けていますか?

ジャズ、クラシック、パンク、ロックなど、いろんなジャンルの音楽を手当たり次第に聴いてきたので、何から影響を受けたのかよくわかりません。クラシックならショパンが好きですし、ニーノ・ロータ(Nino Rota)、バーナード・ハーマン(Bernard Herrmann)などの映画音楽も聴いてきました。今作に関しては、1950年代の音楽が基本になりました。私は、他の音楽家だったら尻込みしてしまうような挑戦をしたくなります。普通だったら使わないところに、あえてフォークの要素を入れたりします。

いろんな音楽の要素を取り入れるていると。

そうです。たくさんの要素を詰め込みたい。今まで、バンドなどいろんな形態で活動してきましたが、いちばんワクワクしたのはオーケストラです。映画音楽ですね。ニューヨークにいた頃、私が交響曲を指揮し、それを父が演出、撮影するような作品を創りたいね、という話もふたりでしたんです。映画音楽を手がけた経験によって、個人の楽曲にも実験的要素が入ってきました。

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ご家族についても伺わせてください。TIFFのQ&Aで、映画監督としてカルト的な人気を誇る父親のもとで育った子ども時代は「普通ではなかった」とおっしゃっていましたね。でも今はご自身も結婚され、お子さんもいらっしゃる。子育てに関しては、自分の幼年時代を参考にしていますか? また、〈家族〉や〈血縁〉に対して、どんな意識を抱いていますか?

まず、自分の子どもには何も指図せず、自由にさせたいです。もちろんアートやアーティストはすばらしい、という話はするかもしれませんが、私の意見を押し付けたくはありません。自分で発見し、限界も自分で把握し、道徳や思想に関しても、自発的に生まれたもの以外には従わないでほしいです。たいていの親は、子どもに考えを押し付けてしまいがちですが、なるべくそうしないように心がけています。やはり自ら自分自身をつくってほしいんです。映像作品に関しても、子ども向けの変につくられた声のアニメではなく、人間の声が演じる作品、例えば、ジーン・ケリー(Gene Kelly)の映画のような古い作品などから、何かを感じてほしいです。もし音楽をやりたいとしたら、全ての楽器から〈自分にとって意味のあるもの〉を、自由に選んでもらいます。そしていちばん気をつけているのは、〈パパ〉や〈ママ〉と呼ばせないこと。私は息子に〈アダン〉と呼ばれています。子どもが最初に覚える言葉は、だいたいママかパパですが、子どもにそう呼ばれると、親は無意識のうちに、子どもに対して力をもっていると錯覚してしまう。私は子どもにとって父親であり、友人であり、いろんな存在でありたいので、息子にも〈パパ〉ではなくファーストネームで呼ばせています。私は、息子が自由にやれるよう手助けするだけです。

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最後に、あなたの女性観について訊かせてください。『エンドレス・ポエトリー』では、パメラ・フローレス(Pamela Flores)が主人公の母親と主人公のミューズの2役を演じていたのが、すごく象徴的だと感じました。コルセットをつけ父に隷属する母親、自由に胸や脚を出し、男性を容赦なくぶっ倒していくステラ。このふたりがアレハンドロの人生に多大な影響を与えるわけですが、アダンさんご自身は、女性をどのように捉えていますか?

まず私は、男性である父、女性である母から生まれているので、自分のなかの女性性は認識しています。私にとって、女性からの影響は人生でいちばん重要です。個人的には、女性を誘惑などの〈対象〉として捉えたことはあまりありません。そうではなく、女性からのエネルギーによって、私の〈バランスがとれる〉のです。そういう意味で、フェミニズムに対しては疑問をもっています。男性と女性は補完し合う存在であり、男女はともに闘うべきです。フェミニストの女性だけが声高に平等を訴えても意味がない。男性と女性がいて初めてバランスがとれるのです。フェミニストとして闘う女性は、もちろん理解できます。ですが、男性からの歩み寄りというか、ともに闘おうとする姿勢が足りない気がします。男性が加わらない限り、世界は変わらないでしょう。

女性だけでは女性の権利獲得は達成できない、と。

そう、男性側の意識が高まらない限り難しい。男性と女性は、抱きしめ合い、補完し合って、ともに歩むべきです。片方だけでは進めません。もちろん男女以外のカップルもいますが、ここでは男女とします。たとえばカップルがケンカをしたときに必要なのは、お互いに抱き合い、和解すること。そういう意識が男性のほうに足りていない気がします。

「フェミニズムには反対」とおっしゃったので少し驚きましたが、フェミニズムそのものではなく、今のフェミニズムの在り方に問題があるということですね。

フェミニズムの思考法というよりは、フェミニストの女性の行動に疑問をもっています。確かに男性の意識も足りませんが、女性側にも、男性を寄せ付けない、という節があるのではないでしょうか。ともに行動すれば絶対に世界は変わります。私自身も、女性とともに在り、ともに闘いたいですね。

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エンドレス・ポエトリー』は、2017年11月18日(土)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか、全国順次公開