仰向けに寝転ぶ。下半身には何もつけていない。場所はある家のリビングルーム。ジャスミン(Jasmin)という名の女性が私のヴァギナを見つめる。私は、稀有な〈セルフ・アウェアネス(自覚・自己認識)〉の瞬間を体験していた。自分の気持ちを喋るよりも、他人に自分の外陰部を見せるほうがいいとさえ感じていた。

現在ジャスミンは、〈セックスポジティブのスペシャリスト〉になるべく、ベルリンにあるフェミニスト専門のセックスショップ〈セクスクルーシヴィターテン(Sexclusivitäten)〉で修業を積んでいる。この店のモットーは「女は何でもできる。でも、やるもやらないも自分次第」だ。たまの金曜日に、店のオーナー自らがワークショップを主催しており、参加者が自分自身の身体についてもっと知り、好きになるよう手助けをするのが、このイベントの目的だという。この週のテーマは〈外陰部ウォッチング〉。本イベントのFacebookぺージには、「私たちひとりひとりの美しい女性器を人の目に晒し、意見交換をし、特別な経験を皆で享受しあう」と説明されていた。

というわけで、私もそのワークショップに参加してみた。参加者は女性6名で、全員30代半ば。セクスクルーシヴィターテンのオーナー、ローラ・メリット(Laura Merrit)の家のリビングに集合した。ローラの住居は店舗の上階にあり、店内に陳列されている商品が部屋にもあふれていた。たとえばヴァギナの形をした枕の上の棚には、ダイアン・ハンソン(Dian Hanson)の著書『The Big Book of Pussy』(2011)が置かれていたり、その反対側のキャビネットには、卵型のバイブレーターやガラス製のディルド、そしてフェミニスト用ポルノから革製ストラップ付きのペニスバンドなど、数多のグッズが並べられていた。来店中の男性客の声が階下からぼんやり聞こえるが、これから始まる〈女性限定快感サロン〉には参加させない、とジャスミンは語る。

裸ヨガやフェミニスト・ポルノ上映会、ヴァギナのマッサージレッスン、そして〈We shoot back(私たちもやり返す)〉と名付けられた潮吹きワークショップなど、ローラをリーダーとするチームは、さまざまなプロジェクトを進めている。女性が自分の身体を前向きに捉えられるようになるのがその目的だ。ヴァギナがよく見えるものになれば、女性たちは自分の身体ともっとうまく折り合いをつけられるようになるし、その手助けもできる、とジャスミンは考えている。

ドイツの婦人科形成手術・性器美学会(German Society of Intimate Surgery and Genital Aesthetics)の研究によると、女性の半数近くが自身の性器を嫌っているそうだ。「自分の性器に満足していない女性があまりに多すぎます。また、みんなが自らの性とうまく折り合いがつけられないのは、セックスについて話す機会がないからです」。このようにジャスミンは説明する。「社会は、私たちに〈恥を知れ〉と教えます。何らかの不安を抱いていたり、好奇心の強い女性がポルノを見るようですが、そこで、〈最高の女性器〉観を植えつけられるんです」。ローラは、彼女が主催するワークショップを通して、女性がもっとオープンに、もっと自信を持ち、そしてメインストリームのポルノやジェンダーステレオタイプを飛び越えて、自らの身体を受け入れられるようになれば、と願っている。

社会学者のアンナ=カタリーナ・メスマー(Anna-Katharina Meßmer)は、ヴァギナの理想美を研究している。「いちばん人気のヴァギナは〈ロールパン型〉です」。陰部ウォッチングから数日後の電話インタビューで、メスマーはそう教えてくれた。「キツくて締まりがよく、ツルツルしたヴァギナ。つまり加齢を感じさせず、出産後でもなく、処女を思わせるようなヴァギナです。あまり現実的ではありませんね」。セックス・セラピストのアンドレ・ブラウ(Andre Bräu)もその意見に同意しつつ、さらに補足してくれた。男性の性器は「前にぶら下がっている」ので、男性は自分の身体に対する理解や見解を深めながら成長できるという意見だ。

ローラのリビングへ戻ろう。私たちは外陰部ウォッチングを始めようとしていた。「私はこれまで、いちども自分の外陰部を見た経験がありません」。参加者のひとりがそう告白し、他の皆も同意していた。その2分後、私たちは全員、裸になった。

私は仰向けに横たわり、お腹の上に両手を乗せた。ジャスミンは、私の前で両膝立ちになった。しばらくして私は、全裸でいる状況に対し、そこまで抵抗感を抱いていのに気づいた。私は、自分の外陰部を知っているし、好ましくも感じている。なぜなら、これまでに自分の外陰部を鏡に映し、眺めてきた経験があるからだ。だから、これまで外陰部を見た経験がないという他の参加者とは少し違うのかもしれない。私が自分の身体に興味を抱き始めたのは、7歳の頃だった。元カレたちにはセックス以外の状況でも、じっくり外陰部を調査してもらっていた。見知らぬ他人に外陰部をさらす行為は、私にとって、次のステップとして、いたって自然な経験だったのだ。

それよりも、このセッションのあとに待ち構えているディスカッションのほうが気がかりだった。何を話そうか。何を話したらいいのか。気にしないように、とまったく関係のないトピックを考えるようにした。天気のこと、母親のこと、最近受けた子宮がん検診のこと…。しかし、その〈禅〉的な状況は、頭のなかで警報が鳴り響いて霧消した。「ヤバイ。経血が流れませんように」。心配になった。私は生理中だったのをすっかり忘れていたのだ。

その後すぐにセッションは終了し、私たちは輪になって、他人の外陰部を見たり、他人に外陰部を見せたりした今回の体験について話し合った。そして、このディスカッションでの発言タイムに臨んで、平静ではいられなかったのは自分だけではなかったことがわかり、私は安心した。参加者の多くが、真面目な話を進めるのではなく、ジョークを飛ばしていたからだ。しかしそこでジャスミンが話し始め、参加者たちを気恥ずかしさから救ってくれた。「全ての外陰部は異なっています。だからこそ全て美しいのです。友人たち全員に、『外陰部を見せて』といえるくらいになるのが理想です」

話し合いのあと、今度は私が見る番になった。ジャスミンは枕に深く腰掛け、脚を広げた。5分間、私は彼女の外陰部を見つめ続けた。私は表情を変えないように、そして「変なの」と思ったりしないように努力した。しばらくして頭を傾けると、突然、ジャスミンの外陰部と私の外陰部との違いがわかるようになった。

2回目のディスカッションでは全員から、1回目より踏み込んだ発言をした。私は社会のなかでヴァギナがどのように表現されているか、そして、今日のこの瞬間まで、ポルノやフェミニスト・アートでしか他人のヴァギナを見たことがなく、実生活ではいちどもなかった、と話した。「最初は何だか笑っちゃいました。でも全裸になるなんて、何の問題もないと感じました」と語る参加者もいた。

そして2時間のセッションが終わった。最終的に参加者全員が、自らの境界線がよりフレキシブルになった、と答えた。見知らぬ他人の前で全裸になり、何か感じるものがあった、という参加者もいれば、自分の気持ちを語り、特別な思いを抱いた、という参加者もいた。他人の外陰部を見つめる状況に最初は動揺した、という参加者もいた。

私は、女性たちが自らの美しさと価値を実感するためのフェミニスト・プロジェクトに、充たされ、新たな敬意を覚えた。「私たちは皆、見てもらいたいんです」。ジャスミンはのちにプロジェクトについてそう述べた。「最初は抵抗があるけれど、癒しの効果もあるのです」