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Photo by Stephen Langdon

1800年代、ニュージーランドが植民地化されると、マオリ族の慣習である女性の顎に施す聖なるタトゥー「モコ・カウアエ(moko kauae)」は廃れてしまった。しかし、その慣習が徐々に復活の兆しを見せている。自らの顔に「アイデンティティ」を刻む意義とは何なのか。

ニュージランドのマオリ女性にとって、顎に施すタトゥー「モコ・カウアエ」は、真のアイデンティティの肉体的表明である。マオリ女性は体の内、心臓のそばに「モコ」がある、と信じている。女性たちの心の準備ができたら、タトゥー・アーティストは「モコ」を内から表へと引き出す。

2016年8月、ナナイア・マフタ(Nanaia Mahuta)は、世界で初めてモコ・カウアエを纏った国会議員になった。46歳の彼女は、政治の場でマオリのアイデンティティを纏うだけでなく、マオリ女性が伝統のインクを顔に刻む習慣を復活させる、歴史に新たな1ページを刻んだのだ

「これまでの人生で数多の節目がありました。それを然るべき方法で顔に残すのが、自らのアイデンティティの積極的な表明である」とナナイアは考えたそうだ。「私は何者か、出自、何に私は人生を捧げているのか。モコを纏うと、私は驚くほど穏やかな気持ちになりました。まるで、ずっと纏っていたかのような心持ちです」

父親の死を契機に、ナナイアはモコを纏った。モコのデザインは、彼女の部族「ンガーティ・マニアポト(Ngāti Maniapoto)」の伝統的な彫刻模様をモチーフにしている。彼女は自身のモコを、娘たちの精神的指標になれば、と願っている。「何事も自らの胸先三寸、と若いマオリ女性である娘に知っておいて欲しいんです」

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ナナイア・マフタ. Photo by Kina Sai

モコを彫って初めて出席した議会で、彼女は感動を覚えたそうだ。「すべてのマオリ女性たちの大きな誇りを背負った実感がありました」とナナイア。「関心が集まりました。皆、私を違った目で見るようになりましたね。モコは文化的象徴ですから、議会においても、私がある種の民意を代表している、と明確に表明しているんです」

マオリが顔、体に施すタトゥーは「ター・モコ(Tā moko)」として知られている。古くから伝わる身体装飾で、源流は西ポリネシアにある。複雑なデザインは「ウヒ(uhi)」と呼ばれる道具で彫られており、それを使うとインクで綺麗な曲線が描ける。ター・モコは、その人の血筋や社会的地位を表す。また、モコを纏うと、祖先と出会う精神世界へと誘われ、新たな人格として生まれ変わって戻ってくる、と信じられている。

歴史学者のマイケル・キング(Michael King)が著書『Moko』で記しているように、マオリの女性にとって、モコを彫るのは、少女から女性への成長を刻む儀式でもある。

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1890年頃のマオリの女性. Photo courtesy of Sir George Grey Special Collections, Auckland Libraries

1840年を境に、イギリスから移民流入が始まり、マオリ族は土地を追われ、同化政策が始まった。植民地法の成立により聖職者制度「トフンガ(tohunga)」は廃止を余儀なくされた。学校でのマオリ語は禁止され、喋った生徒は鞭で打たれた。そして1970年頃までに、モコの伝統はほぼ失われた。数人の年長者の女性はモコを施していたが「顔面タトゥー」の印象はどんどん悪くなった。都市に住む不平分子のマオリ人たちが顔にタトゥーを施すようになり、ギャングや犯罪と結びつくようになったのも、印象が悪くなった要因だ。

しかし、1980年代からは、マオリ語、マオリ文化を再興させようとする動きが生まれ、モコ文化再興の機運も高まった。ター・モコのアーティスト、33歳のピップ・ハートリー(Pip Hartley)は、ター・モコを進化させようとしている新世代のひとりだ。彼女は18歳のときに、ター・モコを学ぶため、ニュージーランド中の田舎を旅した。そして2016年、オークランドにタトゥースタジオ『Karanga Ink』をオープンした。

ピップによると、モコを彫る精神的プロセスは、相手によってかなり変わるそうだ。「私は、相手そのものに描きたいんです。なぜなら、その作業は『ワイルア(wairua)』といって、エネルギーの交換だからです。相手の体の輪郭に合わせ、相手のストーリーを解釈しなければなりません。モコを纏う人にとって、変容の体験です。モコを目にするたびに彼らが成し遂げてきたこと、そして、背後で彼らを護る祖先『ツプナ(tupuna)』を確認できるんです」

モコ・カウアエを受け入れる準備が整うと内なる呼びかけがある、とピップは説明する。「彼女たちは、自らの文化を体現し、それに責任を持ち、祖先と緊密に繋がります。もちろん、この文化そのものに疑念を持ち、理解しない向きもあるでしょうが、モコを施す女性『ワヒネ(wahine)』たちは準備万端なんでしょうね。内に自信を宿しています。私も早くモコを手に入れたいですね」

2015年にモコを受け容れた織工、ジュード・ホアニ(Jude Hoani)にとって、それは自己定義であった。「典型的なマオリ顔ではないので、文化的出自があやふやになってしまうんです」と彼女。「だから私にとって、この国における自らの立ち位置を表明するのがモコでした。20年以上も自己定義について考え続けました」

まずジュードは、今は亡き夫に話を切り出した。「夫は、『僕は反対だ』といいました」。でも私は、「これは私の問題だし、あなたが口出しできる話ではないの。わかって」と応じました。彼女のいとこで、高名なター・モコのアーティスト、ゴードン・トイ(Gordon Toi)は、「やるならいつでもどうぞ。準備はできてるよ」とジュードに伝えていた。

ジュードの兄が腎不全で亡くなると、彼女は決断した。「私は兄と本当に仲が良かったんです。同じ時期に、ゴードンが再び現れましたので、『OK、準備できたわ』と彼女に伝えました」

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ジュード・ホアニ. Photo by Stephen Langdon

ジュードは、モコを普通のタトゥーマシンで30分かけて彫ったが、痛くはなかったそうだ。「でも気持ち悪かったですね。4等分に切ったオレンジを噛み締めながら作業するんです」。彼女の顎に施されたデザインは、「ルル(ruru)」といって、フクロウを形取ったものだ。マオリの伝統によると、ルルは顎の守り神「カイティアキ(kaitiaki)」だそうだ。また、彼女のモコには、彼女の部族、ンガープヒ(Ngāpuhi)特有の曲線デザインもあしらわれている。

ジュードはモコを手に入れてから、自分の姿をはっきりと感じているそうだ。「同じ町に住んでいるのに、あいさつもしなかった多くの人たちが、私に話しかけてくれるようになりました。みんなの目に私の姿が映っており、私を認識しており、そして私の顔を、私の目を見てくれるんです」

「先日、70代になるパーケハー(Pākehā:白人のニュージーランド人)の友人と話をしました」とジュードは続ける。「その友人は、街に出るのがどんどん億劫になってきた、と漏らすんです。カウンターに立っていても無視されるそうです。きっと年齢のせいだ、と考えているようです。私にはモコがありますから、そんなこと起きません。私は透明人間ではありません」

48歳のベニータ・タフリ(Benita Tahuri)は、人生の半分以上をかけて、モコを彫るか否か悩み続けた。今回取材した女性たちも皆、だいたい20年は悩んだという。「ずっと心の奥底で、モコを欲していたんです。様々な人生の転機や挑戦を経て考え抜いた結果、モコを纏うのは正しい判断だ、と確信しました」

「私にとってモコは癒し、自己の反映、力の源、アイデンティティです。考えるようなことではありません。モコ・カウアエによる肉体的表明は、自分探しの『旅の終わり』です」

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ベニータ・タフリ. Photo by Stephen Langdon

「諸説ありますがモコは誰にでも纏えるわけではありません。欲しなくてはなりません」とベニータは説明してくれた。「私の信念なんですけれど、マオリであれば、モコを纏うのは生得権です。自ら正しいと判断しているのであれば、誰にもそれを止める権利はありません。かつては、それが普通でしたが、今はそうではなくなってしまいました。多くのものを取り戻すためには闘わなくてはなりませんから、障壁を築いてはいけないのです」

ベニータは、ンガーティ・カフグヌ(Ngāti Kahungunu)とトゥーホエ(Tūhoe)という部族の出身だ。ニュージーランド北島にある小さな町、ワイロアで育った。地元のパブには暗黙のルールがあった。奥のバーがマオリ専用、手前は白人用だった。公共の場では、誰もマオリ語を喋らなかった。彼女は街に引っ越し、子どもたちをマオリ学校へ通わせた。現在2人の娘たち、23歳のハニー(Honey)と25歳のアナヘラ(Anahera)も自らのモコを手に入れた。

「娘たちに、モコは日常の一部だ、と認識して欲しかった」と母は語る。「私にとっては、プロセス以上の意味がありましたが、彼女たちにとっては必要な行為でした。それこそ特別なんです。モコは脱ぎ捨てられません。普通のタトゥーのようにシャツを着て隠せるものでもない。ともに人生を歩むのです。自分自身、そして自らのアイデンティティに対する責任です」

「『私は私として生き、これこそ私なんだ』という宣言なんです」

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ベニータと娘のハニーとアナヘラ. Photo by Stephen Langdon

ドリーナ・パラテネ(Drina Paratene)は、肌に針が刺さった瞬間、穏やかな気持ちになったそうだ。「すでに気持ちの準備はできていました」と52歳の彼女は回想する。「始める前には『カラキア(karakia)』という祈りを唱えました。かなりの痛みを想像していましたが、全く痛くはありませんでした」

家の床で寝そべるドリーナにモコを彫ったのは、アーティストのピップ・ハートリーだ。彼女は、伝統的ツールの「ウヒ」でモコを施す。ウヒは、植民地化以前にアホウドリの骨でつくられたノミで、それを顔料にひたしたて肌を切る。ピップは、ウヒを取手につけ、それを手でぽんぽんと叩く伝統的手法でインクを入れる。

「ウヒで彫って欲しかったんです。それが私たちと先祖、そして私たちと先祖の経験を繋いでくれますからね」とマオリ語教師のドリーナ。「きっとこれからどんどん痛くなるんだ、と身構えていましたが、6時間横になっていても全く痛くありませんでした」

80年代初頭にドリーナは、マオリ語の復興を後押しした「コハンガ・レオ(Kōhanga Reo)運動」に参加していた。「モコ・カウアエという『ティカンガ(tikanga、風習)』復興のため、モコを彫る女性グループの一員になりたかったんです。そして、そのモコを私たちの社会で普通にしたかったんです」。ドリーナのモコは、意義のある人生に必須だ、と彼女が信じる3つの価値を象徴している。まず、誠実、高潔を意味する「ティカ(tika)」。次に、高次の霊的位階への信念を意味する「ポノ(pono)」。そして愛を意味する「アロハ(aroha)」。

「3つの価値を子どもたちや孫たちに伝えたかった」と彼女はいう。「私のモコ・カウアエには、意味のある人生を送るためのメッセージがあります」

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ドリーナ・パラテネ. Photo by Stephen Langdon