自分を自分たらしめているもの、遺伝子あるいは経験か?

1 ヴァーチャルの世界で一ヶ月間生活、ロンドンで人体実験が始動

ヴァーチャルリアリティ体験装置を付けたマーク・ファリド(写真提供 by Freel & Gorse)

例えば、敬虔なキリスト教徒はゲイについてこんな風に考える。「彼らがホモセクシュアルなのは、親の教育が悪かったのとディスコミュージックのせいだ。」一方で科学者の中には、こう考える人もいる。「彼らがホモセクシュアルだってことは、父親がゲイなんだろう。遺伝だよ。」

この例は極端かもしれないが、かつてデカルトもジョン・ロックもこの壁にぶち当たった。私たちが認識している「私」という存在は、先天的に存在しているのか、あるいは環境や経験が作ったものなのか?

テクノロジーは人を変えるか?

今回この問いに挑んだのはロンドンを拠点に活動するアーティストのマーク・ファリド、キュレーターのニムロッド・ヴァーディ、ドキュメンタリーを制作するジョン・イングルだ。3人は、今回〈Seeing I〉プロジェクトを始動した。

28日間マークは何もない部屋で生活をする。もう一人の被験者”アバター”は普段通り生活を送ると、マークが装着しているグーグルグラスのようなヘッドセットに映像が送られるようになっている。

例えばアバターが病院の待合室でずっと待たされているときには、彼も病院の壁をずっと見続けることになる。シャワーやトイレ、睡眠や食事をするときもアバターのタイミングで行動する。飲み物も食べ物もアバターと同じものを摂取することになる。人間との接触は1日1時間、精神科医との面会のみ。とは言え精神科医は、静かにマークを観察するだけで会話をすることはない。

「どこまで行けば先天的な認識が消えるのか」そして「経験のみで世界を認識するとどうなるか」ということについてマークのチームは分析しようとしている。簡単に言い換えれば、「マークは自分とアバターを区別できなくなるのか」ということだ。

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実験に対する複雑な心境

21歳以上であることに加え、マークと同様にヘテロセクシュアルの男性で、彼女と一緒に暮らしているという条件をクリアしていれば、誰でもアバター役に応募可能だ。誰かと一緒に暮らしているというのは、大きなポイントだという。

「誰かと一緒に暮らしていると話す機会が多いだろ?例えば買い物に行くときは『買い物に行くけど何かいる?』とか言ったりさ。自分の行動や生活、考えていることを言語化する機会が多くなる。」

言葉の使い方や人との接し方は人によって異なる。こうした一つ一つの違いが、マークにどう影響をもたらすのか気になるところではあるが、実験による弊害について、精神科医のララ・フルムキン氏は次のように語っている。

「マークのことが少し心配です。簡単に人格が変わるとは思いませんが、彼の行動や思考法は少なからず影響を受けるだろうと思います。一旦変わってしまえば元には戻りません。一度した経験が取り消せないようにね。人間は常に環境や経験によって変わっていきますから、マークにとっても、この経験は生涯にわたって大きなインパクトを与えるでしょう。」

一方マークの彼女であるジェイドは違う見方をしている。

「マークはかなり頑固だから変わらないと思う。気分屋だけど芯は強いの。もしこの実験を別の人がしたら危険かもしれないけど、彼は自分のことをよく理解しているから大丈夫。変わったとしても、ポジティブな方向というか、自分自身をより深く知ることで自信がつくんじゃないかな。薬をやったり科学実験をする人もいるでしょ、それと一緒よ。」

マークは28日間ピクセルを見続けることになるため、視覚にも悪影響が出ないか心配する声もある。

「僕のアバターがGrand Theft Autoっていうゲームをやったんだ。そのゲームを見てると、知らない内に僕の手も動いてて。でも後で録画されたビデオを見るまで、そのことに気づかなかったんだけどね。」

現時点で確認された被験者への影響はこれだけだ。すでに24時間実験を行ったというが、28日間後にどうなるのか誰にもわからない。場所については、ロンドン市内のどこか公共の場でやることが検討されている。

「理想としては、The Shardとかでやりたいよね。ロンドンの絶景の中で超高級高層ビルに引きこもって人々を見下ろすっていうのは、なんかいいな。西欧世界のアイコンみたいだろ。全く逆の理由で、ブラッドフォードの捨てられた物置とかでやるっていうのもいいかもね。」

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我慢大会ではない

しかしこれは我慢大会ではない。3人ともその点では合意している。

「視覚や脳に異常が見られたら、プロジェクトはすぐに中止だ。 どうしてもヘッドセットを取りたくなったら取るよ。僕のやりたいことをよく理解しているニムロッドと信頼する精神科医がついてるから大丈夫。何かあれば、3人で話し合うよ。」

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ただ一点、この実験の“確実性”に疑問が残る。マークもアバターも、自分の見ているものや感じていることが公になるとすれば、人目を意識せざるを得ないだろう。無意識にせよ、誰かに見られていることを前提に行動してしまうはずだ。また、マークがプロジェクトに飽きたとしても、実験結果をより面白くするために大げさなコメントをするかもしれない。アバターだって、どれほど実験に集中出来るかはわからない。マークは「自分の体験に集中すれば、実験結果が面白いかどうかなんて、2~3日間で考えなくなるよ」と言うが、本当に素直な経験を共有できるのだろうか?

多少の疑問は残るものの、前代未聞の実験であるからには、面白いことにはなりそうだ。〈Seeing-I〉は2015年秋に始動する。実験が始まり次第、VICEでもドキュメンタリー映像を公開する予定だ。

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