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パンクス VS ネオナチのスリラー映画『Green Room』

インディペンデント映画としては異例のヒット作となった2013年の『ブルー・リベンジ(Blue Ruin)』に続くジェレミー・ソルニエ監督の最新作『Green Room』。作品のテーマは、パンクスとネオナチ集団の闘いだ。

メインストリーム向けのパンク映画ほど悲しいものはない。必要以上のパッチ&鋲を付けた革ジャン主人公が、ティーン向けのファッションパンク本から引っ張ってきた専門用語で会話を交わすも、結局は不自然で、ストーリーも頭に入らず、気持ち悪いまま終幕を迎えるのが世の常だ。しかし、ジェレミー・ソルニエ(Jeremy Saulnier)監督の最新作『Green Room』(日本公開未定)は完璧なパンク映画であり、その表現の真新しさには目を見張るものがあった。パンクバンドのメンバーvs.ネオナチ集団を描いたこのスリラー映画は、無理やりパンク的エッセンスを表現せず、ナチュラルな演技とパンクミュージックをベースに進行する。結果、暗くて、おっかない血みどろ監禁系スリラー映画でありながら、パンクマニアも共感できるレベルの高い作品に仕上がった。

作品のテーマは、パンクスと、パトリック・スチュワート(Patrick Stewart)率いるネオナチ集団との闘いだが、対立をメインにしたステレオタイプの映画ではない。本作の主人公たちは、THE AIN’T RIGHTSというパンクバンドで活動し、彼らが巻き込まれる思いがけない出来事を軸にストーリーは進む。THE AIN’T RIGHTSは、ライブでDEAD KENNEDYSの「Nazi Punks Fuck Off」を演奏し、ネオナチ集団を敵に回すが、ライブが終わる頃には彼らの心を多少なりとも掴み、終演後には割といいギャラもゲットもする。しかしアントン・イェルチン(Anton Yelchin)演じるTHE AIN’T RIGHTSのベーシスト、パットが、楽屋の中で見てはいけないものに遭遇してから、幸せな時間は一瞬にして地獄へと向かう。そこから映画は陰惨かつ血みどろの結末へと勢いよく疾走するのだ。インディペンデント映画としては異例のヒット作となった2013年の『ブルー・リベンジ(Blue Ruin)』に続き、ソルニエは今作でも、意識的にサスペンスや恐怖感を映画に充満させるのに成功している。息が止まるような『Green Room』だが、単なるスリラー映画にはない体験を味わえる。

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まず、パンクやハードコアにハマったきっかけを教えてください。

最初に好きになったのはDEAD KENNEDYS。アメリカ横断旅行をしていたとき、親の友人宅に立ち寄ったんだけど、彼らには、私より年上の息子がいたんだ。彼がパンクロックのファンだった。彼のおかげでパンクを知った。彼に会ったのは、その日が最初で最後だったんだけど、DEAD KENNEDYSのアルバム『Fresh Fruit for Rotting Vegetables』(1980年)を、そのとき私が持っていた『ビバリーヒルズ・コップ(Beverly Hills Cop: Music From The Motion Picture Soundtrack)』(1983年)のサントラが入ったカセットを潰してダビングさせてもらった。テーマ曲の「アクセルF」だけは残しておいたけどね(笑)。

DEAD KENNEDYSからのその後も教えてください。

小さい頃はスケボーをやっていたから、年上の連中ばかりとつるんでたんだ。スケボーとパンクロックは繋がっていた。スケートカルチャーにはパンク精神のようなものも流れていたからね。8〜9歳くらいの子どもだった私は、年上の兄ちゃんたちが着てるTシャツを見て、そこに書いてあるバンド名を覚えていたよ。で、母親にレコード店に連れていってもらって、「今日はTHE MEATMANってバンドのレコード買ってもらおう」なんてね(笑)。

Alia Shawkat and Anton Yelchin. Photo by Scott Patrick Green, courtesy of A24.

あなたはバージニア州のアレクサンドリアで育ちましたが、ということはワシントンD.C.にライブ目的で行くことも多かったのでは?

兄ちゃんたちが車の免許を取りはじめると、メモリアル・ブリッジを渡って、ワシントンD.C.に連れていってもらっていた。もちろん、私はまだガキんちょで、身の丈以上の遊びをしているとわかっていたけれど、でも、そうやって実際のシーンに参加するようになったんだ。ハードコアバンドを組んだし、友達とパンクバンドをやっていた。パンクとハードコアとゾンビ映画とホームビデオが全部融合した世界だったね。

当時のD.C.シーンはいかがでしたか?

「殺人が多い首都」ってところ。街は汚かったし、危険だった。シーンといってもその中にはいろいろなムーブメントが混在していてね、ネオナチのスキンヘッズももちろんいた。軍用ブーツを履き、サスペンダーを付けて、ハーケンクロイツを掲げていた。私の地元ではそんな人たちを見たことなんてなかったから、本当に怖かった。彼らがいるところにはいつも暴力があった。しかもだいたい彼らが被害者だった。やはり歓迎はされていなかったからね。

Callum Turner, Joe Cole, Alia Shawkat, and Anton Yelchin. Photo by Scott Patrick Green, courtesy of A24.

あなたも暴力沙汰を経験したことがありますか?

一度だけ、クラブの外で刺されたことがあってね。命に別状はなかったけど、本当に最悪だった。血痕の中を歩きまわったのを覚えている。

では『Green Room』の話をさせてください。まず「パンクVSネオナチ」というテーマを閃いたのはいつですか?

10年くらいずっと頭の中にあった。パンクのエネルギーや、その思想と価値についての映画を撮りたかったんだ。「いかにもパンク的なパンクス」をただ撮るようなものでなく、その素晴らしいカルチャーのなかに、観客がどっぷり浸れるような、パンクがストーリーの推進力となるような、そういう映画が創りたかった。楽屋を舞台にした監禁スリラーというのはひとつのアイデアだったんだけど、それがライブ中に起こるとなると、さらにダイナミックになるだろうし、より張りつめた緊張感やエネルギー、カオスを演出できる気がしたんだ。でもなかなか実行できなかった。というのも、インディペンデント映画だからね、そんなに簡単に物事を進められないんだ。予算の関係もあるから、必要なものが簡単に手に入らなかった。ライブハウスを見つけるのにも時間がかかりそうだったし。『ブルー・リベンジ(Blue Ruin)』のあとになって、やっと準備が整ったんだ。

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Patrick Stewart, Brent Werzner, Samuel Summer, Colton Ruscheinsky, and Mason Knight. Photo by Scott Patrick Green, courtesy of A24.

「いかにもパンク的なパンク」映画はつくりたくなかったとおっしゃいましたが、『Green Room』には、新しさも感じました。パンク vs. ネオナチという背景を、さまざまな問題のベースとしているような、そんな感じがしたんです。

これは、オリジナリティのあるテーマだとわかっていたし、私が抱いてきた考えのハイ・コンセプトなんだ。とにかく思想的な泥沼にはまってしまわないように気を付けた。観客を、テーマが生み出す世界観にに放り込むのを第1義とした。観客は、その場にいて、しっかり目を開いて、注意深く音を聞く。私は、ウソが嫌いだ。ハードコアバンドをやっていた頃、自分たちがどれほど「パンクなのか?」なんて話さなかった。劇中で、登場人物は観客に話しかけない、というルール。つまり、この映画は、パンクシーンのガイドツアーじゃないんだ。観客は、この世界観が事実であり、信用できると感じなきゃいけないんだ。

Imogen Poots. Photo by Scott Patrick Green, courtesy of A24.

この作品では、どの集団にも政治色が描かれていませんでした。反ファシストのパンク野郎がネオナチ組織に入り込む、という映画にするのは非常に簡単ですが、『Green Room』はそうではありません。パンクスたちは、ネオナチに対してはアンビバレントな感情を抱いているか、もっと言えば無関心で、ネオナチの前で演奏するのも問題ないし、金を払ってもらうのにも抵抗がない。逆にネオナチ側についても、ナチスの思想の代弁者としては描かれていません。どうしてでしょう?

まさにそのとおりなんだけど、ネオナチのスキンヘッズを敵役にしたのは、彼らがネオナチだからではなく、非常に統率の取れた集団だからだ。組織がしっかりしていて、ヒエラルキーもある。日本のヤクザ社会みたいなものだ。みんな同じような格好をしていて、戦闘的でね。ただ、彼らがそうしているのは、ナチ思想がそうだからじゃないんだ。簡単な方に流されないように、大仰なナチスのスピーチなど出てこないように気を付けた。私は、登場人物たちを、人間として描こうと力を注いだ。すべての人物を人間として描き、そして彼らのレッテルについて考察する。格好だけで誰かを判断できるだろうか? ネオナチは最初から差別主義者として生まれたのだろうか? スカウトされてそうなったのか? 音楽を通して興味を持ったネオナチ集団に加入して、彼らは、加入以前から抱えていた、ある種の痛みと欲求が充足された、と私は考えている。こうして思想は歪められ、憎しみや悲しみを別の集団へと向けた。そういうことなんじゃないかな。パンクやハードコアも多くの人々の心を掴んだけど、そのエネルギーはとてもポジティブだし、コミュニティも優しい。でも下手に、そして無責任に扱われて、他の手段のために使われてしまうこともある。『Green Room』は、そういう現実を描いているんだ。「ナチスは悪い」と主張してるんじゃない。権力について描いているんだ。そして、こんな疑問が生まれる。私たちは何のために戦っているのか? 「誰」のために戦っているのか? 劇中で、ネオナチもTHE AIN’T RIGHTSも、闘いから何の利益も得ていない。すべてはトップの男に集まる。しかも、彼の動機はイデオロギーとは関係ない。保身と、自分の企てのためでしかない。この構図は、今の政治状況における主流派と似通っている。過激派や反主流派というよりも、主流派だね。

ネオナチのライブハウスでの選曲についてなのですが、メタルミュージックにフォーカスしていましたよね?例えば、MIDNIGHTなどのメタルバンドは、ナチスとの関係性は一切ありません。ネオナチムーブメントにもっと近しいSKREWDRIVERや他のRAC(Rock Against Communism)ムーブメントのバンドの曲を使うことを避けた理由はあるのでしょうか。

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ライセンス契約を結び、それらのバンドと商業的な関わりを持ちたくなかった。あと、単にライブハウスにメタルのヴァイブスを加えたかったのもある。MOTÖRHEADみたいなね。もちろん、MIDNIGHTも有名なメタルバンドで、彼らはクールなロックンロール・サウンドを鳴らしている。だけど、ぶっちゃけた話、MOTÖRHEADのライセンス料が高かったんでMIDNIGHTを使ったんだ。でも、実際にMIDNIGHTの曲を使ってみたら、金があったとしてもやっぱりこのバンドを使いたい、完璧だ、ってわかったんだ。微力ながらメタルシーンを応援したいという気持ちもあった。

Patrick Stewart. Photo by Scott Patrick Green, courtesy of A24.

この作品では「無人島バンド」というテーマも出てきますね。「無人島に行くとしたら、どのバンドを連れて行くか?」という。『Green Room』の登場人物たちにとって、この質問がなぜ重要性をもつのか教えてください。

「無人島バンド」のテーマは、わりと昔からあったんだ。ハードコア・シーンのメンバーであるのを自分がどう感じていたか、というところに遡るんだけど、私は正真正銘ハードコアで、そのシーンに身を置きたかったし、実際に身を置いて、すべてを捧げていた。でも、ハードコアに限ったことじゃないんだけど、その気持ちが嘘だと感じたりもした。すべてのハードコア・バンドが好きなわけじゃないし、すべての曲が好きなワケでもない。レコード屋に行って、JFAのレコードを買ってみても、「これマジ最低だな」って思たりもする(笑)。どれほど知識があるか、どれほど幅広くレコードをコレクションしているか、結局それだけなんじゃないか、ってね。一種の競争みたいだろ? 『Green Room』を観たっていうツイートで、「THE AIN’T RIGHTSは、自称、正真正銘のハードコアだって吹いてたけど、車のバンパーにFUGAZIのステッカー* が貼ってあった。だからTHE AIN’T RIGHTSは偽物だ」なんて呟いている奴がいた。でもだからって、FUGAZI自体は偽物じゃないし、イアン・マッケイもフェイクじゃないだろ? 歳をとって「クール」ってものに大した意味がなくなってきた。私は、ハードコアに関する知識はどうでもいい。その場にいれるのが嬉しかったんだ。この狂気の映画は、展開するにしたがって、圧力鍋がひっくり返るように、見た目やうわべが溶け出していき、登場人物たちも「もしかしたら別のバンドが好きかも」なんて認め始める。でも何よりも、それこそがまさにパンク的であり、そして、つまるところロックンロールなんだ。