東大嫌いの東大生が目指す〈フラットな世界〉

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東大嫌いの東大生が目指す〈フラットな世界〉

仏像が鎮座する本堂に映し出される神秘的なVJ、それに合わせて志人や2Pac、The Notorious B.I.G.などのヒップホップが流れる。普段は静寂に包まれ、人の出入りもほとんどない〈寺〉とそこを訪れた若者たちの個性的なファッションのコントラストは異様だ。このイベントを手掛けたのが現役東大生のyossi。彼はこう語る。「僕、東大嫌いなんですよ」

文京区本郷。この地に、国内学歴社会の最高峰が屹立している。東京大学だ。その象徴が明治からの歴史が刻まれた由緒ある〈赤門〉だ。2016年11月20日、赤門の目の前に位置する、厳かな法真寺が涅槃の様相を呈した。

仏像が鎮座する本堂に映し出される神秘的な映像、その前では、志人や2Pac、The Notorious B.I.G.などに合わせて若者が体を揺らす。普段は静寂に包まれ、人の出入りもほとんどない〈寺〉という空間と、そこを訪れた若者たちの個性的なファッションのコントラストは、異様というほかない。下腹を打つ重低音とダンスと金色の仏像——。原初の宗教を見ているようだ。

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「今の日本社会では寺の意味が落ちてきている。地方出身の僕なんかは小さい頃、寺に行く機会も多かったけど、そういう場所が使われてないのは残念だなって。だからこそ僕らのイベントでスポットライトを当てられたらなと思うんです」

こう話すのは、このイベント『煩悩 BornNow』を企画した『Kresha』代表、yossi 2 the future(以下「yossi」)、現役の東大生だ。彼は、2016年春に本郷キャンパス安田講堂で開催された〈TEDxUTokyo〉に登壇、多くの著名人と東大生を前にこう話している。

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「僕、東大嫌いなんですよ。最初はすごくエキサイティングだと思ったんです。でも、面白くなかった。東大生たちはすごい極端な効率思考をもっていたんです。パーティーだとか音楽だとか、一見無駄なんだけどすごく大事で文化的なモノをバカにするというか、切り捨てる傾向にあって。そして、自分のコミュニティの外にいる人たちへの理解や興味が限りなく低いんです。『東大、こんなモンか』って思いました。無駄をとことん追求できるはずのこのアカデミズムの現場で効率主義に走り、いろんな世界を観ていろんな世界に対応できるようにするはずのこの最高学府の場がこんなにも排他的で閉鎖的なのかと」

ここまで東大をこき下ろす現役学生も珍しい。なぜyossiはこうした考えに至ったのか。

待ち合わせの時間、カフェに現れたのは、ニューエラの帽子を被り黒のパーカーを着たストリート感溢れる男だ。こちらに気が付くと、近寄り、手をパチンと合わせ、拳をぶつけた。私の知る東大生像とはかけ離れた見た目に、かけ離れた挨拶だ。だが、インタビューの趣旨を伝えると、柔らかな口調ながら熱っぽく、そしてロジカルに語りだした。

まず、何よりも興味があったのは、恐らく世間が東大生に聞きたがる質問TOP3に入る「〈天才〉はどのような高校生だったのか」。北海道出身のyossiは「うちの高校はよくある地方進学校みたいな感じでした。なんかとりあえず東大と医学部に入れとけみたいな学校」と振り返る。そのなかで、どうやら彼には、あまり友達がいなかったようだ。「音楽はすごい好きでした。学校に行きたくないときはサボってたな(笑)。狸小路っていう、ススキノと大通りの間の、古着屋とかがある昔の商店街でたむろして友達と音楽の話したり、ラップの話したり、ダラダラしてたかな」。意外な過去だ。中学、高校と進学校に通い、ひたすらエリート街道を突き進んできた学生が多いなかでは珍しい。そういった友達とは「中二病も入ってた頃に、ふらっと顔を出したら仲良くなった」という。

高校時代から〈普通〉の「未来の東大生」とは異なり、文字通り、ストリートを歩んできたyossi。こうして彼は、2014年春、赤門をくぐることになる。

大学生になり、HIPHOPにハマった彼は、まず手始めに東大のキャンパス内でクラブイベントを開催した。

「あの時はすごい大二病みたいになってた(笑)。結構周りで『東大嫌だ』みたいな奴らがいて、大学でクラブイベントやればいいんじゃない、って思い立って。それで最初に駒場で『Why not Party?』というDJパーティーをやったんです」と事の経緯を語る。「当時は粋がってたから、『勉強しかしない奴らが…』って。『みんな自分のことしかやってないじゃん。周りと繋がろうとしてないじゃん。それはダサいぜメーン』ってね」とイベント立ち上げの動機を話す。

ここまで東大生をディスるにもかかわらず、yossiは、なぜ東大に進学したのか。

きっかけになった出来事について、「中三の時かな、狸小路の奴らと遊んでた時期にその時の友達の自殺未遂。ススキノが近かったから母親が風俗やってて母子家庭っていう家庭環境で。貧乏だけど、カルチャー的には面白い奴でした。そいつが新しいお父さんからの暴力とか、いざこざがあって自殺未遂をしちゃって…」と明かした。思春期真っ盛りのyossi、それを学校の同級生たちに伝えたそうだ。返ってきた答えは「そんなバカな奴らとつるんでんじゃねえよ」と無下もないひと言だった。

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「僕的に音楽好きな奴は、勉強できなくても、親がどうこうとか関係なくみんなすごいし尊敬できるとこがある。でもそれに対して『つるんでないでちゃんと勉強しないといい大学に入れないよ』って言われて『ハァッ?』ってなっちゃった。でも、それは、一介の中学生高校生がどうこう言える話じゃないから、なら東大に行けば文句はないのかな、って思うようになったんです」

学内クラブイベント、寺とヒップホップの融合など、破天荒なイベントを次々と打ち出すyossi、活動の根底には「フラットな環境をつくる」という目的がある。「一番、僕が心掛けているのは、『なんで自分はイベントをつくり始めたのか』ということ。中高でも東大でもそうだけど、今の日本ってなんだかんだピラミッドだと思う。低所得者層、高所得者層だとか高学歴と階層化されている。自分はなんだかんだ頂点に立たせてもらっている自覚はある。でも僕が仲良くなれたのは、一番下に見られてるやつらだったんですよね。そこでそれぞれの層が分かれているのが、僕はすごい嫌で。それをフラットにしたいという想いはずっとあります」

2016年11月、2017年10月の2回開催した『煩悩 BornNow』もそのひとつだ。

「煩悩はヒップホップとテキーラで祓おう、くらいのノリでね。最初は本当に全部適当な感じで進んでいきました」。当初は、取り組みに猛反対する住職もいたという。「でも実際にイベントを開催すると、結構問題を抱えていることがわかって、今の日本社会においては寺の意味が落ちてきている。昔は檀家がついていて、墓もあって、法要があって、お布施もあって、お寺を中心にぐるぐる回っていたけど、今はそうじゃない。小さい寺は淘汰される動きがある」

yossiは、今後25年で、日本に現存する約7万7000の寺院のうち、約4割近くが消滅するという衝撃的なデータを示した。寺と私達のかかわり合いは大きく変わりつつあるのは事実だろう。「どうやって伝統を守りながら新しい試みをしていくか、が面白いんです。例えば、仏教でも経典が一つあるとして、解釈を変えながら色々な流れが生まれてきた。なら、使われていないお寺に僕らのイベントでスポットライトを当てられたら良いな、と思うんです」

ところで、なぜ『煩悩 BornNow』というイベント名にしたのか。そこにはyossiの仏教についての再発見があった。ある時、法真寺の副住職から「煩悩は消し去れないものなんだよ」と教えられたという。「雑念を消すのが仏教の主眼ではなくて、何かがそこにあるというのをありのままに捉えて、決して心を動かさないことが肝要」。これを聞いて、ある想いがyossiに芽生えたという。

「自分は今この場所に立って、好きな音楽を聴いて好きなお酒を飲んで、仲間と体を揺らしてる。『その自分はここに存在する』っていうことを自覚した時に僕たちはここに〈生まれる〉んじゃないかなって。それで『BornNow』っていう当て字をつけたんです。『今この寺の場において、僕らはここにあるよ。いろんな想いも混ざってるけど、今この瞬間はみんなひとつになって僕はここにいるよ。そこに生まれよう』っていう想いがあって、『煩悩 BornNow』をつくったかな」

このように口を開き、想いを語り始めるyossi。

「社会構造的にフラットにすることが難しくても、年収とか事情とか関係なく集まれる場所が僕にとってはクラブだった。自分たちがイベントをつくる時に大事にしなくちゃいけないのは、どうやって来た人たちが一体感を味わえるかということ。今僕らはここにいて、隣には知らない奴がいて、そいつがLGBTでもなんでもいい、イエローでもいいブラックでもいい、もしかしたら昔、犯罪者だったかもしれないけれど、とりあえず俺は今酒を飲んでいて、いい音楽を聞いて知らないヤツと身体動かしながら踊っている、っていうのがクラブイベントの本質だと思うんです。それができるようにするには細かところに気を使わなきゃならない」

そういった想いから、現在yossiは『煩悩 BornNow』だけに留まらずさまざまなイベントを企画中だ。〈カルチャーエンジニア〉を名乗るyossiだからこそ、ピラミッドの上と下を知る彼だからこそ、できることがある。yossiの夢を聞いた。さぞかし熱っぽく語るのだろう、と思ったが、意外にも「夢はなくてもいいかな」との答え。「一個一個の選択をする時に、自分にとって最善解を選んでいけば長期的に最善解になると思う。山の頂上を見るつもりはないんです。目の前に何かが来た時に最善解を選んで進めば、いつの間にか山の上にいる気がする。東大生だからこそ出来ることがある。ピラミッドの上と下を繋げる媒体に、東大生だからこそなれるのだと思う」。現実的でありながら目指す理想は高い。yossiの「フラットな世界」への挑戦は、これからも続く。