味わい深いパンを求めるパン職人の遍歴

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味わい深いパンを求めるパン職人の遍歴

最上級のハンガーステーキであればミディアムレアがベストかもしれないが、ザカリー・ゴルパー(Zachary Golper)はウェルダンがベストだと信じている。「ウェルダン」といってもパンの焼き具合だ。

最上級のハンガーステーキであればミディアムレアがベストかもしれないが、ザッカリー・ゴルパー(Zachary Golper)はウェルダンがベストだと信じている。

「ウェルダン」といってもパンの焼き具合だ。

ゴルパーは、ブルックリンに拠点を置く、ゆっくり発酵パンで名を馳せた「Bien Cuit」の司令塔だ。この店のパンはかなり低温で、長い時間をかけてじっくりと焼かれる。その結果、厚い赤褐色の皮で覆われた1塊のパンになり、その深い味わいは、従来のバゲットの見た目と味が「生焼け」なのでは、と勘違いしてしまうほどだ。

ザッカリー・ゴルパー(Zachary Golper) Photo by Thomas Schauer

昨年秋、ゴルパーはピーター・カミンスキー(Peter Kaminsky)との共著『Bien Cuit: The Art of Bread』を上梓した。ゴルパーが深みのあるパンを求める遍歴を辿った300頁を超す分厚い書籍だ。パン遍路の他にも、業務用オーブンを所有していない、一般家庭向けのレシピも掲載されている。

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その詳細を教えてもらうために、焼きの科学、Y2Kプレッパー、この世の煉獄「ラスベガス」での質の高いパンづくりについ、ゴルパーに電話で話を聞いた。

こんにちは。パンづくりを始める以前、Y2K問題や終末論に取りつかれた人たちと友達付き合いがあった、と『Bien Cuit: The Art of Bread』のなかで回想されていますね。

そんな話題には関わらず、距離を置くべきです。確かに人生の1ページです。当時、私の所得が低かったせいかもしれません。周りにいたみんなが、世界がもうすぐひっくり返る、と信じていました。他人に対する倫理観が変わるのを目の当たりにするのは、少し怖しかったです。

私はその手の話にはあまり傾倒していませんでした。そんな人たちが周りにいるのはあまり好ましくなかったし、世界の状況が変わり、経済システムが機能しなくなる可能性に基づいて悪人になる、という考えもにも馴染めませんでした。だから、「僕は違う。世界が変わるなんて信じられないし、クレイジーな連中から離れるべきタイミングだ」と直観したんです。

そしてオレゴンの農場で働くようになったのですか?

そうです。食料安全保障ですよ。それに、本当に平和的でメロウで、他人に危害を加えるなんて考えもしない人たちが、そこにはいました。人生のなかでも、本当にいい時期でした。何も特別なことはせず、ただ料理やサイクリング、音楽を楽しんでいたんです。死ぬまでに何をすべきか探り、いろいろ試していました。自らについて深く考え、種子や木々に季節の変化がどんな影響を与えるのかを知り、有機農業全体の流れを学習するにはいい機会でした。

Bien Cuit のプリエーゼ. Photo by Thomas Schauer.

そこで最初のパンづくりの導師に出会ったんですね?

そうです。朝の2時頃になると、部屋にパンの焼ける匂いが漂ってくるんです。みなさんがパンを焼いているベーカリーの中にいた経験があるか否かはわかりませんが、想像するベーカリーとは全然違いました。オーブンが野外にあって、パンの香りと森の空気が混じり合うんです。控えめに表現しても、森の中でパンが焼かれる香りは格別でした。

それに逆らえずに目が覚めてしまうんです。すぐにパンづくりを学びたくなりました。見学させて欲しい、そう頼みましたが、パンを焼いていた男性は、最初、あまり歓迎してくれませんでした。彼は、僕を見てひと言、「ノー」と断りました。それで会話は終わりです。

真の「ラダイト」といったところでしょうか。お金や鍵を持ち歩かないような男性でした。パンづくりの才能もズバ抜けていましたが、本職は大工です。椅子、キャビネットなどを造っていたんです。

何か手伝えないか、と尋ねると、最終的には徐々に色々と教えてくれるようになりました。僕は、彼を真似ようとしていただけで、出来具合など、何も判断できませんでした。パンづくりの上っ面をなぞっていただけでした。彼の手法は伝統的で、何千年来のプロセスといった趣です。どこを取っても進化していませんでした。石臼で小麦粉を挽き、サワードウ・スターターを発酵種に、海塩、温水も使っていました。気温がとても低かったので、西、北ヨーロッパと同じように、ゆっくりと発酵させるしかなかったのでしょう。長時間発酵を学ぶには絶好の機会でしたが、当時、その製法に価値があるとは知りませんでした。

強力粉. Photo by Thomas Schauer.

そのように基礎が築かれたわけですが、パンづくりのネクスト・ステップはどういったものなんでしょう?

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焼き、生地づくりに専心しました。他には何もせず、時には1日19時間もかけてスキルを磨けるような最高の環境だったんです。そうこうしていると、ある日、ラスベガスのカジノホテルから、ジャン=クロード・カネストリア(Jean-Claude Canestrier)のもとでベーカリーの主任として働かないか、という誘いを受けました。彼はM.O.F.(フランスの国家最優秀職人)で、国内、世界のペストリー大会の優勝経験者でもありました。

彼の下で働くのは素晴らしい経験でした。ペストリーに関する知識を学べるのはもちろん、ホテルがベーカリーに巨額の資金を投入していましたから、小麦粉、原材料を仕入れるための予算は使い放題でした。湿度や温度を調節できる焼き釜もありましたし、水を中和する逆浸透浄水器、水のpH を自由に調節できる酸化装置もありました。例えば、エチオピアのパンの味を知りたければ、テフ粉を購入し、水のpHをエチオピアと同じにすればいいんです。それでインジェラをつくり、味の違いを知るんです。地元の酵母や細菌を扱うさい、素材は、環境に適しているからその土地で手に入る、という事実を忘れてはいけません。

皮肉なことに、ラスベガスでパンづくりに適したpHは7.2で、水道水のpHも7.2でした。

Bien Cuit のフランスパン. Photo by Thomas Schauer.

「bien cuit」を焼き始めたいきさつは?

色の濃いパンにたどり着いたのは、砂糖を使い始めたのがきっかけです。カラメル化の何たるかがわかりました。メイラード反応というのは、基本的にタンパク質のカラメル化だ、と理解できました。パンにはタンパク質がたくさん含まれています。メイラード反応を強化できればクラスト部分の味を深できるはずだ、と閃きました。

その想いは、フランス時代の体験でさらに高まりました。当時、全然お金がなくて、パンと安い羊乳チーズで、日々、しのがなければなりませんでした。ベーカリーで、「plus obscur」にしてもらうよう、頼んでいました。ダークな色にしてもらうんです。そしたら周りのお客さんたちがしゃべっているのが聞こえて、みんなも同じものを頼んでいたんです。でも「bien cuit」と呼んでいました。つまり「ウェルダン」です。それが僕の口に合っていましたし、その食感も気に入ったんです。

ラスベガス時代に長時間発酵に取り組み、その限界を本格的に試し始めました。低温でゆっくりと発酵物質を融合させてから長時間、低温で焼くと、それまでのどんな方法よりもはるかに味わいが深くなる、と気付きました。この時期、あらゆるピースを組み合わせ、そこにたどり着くまでにたくさん実験しました。特にラスベガスで。あそこは最悪の街だし、何をすべきかわからないような場所です。ほとんどの時間、ベーカリーに篭り、どんな穀物をどんなペースで発酵させるか、何度で最高の味になるか、何度で何時間かけると味が安定し、味が落ち始めるのかを研究していました。もし落ちるとしたら、どんな穀物でどんな味になるのか、酸性度が高いとどうなるのか、アルコール風味の強いものは別のパンに使えるか、などなどです。

ラスベガスでの研究結果は、その後、どう生かされたんですか?

フィラデルフィアの「Le Bec-Fin」での仕事が舞い込んできました。アメリカ有数の優良レストランで働くまたとないチャンスでした。でも実際に現地に赴任すると、水質、作業環境は決して良くはありませんでした。地元の小麦粉もありませんでしたし、もの凄く低予算でした。そこにはたくさんの挑戦があり、スキルアップの機会にはなりました。前に進むためには真剣に考えなくてはなりません。ジョルジュ・ペリエ(Georges Perrier)の下で働く機会を得られたんですから、それだけでも充分です。いい思い出ではありませんが、困難な状況でのパンづくりから、たくさんの教訓を得ました。

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そしてついに、自らの店を開くわけですね。

ブルックリンに「Bien Cuit」をオープンさせる頃には、多くの経験を積み、何がつくりたいか、どんな味をデザインしたいか、どんな穀物を使いたいかを理解していました。最初はすごく大変でしたが、ある段階に達すると、物事が容易に進みました。それは実際にパンをつくる段階でしたが、もうすでに何をつくりたいかわかっていましたから。特別な発酵方法については、ニューヨークで、誰かが実践していたかも知れませんが、ビジネスレベルでは誰もやっていませんでした。マーケットにとって目新しいものになるだろうし、地域のパン屋としての価値、卸売のベーカリーとしての可能性を信じていました。

味にうるさいブルックリンの住人は、このウェルダンのパンに驚きましたか? この辺の職人がつくるパンはキツネ色で、あなたのパンのように赤褐色ではありません。

そうですね。「わぉ、本当にダークだ」と驚くお客様が何人もいました。でもスタッフには「bien cuit」の意味を、お客様に教えるよう指導しています。安心してもらうよう、心がけています。「大丈夫です。やみつきになるかもしれませんよ」といった具合です。

軌道に乗るまでに時間はかかりませんでした。熱心なお客様に恵まれ、口コミで広まりました。

ザッカリー・ゴルパーとピーター・カミンスキー.

「Bien Cuit」をオープンする頃には何をつくりたいのかわかっていた、そうおっしゃいましたが、もう実験はしていないのですか?

いいえ、続けています。信頼できる農家との付き合いが長くなると、売れ筋でなくとも、パン職人にアピールする穀物を見つけたくなります。低タンパク質だなんだで忌避されなくていいんです。本当に美味しいパンをつくるには、小麦粉の配合がすべてです。だから、配合の割合を見極め、農家にそれをアドヴァイスしたりもします。「あなたの小麦は素晴らしい。地元のパン屋に何か提案したいなら、こんなレシピがいいですよ」と。

ありがとうございました。