若き写真家が見る歪んだ世界、第8回目はサンフランシコを舞台に様々な人間模様を映し出す作品を作り上げた、弓場井宜嗣の作品とインタビュー。

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若き写真家が見る歪んだ世界 vol.8 弓場井宜嗣

若き写真家が見る歪んだ世界、第8回目はサンフランシコを舞台に様々な人間模様を映し出す作品を作り上げた、弓場井宜嗣の作品とインタビュー。

サンフランシスコのCity Lights Booksの近隣にある靴屋のデコレーション。

サンフランシスコの街を徘徊する路上生活者。

全身にタトゥーが入るミッション地区で出会った女性。

カウンターカルチャー。既存の価値観で構築された世界に憤りを感じ、それを受けて生まれる新しい価値観。ビートやヒッピー、パンクなどがその代表として持て囃されているが、多かれ少なかれ、先輩たちが作り上げてきたものを否定することで、新しい文化が生まれるという土壌は、あらゆるシーンで存在する。もちろん先輩たちには敬意を払いながらも、その中では生きられないもどかしさが生まれての反発と創造。若い頃は単純に権威に対してあれもこれも気に入らなく無駄に反発しまくっていたというのもあるが、大人になってからは、もう少し客観的に世の中の常識というものと照らし合わせて、こうしたほうが良い、ああした方がより良いだろうと思い描く。それが多くの人の心を掴めるか否かで、新しい提案となり文化となり、ビジネスとなるかが問われる。どのシーンでも人気(儲かる)のある物事、手法を模倣し、狙って似て非なるものを生み出す人々が優秀とされる日本において、権威に正面から反発する愚か者は、たとえ幼く醜とも愛すべき存在だと感じてしまうほど、今や天然記念物的な変わり者になってしまっているのだろうか。

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若き写真家が見る歪んだ世界、第8回目は、写真の世界に荒々しく挑む挑戦者、弓場井宜嗣の作品とインタビュー。

テンダーロイン地区で最もおしゃれとされる人。ヘルメットに付くCDには使用済みコンドームが。

「あたいと寝ない?40ドルで」と誘われたんですが、あまりにも怖くて代わりに路地裏でヌードを撮影。

とても日常とは思えない魅力溢れる人たちを収めたポートレートだと思うのですが、このような写真を撮るきっかけを教えてください。

自分のなかで、いろいろな要因があるので、何から話せばと思うのですが、まずひとつが、僕は広島県で生まれ育つのですが、中学校に入ったときから、地元の駅前で友だちとフラフラするようになって、当時僕らの街に変わった人が多かったので、そんな人たちと触れ合うのが好きだったんです。駅前で酒盛りしてるようなおじさんとか、500円おばちゃんって呼ばれていたんですけど、500円で体売る人とか。僕が子供の90年代とかは昭和の匂いが濃厚に残ってる場所でした。そのとき体験した街の原風景みたいのが影響していると思います。

まだまだ街が荒れていて、こんなに安全でも画一的でもなかった時代ですよね。この当時の体験が路上でストリートスナップでという作風と繋がってくるということですね。

はい。あとは根本的にエクストリームなものが好きだっていうのもあります。例えば、15歳くらいからパンクロックにハマって行きまして。初期パンクから掘り起こして、80年代のハードコアとか、オイといったたハードな方にドンドンのめり込んで行ったり、美術で言えば、音楽の流れでその後サイケデリックとか聞くようになってその過程で横尾忠則さんのポスターに始まり、ダダやシュルレアリスムを発見して。美術って堅苦しくて面白くないものだと思っていたんですけど、ダダってめちゃくちゃパンクだと感じたんです。シュルレアリスムにしても、根っこはサイケデリックと同じじゃんって思って、元々ルーツを探ることが好きだったのと、思い込みが激しいせいもあって四六時中、美術の事ばっか考えるようになったんですが、途中でヤン・ファン・エイクを発見します。本当にぞっとしたっていうかドキッとして。彼の絵を観ているとそこに描かれた人がこっちを本当に見てる気がして、すごくリアルに感じて。これが本当のシュルレアリスムだって思って。ベルギーのフランドル地方(ネーデルラント)の人なんですけど、15世紀、同時多発的に、同じ地方からこういった画風の画家が何十人も出てきます。それが80年代のフィンランドやスウェーデン、その他北方諸国のハードコア・ムーヴメントを思い起こさせて。美術の世界でアーティストになりたいって思い始めたきっかけかもしれません。

ドラムスティックを握りしめ、ネズミを抱えて目をギラつかせながら足早に歩いていた人に声をかけ撮影。

背中のペンタグラムは刑務所に入っていたときにできた友人に入れてもらったタトゥーだそう。

音楽と美術、不思議な繋がり方をしてますね。ただ美術のなかでも写真を選んだ理由は?

21歳のときにサンフランシスコに行ってそこで体験したことが大きいです。上記に話したように、確かに音楽と美術、自分が好きなものがバラバラと頭のなかにあって、それが線としてはちゃんと繋がってなかったんですが、21歳のときにリサーチというサンフランシコの出版社に行くことで、それが初めて繋がったというか。13歳のときに、94年のブルータスで空想商店街って特集の号があったんですが、そこにリサーチのインタビューがあって、そのときのインタビューにデッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラも出ていたんですが、もちろん13歳当時はデッド・ケネディーズもビアフラのことも何も知らなかったんで、特に気に留めてなかったんですが、18歳のとき改めて読みかえしてみたら、ビアフラのインタビューがあったのを発見して、そこでパンクとリサーチが結びつきます。それで21歳のときに、リサーチから直接本をメールオーダーした時に、編集長であるヴェイルに「1度遊びに来い」っていう手紙をもらって、サンフランシスコへ彼に会いに行きます。それでヴェイルにはじめて会って話したときに、好きな画家は誰だって聞いたら、「ボッシュ!」って言ったんです。ボッシュという画家はヤン・ファン・エイクとほぼ同時代のネーデルラントの画家なんです。だから音楽もそうだし、ヤン・ファン・エイクと同じような作風の画家の名前を挙げたので、そこで今までバラバラだった好きなものが一気に繋がった感じがして。すごくリンクするものを感じたっていう。一時帰国したんですけど、すぐにまた渡米して、それで家が見つかるまでずっとリサーチに住まわせてもらうってことになって、それで気付いたら、家族みたいな関係を築けて何年も住んでる状態になってて。

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パンクと美術がここで合致するということですね。

はい。リサーチはジャンルとかに囚われず、世界中で誰も紹介しないアーティストを、文化人類学の観点から、真面目に研究しているような本です。世間一般ではありえない人たちばっかを取材したり特集したりするんで、例えばモンテ・カザーザやジェネシス・P・オリッジ(スロッピング・グリッスル、サイキックTVのフロントマン)、SPKとか、世界で初めてのノイズバンドと言われるような人たちを取り上げています。それを研究という言葉が近いと思うんですが、取材対象について没頭して資料を調べつくす感じが尋常じゃなくて、ヴェイルが学者気質なんだと思うんですが、例えばレコード3万枚聞いた上で本を作るとか、仕事が徹底してるんですよね。また、同じ内容の記事を違う出版社が取り扱ったらゲテモノみたいになると思うんですが、それをリサーチはすごくいい意味でインテリジェンスに表現する。あんまりスカムな感じがしない。あと、アートワークが完璧でした。そんなリサーチで数年過ごしていて、アナ・バラッドという写真家との出会いから写真を始めるようになります。

美術、音楽に興味を持ち編集者としてリサーチに従事するなかで、写真を撮ることがよっぽど弓場井さんの制作活動を促す何かがあったということですね?

実はそうでもなくて(笑)。むしろ逆というか。リサーチのJ・G・バラードっていうSF作家の号をいつも担当する写真家がアナ・バラッドなんですが、僕がまだロバート・フランクもウィリアム・クラインもろくに知らないころのことですが、リサーチを買って読んでいたので、アナ・バラッドの写真はすごく好きだったんです。唯一好きな写真家でした。僕が彼女の写真集を持っていたこともあって仲良くなって。それで彼女に勧められて写真を始めます。本当は絵が描けたら、1番良いんですけど、そんな才能はないし怠け者なので、自発的に何かをやったりっていうのが根本的に苦手なんです。パンク・ロックのステートメントである「Do it yourself」を土台に置けば、写真ってシャッター切れば「写る」と言えるし、たまたまヴェイルに薦められて買ったのがオリンパスのコンパクトカメラだったので、「これだったら、ポケットに入れておけばいいだけだ」と思えて。しかも町をフラフラするのは中学生のころから得意だったんで(笑)。だからもともとスナップをやりたかったというよりもそれしか僕にはなかった、それしか選択肢がなかったというのが正直なところです。

Warfieldというライブハウス付近でブラックメタルのライブ直後に撮影したオーディエンス。

テンダーロイン地区をパーティー帰りに歩いていた男。

なるほど。

あとは著名な写真集を片っ端から観ても、どれも面白くなかったっていうのもあります。バンドや、絵は好きなものがいっぱいあるし崇拝してるから、やろうとは思わないんですけど。

では、写真でどのようなことを表現したいのですか?

自分のなかで表現する上で、一個のテーマというか向こう側に行きたいっていうのがあって。三途の川を渡りたいわけじゃないですけど、日本人風にいったら異界かもしれないし、4次元かもしれないし、夢の世界かもしれないし、まあ、とりあえずどうやったらファインダーを覗いてシャッターを切るだけで世界を歪められるだろうって思っていて。とにかく人が観たことがないビジョンを描きたい。

向こう側っていうのをもう少し具体的に教えてください。

例えば、この上の写真を例にすると白い毛布にシワが少し入っている部分を飛ばしたんで、ちょっと卑怯なやり方かもしれないですけど、なにか分からない異物、ゴーストのように見えると思うんです。

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なるほど。ただ他の写真を見てると単純に被写体、変わった人が好きなのかなっとも感じてましたが。

単純に変な人に興味はありますが、それも向こう側の住人をとろうとしてる意識があります。自分の性分としてエクストリームな音楽も好きですし、極北に行きたいみたいなところがあるからだと思います。そっから向こう側にいきたいっていう極端な発想になっていると思います。他の人が絶対に観たことがないところにいきたいっていう。また、僕はモノを作るときの原動力って怒るってことなんです。性格的に物事に感動したら、それに屈服するんで、そのことを本当に好きになるんで、それ以上のものを作ろうとは思わない。だから現代美術とか見てると、ツバを吐きかけたくなりますよね(笑)。

過激ですね(笑)。

いやいや。ただ、普通は政治とか社会情勢に対してのカウンターカルチャー的な発想がほとんどだと思うんですが、僕はその部分についての想いは薄いんですが、美術史とかにはその衝動がすごくあって、レオナルド・ダ・ヴィンチやイタリア・ルネッサンスとかに対して、なんでそっちを評価するんだって思いが強い。なんで自分の好きなヤン・ファン・エイクやフランドルの画家じゃないのかとか。自分が好きなモノが評価されてないと、なんでだ?って思いが強い。そういうところはリサーチの影響を強く受けているんでしょうね。

なるほど。編集者やキュレイター的な視点ですね。

確かに。自分がアーティストになれるかもしれないって思った最後の方法論が写真であり、可能性を感じたのが路上で写真を撮ることでした。いや恥ずかしい限りですが、写真をしっかり勉強して踏まえていくってよりかは土足で踏み込んで行くようなやり方が僕には合っていて。だから僕は多分、純粋な意味では芸術家じゃないですし、写真家でもないですよね、職人としての側面で。ただ自分としては系譜として、カウンターカルチャーの末端くらいには入れてもらいたいなって、そんな想いが強いですね(笑)。

CROSSROADS CAFEという囚人たちの服役プログラムであるカフェに遊びに行く、その道すがらで撮影。

弓場井宜嗣

21歳のときに渡米しRE/Searchに住み込み、編集者V.ヴェイルに師事する傍ら、フォトグラファーとしての道を志す。作品としてはこちらの「SAN FRANCISCO」があり、今後新作も発表予定。