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Photo by Danil Nevsky via Stocksy

聖書に記されている治療法から、フィットネス界の巨匠ジャック・ラランヌ(Jack LaLanne)まで。ウェルチ(Welch’s)のブドウジュースから、女優のブレイク・ライヴリー(Blake Lively)まで。人類は常にジュースを愛してきた。しかし、人類はジュースに愛されているのだろうか。

2016年、健康フリークたちは、1時間のワークアウトを含む、30種類ものジュースをひたすら飲みまくる3時間のイヴェント〈ジュース・クロール(Juice Crawl)〉に、40ドル(約4800円)以上の参加費を嬉々として支払った。2015年、ジュース・クロールが初めて開催されると、「参加者はジュースに熱狂する自らに熱狂している」と『New York Post』は報じた。いわゆる、はしご酒(Pub Crawl)のジュース版が〈はしご汁(ジュース・クロール)〉だ。『New York Post』の言葉をイベント主催者は賛辞としてとらえ、おそろいの〈はしご汁〉Tシャツを着た参加者たちの写真とともに、ウェブサイトに掲載している。

ここ最近、〈ジュース〉といえば、高級酒類でもない飲料に大枚をはたくブルジョア・ヨガ・インストラクターが思い浮かぶが、〈ジュース〉とは〈細胞から抽出された液体〉だ。トマトであとうと鶏肉の一片であろうと、それらを形成する細胞から抽出した液体が〈ジュース〉だ。ここ数世紀のあいだ、あらゆる液体が〈ジュース〉だった。円形脱毛症やガンの治療薬。ワインの代替飲料。なんだかんだ、みんながジュースをがぶ飲みするようになった結果、それは、ただの飲料から、カルト的ライフスタイルに高まったのだ。全身をルルレモン(lululemon)で固めた女性がレンガの壁の前に立ち、サーモンピンクの新しいナイキのスニーカーを見せびらかすために足を組み、エッシーのネイルが塗られた爪が輝く手にケールとキュウリのグリーン・スムージー(値段は10ドル:約1200円)が握られた写真には、1万以上もの〈いいね!〉がつく。インスタグラムでそんな光景をよく見かける。私たちは根っからそんな投稿が好きなのだ。でもやっぱり考えてしまう。いったいどうしてこうなったんだろう?

そこにジュースあれ!

そもそも、人類は何か食べないと生命を維持できない。そしてジュースは物質として常に存在し続けてきた。そう考えると、〈最初のジュース〉はいつ飲まれたか、その特定は不可能だ。しかし、最初のジュースは、紀元前100年から西暦70年のあいだのどこかで書かれた文献に記されている。スティーヴン・ベイリー(Steven Bailey)の著書『Juice Alive: The Ultimate Guide to Juicing Remedies』によると『死海文書』では、ザクロとイチジクをつぶしたペーストが大きな力とスリムな肉体をもたらす、と薦られているそうだ。それ以降、ジュースを搾る、という行為はローマ、ギリシャ、インダス文明など、あらゆる古代文明で確認されている。

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Photo via Wikimedia Commons

あなたの苦痛にミートジュースを

老化対策として、気違い染みたジュース・ライフ実践の記録が残っている。『Foods That Changed History: How Foods Shaped Civilization from the Ancient World to the Present』のなかで、著者クリストファー・クーモ(Christopher Cumo)は、変わったジュースの歴史的使用法をいくつか紹介している。第1次世界大戦時には、医師たちが兵士の傷の手当てにニンニクの汁を使用した。バハマ人は、うっ血を和らげるためにタマネギの汁を胸に塗りこんだ。16世紀のハゲは「毛包を刺激するために太陽の下に立って頭皮にタマネギの汁を塗りこんだ」そうだ。

もちろん、正しい研究に裏打ちされた使用法もある。たとえば17世紀の船乗りは、レモンとライムの果汁をスプーン1杯分なめたが、それは壊血病の予防になる。しかし、理にかなっていない使用法も多い。1873年に出版された『A Brief History of the Production of Valentine’s Meat Juice』にとると、マン・S・ヴァレンタイン(Mann S. Valentine)という男性は、〈ミートジュース(肉汁)〉を瓶につめて販売したそうだ。生肉から抽出した血液と謎の液体を混ぜたそのジュースは、これを飲めば全て治る、と謳われていた。吐き気がするなら睾丸にミートジュースをかけてみよう。便秘ならミートジュースをゼラチンと混ぜたミートジュース・ゼリーをトーストに塗ってみよう。うつ状態で苦しんでいるならミートジュースは浣腸剤にもなる。「牛肉のなかの全ての溶解性物質がもっとも吸収されやすいかたちになったミートジュースを難病奇病治療に利用してきたが、私は医療の専門家に対し、真面目にこのジュースの効能を検討するよう自身をもって、お勧めしたい」とJ・B・マッコー(J.B. McCaw)医学博士の証言も残っている。

「甘い」レガシー

19世紀後半になると、神への献金を稼ぐために、聖職者たちはジュース・ビジネスに参入した。1869年、メソジスト教会の牧師を務めるニューヨークの歯科医、トーマス・ブラムウェル・ウェルチ(Thomas Bramwell Welch)は、イエスを愛する禁酒主義者たちが聖餐式でワインを飲めないのに悩んでいると気づいた。そこでウェルチは、〈発酵させない聖餐式用ワイン〉と銘打ったブドウジュースの製造を始めた。しかし彼は、商品の広告、宣伝には長けておらず、ビジネスは傾き、製造開始からわずか4カ月で撤退してしまった。

しかし、彼の息子チャールズが登場して、ビジネスを再開した。会社の名前を〈ウェルチ先生のブドウジュース(Dr. Welch’s Grape Juice)〉から、もっとクールな〈ウェルチのブドウジュース(Welch’s Grape Juice)〉に変え、『Collier’s』『Redbook』『Cosmopolitan』『Good Housekeeping』などの雑誌に出稿した。その広告では、このジュースは腸チフス性の発熱から腹膜炎までの全てを治す効能がある、と訴えた。糖尿病以外のあらゆる慢性的な病気に効くと明記されていた、とトーマス・ピニー(Thomas Pinney)は著書『A History of Wine in America from the Beginnings to Prohibition』に記している。『Food and Drink in American History: A ‘Full Course’ Encyclopedia』の著者、アンドリュー・F・スミス(Andrew F. Smith)によると、ウェルチは『The Acorn』『The Progress』という2冊子を創刊し、反アルコール的内容のコンテンツとジュースの広告を両立させたそうだ。また、禁酒主義運動のスローガン〈ワインに触れたくちびるで私のくちびるには触れられない〉をもじり、〈ウェルチに触れたくちびるでしか私のくちびるには触れてはいけない〉も発した。

1893年にはシカゴ万国博覧会に参加し、何千人もの来場者が紫色の万能薬を味わった。ウェルチの尽力により「米国のフルーツ・ジュース産業が生まれた」とスミスは記している。1913年、ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)政権の国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan)が、イギリス大使のジェームズ・ブライス(James Bryce)を迎える晩餐会を主催し、そこでもウェルチのジュースが提供された。1914年、米国海軍長官のジョゼフュス・ダニエルズ(Josephus Daniels)が自船での飲酒を禁止し、その代わりに乗組員にブドウジュースを与えた。

しかし、1920年、禁酒法が施行されると、ウェルチは新しく市場に参入してきたクールな飲み物に苦しめられる。その飲み物とは炭酸水だ。父トーマス・ブラムウェル・ウェルチはとうの昔に亡くなっており、1926年にはメイン州のオーバーンにある冬季の別荘で息子のチャールズも亡くなった。1945年にはジェイコブ・M・カプラン(Jacob M. Kaplan)とい男性が企業を買収し、最終的には1954年、全国ぶどう協同組合(National Grape Cooperative Association)が買収した。ウェルチ社の2015年年次事業報告書によると、同年の純額売上高は8200万ドル(約97億円)。父と息子がふたりで残した甘いレガシーは、今でも私たちの血管のなかを流れ続けている。

ドクター・ビタミン

コーヒーは別として、オレンジジュースほど米国の朝食と密接に結びついている飲み物はない。クリストファー・クーモが『Foods That Changed History』で述べているところによると、オレンジジュースが飲まれ始めたのは18世紀の北米にまでさかのぼる。1880年後半になると、これはビジネスになる、と事業家たちが嗅ぎつけた。1893年、南カリフォルニア青果協同組合(Southern California Fruit Exchange)が設立され、その15年後にはサンキスト(Sunkist)として知られるようになる。組合が広告を垂れ流し、米国人に〈オレンジジュースは健康によく、ビタミンを含んだ飲み物だ〉という印象を刷りこんだ。クーモによると、1920から40年にかけて、オレンジジュースの消費量は3倍に跳ね上がった。しかしそれに関してはサンキスト以上の黒幕がいる。その名はエルマー・マッカラム(Elmer McCollum)。『Time』誌は、彼への感謝をこめて〈ドクター・ビタミン〉と名付けた。

皆がアシドーシスに恐れおののいていた時代、生化学者のマッカラムは、米国民をビタミン狂にした張本人である。アシドーシスとは、血液が酸性に傾いた状態で、パンや乳製品、肉を過剰に食すと起こる、非常にまずい状態だ。しかしマッカラムは米国民に、懸念する必要はない、と伝えた。「レタスと柑橘類を食べる量を増やせば問題ない」。このような絶好の機会を、サンキストが逃すはずもなく、このアドバイスを、自社広告の裏付けとして利用したのだ。米国民は、こぞってオレンジに飛びついた。更に1946年、冷凍濃縮ジュースが特許を取得すると、オレンジ・ジュースは大衆に訴え、ジュース消費は急増した。その消費量は1950年から60年までの間だけで3倍に跳ね上がり、米国人ひとり当たり年間9キロものジュースを飲んでいた計算になる。ようやく消費量が下がり始めたのは、1998年になってからだ。おそらく、これほどまでに大量のジュースを飲んでいた時期があったからこそ、2型糖尿病や子どもの肥満が増えたのであろう。

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Jack LaLanne in 1961. Photo via Wikimedia Commons

ジュースこそすべて

1920~30年代、核家族がオレンジジュースを身体に流しこむのに勤しんでいた頃、ひとりのドイツ人科学者とひとりのイギリス人実業家が、それぞれジュースを〈健康にいい飲み物〉から〈ライフスタイル〉にレベルアップさせようと勤しんでいた。彼らの名はマックス・ゲルソン(Max Gerson)とノーマン・ウォーカー(Norman Walker)だ。ゲルソン療法を広めるための〈ゲルソン協会〉と、ジューサー・ブランドの〈ノーウォーク(Norwalk)〉として今も残っている。

ゲルソンは1958年に『A Cancer Therapy: Results of Fifty Cases』を著し、ガンから頭痛に至る全ての疾患に悩む人々に、シンプルな治療法があるのだから、邪悪で自然に反する薬を探すのはやめるべきだ、と説いた。その治療法とは、1日3食、塩分と動物性たんぱく質を制限した食事を心がけ、新鮮かつ、有機栽培で育てられた生のニンジン、リンゴ、青菜のジュースを1日13杯飲むこと。これは〈ゲルソン療法〉として知られている食事療法だ。そこまで大量の超新鮮なジュースを飲むのは、ゲルソンの時代には困難であったが、そこでウォーカーの出番だ。1936年、ウォーカーは世界発のジューサーを発明した。それが〈ノーウォーク〉だ。彼はゲルソンが提唱したライフスタイルと同様の食事法を説いた。つまり、超大量のフレッシュ・ジュースを飲み、生野菜を食べるのである。それらを彼は〈リヴィング・フード(Living Food:生きた野菜)〉と呼んだ。とにかくそれは簡単だ。2500ドル(約29万円)で〈ノーウォーク280〉を購入するだけで、すぐにあなたは苦しみから解放される。 ただし、クレジットカードがもたらす苦しみは別。

ノーウォークのあとも、ジュース伝道師と新しいジューサーが続々と現れた。1955年、世界初の低速圧搾式ジューサー〈チャンピオン(Champion)〉が発売されると、1971年にはフィットネス界のゴッドファーザー、筋骨隆々のジャック・ラランヌ(Jack LaLanne)が〈パワージューサー(Power Juicer)〉を、1991年にはジュース界の父、ジェイ・コーディッチ(Jay Kordich)が〈ジュースマン(Juiceman)〉を発表した。「1992年には30ドルから300ドルまで、あらゆる価格帯のジューサーが約200万台売れたが、メーカーはまだ売れるだろうと予測している」と『New York Daily News』紙は予想した。コーディッチは、2013年の健康情報サイト『Well + Good』によるインタビューで、「全ての身体はジューサーだ」と豪語している。しかし、そのあとにはこう続いた。「でも身体は、植物からジュースを摂る能力を持っていない」。リヴィング・フードを50回噛もうとするよりも、1台のジューサーを買うほうがいい。自分自身の〈消化を助けるジュース〉が、きちんと働くかどうかについての心配が取り除かれるなら、安いものだ。

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間違いなく体重は落ちる

1990年代後半、食生活における全ての固形物を、たんぱく質も食物繊維もないジュースに置き換えれば、間違いなく体重が落ちる、と世間は気づき始めた。しかし、私たちが〈リキテリア(Liquiteria)〉〈ジュースプレス(Juice Press)〉〈ジュースジェネレーション(Juice Generation)〉〈オーガニックアヴェニュー(Organic Avenue)〉などの専門店に通うようになったのは、引きしまった体躯につやつや肌のセレブたちが実践する、流行りのダイエットを目にしだしてからだ。

2000年代にはインターネット上に、人気女性セレブのフィットネスや食事習慣のレポートが出回り、世間はそれに夢中になった。そして、一般人がセレブの勧めるジュース・ダイエットを真似できるようになった。ブレイク・ライヴリー(Blake Lively)は、1日65ドル(約7500円)もする〈ブループリント(BluePrint)〉のジュース・クレンズ愛好者だった。ニコール・リッチー(Nicole Richie)、ジェシカ・アルバ(Jessica Alba)、ミランダ・カー(Miranda Kerr)は、〈ジューサリー(Juicery)〉の3日間199ドル(約2万3000円)のジュース・クレンズを偏愛している。キム・カーダシアン(Kim Kardashian)、カミラ・アルヴェス(Camila Alves)、ソフィア・ヴェルガラ(Sofia Vergara)は、何を実践しているのか知らないが、絶対なにかやっている。〈リチュアル・クレンズ(Ritual Cleanse)〉なら1日72ドル(約8500円)だ。「ジュースを飲んでいれば、自分は流行に乗っている。『Star』に載っているような、グウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)やサルマ・ハエック(Salma Hayek)などのヘルシーな身体をもつセレブたちと同じ〈シーン〉に所属している証になる」。2013年、ジャーナリストのヴァネッサ・グリゴリアディス(Vanessa Grigoriadis)は、New York Magazineが発行する雑誌『The Cut』でそのように述べている。「ジュースは、自らがが肉体労働に従事していない、と表明できる。新しい経済のなかで、指先だけを動かして稼いでいる、と表明できる。テキストを打つ爪は、明るいネオンカラーやパステルカラーに彩られているということなのだ」

野菜を食べればいいんじゃ

しかし、2010年代前半にジュース・ブームがピークを迎えると、世間はささやき始めた。「もしかして、ドロドロにした野菜だけを口にするのが、生きていくのにベストな選択なの?」

「世間は、(ジュースを飲む行為を)フレッシュに生きるためのきっかけとしてとらえている。ジュースは、一般的にデトックスや浄化と関連づけられている」。2014年の『Los Angeles Times』紙に掲載された〈専門家がジュースクレンズにくぎを刺す〉と題された記事でそう述べているのは、米国合衆国農務省栄養政策振興センター(US Department of Agriculture’s Center for Nutrition Policy and Promotion)に勤める栄養士、トリシア・プソタ(Tricia Psota)。しかし、彼女はこうも述べている。「私たちの胃や腸は、自然にデトックスするようつくられている」。2016年初頭には、『Cosmopolitan』が〈あなたのデトックスがデタラメな理由〉と題して特集を組んだ。そこではジュースの法外な値段設定や、健康効果についての科学的根拠のなさが指摘されている。同年5月には『New York Times』が〈高額なジュースでは身体の毒素は浄化されない〉という記事を掲載した。内容はタイトルのとおりだ。遡って2015年1月、『Los Angeles Times』がコールドプレスジュースの市場規模は年1億ドル(約117億円)になった、と報じたが同年の秋、2002年にキックスターターから始まったニューヨークを拠点とするジュース業界の大手〈オーガニックアヴェニュー〉の経営不振が明らかになった。ただ、投資会社による資金投入により、2016年5月、店舗は再開した。ジュースブームはまだ去っていないものの、お金のかかるライフスタイルを見直しはじめた消費者もいる(本来全ての消費者が考えるべきなのだが)。更に高いレベルを望んだ結果、ジュース習慣が必ずしもベストではない、と世間は気づき始めた。

実際にジュースを飲むよりも、ジュースをネタにふざけているセレブを眺めるのが面白いのだ。