ポートランドのものづくりはパンクから

FYI.

This story is over 5 years old.

ポートランドのものづくりはパンクから

彼らが放っているのは、小難しい精神論ではなく、単に「いやいや、こっちの方がいいでしょ」という軽快なフットワーク。そう、ポートランドにはDIYが、パンク魂が、普通に日々の生活で呼吸している。

ポートランドは、とにかく自分でつくる、作る、造る、創る。家具も野菜も財布もビールも靴もソーセージも自転車もコーヒーも卵もアートも音楽も。好きなものを自分でつくって、出来上がりを好きな人に届ける。まぁ、なんてシンプル!

15年ほど前、知り合いのアメリカ人ミュージシャンたちが、こぞってポートランドに引っ越し始めた。それまでニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンジェルスなどの大都市に住んでいた人たちだ。「なんでポートランドなの?なんでシアトルじゃダメなの?」って訊いたら、彼らは一同に「なんてったって家賃が安いんだよ!それに俺たちゃ元々パンクが先生だろ?着飾っていてもしようがない。そんな奴らがポートランドに集まり始めているんだ」

RED FANG のインタビューにあった通り、彼らがポートランドに移り住んだ90年代中頃は「本当に最悪だった」というポートランド。既に1970年代には、「都市部成長境界線」を設定し、周りの豊かな自然を残しながら、住宅とオフィス、商業施設などの都市機能をコンパクトな中心部に集中させる取り組みを始めていたが、「シアトルの弟分」を脱するには、まだまだ時間が必要だった。それでも市民参加型、そして官民連携による行政改革は進められ、高速道路建設費は路面電車「マックスライトレール」の開通費にあてられ、土地の有効利用から、チェーン店以外の地元店舗・企業の誘致活動、ストアーフロント改修のための補助金や低金利融資など、次々と改革を行っていく。そして1997年から始まった官民共同によるパール地区の開発は、そんなポートランドの都市再生の好モデル。廃れた倉庫街にあったターミナルビルを『EcoTrust Building』とし、企業からNPOまで入居するテナントビルへと再生。このビルを中心に、個性的なギャラリー、レストラン、そして住居なども増え、ポートランド全体がどんどん活性化されていったのだ。

Advertisement

先述した通り、地元優先の店舗誘致を行った結果、ポートランドにはナショナルチェーンのスーパーマーケットやコンビニエンスストアがほとんどない。そのため、自ずと個人店が増え、その個性は際立って行く。そしてアーティストやミュージシャンは元より、デザイナーやクリエイターなどもポートランドに集まってきた。彼らは、ある程度の経済的成功を収めているにも関わらず、セレブ生活なんてまったく興味の無い層。自分の好きなもの、確かなものだけにお金を払い、毎日を正直に暮らしている人たち。間違ったことには、「おかしい」と言い、自分たちで答えを見つけようとする。そんな彼ら、そして提供する人たちこそが、ポートランドのDIYピープル。彼らが放っているのは、小難しい精神論ではなく、単に「いやいや、こっちの方がいいでしょ」という軽快なフットワーク。そう、ポートランドにはDIYが、パンク魂が、普通に日々の生活で呼吸している。これはとても深い。

利きビールセット

ポートランド州立大学でのファーマーズマーケット

そんなポートランドに住むパンクス3人をご紹介。

エリック・バグドナス(Eric Bagdonas):スタンプタウン・プリンターズ(STUMPTOWN PRINTERS)

スタンプタウン・プリンターズの設立は1999年。パソコンでなんでもチャチャッと製作できるこの時代でも活版印刷に拘っている。手掛けているのは、レコード、カセット、CDジャケットから、書籍、名刺、ポスターなど。頑固な双子兄弟が経営。

LPのレコードジャケットだったら、最低何ロット作りますか?

500から、1000枚が普通ですね。CDがよく売れてた頃は、普通に1000枚以上やってましたけど。

やはり近年のレコード再燃ブームは、影響していますか?

そうですね。でもこれはブームではないでしょう。またレコードの時代が来ました。カセットテープもそうですね。

LPジャケットで1000枚だった場合、どれくらいで完成するんですか?

モノにもよりますが、数日かかるときもあります。一色ずつやって、それを乾かして、そのあとにダイカットして、折りたたんで。

レコードストアデイの前は、忙しくなりますか?

そうですね。みなさん特別仕様にするんで(笑)。カセットストアデイもあるので、その時期も忙しくなりますね。

「わ!これはちょっと難しいぞ!」みたいなオーダーもありますか?

ちょっと難しいくらい方が好きです(笑)。チャレンジですね。4色の雑誌で1万部とか、そういうのはもうやめてくれと(笑)。オフセットとかリミテッドエディションをやるのが大好きですね。

このお仕事は長いんですか?

17年やっています。前はもっと小さい場所でやっていました。

今や、コンピューターでなんでも出来ちゃう時代じゃないですか?どうして、このスタイルに拘っているんですか?

アナログデザインに惹かれた理由は、60年代からのインディペンデントパブリッシングに興味があったんです。自分たちの印刷物に、そのエッセンスを入れたかったんです。こういう昔の機械で刷ると、印刷物に印刷方法のストーリーが含まれますし、デジタルでやるより、スポットカラーで一色ずつ混ぜながらやっていく方が、最終的にいい結果が出ると信じています。例えば、古い機械だと、実施にペンキを混ぜるので、印刷物に出る色が分かるんですね。でもデジタルだと、コンピューターの中で再現しているだけなので、上がったときにイメージと違う色になってしまうんです。

Advertisement

これはライノタイプという、かなりハードコアな機械です。新聞用とかに開発されたものなんですけど、キーボードを打つと、リアルタイムに下に鋳型が並んで、そこに溶けたアルミが流れるんです。

めちゃくちゃ小さいのも出るんですね!

安いプリンターとかでは全然真似できない、細かさがあるんですよ。ここまで小さく印刷できます…と、宣伝してください(笑)。

そもそも、なんで印刷屋になろうと思ったんですか?

パンクです。パンクロック。自分で音楽をやろうとは思いませんでしたが、フライヤーやレコードジャケットなどの印刷物に強く惹かれたんです。そして、パンクの持つ自由さとDIYの精神が、私をグラフィックデザインと印刷の世界に導いてくれました。今でも音楽は、私の人生において重要なんです。

AJフォシック(AJ Fosik):アーティスト

ミシガン州デトロイト出身のアーティスト。看板作品を経て、現在は木工彫刻を行っている。各国で個展も行っており、2014年には、東京で活動する12人のアーティストともコラボレーションした。また、現代メタルの最高峰であるMASTODONのアルバム『ザ・ハンター』のジャケットを手掛けたのもAJだ。彼の工房がある「The North Coast Seed Building」を訪ねた。

BAD BRAINSのTシャツですね。

定番だろ?

毎日ここで製作活動しているのですか?

ああ。でも「WHITE OWL SOCIAL CLUB」というバーも経営してるんだ。みんなに来てほしいね。

アートとビジネスの成功者ですね!あなたは、木工彫刻をされていますが、どのような工程で製作されているのですか?

最初にイメージが浮かんでから、デッサンする。そして各パーツを掘ってから、まずは色が着いてない状態で組み立てて、また解体して、色を塗るんだ。造ってから色を塗るのは、まず無理だね。

デッサンの段階で、既に3Dというか、立体感を頭の中でイメージしてるんですか?

ああ。こういう作品を造ってるのが長いからね。今では、普通の絵を書こうとしても、立体的なものになってしまう。2次元的な絵はもう描けない。

いつから、このようなスタイルになったんですか?

10年位前。初期の頃はもっとストリートアートっぽいものをやってたんだけど、木製の看板とかも始めてね。それで、看板と絵が合体した感じになった。

でも絵と彫刻とでは、かなり進め方が違うと思うんです。彫刻には、また違った技法が必要かと。

自分の感覚的には、絵を描いているのとそんなに変わらないんだ。もちろん最初の頃は、ウッドワーキングのレベルが、絵描きのレベルよりも低かったので、追いつくまで時間がかかったけどね。

ポートランドでずっと活動してらっしゃるんですか?

出身はデトロイト。そのあとブルックリンに引っ越して、5年くらい住んで、サンディエゴとかフィラデルフィアからにもいたね。ポートランドに移ってからは5年くらいかな。

どうしてポートランドに住もうと思ったんですか?

着いてすぐにね、「ここだ」ってわかった。うまく言えないけど、感覚かな。ものすごく雰囲気が良かったんだ。

AJフォシックを始め、The North Coast Seed Buildingには、様々なアーティストの工房が入っている.

現在のポートランドのアートシーンはどうですか?

既に成功しているアーティストなんかが、ポートランドに引っ越したがっているんだけど、実際、ポートランドでアートを売るのは、非常に難しいんだ。誰も買ってくれないよ(笑)。だから生きていくためには、他にも商売をする体制ができてないとちょっと厳しいかな。特に俺みたいな作品…3次元的なものは造るのも難しいし、魅せるのも難しいし、売るのも難しい。絵だったら、飽きたらすぐに片付けられるだろ?でもこれは片付けるのにも置き場が必要だ。だから、本当に好きな人だけが買ってくれているんだ。

Advertisement

日本でも「ポートランド=クール」というイメージが出来ていますが、ご自身は住んでみて、どう思っていますか?

もちろん、クールだと思ってるからここに住んでるんだ。日本の人がどういうところに惹かれているのかはわからないけど、俺自身は、クリエイティブコミュニティーが強い部分とか、インディペンデントにビジネスを始めている人が多いとか、活動的なところが好きなんだ。ポートランドには、エネルギーが溢れている。

マット・ワグナー(Matt Wagner):ヘリオン・ギャラリー(HELLION GALLERY)

AJフォシックを始め、長年に渡ってポートランド・アートシーンをサポートしてきたヘリオン・ギャラリーのオーナー。日本人アーティストとも親交が深く、2012年には、東京のアーティストを集めたアートブック『The Tall Trees of Tokyo』を刊行している。来日時にラーメンばかり食う男のTOKYOフェイバリットショップは、日本人さえも慄いてしまう「蓮爾」だ。この男、やはりパンクである。

日本との深い関わりはどのようにして生まれたのですか?

姉さんが日本人の男性と結婚してね。それで、日本に行くことも多くなって興味が出てきたんだ。

でもポートランド編よりも先に『The Tall Trees of Tokyo』を刊行しましたよね。なぜそこまで、東京のアーティストに魅力を感じたのですか?

この本のタイトルは、「木が高いほど風を受ける」っていう意味なんだ。日本の「出る杭は打たれる」みたいな感じ。でも、東京で頑張っているたくさんのアーティストに出会った。戦後の日本って、やはり西洋文化が流れ込んできて、80年代以降に生まれた若手のアーティストは、そんな西洋的な部分と伝統的な日本の部分をマッチさせ、さらに仕事になるようなスタイルを進めていると思うんだ。これまでは、ただ職人として職人技を磨くとか、アートのためにアートを創るみたいな感じだったけど、最近の日本の若いアーティストは、お金のこともわかっている。経済が落ちてきたからなのかもしれないけど、そのバランス感覚がとても良かったんだ。

では、最近のポートランドの若いアーティストはどうですか?

残念ながら、みんな似たようなスタイルになっているね。お金がガーッと入ってきたから、新しい感覚のデザインもそこに吸収されている気がする。経済が良くなって、サバイバルするために、ブランドの仕事を受けるとか、そういうのも増えてきてるからね。それは、自己表現とかアートとは全く異なるもの。だから、ちょっとアート的な視点からすると心配なんだ。

日本でもポートランドはすごいクールだって言われてますけど、それ以前の方がもっとパンクだったということですか?

最近は、みんなポートランドの悪口ばっかり言ってる。確かに日本では「ダイスキ、ポートランド!」かもしれないけど、俺らからするとちょっと、やばいんじゃない?って雰囲気なんだ。

そうなんですね。

俺はこの仕事を21年やってるんだけど、説明しにくいぐらい、本当に規模の大きな変化があったんだ。全面的にね。

では、この先のポートランドを考えたときに、1番良い未来はなんだと思いますか?

まず、人が集まってきても、仕事がないのは間違いない。

ええ。

自営業だったら、自分たちでやっていける。ポートランドで生き延びるためには、インディペンデントな仕事をするのが1番だと思う。

でもインディペンデントスタイルであるのも、大資本が入ってくると思うようにいかない部分も出てきますよね。そのような弊害とか、そういうことを超えるパワーがポートランドにはありますか?

昔からあると思うよ。だって、ダサかった頃から俺たちはクールだったんだから。隣にまた新しいビルが建ってるんだ。投資家たちが絡んでいるんだけど、彼らもローカルな雰囲気が受けるとわかって動いている。俺みたいなローカルビジネスマンと組んでやろうとしてるんだ。20年前、まだ安かった頃に俺も家を買ったんだけど、今では毎週不動産屋が訪ねてくる。「家を、土地を売ってくれ」と。ポートランドがこんなことになるなんて思ってもみなかったよ。でもね、確実にバブルは終わりに近づいている。新築の高級アパートなのに40%くらいしか埋まってないところもあるからね。でも、バブル崩壊よりもバブル時代の方が、街をダメにする。このバブルが終わったら、関係ない奴は引っ越すだろうし、インディペンデントな人間にとっては、さらに過ごしやすくなるだろうね。