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ANTHRAX/S.O.D.のチャーリー・ベナンテがハードコアとメタルの交差点を語る

ANTHRAXとS.O.D.のドラマーであり、メタルとハードコアをクロスオーバーさせた張本人チャーリー・ベナンテ。ロンゲのこの男は、いかにしてニューヨークのハードコア・シーンに飛び込んだのか? ジャンルの壁を越えたのか? NYHCの情熱溢れるインタビュー。

2014年11月に出版された『NYHC 1980–1990』は、パンク/ハードコア系の音楽ライター、トニー・レットマン(Tony Retteman)による100組以上のアーティスト・インタビューと500枚以上の写真が掲載されている。AGNOSTIC FRONT、REAGAN YOUTH、THE MOB、 URBAN WASTE、CAUSE FOR ALARMなど、初期シーンを代表するバンドから、CRO-MAGS、MURPHY’S LAW、YOUTH OF TODAY、UNDERDOG、SICK OF IT ALLなど、全盛期を彩ったバンドまで、とてつもないスピードで駆け巡る、まさしく「ニューヨーク・ハードコアの学術書」だ。

ニューヨーク・ハードコアを研究するにはもってこいの書籍であるが、オーソドックスなハードコアバンド以外も登場する。ANTHRAXのメンバーによるプロジェクトバンド、STORMTROOPERS OF DEATH(以下、S.O.D.)だ。

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「ANTHRAX?NYHCのロゴをパクろうとしたロンゲだろ!マジで勘弁してくれよ!」

もちろん、ANTHRAXとS.O.D、メタルとハードコアをクロスオーバーするスタイルについては、賛否両論あるだろう。しかし、チャーリー・ベナンテ(Charlie Benante)から伝わってくるニューヨーク・ハードコアへの情熱を否定はできない。独自のニューヨーク・ハードコアの観点など、興味深い話が飛び出した。

CBGBにも通っていたそうですが、問題はありませんでしたか?「なんでCBGBにロンゲがいるんだよ!」とか。

もちろん最初は、まったく歓迎されてなかったよ。CBGBに行くのは少し怖かった。用心棒のビッグ・チャーリー(Big Charlie Hankins)や、ビリー・ミラノ(Billy Milano – S.O.D. , M.O.B.)、そしてレイビーズ(Raybeez – WARZONE)といった連中がいなければ、生きて帰れなかったハズだ。アイツらが「コイツらは大丈夫だ」って、俺たちをみんなに紹介してくれたんだ。俺たちは、ただ音楽が好きだっただけで、CBGBのカルチャーを追求していたわけじゃない。だから、ストレート・エッジやスキンズのカルチャーにもまったく興味がなかったんだ。

当時、シーンを仕切っていたのは?

AGNOSTIC FRONT。彼らのライヴを初めて観たのがCBGBだった。俺は、ステージ袖にある梯子に登ってモッシュピットを眺めてた。おっかねぇ光景だったし、そのモッシュに加わろうとはしなかった。俺は、ステージでプレイする側になりたかったし、ただ演奏が観たかったんだ。モッシュの中で腕を折るなんてのはイヤだった。

本当にCBGBはいいハコだった。PAシステムもすごかった。楽屋は酷かったけど、あのヴァイブスは特別だったね。キッズのAGNOSTIC FRONTに対するリスペクトは狂信的だった。全員が、彼らの音楽に完全なる忠誠を誓っていたんだ。「なんだ、このバンドは!どうして、こんなスゲエ連中を知らなかったんだ?」って、遅れていた自分に気づいたんだ。あと、ニュージャージーのADRENALIN O.D.もクールだったね。S.O.Dは、彼らからかなりの影響を受けたんだ。

いつ、メタルとハードコアがクロスオーバーしたんですか?

METALLICAがツアーでニューヨークにきて、ブルックリンのL’Amourでプレイしたんだ。そのあと、俺とスコット・イアン(Scott Ian – ANTHRAX , S.O.D.)は、ジェイムズ・へットフィールド(James Hatfield – METALLICA)をCBGBに誘って、BROKEN BONESのライヴを一緒に観たんだ。そこにいたハードコア・キッズはMETALLICAのことを知ってたけど、もちろん俺たちみたいなロンゲがCBGBをウロウロするのは気に食わないみたいだったけど最終的に、ジェイムズはモッシュピットの中で誰かに肩車されていたんだ! そこでメタルとハードコアのクロスオーバーが始まったんだ。それからたくさんのハードコアキッズがL’Amourにメタルバンドのライヴを観にいくようになったんだ。

特に、ニューヨークでクロスオーバーしてたのは、CRO-MAGSだ。ヤツらはまったく違う音楽的要素を組み合わせていたら、マジでクールだった。CRO-MAGSはどんどん人気バンドになったのが本当に嬉しかった。ヤツらがニューヨークのシーンを牽引していたんだ。俺は、その数年前にライヴを観て、テープを手に入れてだんだ。すげぇ気に入っていた。本当に素晴らしい時代だったよ。あとCRUMBSUCKERSも。ヤツらもクロスオーバーしてた。ショーもヤバかった。

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ニューヨーク・ハードコア・シーンのトップ・プロモーターだったクリス・ウィリアムソン(Chris Williamson)もクロスオーバーに興味を持って、彼のレーベル、Rock Hotelがらみのバンドをプッシュし始めた。さらに彼は、メタルバンドとハードコアバンドを一緒にブッキングしたんだ。the Ritzで、BAD BRAINSとMEGADETHが対バンすんのを俺は観た。マジでクールだった。ウィリアムソンは、DISCHARGEとG.B.H.の対バンも実現した。どんどんクロスオーバーしたんだ。

このクロスオーバー・シーンは、明らかにニューヨークから始まり、各地に広がった。そのあと、LAでもSUICIDAL TENDENCIESとSLAYERが一緒にやったりしだしたんだ。あと、ハズせないのがサンフランシスコ。あそこからスラッシュメタルのすべてが始まった。

S.O.D.結成のいきさつを教えてください。

元々は、スコットと俺でやっていたANTHRAXのサイドプロジェクトだった。最初はTHE DISEASEって名前だったんだ。当時、ANTHRAXのヴァイブスにまったくフィットしない曲が数曲あったんだ。それがもったいないってスタートさせた。同じ頃、ANTHRAXの元ヴォーカルのニール・タービン(Neil Turbin)が、オリジナルメンバーだったベーシストのダン・リルカ(Dan Lilker)をクビにしたんだ。俺とスコットにとって、後味が悪い出来事だったから、ダンを俺たちのサイドプロジェクトに誘ったんだ。その後、ビリーがヴォーカルで入って『Speak English or Die』をレコーディングしたんだ。イサカにあるスタジオで録ったんだけど、3日で終わったよ。今でも、このアルバムがクロスオーバー・シーンを変えた、って自信がある。

なぜS.O.D.は解散したのですか?

ANTHRAXがビッグになった。それと同時にS.O.D.に対しても、周りからの期待が大きくなったんだ。それで、続けるのが難しくなった。ビリーも相当プレッシャーを感じてたみたいだ。俺たちには、解散以外の手段がなかったんだ。

ハードコア・シーンの連中が、メタル・シーンからきた連中を罵倒するのをどう思いますか?

自分たちの庭をよそ者に汚されたくなかったんだろ。よそ者に晒したくなかったんだ。これについて、俺は100%理解できる。でも、当時の連中は、ジャンルをぶち壊してみんなを引き合わせるのが音楽の根本だというのを理解していなかった。もちろん、俺たちもさんざんディスられた。本質を理解していないくせに、俺たちをディスったんだ。フェアじゃない。 しばらくの間、危なっかしい雰囲気があったのも事実だ。

ANTHRAXが、NYHCのロゴをパクリ、そして商法登録を目論んでいる、という噂もありました。

マジでバカらしい。the Ritzでライヴをしたら、WARZONEのレイビーズがきた。その後、俺たちは一緒に街に繰り出して、語り合ったんだ。レイビーズは、その噂がデマだってわかってた。すべては俺たちが気を許してしまってた連中から始まってたんだ。ソイツらが勝手にたくさんの噂話をバラ巻いていた。

実際はこうだ。ある日本人の女の子が、「ノットマン」のデザインを描いてくれた。その彼女が「ノットマン」にNYHCのロゴを加えた。そのTシャツもあったんだけど、その中で「ノットマン」は、NYHCのロゴが描かれた服を着ていて、そのデザインが商標登録されたんだ。俺たちはそれで金儲けしようとなんてしてない。それでいったいどうやって金が稼げるんだ? 連中は、俺たちがNYHCのロゴを奪おうとしてる、って勘違いしやがった。この件に関しては、忘れるようにした。この問題に首を突っ込みたくなかったんだ。

現在のニューヨーク・シーンでも、相変わらずハードコアとメタルのクロスオーバーについて様々な意見がありますし、問題も起きています。どう思いますか?

クロスオーバーがいろんな要素をひとつにして、新たなスタイルの音楽を生み出した。これは事実だ。実際、次世代のミュージシャンは、それから学ぶこともできた。一体、どれだけのバンドがクロスオーバーの影響を受けたんだ? どれくらいの音楽がクロスオーバーから派生したんだ? 結局、すべてうまくいっただろ。もちろん、クロスオーバーからの恩恵を受けたヤツも、そうでないヤツもいるだろう。でも改めて、当時のクロスオーバーを聴いてみると、長い年月が経ってるのに全く色褪せてない。CRO-MAGSと同じように、S.O.D.の作品もずっと聴かれ続けてる。AGNOSTIC FRONTの『Victim in Pain』もそう。俺は、未だにあのアルバムを聴き続けているし、暑くて、汗まみれになったバワリーの、CBGBの日曜日の記憶が蘇るんだ。