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見直しを迫られる女神崇拝とフェミニズムの関係

母権神話を史実として捉えるべきでない、と警鐘を鳴らす研究者もいる。「われわれに与えられた先史時代のジェンダーにかんする手がかりは、曖昧模糊としており、偏った解釈を生む」。「私たちに与えられた先史時代の資料だけでは、母権制社会にかんする主張の裏付けにはならない」

1978年、フェミニズムとアートを扱う第二波フェミニズムのバイブル的雑誌『Heresies』第5号で、「偉大なる女神たち」という特集が組まれた。特集のなかに、キャロル・P・クライストによる論文「なぜ女性には女神が必要なのか」が掲載された。クライストはその冒頭で、詩人・劇作家のヌトザケ・シャンゲによる舞踏詩『死ぬことを考えた黒い女たちのために』(For Colored Girl Who Have Considered Suicide When Rainbow is Enuf, 1976)を締めくくる一節を引用している。背の高く美しい黒人女性は、絶望の淵から這い上がり、叫んだ。「私は、愛すべき神を自らの内に見出した」

クライストは、フェミニズムの精神的次元を把握するための政治的・心理学的側面について論じている。女神は、宗教的伝統の父権的モチベーションを糾弾し、「女性にしかない力が有する正当性と恩恵」を証明している、と彼女は主張する。さらに、彼女によると、女神が象徴するのはそれだけでない。女神は、然るべき作法によって降臨する神聖な存在であり、誕生と死の崇高さを司るライフサイクルと女性と自然の紐帯を象徴する、究極の創造者、万物の母、女性の力の源である。

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クライストをはじめ、女神を崇拝するフェミニストは、母権神話を父権制の起源と捉える。彼女たちの主張によると、父権制時代以前に平和で生産的な母権制時代があったそうだ。女神崇拝者たちは、農耕父権制社会が成立する以前の先史時代に、母権制社会の根拠を求めている。彼女たちは、ヴィレンドルフのヴィーナスを母権制のいち象徴に据え、チャタル・ヒュクの土像に敬意を表す。ヴィーナス、アテナ、ディアナ、ペルセポネなど、ギリシャ〜ローマ神話の女神を参照し、神話の再解釈を試みる。

しかし、母権神話を史実として捉えるべきでない、と警鐘を鳴らす研究者もいる。「われわれに与えられた先史時代のジェンダーにかんする手がかりは、曖昧模糊としており、偏った解釈を生む」。『先史時代の母権神話―ねつ造された歴史が女性の未来に繋がらない理由』の著者、シンシア・エラーは懸念する。「私たちに与えられた先史時代の資料だけでは、母権制社会にかんする主張の裏付けにはならない」

フェミニストは女神像をどう受容しているのか。現状を知るために、カリフォルニア統合学研究所(California Institute for Integral Studies、CIIS)で「女性の霊性」についての講義を開催する、アルカ・アローラ博士に話を聞いた。「自身そのものを反映させる聖なるイメージを持つのは、とても重要なことです」「歴史的に継承されてきた世界中の宗教的伝統、神の概念は、すごく男性的です。それだけでは偏っていますから、われわれは、女性的な神性を取り戻し、学び直さなければなりません」

マーサ・アンとドロシー・メイヤーズ・イメルは、共著『世界の神話における女神たち』の献辞の中で、神話における女性のイメージを再考する必要性を強調した。

自らの可能性に気づいていない世界中の女性たちへ
あなたは、長きに渡って尊ばれ、讃えられてきた
聖なる女性たちの子孫です
それを忘れずに、あなたらしく生きてください

古代に母権社会が存在していなかったとしても構わない。そもそも、西洋の宗教的伝統の大部分が神話的フィクションを礎にしている。シンシア・エラー、マーサ・アン、ドロシー・メイヤーズ・イメルが母性神話を拠り所にするのも、女性の神性と神与の善性を、世の中の女性が享受するためだ。それによって、女性たちに自信を与え、抑圧と闘うのが間違いではない、と女性たちを勇気づけられる。先史時代には母権制による平和な社会があった、と想像するだけで、父権制に備わる負の側面を告発し、それに抵抗しようとする現代の女性を鼓舞できる。社会から疎外されたコミュニティが失われた過去を取り戻すために、自ら神話を創りだしたのだ。

アローラ博士は、女性が神性を取り戻すのには賛成だが、本質主義に対する批判を忘れてはならない、と付け加えた。「女性の霊性ムーブメント、第二波フェミニズム、どちらの研究も本質主義に傾きがちです。私たちに必要なのは多様性です」

多様で開放的な神性の表現は、重要であるだけでなく、実際に活用しなくてはならない。CIISの女性霊性研究で博士号取得中のサマンサ・コスタは、女神崇拝に対する親近感と自身のジェンダー観をすり合わせなければならない、と強調した。「その作業で、私は、自問自答を強いられます。私がわくわくする女神は一体誰? 命令するのは誰? 祭壇には誰? 神棚には誰? 彼女の千もの名前と多様な顕現を受け容れなくてはなりません」

そういった疑問を解決すべく、彼女は、トランスジェンダー的神性にまつわる宗教的伝統の研究を始めた。「様々な男神、女神を奉ずるヨルバ族の伝統を研究しました。彼らは、神々を生んだのは両性具有神『ナナ・ブルク』だと信じています」「ほかにも、ホピ族やイロコイ族のように、トランスジェンダーの個人を聖師として扱うグループもいます。トランスジェンダーの個人は、あらゆるジェンダーを経験できる能力を讃えられ、神々と人間を繋ぐパイプと見做されます」

さらにコスタは、神聖さは両性を兼ね備えているだけでなく、常識とは異なる「存在のあり方」を示唆している、と信じている。「性別についての意識が曖昧で、男でも女でもないトランスジェンダーがそばにいたら、その人と向き合うためには、私たちがこれまで考えてきたジェンダーのカテゴリーを捨てなければなりません。そこにこそ神性があるのです」

アローラ博士は、「この世界には、ジェンダーや生物学的性を超越する、神秘的で言語を絶した『普遍的な何か』がある」と想いを巡らせるそうだ。精神的次元が存在するのであれば、おそらく、私たちは軽やかにジェンダーを飛び越え、私たちの計り知れない可能性からは力が溢れ出すだろう。ジェンダーの軛から魂が解放されれば、恩寵に与れるのかもしれない。