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Photo by Tine Bek

ウェスト・ヴァージニア州出身でテキサス州育ち、今はイギリス・グラスゴーを拠点としているミュージシャン、ヘザー・リー・マレー(Heather Leigh Murray:ステージネームはヘザー・リー)。90年代から活動をスタートした彼女は、現在のアンダーグラウンドミュージックシーンに欠かせないアーティストだ。ソロ活動をメインとしながらも、ヒューストンのアヴァン・サイケバンドCHARALAMBIDESのメンバーでもあり、そのCHARALAMBIDESのクリスティーナ・カーター(Christina Cater)とは、デュオのSCORCESも結成。さらには、アヴァンギャルドロック界の生ける伝説ジャンデック(Jandek)のサポート・ベーシストとして、北アイルランドとオーストラリア・ツアーに同行。そのツアーは、長い間、正体不明のアーティストとして、数多の自主制作盤をリリースした時期から数十年を経た、ジャンデックの記念すべき初めてのツアーであった。他にも彼女は、フリー・ジャズ界の大御所ピーター・ブロッツマン(Peter Brötzmann)、SONIC YOUTHのサーストン・ムーア(Thurston Moore)、WOLF EYESのジョン・オルソン(John Olson)など、そうそうたる顔ぶれと共演し、作家/評論家/ミュージシャンであるデイヴィッド・キーナン(David Keenan)とは、レコードショップ兼ディストリビューター兼レーベルの「Volcanic Tongue」を共同経営。さらにはグラフィックアーティストとしても活動し、アコーディオン奏者/作曲家のポーリン・オリヴェロス(Pauline Oliveros)が設立した財団「Deep Listening Institute」のグラフィック・アートや、数々のアルバム・カバーも手がけている。

彼女が主に使用する楽器は、ペダル・スティール・ギター。その演奏技術は独学で習得したものであったが、電線を揺らす風の音、赤ん坊の泣き声、もしくは核の炎に包まれた世界の叫び…まで幅広く表現することができる。彼女は、「Volcanic Tongue」や、自身の「Wish Image」など、様々なインディペンデント・レーベルから、多くのCD、LP、カセットテープをリリースしているが、まずは最新作である『I Abused Animal』を聴いて欲しい。SUNN O)))のギタリストであるスティーヴン・オマリー(Stephen O’Malley)のレーベル「Ideologic Organ」からリリースされた『I Abused Animal』は、確実に彼女の新しい一面を披露した素晴らしい仕上がりだ。

同アルバムでマレーは、原始的な美しさに包まれたフォークソングを、主にペダル・スティールの伴奏で歌っている。オープニングを飾るアルバムタイトルの「I Abused Animal」はアカペラだが、荒れ果てたウェスト・ヴァージニア州の悲哀を強く感じさせ、その対極ともいえる黙示録的な「All That Heaven Allows」では、歪みまくったペダル・スティールが轟音を響かせている。これまでの作品以上に、楽曲からは生命が息吹いているのだ。

ペダル・スティール・ギターをプレイし始めるきっかけを教えてください。どこかでペダル・スティールの演奏を学んだのですか?

ペダル・スティールを弾き始める前、私は複数のプロジェクトに関わっていて、歌はもちろん、ベル、シンセサイザー、ギターなど、様々な楽器に触れていました。弓で弾くプサルテリーやハンマーダルシマーなど、自作の楽器も所有していました。その後、CHARALAMBIDESとSCORCESで、スライド・バーを使ってギターをプレイし始めたんですが、SCORCESのヒューストンのコンサートにスーザン・アルコーン(Susan Alcorn)が観に来ていたんです。彼女の作品はあまり知られていませんが、本当に彼女は素晴らしいペダル・スティール・ギタリストです。その彼女がコンサートの後、「あなたは、絶対にペダル・スティールを試してみるべき。今のあなたの演奏も、ペダル・スティールを使えば、もっともっと幅が出る」と勧めてくれました。彼女は、その日の私の演奏をとても気に入った様子で、「あなたにペダル・スティールをあげたい」といい、本当にプレゼントしてくれました! 私は、すぐにペダル・スティールにのめり込み、そしてチューニングも自分で編み出しました。ですから、私のプレイスタイルはいつも自己流です。「この楽器こそが私の楽器だ」と確信しましたし、私の表現力も格段に伸びました。音域の幅も本当に広く、超高音から超低音までカバーし、ハーモニクス、テクスチュアも奏でられます。さらに、ヴォーカルのような役割も果たしているので、それに合わせて歌うと楽器との一体感があるんです。ペダル・スティールは、私に絶え間なく新たな発見をさせてくれます。完璧に演奏をマスターするのは不可能だし、私もマスターしたくありません。ペダル・スティールの可能性は決して尽きませんから。

どのようなアンプやエフェクターを使っていますか?

私のセッティングはベーシックなものです。ボリューム・ペダル、アナログディレイ、ファズを1つずつ。ファズやディレイのサウンドに立体感を与えるBOSSのブルースドライバーも使っています。今後は、ワウペダルを使おうとも考えています。アンプは、大抵の場合、フェンダー・ツインリヴァーブかフェンダー・デラックスリヴァーブを使っています。あと、本当に薄っぺらい音だけれども、ワトキンズのWEMドミネーターも大好きなギターアンプですよ。そういえば、数年前のニュージーランド・ツアーで、少量生産のアンプや、自家製の見たこともないアンプに繋いだら、素晴らしい音がしました。いつの日か、どれか1つ、ニュージーランドから輸入したいですね。

最新アルバムは、スティーヴン・オマリーのIdeologic Organからリリースされましたが、そのいきさつを教えてください。

レコーディング中は、特定のレーベルを考えていたわけではありませんが、レコードが完成すると、「これは、スティーヴンに頼んでみるべきだ」と、ひらめいたんです。Ideologic OrganとEditions Megoなら、きちんとリリースしてくれるとわかっていましたし、スティーヴンもこの作品を本質的に理解してくれそうでしたから。そこで、彼にメールして、「レコーディングを終えたアルバムをDropboxで共有しました」と伝えたんです。そしたら、2、3時間も経たないうちに、「音源はたっぷり聴き込んだ。とても気に入った。ピーター(・リーバーグ:Peter Rehberg / Editions Megoのオーナー)に連絡してみる。結果はすぐに連絡するよ」とスティーヴンから返信がありました。さらに数時間後、「ピーターも君のアルバムをとても気に入ったみたいだ。うちのレーベルからリリースすることになったから、作品のカタログナンバーも記しておく」と連絡があったんです。最初のメールをしてからリリースが決定するまで、10時間もかかりませんでした。2人が強力かつ迅速に私のアルバムをサポートしてくれたのは、とても光栄です。彼らのレーベル、美学、仕事ぶり、情熱など、2人を本当にリスペクトしています。彼らが私の作品をとても気に入ってくれたので、リリースまでのプロセスは単純なものでした。彼らと一緒に仕事ができて本当に幸せです。

これまで相当数の作品をリリースをされていますが、今作は、今まで以上に注目を集めていますね。今作がきっかけとなり、他の作品も注目されるようになると思いますか?

はい、そうなるでしょうね。まずリスナーには、このアルバムを最初に聴いて欲しいんです。プレイするとき、私は常に即興スタイルを貫いていて…それを「自発的な音の組み合わせ」と私は呼んでいますが…、いつも曲は湧き出て、私はただ身を任せるだけだったんです。でも、『I Abused Animal』は、それ以前の作品と違い、作曲のプロセスを大きく変えてみました。独学で曲を書けるようになるまで、2、3年かかったんですが、その間、今作の収録曲をライヴでプレイして、曲に魂を吹き込んで、生命を宿らせ、呼吸をさせ、何度も変化させながらカタチにしました。また、本物のシンガーソングライターになるための努力も怠りませんでした。そして、その作曲方法が私のベースである即興スタイルとどうにかフィットしたんです。でも、私が大切にしてきた自発性に背いていませんし、自分を型にはめているわけでもありません。もちろん、ライヴでは、決して2度と同じようにはプレイしませんが、曲としての骨格をしっかり保ちつつ、曲自体が自由に変化できるような空間を設けてあげようと真剣に取り組みました。

あなたは現在スコットランドで暮らしていますが、あなたの音楽は、どの程度アパラチアン・フォークに影響されているのでしょうか?

私はウェスト・ヴァージニアで生まれ、テキサスで育ちましたが、夏はウェスト・ヴァージニアで過ごしていました。あそこには夏の思い出が沢山あります。とても可笑しな話がありますよ。私は家族に会うために、毎年ヒューストンに帰るんですが、以前、家族のクリスマスパーティーに参加しました。それは2005年、グラスゴーで私がジャンデックと初めて一緒にプレイしたのと同じ年で、なぜだかジャンデックがグラスゴーでのライヴDVDを持参し、うちのクリスマスパーティーに参加したんです。彼は、私の家族に、「俺たちが映っているDVDがある」といって、パーティーの最中に再生しました。クリスマスパーティーなのに、私がジャンデックと一緒にプレイしている映像をみんなが席について鑑賞していたんです。超シュールでしょう! 本当に呆気にとられましたね。でもウェスト・ヴァージニアから来ていたおばあちゃんは、私たちの音楽をすごく気に入ってくれました。「なんでアンタに音楽の才能があるか知ってるかい?」とおばあちゃんが私に質問してきました。私の「おばあちゃんのおばあちゃん」はチェロキー族です。私の家族にはネイティブアメリカンの血が流れています。だからでしょう、おばあちゃんは、私に2つ教えてくれました。まず、私のネイティブアメリカンとアパラチアンの血が音楽に生きている、と。もう1つは、彼女の故郷であるウェスト・ヴァージニアの文化だ、と。彼女自身はミュージシャンではなく、ただのウェスト・ヴァージニア育ちなのですが、私の音楽にはウェスト・ヴァージニアの文化が染み込んでいる、といってくれたんです。

あなたはジャンデックとの共演回数も多いですね。ほとんどの場合彼は、1回限りでメンバーを替えていますが、あなたは北アイルランドとオーストラリアでのツアーにも同行しています。どのようにして、彼との関係を深めたのですか?

彼と初めて一緒にプレイしたのは、2005年でした。私がペダル・スティールとヴォーカルを担当し、アラン・リヒト(Alan Licht)がギター、それに、スターリン(・スミス…Sterling Smith、ジャンデックの本名)がドラマーでした。彼から私への指示は、ペダル・スティールの音色と彼がいうところの「ヴォーカリーズ」が欲しいということ。ヴォーカリーズとは、本質的に歌詞がないヴォーカルです。それは、自らのプロジェクトで何度もやってきましたから、とても光栄でした。それからお互い連絡をとるようになり、彼とはテキサスで何度も会いました。それから、デイヴィッド・キーナンをドラマーに迎えて、私がベーシスト、スターリンがギターとヴォーカル、ときにはギターのみで、トリオとしてプレイするようになったんです。ベースをプレイして欲しい、と彼に頼まれたのは嬉しかったです。というのも、それまで私は、ベースをプレイしていなかったんですけど、私の音楽にとって、リズムはとても重要な要素だったからです。また、彼との間には友情も芽生えました。彼とは音楽以外の話をしたし、その話が音楽に反映されたりもしました。彼とは深い友情、強い音楽の絆で結ばれています。オーストラリアを回ったときは、燃え上がるように感情が高ぶって、ライヴ自体も情熱的なものとなりましたね。それは、とても力強い、激情的なロックで、バンドメンバーがいっ体になったんです。私自身は、このトリオをバンドと捉えていたけれど、敢えて私たちはバンドである、とは口にしませんでした。もちろん、そのツアーは、ジャンデックとしてのツアーでしたが、メンバーみんなが「これはバンドだ」と考えていました。そこには、私たちにしか鳴らせないサウンドを鳴らしている、と共通の理解がありました。

最後の質問です。ペダル・スティール・ギターはとても大きい楽器です。多くのミュージシャンが飛行機移動する際、航空会社に機材を傷つけられた、という話をよく耳にするのですが、やはり、ペダル・スティール・ギターと一緒に移動するのは、やはり大変ですか?

テキサスでペダル・スティール専用のフライトケースをつくったので、今は安心して移動できます。しかし、今のケースではペダル・スティールと併せると、預け荷物の重量リミット32kgを越えてしまうので、超過料金を支払っています。ですから、新しいケースをつくらないと。ペダル・スティールはすごく大きくてかさばるので、移動は面倒ですが、そのおかげで、私はタフになっています!