1487281061434-girlhoodatsize

Illustration by Kelsey Wroten

2017年2月22日、トランスジェンダーの子どもたちが自らの認識に従って、トイレや更衣室を使用できるよう公立学校に求めたオバマ前政権による指針の撤回を、トランプ政権が発表した。これまで、トランプ大統領やその支持者は、性的マイノリティ支援の実施を吹聴していたが、そうはならないだろう、と誰もが予想していた。

しかし、どの政党もトランスジェンダーの子どもたちの権利を守るべく闘っているが、この問題の解決は容易ではない。トランスジェンダー、もしくはジェンダー・ノンコンフォーミング(Gender Non-Comforming)の子どもたちを、私たちがどのように扱うか、あるいは扱うべきか。それはトランスジェンダーの権利運動においてもっとも重要な議題であるが、そこでは往々にして、当事者たるトランスジェンダーの子どもたちの実体験というものが加味されていない。

トランスジェンダー全員が、幼くして自覚するわけではない。しかし、それを自覚している子供もいる。筆者もそのうちのひとりだ。私が幼年時代を過ごした80年代後半~90年代初頭、トランスジェンダーといえば、ジェリー・スプリンガー・ショー(Jerry Springer Show)に出演するゲスト、しょうもない映画のジョークだった。本当だ。私は、一般人、ましてや子どもが性別を変えられるなんて思いもしなかった。それに、メディアに登場するトランスジェンダーたちは、皆〈奇人〉として描写されていたわけで、そんな扱いをされたい子どもなんているわけない。かつてないほどトランスジェンダーの存在感が高まっている現代でも、トランスジェンダーの子どもたちは、恐ろしい暴力の被害者になる。私が育った時代はなおさら、性別を変えようものなら、大きな危険が待ち受けていた。自らをトランスジェンダー、と自覚した初期の段階から、私はそれを、隠すべきもの、と判断していた。

しかし、自らの幼少期を振り返り、女の子であれば経験できたであろう日常に思いを馳せると涙が溢れてくる。もちろん、楽しかった思い出もある。RV車で北米大陸を横断した家族旅行、遊びまわった運動場…。しかし、幼少の記憶には、いつもジェンダーの不調和の影が付きまとっている。幼少期の楽しかった思い出は、性別が関係しない経験に限られる。そう、私の〈女の子時代〉は空っぽなのだ。

私はマサチューセッツ州西部にあるバークシャー郡の小さな町で育った。そこは、世界有数の〈進んだ地域〉だったはずなのに、ゲイの存在はスキャンダルでしかなかった。ときに両親は、私のジェンダー観を、厳しくコントロールした。覚えているのは、新しい家に引っ越したときのこと。私は、自分の部屋を赤白青でペイントしたかったのだが、両親はそれを許さなかった。赤は〈女の子の色だから〉と嗜められた。部屋の模様さえも決められなかったのだ。そんな私が髪を伸ばし、好みの服を着るなんて、できるはずもなかった。

また、私は、違和感のないジェンダーを見つけられなかったため、女の子との友情も育めなかった。シスジェンダー、男性として異性愛に順応しようと努力しすぎたため、友人の友人としての無邪気な振る舞いを、性的魅力として誤解しがちだった。中学3年生のときに〈サラ〉という名の女の子と出会った。非常に聡明な彼女と、中学3年生らしからぬ真剣な議論を交わすなか、私は、彼女に抱く全ての感情を恋心と解釈してしまったのだ。その結果、彼女をデートに誘ったが、「私たちは友だちだから」と丁重に断られた。実際、私が望んでいたのは、女性として男性とセックスすることだった。つまり、私は、女性としてストレートであり、女性として若干のレズビアン要素を備えていたのだ。そのせいで、私は、女性の大勢が享受する、姉妹のような深い友情を手に入れる機会を失った。なぜなら、私は女性になっていなかったし、男性として、若い頃に出会った女性を無理やり異性愛の対象にしていたからだ。今でも、〈片想い〉と勘違いしていた女の子の名前を思い出せる。その事実と、現在でも彼女たちの大勢と友人関係を続けていられるのは、ただの偶然ではないだろう。

また、なによりも悲しかったのは、高校最後のプロムに、女性として参加できなかったことだ。私の相手だったカリス(Karis)は、長年の友達のひとりだ。濃い紫色のロングドレスを身にまとい、髪を頭の高い位置でまとめ、カールさせてサイドに垂らした彼女は可愛かった。それに比べて私は、サイズの合わないレンタルのタキシードに、見当違いのアクセサリーを身につけていた。彼女に全く釣り合っていなかった。米国民にとって10代の象徴であるプロムも、クローゼットになりきったトランス・ティーンにとっては、パニックで発作を起こしかねないほど苦しい体験だった。プロムでダンスもしなかった。その夜、自らを偽るのには成功したが、今でもポッカりと心に穴があいたままだ。本当の自分、〈ケイトリン(Katelyn)〉というひとりの女の子としてプロムに参加するチャンスはもうない。

トランスジェンダーの子どもたちの存在さえも否定するような人々は、自らの価値体系が与える真の影響力を知るべきだ。性別違和感を隠している子どもたちは常にいる。若いうちの性転換には危険、もしくは困難である、と信じざるを得ない地域、家庭環境で育っているのだ。クローゼットになったトランス・ティーンたちの声はSNS上でよく目にする。彼らの絶望感や恐怖心が痛いほどよくわかる。しかし、カミングアウトしても安心して暮らせる状況になるまで待ちなさい、というアドバイス以外に何もできないこともある。

社会がトランスジェンダーの子どもたちに厳しくすればするほど、子どもたちは性別違和感の解消を「よし」としなくなる。幼さを理由に解消を怠れば、私のように、適切な幼少期を過ごせなくなってしまう。多くの米国民は青春時代をノスタルジーとともに振り返るが、自覚的トランスジェンダーにとっては後悔ばかりなのだ。コンヴァージョン・セラピー(conversion therapy:トランスジェンダーを〈矯正〉しようとする治療)が支持されたり、トランスジェンダーの子どもたちの権利を守るための訴訟が諦められたりするたびに、トランスジェンダーの子どもたちの青春が犠牲になっている。子どもたちが安全かつ簡単に性別違和感を解消し、後悔のない人生を送れるよう、私たちは行動を続けるべきなのだ。