戦わない写真が語るアフガニスタンの40年

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戦わない写真が語るアフガニスタンの40年

スティーヴ・マッカリーは、アフガニスタンで40年近く写真を撮り続けている。ソ連の侵攻に抵抗するムジャヒディンの姿を捉えた彼は、ソ連が撤退し、ニュースが関心を失っても、アフガニスタン残留を選んだ数少ないカメラマンのひとりだ。そして破壊や危険と結びつけられがちなアフガニスタンの、思いやりと愛情に満ちたポートレートをつくりあげた。

スティーヴ・マッカリー(Steve McCurry)は、アフガニスタンで40年近く写真を撮り続けている。活動初期、ソ連の侵攻に抵抗するムジャヒディンの姿を捉えた彼は、ソ連が撤退し、ニュースが関心を失っても、アフガニスタン残留を選んだ数少ないカメラマンのひとりだ。マッカリーは、この国がある程度の復興を遂げ、平和を取り戻すまでの過程、それに続くタリバンの台頭、有志連合の介入による影響を記録し続けた。

マッカリーは、アフガニスタンで自らの代表作となる1枚を撮影してからも、戦闘、爆発、軍隊では表現しきれない同地にフォーカスし続けた。破壊や危険と結びつけられがちなアフガニスタンの、思いやりと愛情に満ちたポートレートをつくりあげた。

マッカリーは、『Afghanistan』にどんな想いを込めたのだろう。

あなたの写真集は、近年発売されたアフガニスタン関連の書籍とは違って、戦闘の写真を掲載していませんね。戦闘の描写と戦闘による影響の描写、両者の違いについてどうお考えですか。

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そもそも、私は戦場カメラマンではありませんし、戦闘を撮った経験もありません。20〜30年前には何度か、偶然、戦闘に巻き込まれたこともあります。でも、今まで撮影した他の国でも、戦闘は撮っていませんし、これからも、戦場カメラマンを名乗るつもりはありません。もっと重要なのは、というより興味があるのは、一般市民、つまり、普通の生活をしていたのに、対立するふたつの勢力の板挟みになってしまった人たちです。私にとっては、そちらのほうが重要です。

写真集のなかには、傷や拘束など、戦争直後の影響を捉えた写真もありますが、希望や美しさを撮った写真もあります。これほど多くの写真を編集するのは、とても大変な作業だったはずです。ネガティブな要素とポジティブな要素のバランスにも配慮されたのでしょうか。

ここで選んだ写真は、私のアフガニスタンでの旅を反映しています。日記と呼んでもいいでしょう。その日記から重要なページを抜き出しました。アフガニスタンでは、1978年以降、武力紛争が続いています。人も文化も素晴らしい、美しい国ですが、多くのトラウマや問題を抱えています。さらに、ロシアや中国のような近隣諸国だけでなく、米国とその同盟国も、この国の紛争に介入しようとしています。様々な国がアフガニスタンに干渉しました。今回選んだのは、印象深い時間や人物を捉えた写真です。個人的な旅を通じて、文化や国民だけでなく、この国に何が起こったのかを、私の視点で示そうと挑戦しました。これは、過去40年のアフガニスタンの歴史ではありません。アフガニスタンでの私の40年間の経験です。

アフガニスタンの人びとへの愛情が、写真から伝わってきます。9.11以降、アフガニスタン人の〈人間らしさ〉が描写される機会が少ない、もしくは、メディアがそれを充分に報道していない、と感じますか?

アフガニスタン人は、素晴らしいユーモアのセンスの持ち主です。みんな優しくもてなし好きで、勤勉です。家族を愛し、教育や医療制度を欲しています。しかし、ニュースで扱われるのは、アフガニスタンのテロリストの話題ばかりです。私の体験とは、全く違います。アフガニスタン人の友人がたくさんいるので、私は、彼らの本当の人柄に触れました。

写真集のあとがきで、歴史学者、ウィリアム・ダリンプル(William Dalrymple)も触れている、〈人の多様性〉が表現されていますね。アフガニスタンでは、数え切れないほどの民族が暮らしていますが、先ほどおっしゃったように、近年の報道ではひと括りにされがちです。この写真集で、彼らの個性、多様性、彼らが織りなす複雑さを伝える、という意図もあったのでしょうか。

できるだけ多様性を描写しよう、と留意していました。しかし、繰り返しになりますが、これは旅の記録です。私が創りたかったのは、この国の全ての部族や地域を網羅した本でも、百科事典でもありません。それはそれで、違う読者を対象にした、全く別の本です。これは、私的な体験を収めた本です。政治や情勢に全く関係のない、個人的な写真も載せています。

アフガニスタンで40年近く活動されてきましたが、このような大がかりな回顧録に取り組もうとしたきっかけは何だったのでしょう。

一生かけてひとつのテーマに取り組むこともできます。でも、ある時点で、自分の言葉や写真を振り返ったとき、伝えたいことは伝えられた、自らの声明は発表した、とひと区切りできる時が訪れます。自分が提示しようとした〈印象〉が完結した、という感覚です。ある経験をして、それを5回、10回と振り返るうちに、同じ経験を繰り返しているような感覚が生まれます。アフガニスタンでも他の場所でも、そういう感覚を得たときこそ、新しいテーマに進むときです。

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この本は、回復と楽観、絶望、というふたつの相反するイメージで構成されています。現在のアフガニスタンについては、どうお考えですか。あなたが初めて訪ねた頃よりも、状況は悪化しているのでしょうか。

アフガニスタンは、必ず立ち直るはずです。今の状況は、これからも続くでしょうけれど、アフガニスタン人はとても打たれ強いので、どうにか適応するでしょう。彼らは、そのようにして数百年もの歴史を築いてきました。米国、英国、NATOが介入したアフガニスタンの現状を見てください。彼らの政策や欲望のせいで、この国は荒れ果ててしまいました。異なる思惑を抱く国々が介入し、米国人は、アフガニスタンの状況を理解しようとも、把握しようともしませんでした。その結果、米国の1兆ドル(約110兆円)がほぼ無駄になり、数千名の米国兵が亡くなりました。彼らの目論見は、失敗に終わったとしかいいようがありません。

この国にはタリバンもいます。彼らの故郷は、アフガニスタンですから、他に行き場はありません。アフガニスタン軍人には、また別の明確な使命があります。彼らは、基本的に勝利を収めているので、士気も高いです。いっぽうで、人間には闘争本能があるとはいえ、米軍駐留兵の大半は、故郷に帰りたがっているはずです。アフガニスタンは、彼らの母国でもありませんし、そこでの戦闘は、彼らの闘いでもありません。多くの兵士は、アフガニスタンの文化に興味がありません。アフガニスタン人に会ったり、彼らの家を訪ねるような交流も、滅多にありません。

米国が無駄にした1兆ドルがあれば、アフガニスタンにたくさんの学校や病院などをつくれたでしょう。アフガニスタンは、いつか自ずと答えを出すはずです。このままでは前に進めない、と悟るときが来るはずです。そして米国も、国力を投入しても意味がないと気づくでしょう。世界を制することはできない、とすでに学んでいるはずですから。

『Afghanistan』はTaschenで発売中。