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All images courtesy of Kino Lorber.

現在、日本で公開されている『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』(原題:FUOCOAMMARE)は、2016年2月に開催されたベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞した。そして審査員長を務めていたメリル・ストリープ (Meryl Streep) は、この映画を「想像力に富み、現代を生きる私たちに必要な映画。今すぐ観るべきだ!」と評し、大きな賛辞を送った。

本作で、ジャンフランコ・ロージ (Gianfranco Rosi) 監督は、紛争や貧困に苦しんでいる北アフリカの難民が、新しい人生を送るために、小さなゴムボートでヨーロッパを目指す物語を綴っている。監督は、困難より人生の喜びを想起させる映像で、予期せぬ感動を呼び起こす作品を完成させた。

現在53歳、エリトリア出身のジャンフランコ・ロージは、本作のなかで、シチリア島から南方のランペドゥーサ島で暮らす13歳の少年サムエレ (Samuele) に焦点をあてている。空想の戦いごっこで遊ぶサムエレは、シチリア人の叔父のような漁師になるのを夢見ている。また、サムエレが弱視の治療にあたる医師は、命の危険に晒されながら地中海を渡ってやってくる大量の移民と接触する、数少ない島民のひとりだ。ロージ監督は、島民の平和な日常と、命をかけて移民たちが海を越えるシーンを叙情的に対比させた。この表現法により、サムエレの弱視は、住む家を失った移民に対するヨーロッパの反応のメタファーとなっている。

ロージ監督は、『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち 』(Sacra GRA)で、2013年ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞し、世界最高のドキュメンタリー映画監督のひとりとなった。社交的で親しみやすいジャンフランコ・ロージ監督に、移民問題、メタファー、そして映画の撮影と世界で公開する意義について話を訊いた。

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どのように島民の信頼を得たのか教えていただけますか?

カメラを持たずに島に滞在しました。とても重要です。実際カメラを取り出したのは、3ヶ月滞在してからでした。

イタリアとアフリカは、支配、被支配の関係でした。〈アビシニア〉と呼ばれていた頃のエチオピアは、イタリアの植民地でした。今はどのような関係だと考えていますか?

イタリアとエチオピアの間には、交易や交流はほとんどありませんでしたが、エチオピア、そしてエリトリアから多くの人々がイタリアに移住しました。しかし、憤慨している、とまではいいませんが、私が驚いているのは、イタリアは人種を超えた統合が不可能な国だ、という事実です。現在のイタリアには、三世、四世のエリトリア移民がいるのに、フランスやイギリスのように国の社会的、経済的ないち部になっていないのです。

それはなぜでしょうか?

例えばニューヨークに住んでいれば融合する必要はないでしょう。文化を超えた、普遍的な面があるからです。しかし、どういうわけかイタリアは、とても保守的な国なので、社会的地位を得るのは非常に難しく、世襲もとても多いのです。実力主義ではなく、父親が医者なら自分も医者に、父親が銀行員なら自分も銀行員に、そして父親が映画監督なら自分も映画監督にならなくてはなりません。とても組織化された社会であり、変化を許さない停滞したシステムが残っているのです。

本作では、少年が映し出されると、難民たちの現実を忘れてしまいます。それが何となく、西欧の生活体験と同じように感じられるのですが。

もちろんその通りです。小さなランペドゥーサ島は、ヨーロッパのメタファーです。2013年にイタリアは、難民を救出する作戦〈マーレ・ノストルム:Mare Nostrum〉を開始しました。この出来事をきちんと理解しなければなりません。マーレ・ノストルムによって、国境はランペドゥーサから、海の真ん中に移動しました。以前は、リビアやチュニジアから直接ランペドゥーサに移民がやってきていたので、移民と島民の間に交流があったのです。移民たちは、島に数日滞在できたのです。しかしマーレ・ノストルム以来、移民は海上で救助されるようになりました。

これにより、仮想の国境が生まれ、それがリビア沿岸にだんだん近づいています。マーレ・ノストルム以前には、島民と移民の間にもっと交流がありましたが、今ではすべてが組織化、制度化されてしまいました。移民は海上で船に乗せられ、港から移民センターに移され、2、3日そこに滞在し、身分確認が終わってからヨーロッパ大陸に向かうのです。

しかし、マーレ・ノストルムや、それに取って代わったEUの〈欧州対外国境管理協力機:Frontex〉は、数十万の生命を救った、と報道されています。

マーレ・ノストルム、そしてFrontexが開始されてから、逆に難民の数は増えており、状況は悪化しています。現在の移民はゴムボートに乗せられ、映画同様に乗船定員の3倍もの人がぎっしり詰め込まれています。そして犯罪に巻き込まれる率もずっと高く、海を渡るための費用もかさんでいます。以前は、自分で船を買って海を渡ったものですが、現在はトルコでの事例のように、人身取引をする犯罪者に頼るしかありません。ですから、Frontexによって救助される移民の数も増えていますが、死亡する移民の数も増えています。以前より酷い状況で、移民は海を渡っているのです。

これらの政策があったから、人身取引をする者はより力を持ち、移民の旅は危険な状態になったのでしょうか?

人身取引業者は、「この船に乗れば救われる」と移民に声をかけます。殴られて船に乗せられる人たちもいます。私の映画の中の目を充血させた男性のように、300人もの移民が1隻に無理やり詰め込まれて、窒息状態になっています。酸欠とエンジンの燃料による火災が発生し、まさにガス室のように移民が死んでいるのです。

弱視のシチリア少年の病気と、彼の行動が、難民に対するヨーロッパからの反応のメタファーとなっているようですが、これは監督の意図ですか?

はい。彼の目は扇動的なメタファーとなっています。なぜかはわかりませんが、ランペドゥーサだけに限らず、移民に対する感情的な反応がどういうものかをよく表しています。最初の3ヶ月は彼だけを撮影し、難民は撮影しませんでした。そのとき難民センターは焼失していたからなのですが、逆に却って島民と深く関われました。

難民の撮影に葛藤はありませんでしたか? 彼らを自分の映画のために利用しているようには感じませんでしたか?

到着する難民を撮り始めて40日ほど経ってから、初めて死と向き合いました。私は撮影に夢中になっていましたが、死体を見た瞬間、どうしたらいいかわからず、苦しみました。映画でのあのシーンを確認すると、カメラが高い位置から低い位置に動いていますが、それは私が撮影すべきかどうか決断できなかったからなのです。撮影するように促す船長に「できない」と告げると、彼は、「あなたは撮影しなくてはならない。世界はこの事実を知らなくてはならないんだ」といってくれました。

撮影中、カメラを下ろして手伝うべきだと感じた瞬間はありましたか?

もちろんです。でも助けるとは? 馬鹿げています。そこにはプロがいるんです。私が手伝っても、おそらく海に落ち、手助けの邪魔をするのが関の山でしょう。あの状況で手伝うべき行動は、それは非常に困難でしたが〈撮影〉だったんです。「撮らないで」とすらいえないような状況に追い込まれた人々の状況を代弁するのに、カメラは力を発揮します。ですから、撮影こそ私の義務でした。

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海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』は、全国順次ロードショー中