Image: Ship to Shore

インディアナ州ブルーミントン出身のMX-80 SOUNDは、70年代半ばの米国中西部バンドのなかでもかなり異色のグループだ。バンドを率いるのはギターのブルース・アンダーソン(Bruce Anderson)。彼らの音楽はジャンルにとらわれないアート・ロックで、掴みどころのないリフ、ふたりのドラマー、そしてヴォーカルのリッチ・スティム(Rich Stim)が書くぶっとんだ歌詞(プエルトリコの動物園にいった、などなど)など、安直なジャンル分けは不可能なバンドだ。

サウンドには、キャプテン・ビーフハート(Captain Beefheart)の影響、フリージャズの要素が感じられる。彼らは地元の公共図書館などでライブをしていた。中西部の学生街であり、比較的リベラルなブルーミントンのなかにあっても、MX-80 SOUNDはかなりイカれた音楽だと認識されていた。

1978年、バンドはサンフランシスコに拠点を移し、THE RESIDENTSの主宰する〈RALPH RECORDS〉から、セカンド及びサードアルバムをリリースした。1980年の『Out of the Tunnel』と1981年の『Crowd Control』である。長いあいだ廃盤であったが、ブルックリンを拠点とするレーベル〈SHIP TO SHORE PHONOGRAPH CO.〉より、ついに再発された。

MX-80 SOUNDが放つ不協和音、そしてザラついたヘヴィ・サウンドは、SONIC YOUTHやTHE SWANSに影響を与えたといわれている。

この再発を記念して、ヴォーカル/リズムギター/サックスのリッチ・スティムに話を訊いた。

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あなたとドラマーのデイヴ・マホーニー(Dave Mahoney)は、1976年にMX-80 SOUNDに加入しています。おふたりとも、その前はブルーミントンのCHINABOISEのメンバーでしたね。CHINABOISEとMX-80 SOUNDの違いはなんだったのでしょうか?

CHINABOISEはスタジオだけで活動するバンドだった。シーンでの存在感はなかったし、最初は私たちの心のなかだけに存在していたんだ。MX-80は実際にライブをするバンドで、当時の音楽シーンにルーツがあり、ロック、ジャズ、アヴァンギャルドを意識していた。ブルース・アンダーソンは〈ゴッド〉なんて呼ばれていてね。地元のスター的ギタリストで、追っかけもいたよ。

初期の頃は、図書館でライブをしていたのですね? モンロー郡立図書館でのライブはどんな感じでしたか?

図書館でのライブは非常に上品な雰囲気だったし、公共性を感じていた。なぜならオーディエンスは老若男女だったし、ドリンクの提供もなかった。ステージは立派だし、席の座り心地もいい。すばらしいヴェニューだったよ。オーディエンスにとっては印象的なライブだったんじゃないかな。一風変わっていたからね。私たちは礼儀正しかったけど、不思議な雰囲気を持っていた。ロックバンド然としていながら、同時代のポップミュージックとはなんの関係もないような音楽をやっていたからね。

Bruce Anderson. Image: Ship to Shore

再発された2枚のアルバムから、お気に入りの曲を教えてください。

『Out of the Tunnel』のなかでは「Someday You’ll Be King」が好きだ。私のヴォーカルも悪くないし、ブルースは前衛的な音楽だけに才能があるんじゃなく、当時の(あるいは全ての)ロック界、メタル界のギタリストと張りあえるという事実がこの曲で証明されている。再発盤に収録の「White Night」も好きだ。ベースのデール(・ソフィイア:Dale Sophiea)の歌声がとてもいい。

『Crowd Control』ではタイトル曲の「Crowd Control」が気に入ってる。ヴォーカルがなくて…自分の声がいつも好きってわけじゃないんだ。私はその代わりに「ヒュー!」と音が鳴るホイッスルを吹いてる。「Face of the Earth」も好きだね。すばらしい楽曲だ。あとはもちろん「Promise of Love」。

『Out of the Tunnel』の収録曲「Gary and Priscilla」のギャリーとプリシラって誰なんですか?

ギャリーはルーサー・ブルー(Luther Blue)というサンフランシスコのノースビーチでパンクロックファッションの店を経営していた伝説的な男のことだよ。その店にはセディショナリーズのアイテムやニューヨーク・パンクの服など、クールなモノがいろいろと置いてあった。だけど、ルーサーは店の商品を売らないことで有名だった。商品を持っていくと、「ああ、これは売り物じゃないんだ」と断られるんだ。その後、彼はバンドのマネージメントも始めた。MX-80のマネージメントもやりたがってたよ。そのあとはボトル入りの水を売るウォーターバーをオープンした。かなり時代を先取っていたね。プリシラはルーサーの相棒で、名前はトミー。トミーには人格がいくつかあって、そのうちのひとつが限られた語彙を繰り返す〈プリシラ〉というキャラクターだったんだ。その人格のときに、ルーサーを「ニンニク臭いギャリー(Gary Garlic-Breath)」と呼んだ。それがのちに「ギャリー」だけになった。私の妻のアンドレア(・ロス:Andrea Ross)が彼らふたりのやりとりをよく観察していて、それで歌詞にしたんだ。

サンフランシスコに移住したのはどうしてですか? 皆で決めたのでしょうか?

英国でのリリース契約の際にいわれたんだ。米国の大都市に拠点がないといけない、ロサンゼルスかニューヨークが理想的だ、とね。私はニューヨークがよかったんだけど、冷静に考えてみた。そのときは真冬で、何カ月も雪が降っている状態だった。アンドレアがサンフランシスコに行ってたから、帰ってきてから話を聞いたら、花も咲いてるというし、気温もちょうどよくてそっちのほうがいいな、と思ったんだ。まずアンドレアが先に行って、様子を報告してもらった。それから私も合流した。そして私たちはサンセット地区に家を買った。他のバンドメンバーもやってきて、住むところを見つけるまでウチで過ごしていた。皆で決めたんだけれど、すんなりと受け入れられないメンバーもいたよ。私は、ブルーミントンは好きだったけど、そこまで恋しくはならなかった。でも恋しがるメンバーはやっぱりいたね。まあ、今考えても、拠点を移してよかったと思うよ。

フランク・ザッパ(Frank Zappa)とキャプテン・ビーフハートからの影響は明らかですが、パンクはどうでした?

パンクは好きだったけど、MX-80としての影響を受けたか、というとそこまででもない。同時期に起こっていたムーブメント、という感じだった。確かにパンク精神が生み出した音楽的自由は、MX-80やPERE UBUのような、パンク以外の変わった音楽に派生した…あるいは許容されたといえるだろう。ザッパも、実際MX-80に影響を及ぼしたか、というとそうでもない。ただ、彼とは何にもしばられないアティチュード、自由な歌詞、奇妙な曲構成に対する偏愛を共有していたから、一緒に行動していた。ビーフハートの影響はすごく強いね。ブルースとデールが昔組んでいたバンドは、シンシナティのクラブ、ラドロウズ・ガレージ(Ludlow’s Garage)でビーフハートの前座を務めたんだけど、そのときのライブは最高だったし、忘れられない。THE MAGIC BANDは音源よりもライブで観るとさらにいいんだ。もしビーフハートの影響を受けていなかったら、MX-80はまた別のバンドになっていただろうね。

Rich Stim.Image: Ship to Shore

サンフランシスコでは、CRIMECHROMEといったバンドと共演しましたか?

CRIMEとやったかは覚えてないな。CHROMEとはボーディング・ハウス(Boarding House)でやったRALPH RECORDS主催のライブで共演したはずだけど、思い出せない。

RALPH RECORDSとの関係が終わってしまったのはなぜですか?

ケンカ別れではないよ。残念ながら終わってしまった。経済的な理由とアーティスティックな理由があった。彼らは契約を拡大しすぎたんだ。だからいったん引き締めて、THE RESIDENTSに集中しなきゃいけならなかった。でもすばらしいレーベルだったよ。僕らがそのいち員になれたのは幸運だったね。彼らはグローヴ・ストリートの444番地に最高のオフィス兼スタジオを所有していた。安っぽい売春婦が入り浸っているようなモーテルの向かいにあったんだ。

RALPH RECORDSとの関係が終わり、バンド名から〈SOUND〉をとって〈MX-80〉としたのはどうしてですか?

ブルースと…たぶんデールもだけど、バンド名のすわりが悪い、と短くしたがったんだ。それに再生を表現するためだったはずだよ。でも今はまた〈MX-80 SOUND〉にしている。そのせいでiTunesとか、他の音楽販売、配信サービスで、みんなを混乱させてるみたいだけどね。