今回のポートランド特集で何度も登場していただいたPOISON IDEA。っても、パンク〜ハードコアのみなさん以外は、「なんのこっちゃ?」ですよね。POISON IDEAってのは、ポートランドを代表するスーパーバンド。アメリカ…いやいや、全地球の上をノッシノッシと闊歩し、現在も爆進しております。なんたって、コレ!

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ドド〜ン!!!!!!

どーです!これがポートランド一番のパンク〜ハードコアバンドです!最高のイメージガラガラどっしゃ〜ん!でしょ?ストイックとかストレートエッジなんてとこから遠く離れたハードコア。シーンの神であるイアン・マッケイ(Ian Mackaye MINOR THREAT, FUGAZI)の名をタイトルにした『Ian Mackaye』では、肛門をおっ広げたケツ・ジャケでカリスマをおちょくり、ライヴではパワフルなゲップを連発し、体型通りの轟音をぶっ放しながら、とんでもない瞬発力と確かなテクニックで疾走しまくる超ド級デブコア。やっぱビールとハンバーガーとピザの栄養力は、ワシントンD.C.やニューヨークでは味合えない、もうひとつのアメリカン・ハードコア・シーンを生み出していたんですね。

で、そんなPOISON IDEAで思うんです。彼らこそがポートランドだと。20年ほど前に訪れたポートランドは、まったくイケてなくて、お隣のシアトルがNIRVANAやPERAL JAMやMUDHONEYなどのグランジ勢で盛り上がっているのに、ポートランドのレコ屋の壁に飾ってあったのは、やっぱりPOISON IDEA。こんなデブのお宝レコードが100ドルとか200ドルで売ってるような街だったんです。そう、やっぱその頃からポートランドは究極にパンクだった。ご時世とかムーヴメントなんて関係ない。シアトルのお零れなんか要らない。POISON IDEAが、まわりから何を言われようとデブであり続けたように、ポートランドも己の道を切り拓いてきた。女の子に無視され続けても、POISON IDEAとポートランドは、未来へ向かって走り続けてきた。その結果、POISON IDEAはゴッドとなり、ポートランドはクールになった。それもごっつう自然な流れでね。残念ながら、やっぱPOISON IDEAに女の子はつきませんでしたが!

POISON IDEAが結成されたのは1980年。ポートランドは、それより一足早い1978年…奇しくもSEX PISTOLSが解散したこの年に、パンクな取り組みを開始しています。それがメトロポリタン地区(25市3郡)の広域行政府である「メトロ」の設立。1970年代に入ると、ポートランドも他都市と同じように郊外の開発が進み、人々も街の中心部から離れていきました。そこで当時のゴールドシュミット市長とオレゴン州マッコール知事が協力し、中心市街地の再生計画をスタート。住民投票によって生まれたのが、この「メトロ」でして、住民の直接民主制で運営され、アメリカで唯一、直接選挙によって選ばれる地域政府なのです。土地の管理戦略から交通機関・自転車・歩行者用道路の整備、ゴミのリサイクル、温室効果ガスの削減、さらには、自然地域・魚・野生動物の生態保護、グリーンビル(環境対応ビル)の推進・設計・建築の支援から、オレゴン・コンベンション・センター、オレゴン動物園、ポートランド舞台芸術センターの所有・運営などが、メトロの役割。POISON IDEAを始め、ポートランド市民の安心生活が始まったわけです。

さらに、翌1979年には、都市成長境界線(UGB:Urban Growth Boundary)が設けられ、伝統的農業地と都市化地域が区別されました。要するに、都市化すべき地域とそうでない地域に境界線をつくったんですね。でもこの頃といえば、自動車の利用が増えたことにより、高速道路沿いの郊外や衛星都市の開発が進んだ時代。中心都市に策を講じるこの動きは、間違いなく時代を逆行したもの。本当に異質な政策だったのです。それでもパンク道を貫いた結果、機能的で活気のあるコンパクトシティが誕生。実際、ポートランドの中心部は、東西1.5km、南北3.5kmで、端から端まで歩いても、小1時間で届いちゃう。POISON IDEAにはコンパクト過ぎたかもしれませんが、都市部が無計画に広がることもなく、住宅とオフィス、商業施設を集中させることで、公共交通機関での移動が可能になり、同時に自然環境も守られるようになったのです。人口は増えても、拡張開発できないから住宅地は増えない。市内人口たった60万人。世田谷区が90万人、杉並区が56万人なのに、260万人のブルックリンさえも羨むポートランドの活気は、そんなパンクマジックから生まれたんですね。

1843年、ウィリアム・オバートンが、ウィラメット川流域の空き地だった一帯を商業地域にしようと、マサチューセッツ州ボストン出身のアサ・ラブジョイと共同所有したのがポートランドのはじまり。その後オバートンは、所有権をメイン州ポートランド出身のフランシス・W・ペティグローブに売却。ラブジョイとペティグローブは、この新しい都市にそれぞれ「ボストン」「ポートランド」と、故郷の名前をつけたがりましたが、コイントスの結果、ペティグローブが勝利。ここに、もうひとつの「ポートランド」が誕生しました。1851年には「ポートランド市」が成立。人口800人だったこの街は、50年後には9万人にまで達します。立地条件に恵まれていたため、19世紀末には、太平洋側北西部で最大の港湾都市になりますが、鉄道と港がつながったシアトルがここで台頭。チャンピオンの座をシアトルに明け渡し、人口も抜かれ、それからずっとポートランドは「シアトルの弟分」的存在になりました。あっちはNIRVANA、こっちはPOISON IDEAのときもそうでした。

しかし、未来を見据えた政策により、ポートランドは見事に独自の街を形成していきます。さらに、充実した社会インフラと自然環境などから、インテル、ナイキ、アディダス、コロンビアなど、有名企業の誘致にも成功。1,200を超えるハイテク企業もやってきて、その税収から財政も安定し、消費税も必要ないくらい潤います。コンビニやスーパーなどのナショナルチェーンよりも地元の個人店を優先&支援。だから個性的で魅力的な店が増えてくる。活性化したことで、凶悪犯罪発生件数も極めて低くなり、アメリカで3番目に安全な都市になり、さらには世界で2番目に環境に優しい都市にも。どんどん人々は集まってくるんだけど、行政がしっかりしているから無理がない。気がつけば現在の「クール・ポートランド」になっていたのですが、要するにここでは、パンクなフロンティアスピリットがずっと継続されていたのです。

正直言うと、今回ポートランドを訪れる前は、「なんでポートランドは、代官山とか中目黒みたいになったんだろう?」を探るつもりでした。確かに街並みはオシャレだったし、お店もクールだった。でもね、人と会えば会うほど、店に入れば入るほど、ビールを飲めば飲むほど、メシを食えば食うほど、まったく違うじゃんと。前例に拘らない街づくりが、前例に拘らない人々を集めたんだと。前例に拘らないということは、自分のアイデアを正直に進めるということですものね。他人と違う道を進むということは、未来の自分に自信があるということ。他の街と違う道を進むということは、未来の街に自信があるということ。POISON IDEAもポートランドも、既成概念を超えたリアルパンクスなのです。「デブなのにパンクかよ!」「もっと郊外を開発しろや!」なんて声も力強く無視して、中指を立てて、ここまで来たんです。

「ダサかった頃から俺たちはクールだった」ヘリオン・ギャラリーのマットさんの言葉。スゲエ胸に来ましたし、スゲエ納得した。そんな人たちを迎えるこの街の歴史は、未来永劫ずっと繋がっていくのでしょう。「シケてた頃から俺たちはデブだった」ええ、POISON IDEAのように、バカ正直で、強靱な精神で、巨体から溢れる汗とゲップを撒き散らしながら、これからもポートランドは己の道を歩いていくのです。

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