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Julie Wataiの理想と欲望が創造する 終わりのないリアリティー

彼女は、機械に飲み込まれようとする社会に疑問を提示するのでも、戦いを挑むのでもなく、無機質なすべての異物を取り込んでしまおうという欲望の先で、自らの手を使いながら黙々と世界を創り出している。
Photos by Julie Watai

「Oh!ジャパニーズポップカルチャー!」

ビビッドでキッチュな色合いや、マンガのような女の子たちが惜しげもなく「カワイさ」を見せつけてくる感じ、二次元的なフラットさから、ひとつの言葉が浮かんできた。昨今世界で注目されているこのトレンドを象徴するような彼女の処女写真集『SAMURAI GIRL』は、2006年にイタリアの美術出版社DRAGO社から発売されると、ヨーロッパを中心にヒットを記録した。

これを写真と呼ぶべきか、グラフィックと呼ぶべきか、迷う人もいるだろう。被写体やガジェットのモノっぽさは残っているが、繰り返された画像処理で二次元と三次元の境界が曖昧になってる。レタッチが当たり前となった現代の写真業界では、加工を施すこと自体珍しくもないだろうが、彼女が立体的な世界をどうにか平面に近づけようとするのには理由がある。

「写真に収めると、自分が妄想してる夢の世界みたいなものを、その瞬間に保存したみたいな。自分のものになったっていうか。そうすると、ある程度満足できるんです」

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大好きなモノも溢れてしまって部屋に入りきらないし、美しいと思う女の子たちをそのまま所有することはできない。まして永遠になんて不可能だ。かといって、すべてを二次元で終わらせてしまうのも物足りない。だったら、そんな世界を一瞬でも創ってしまって、自分の中に浮かび続けるイメージとして、永遠に抱え込んでしまいたい。その衝動こそが、彼女を創作へと向かわせる。

人間と機械の関係に想像を巡らせる試みは、遡れば1818年に出版された小説『フランケンシュタイン』に始まり、近年ではアニメ『攻殻機動隊』から人工知能やアンドロイド研究へと続いている。人間はいつだって、まだ見ぬ未来に対する恐怖と欲望の間で揺れてきた。しかしJulie氏は、まだ見ぬ未来を恐れるより、むしろその得体の知れない暗闇に、自ら取り込まれにいくのだ。

幼い頃、大友克洋の『AKIRA』に衝撃を受け、『ドラゴンクエスト』などのゲームで遊び、SF小説『ニューロマンサー』『スノウクラッシュ』なんかに描かれたような、人間と機械の間に隔たりが無くなった近未来の世界に、親しんできたからだろうか。彼女の頭の中では、自分のカラダまでも「ガジェット」だ。無機質なガジェットと生の「ガジェット」を融合させながら、決して満足しない欲望を追い続ける。

「大人になることで、自分の中の少女性を壊していきたくないなあと思っていて。セルフポートレート撮影をしてるので、正直焦りはあるんです。いつまでも若い人って存在しないと思うし。だからセルフポートレートでいっぱいいっぱい写真を撮ろうと思っています。素材をいっぱい残しておいて、それを死ぬまでパソコンの上でもてあそんで、新しいものを作り続けたいなと思っています」

オタクの聖地・秋葉原に行くと、「ジャパニーズ・オタク・カルチャー」はコピーのコピーから始まったのではないかと思う。コピーとはいえ、コピー機の作る精巧な複写とは違う。人間のにおいがする「産み直し」だ。彼女も、創り手としての初仕事が「ファイナルファンタジー」の二次創作だった。強く惹かれた物語やキャラクターを中に取り込んで、衝動のままに、世界を自分好みに変えることから始めたのだ。

彼女は、機械に飲み込まれようとする社会に疑問を提示するのでも、戦いを挑むのでもなく、無機質なすべての異物を取り込んでしまおうという欲望の先で、自らの手を使いながら黙々と世界を創り出している。その姿はまさに「オタク」である。一方で、痛みも危なさもわからないままに、機械とカラダを交えながら、きゃっきゃと笑う幼い少女にも見える。オタクカルチャーも写真もわからない!そんな人だって、彼女の写真からとめどなく溢れる、恐ろしいほどの欲求に飲み込まれてしまうだろう。

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