tokyo2014-media

Tokyo 2014

思い通りの人生を歩みたい。朝7時に起き、8時の電車に飛び乗り、10時から事務処理、12時からお気に入りのラーメン屋でランチ、14時から得意先と打ち合わせ、自分が考えた企画が先方にも好評で商談が成立しそう。16時から会社でミーティング、18時には会社を出てお気に入りの居酒屋へ。枝豆、奴、焼き鳥とやや健康に気を使いながら3杯のビールを流し込み、22時には家路へ。彼女とLINEでメッセージを交わし、Youtubeをダラダラ流し見し、0時には床へ。今日も思い通り、完璧な1日だ。

若き写真家が見る歪んだ世界、第13回目は、東京、大阪、ニューヨーク、パリ、ヨハネスブルグなど、世界中の都市を旅し、そこでしか実感できない体験を記録し、地図として形作るジオラママップを生み出す、西野壮平に迫るインタビュー。

osaka-medi

Osaka 2003

写真を始めたきっかけを教えてください。

写真は見るのも撮るのも小さい頃から好きでしたし、身近にあるものでしたが、突き刺さるほどのきっかけといえば、四国のお遍路さん(弘法大師(空海)の 足跡をたどり、八十八ヶ所の霊場を巡拝すること)です。

お遍路さんですか?

そうなんです。あるとき、お遍路した経験のある知り合いのおばあさんから話を聞いて、単純に面白いと思って、すぐ4日後に行ったんですよ。テントと寝袋を持って。

お遍路さんの体験談を聞いて、どういうところに魅力を感じたんですか?

その人は家庭内に不幸があった後に、その供養としてお遍路したそうです。歩くことで、何かを忘れていく、無になっていく作業ができたんだといっていて、なるほどと思って。自分自身は高校時代、デッサンや絵を書いていて、それで美大に進学したかったんです。ただ、作業自体は面白かったんですが、なにか違うなっていうモヤモヤしたものが消えなくて。デッサンスクールにも行きたくなかった時期で、衝動的に行ってしまえというか、エネルギーが湧いて。

実際に行ってみて、どのような実感を得たのですか?

なんでしょうね。ただただ、歩くことが面白かったんです。デッサンで部屋にこもってるよりも、外に出て、自然の中を歩いていく、その歩くという行為がピンときたんです。そのとき持っていったカメラも、家にあった、母から借りたカメラでしたし。写真を撮ることが好きで始めたというよりも、歩くという行為が先にあった感覚です。撮影したのも、変わっていく風景、出会っていく物事、自分の足元とか、たわいのないものでした。とくに撮れたものや出会ったものが良いから写真というわけでなくて、1日の歩いた軌跡を記録するものとして、写真が必然であったんです。

そこで、はじめてカメラを手にしたという意識ですね。では絵に興味を持ったきっかけは?

小学校の頃からサッカーをしてたんですが挫折したのがきっかけです。6年生のときに日本代表に選ばれたことがあって、それ以来サッカーで生きていくんだと思ってたんです。まあ、今考えれば、その日本代表というのもサッカー雑誌の企画で、Jリーグの下部組織から選抜された公式のものではなかったんですがね。とにかく、アメリカW杯があったときにジュニア版のW杯をやるから全国の小学生集まれみたいな企画があって、応募して受かったもんだから。それ以降中学でもサッカーをやるんですが、成長期が遅くて、フィジカルが弱かったから、ドンドン周りの学生に抜かされていって、中3になった頃には、サッカーなんて、って気持ちになるくらいでしたが、高校に進学してからも諦めきれず、強豪っていわれるようなクラブに入りました。でも本当についていけなくて、サッカーを辞めたんです。そっから突如やることがなくなって途方に暮れていたときに、90年代のヒップホップやストリートカルチャーが好きだったっこともあって、クラブやライブに積極的に通うようになります。そこでクリエイティブなことをやっている仲間もできて、その流れでグラフィティーアートにも興味が出てきて、ワイルドスタイルみたいなストリートカルチャーと出会いました。今はグラフィックデザイナーをやられてますけど、日本人なら若野桂さんとか、あとはフューチュラやスペースインベイダーとかチェックしてて、OBEYやバンクシーが出てきた時期です。それで自分でもノートにグラフィティーを描くようになりました。それがきっかけで、グラフィックというか絵というか、ちゃんと基礎的なことを学ぶために、デッサンを始めたんです。それで絵に行くというか。

グラフィティーを突き詰めるために絵を学び始めたのですね?

グラフィティーをやるためというよりも、これからどうやって生きていくのかってときに、もうちょっと何事においても、基礎を学んだ方がいい気がしたんです。

訓練的な意味合いでデッサンの学校に通っていたから、飽きてきたんですね。

そうなんです。そんな時期にお遍路に出たんです。

なるほど。では、お遍路さんから帰り、歩くという行為とともに写真を本格的に始めるということですか?

今のような作品の成り立ちというか始まりは、結局美大に入ってからです。大学でアートを勉強してたのですが、アートを大学で勉強すること自体に憤りを感じるようになったのが、自分と他者との関係性があまり良くない時期と重なりました。いろいろなものにおいてコミュニケーションをとるのがうまくできない時期で、よく学校をサボってたんです。いわゆる人がいない屋上や、非常階段、警備員も来ないような高い場所を探しながら毎日過ごしていました。

具体的には、そこで何をしてたんですか?

自分が普段歩いてる場所、自分の足跡を、ただただ高いところから見ていたんです。梅田、心斎橋、主にその2つの街ですね。

お気に入りの場所はあったのですか?

そういうのはなくて。いわゆる高いところを探して歩いてたのは、ただ、人から離れようとした行為なんです。特にどこが良かったというよりは、一人になれる場所、上を見上げれば空しかないみたいな。自分の体をくうっと持ち上げたいというか、空中から世界を見たいというか、そうすることで、ほっとするという。誰もいない高い場所なら、自分の目の前にある世界を客観的に見れるような気がしたんですね。そのときから、都市を構造体というか空間というか、意識的に捉えるようになりました。

現在の作品に通ずる都市の捉え方と同じですか?

そのときに考えていた都市の捉え方の延長線上に今の考えがあるのですが、少し違っています。当時は今よりももっとソリッドなものというか、グラフィカルな感じで捉えていたんです。造形的な面白さであったり、どんなものが都市を形作くっているのか、構造物を中心に都市を捉えていた気がします。

Shanghi_media

Shanghi 2003

NewYork

NewYork 2006

なるほど。そんな視点が初期の作品創りにも表れていたんですね。

最初は空中散歩という言葉が自分ではしっくりくるんですが、人から離れたくて高いところを探しては、そこに3、4時間いて、1枚づつ写真を撮っていたんです。だから、写真によってワイドで撮ったり、空を入れて撮っているものがあったり、遠近感がバラバラだったり、いろいろなパーツの風景写真を撮っていました。それをハガキサイズの紙に貼り合わせていたのが初期の作品です。

今の作品を荒削りにしたような感じですか?

そうですね。今のような、きっちり街の風景が重なり合った感じではなくて、バラバラな写真のコラージュって感じです。気がついたら、それがいつの間にか地図になっていました(笑)。何箇所かで撮ったものが、何枚もできあがるわけですが、それを写真家の土田ヒロミさんに見せたんです。それがきっかけで、もっともっと大きく、重層的に重ねていくようになる。そうすると、新しい地図の形が提案できるんじゃないかと思って。

では大学時代に、今の作品の礎を築いていたんですね?

はい。ただ、卒業後も作家としてやっていきたかったんですが、その時点で作家と呼べるものではありませんでした。とにかくバイトを3つくらいやって制作資金を稼いで、大阪、東京、京都などの都市の作品を創り、それを卒業制作で発表したんです。そのシリーズをそのままキャノンの写真新世紀に応募したら、優秀賞をいただいて、そこから作品創りが本格化しました。その後は旅をして作品創りを繰り返していました。単純に新しいもの、生活、違うカルチャー、環境とか食べ物を体感したいという、観光的な目線で旅をしては作品を創っていました。

なるほど。では、この頃には人から離れたいという心境も変化していたのですか?

なんでしょうね。作品を発表することによって、徐々に人に見てもらえる機会が増えてきて、自信が少しづつついてきたんです。人にちゃんと見せれるポートフォリオも創れるようになってきて、人との関係性も深くなってくるというか、徐々に徐々に数珠繋がりで人との関係性もできました。

人から離れようとする行為と、人に何かを見せる行為は矛盾していると感じます。

離れたい離れたいと言いつつ、本当の意味では離れたいわけではなく、友達に作品を見せたりもしたし、教授に話をしたりもしたし、完全に切り離しているわけではなく、わずかながらコミュニケーションは取りつつ、でも精神的になかなか深くは踏み込めない、そんな感じだったんです。

今、話していても、そんな面影は感じられないですがね(笑)。

大学時代のちょっとした悩みなんて、徐々に克服していけますよね。皆、同じようにあることだと想いますが、自分自身にとっては親友の死や阪神淡路大震災などの精神的なショックを引きずっていた時期だったんです。だから、今はそれを乗り越えられたからこそ、人との関わり方が変わり、都市の捉え方も変わりました。もっともっと有機的なものというか、人との体験とか経験みたいなものが折り重なって、一種の新陳代謝を都市のなかに感じるようになりました。都市と向き合えるようになって、自分の目線が高いところから低いところに降りてきたんですね。降りてくことは、人に近づいていくことですよね。今までは人を離して、高いところに登っていたんですけど、プロジェクトが進むにつれて、人とのコミュニケーションが多くなり、都市がもっともっと有機的になってきたというか。2003年くらいから変化してきたと思います。

Istanbul-media

Istanbul 2010

Istanbul_detail.vice00

Istanbulのディテール

なるほど、では改めてジオラママップのコンセプトを教えてください。

ジオラママップでは、自分たちの認識や共通意識のようなものと個人的な経験の積み重なりを地図にすることによって、流動的な都市の姿を描き出そうとしています。私たちの認識は、織物のように複雑に折り重なった時間軸や、視点、記憶、経験によって成り立っていると思うんです。ある都市を、例えば東京をイメージしてください、っていわれたときに、グーグルマップのように正確で詳細な地図を思い浮かべる人はいないはずです。そこで自分がどういう経験をしたかによって、浅草が出てくるかもしれないし、逆にスカイツリーが出てこなかったりするでしょう。人の数だけその人の経験があってそれぞれの記憶があって、それが集合体となってひとつの共同意識のような都市を形造るんじゃないでしょうか。

Rio de Janeiro-media

Rio de Janeiro 2011

Rio de Janeiro-vice0200

Rio de Janeiroのディテール

街って呼んでも良いと思いますが、地図という言葉で表現するのも面白いですね。地図の捉え方が、人との関係性で変化してきて、作品に人や街並みなどのスナップが入ってくるようになるんですね。

そうなんです。作品創りのために海外に足を運んでも、都市への入り方が変化してきました。それまではホテルに泊まっていたし、本当に観光客みたいに、すごくよそ者の視点でした。それが香港の作品を創っていた頃から、ローカルな場所に身を置くようになり、アパートを借り、その土地のものを食べ、交通手段もその土地に習うようになりました。自分のなかで決めたルールってほどではないかもしれませんが、その街の床屋で髪を切るようにしたりします。つまりは、ローカルな人とコミュニケーションをとり、交流したんです。

生活をしていくってことですね。

そうですね。現地の人がどういう生活をしているのかを体感するんです。

具体的な手法として、なぜそうしようとしたんですか。

なんででしょうね。旅をしながら作品を創っているのも大きいんですかね。日本では自分でなんでもコントロールできるんです。言葉はもちろんですが、例えば、高いところに上るにしても、セキュリティーの問題を解決する道筋を簡単につけられます。海外だったらそうはいかなくて、いろんな人の協力や手助けが必要で、そういう人たちと関わらないとプロジェクトが進まないんです。すべての都市に友達がいるわけじゃないから、ローカルな人と一緒に生活するのが必然になりまして。

滞在時間も変化したんじゃないですか?

旅行者感覚のときは2週間から3週間くらいで、今は1ヶ月半から2ヶ月、ある程度その街に慣れてきた時期に帰るようにしています。

今は街に着いたら、まず、どのように過ごすのですか?

カメラを持たずに歩きます。ようは、遊ぶんです。地元の人にライブハウスやクラブに連れていってもらったり、ローカルな人たちの生活を見る。それを意識的にやるわけです。そっから徐々にカメラを持って、その街で一番高い、街を見下ろせる場所を探します。

高いところに入るのは、許可の問題など大変そうですね。

街によって許可の下り方が全然違うんです。例えば東京だったらしっかりした許可証がいるんですが、推薦証さえあれば、ちゃんと入れてくれる。きっちり時間を使っていけば入れてくれるんですけど、インドの場合であれば、そういう書面は絶対見てくれないし、直接行っても明日来てくれといわれて、次の日行くと、その話をしていた人がいない。ニューヨークだと、セキュリティーの問題でビルに上がることを拒否されたり。そんな風に街によって、許可の取れ方が全然違うんです。

New Delhi.

New Delhi 2013

New Delhi-detail00

New Delhiのディテール

許可を取る行為で、その街の文化や慣習も同時に学んでいく作業でもあるんですね。ただ、許可が下りたとしても、ロケハンができないから、実際高いところに登ってみないと、どんな風景が見渡せて、何が撮れる場所なのか分からないですよね。

そこが一番難しいんです。あれ違う、みたいなときもありますから。例えば、このビルがいいかなって思って必死に許可を取り、入ってみたら窓の向きが違かったり、見れる場所が逆側っていうこともある。バッチリ合うと想定した場所が、必ずしも環境的に撮影できる場所かというと異なることも多いので、高ければ良いとも限らなくて、意外とバッチリ見えるところが3階、4階だったりもする。そういう部分が面白みにもなっているんですけどね。パースペクティブがそれぞれ違うから、距離感が違うことが、作品の厚みになっていくんです。

許可が取れないときはどうするのですか?

許可が取れないときは、ゲリラ的に入ることも、かなりあります。捕まりかけたりもしました(笑)。そこまでいかなくても警備員に追いかけ回された経験もあります。例えば、上海に行ったときは高いオフィスビルがあって、そこに、こそっと入って、確か40階くらいだったかな。オフィス内には窓がなかったんですけど、同じフロアにトイレがあったから、覗いてみると見下ろせる窓があって。ただ、それが女子便所だったという。女子便所で撮影してたら、警備員に追いかけ回されましたね(笑)。

内緒で入って、月曜から撮り始めて木曜まで撮影できていたけど、バレて次の日から撮れなくなることもありそうですね。

全然ありますよ。そんなことばっかりです。そういうもどかしいことは本当に多いです。

他にもトラブルは多そうですね。

高い場所でのトラブルではないのですが、海外でのトラブルとしては、ヨハネスブルグで暴漢にあいまして。到着して4日目に、8人くらいの巨大な男たちに囲まれて、首をつかまれて、そのまま倒されて、何から何まで全部持ってかれました。履いていたGパンまで持っていかれそうになって、それだけは死守したんですが、、。ただ、この体験で面白いのが、バッグの中身は全部とられた上に、Gパンの左ポケットに小銭が入っていて、左後ろに携帯が入っていて、それは全部取られたんです。右後ろのポケットにも小さい巾着みたいな財布が入っていて、そこにクレジットカードと、お金が入っていたんですが、なぜかその巾着だけは取られなかったんです。割と分厚い巾着だったので、目立つんですけど、なんで取られなかったんだろうって不思議でした。後で巾着の中を見ると弘法大師の小さいお守りを入れていたんです。

やはりお遍路さんとは深い繋がりがあるのですね(笑)。

そうなんです。四国のお遍路さんは弘法大師ですよね。それはちょっと預かりものというか、頂いたものなんですが、歩く神様が守ってくれたんじゃないかと思いました(笑)。カメラも全部撮られたんですけど、本当に不思議でした。その後もホテルに置いておいたスペアのカメラと、中古屋で機材を少し買い足して、なんとか撮影が続行できて。そんなトラブルにも、たまに会いながら、なんとかやれています。

Johannesburg_media

Johannesburg 2015

Johannesburg_detail.vice0200

Johannesburgのディテール

なるほど。また、作品を見ていると俯瞰の写真は一定の時間帯で撮りためているように見えます。夜の写真がなかったり。

そこは意識的に、その街に生きる人たちの生活に寄り添うように撮影しています。月曜日から金曜日までの朝9時から17時までを狙っています。例えば会社は土日はやってないし、夕方以降もやってないから、撮影もその街の人々が働いている時間に合わせています。

目には見えなくても都市の活気や、生命感みたいなものが宿ると考えているんですね。

そうですね。逆に土日はオフィス街でなくて住宅街を撮影したりします。住宅街は、普段、旦那さんが仕事でいなかったりするから、撮影許可が取れないことも多かったりするので。だから、なるべく、その都市の生活というか状況、環境に寄り添いながら撮影するようにしています。

ではスナップ撮影の着眼点は、どこに置いているのですか?

僕は出来事、お祭りだったり、その場所で今起きていることに注視して撮影しています。基本的には音楽が好きなので、音がなる場所に体を寄せて、そこで起こっている物事を撮る。普通に声をかけて撮るというよりは、もう少し都市に生きる生き物というか、暮らしている人たちの模様をドキュメントしているつもりです。

ポートレートより、お祭りやライブを記録しているのはなぜですか?

都市の今を見るというか、そのときにしか起きてないことを記録したいというか。1年後その場所に行ってみたら、同じ場所で違う思想で違う何かが行われているだろうし。そう考えると、その場所で今発せられてるメッセージを受け取る感覚ですかね。最近では選挙ポスターであったり、ライブポスターとか、そういうインフォメーション、その時でしかないもの、グラフィティーもそうだし、そういう要素も撮影するようになりました。ただ、それに固執してるわけではないのですが、一ヶ月半の時間のなかで、その時間をひとつの地図として集積していくなかで、その場所で今、何が行われているのかに興味が惹かれます。

作品を通して伝えたいことは?

やっぱり旅をする1番の理由は、それが時間の連続性を知る作業だからです。日常生きていると、特に都市で生きてると、始めと終わりがあるというか、ひとつの単位として、すごく時間が分断されている気がするんです。例えばバスとか、何時何分にきて、何時何分に目的地に着くとか。グーグルマップで、ある地点からある地点まで何分で着くとか。それってすごくモダニズム的な発想じゃないですか。1日24時間、という発想は西洋的な時間の概念で、もう少し、いろんな時間の概念があるはずです。アマゾンのピダハンって部族の考え方を本で読んだんですが、彼らには時間の概念がないんです。現在、過去、未来っていう概念がなくて、常に現在の、今の地続きでまわっている。彼らの研究者の本を読んで感銘を受けました。旅すると、時間というものが、ピダハンの感覚のように、すごく連続してるんだ、と実感できるんです。

今の連続を実感できるってことですね。

そうです。旅をしていると、迷うというか、迷わされるというか。例えば許可を取れないとか、思うようにいかないんです。ただ東京で暮らしていると思い通りになるけれど、逆に、思い通りにしかならない。移動と移動の間がなくて、目的地と目的地の間が点でしかなくて、でも、その間にある線が人それぞれあるのに、それをすっ飛ばせる。例えば、家の中にいて、物や食べ物が届いたり、家の中で地球の裏側のことまでわかってしまう。現代の概念って距離やプロセスを感じられなくなってしまってる部分があると思うんです。でも僕は作品を通して、ある地点からある地点までの時間というプロセスをもう少し見ようという捉え方に挑戦したいんです。それが一ヶ月半の時間の集積が一枚の写真であり地図になってる。1日の移動や軌跡だったり、線に光をあてるというか。

知らない土地で歩きスマホをしてたら、迷ってしまって目的地に辿り着けないですからね。歩く行為だったり、一挙手一投足すべてに集中してないと進んでいかないですよね。

狂わされていくというか、なんか思い通りにいかないって面白いですよね。自分で動いていくっていう能動的な行為に感じるんです。時間をつくっていける。それを旅ではできる気がするんです。都市で暮らしていると、誰ともコミュニケーションをとらないで1日を終えられるし、家の中にいて生きていける気もするんです。でもそれじゃあ、人間なのかなんなのかっていう境界線を意識せざるをえないというか。

なるほど。ただ、撮影後のコラージュの作業は、かなりこもった作業ですよね。

フィルムで撮ってるんですけど、撮影が終わって、それを現像したり、コンタクトシートを作ったり、一枚一枚切ったり。その作業のプロセスを、ひとつひとつ順を追ってやっていく行為が、記憶を遡っていく作業というか。そのときに、その場所にいた自分が体験した経験を、フィルムを触ったり、フィルムを現像液につけたり、それを乾かしたり、自分の体と物体、身体的に物質との関わりを作ることで、ようやくあそこはあそこだとか、思い出していくんです。だからアナログで撮影しているのも、その作業で、記憶をたどれるからなんです。

それでも、繋がらないことがありそうですが。

ありますけど、それはご愛嬌です。そこは気にしているところではないです。大量のデータをまとめる作業ってめちゃくちゃ大変でエネルギーがいるんですよね。

そこでも、予期せぬ出会いを追体験していく作業があるんですね。それと同時にこもってるから、また旅に出たくなる、そんな繰り返しにも感じます。

あまり意識してませんでしたが、そういうことかもしれないですね。

西野壮平
1982年、兵庫県生まれ。歩くこと、旅を通して得た個人的体験をもとに作品を制作している。NYの国際写真センター(ICP)のトリエンナーレ『A Different Kind of Order』や、オランダの『Foam』誌が選ぶFoam Talent2013に選出されるなど、国内外で精力的に作品を発表している。来秋、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)にて個展が予定されている。