アフリカ大陸のヘヴィメタルは
自由を掴む音楽

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アフリカ大陸のヘヴィメタルは 自由を掴む音楽

世界に広がるメタルコミュニティ。バンガー・フィルムズによる『Global Metal』や、マーク・レビンの『Heavy Metal Islam』などでは、欧米以外のメタルカルチャーの普遍性が掘り下げられてきた。そして今回、エドワード・バンチスの新刊『Heavy Metal Africa』の主役は、もちろんアフリカのメタルバンドだ。

ヘヴィメタルファンに、「メタルシーンのどこが好きか?」と尋ねると、「異国であろうと、すぐにメタル言語を共有できる」…つまり、すぐにメタル仲間が出来ると回答されたことがある。実際、バンガー・フィルムズ(Banger Films)によるドキュメンタリー映画『Global Metal』や、マーク・レビン(Mark Levine)の書籍『Heavy Metal Islam』などでも、欧米以外のメタルカルチャーの普遍性が掘り下げられてきた。しかし、アフリカのメタルシーンは、ほぼ無視されてきたのが実情だ。しかし、エドワード・バンチス(Edward Banchs)の『Heavy Metal Africa』では、アフリカのメタルバンドの独自性と、世界中のヘヴィメタルファンとの共通性を見事に捉えている。

Word Association Publishers から出版されたこの本では、エドワード・バンチスが5年をかけて、南アフリカ、ボツワナ、ジンバブエ、モーリシャスなど、アフリカのサハラ砂漠以南や、幾つかの島々のメタルコミュニティを訪れ、各地のメタルシーンを調査した結果が綴られている。

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アフリカ大陸でもメタル人気が広まっているとはいえ、それは依然としてアンダーグラウンドであり、サブカルチャーそのものである。さらにアフリカのメタルファンは、メタルコア、スラッシュ系のメタルに惹かれる傾向がある事実も判明した。特にスラッシュは、「鬱憤を晴らしたい者たちが好むジャンルだ」とバンチスは語る。「アフリカのメタルバンドの多くが、目の前にある不平について訴えている」。そのような衝動や、「社会から自由になりたい」という願望に突き動かされ、彼らはメタルを演奏しているのだ。

「メタルは、アフリカの若者が欲するものすべてだ。それは、自分たちで見つけた、大事なアイデンティティであり、誰かに与えられたものではない」とバンチスはいう。彼によると、多くのアフリカのメタルファンは、自分たちに疎外感を与えるカルチャーに抵抗する方法としてメタルシーンを捉え、その虜になっているのだという。

バンチス自身は、ノースカロライナ州でプエルトリコ人の両親から生まれた。10代でメタルと出会い、成人するとアフリカに魅了され、最終的にロンドン大学でアフリカ研究の修士を取得した。その後、ワシントンD.C.で、アフリカ事情のロビイストとして様々なインターンを務める最中に、彼の内でメタルとアフリカが繋がった。

「何回かアフリカ大陸には旅行していたので、いくつかの国のメタル事情については知っていたが、他の国ではどうなのか、また、どのぐらいのメタルシーンがあるのか知りたくなった」とバンチス。そして、アフリカに戻りシーンを探ると、彼は、アフリカのメタルコミュニティの繁栄に度肝を抜かれた。

『Heavy Metal Africa』では、アフリカのメタルファンの献身ぶりを明らかにしている。マダガスカル島のメタルシーンからストーリーは始まるが、そこでは若いミュージシャンが文字通り「何もないところ」からメタルバンドをスタートさせていた。KAZARのドラマーを務めるララー(Lallar)は段ボールから、BALAFOMANGAのニュートン(Newton)はプラスチックのゴミから、ドラムキットをつくった。

マダガスカルのバンド、INOXのギタリストであるラガシー(Ragasy)は、1970年代にDEEP PURPLEやBLACK SABBATHに合わせてギターを弾き始めたが、1980年代半ばになっても、音源はもちろん、ギターさえ手に入れるのが困難だったと語っている。

もちろん、メタルTシャツなんて無い。「Tシャツのほとんどは勝手につくったり、密輸品が溢れるマーケットのブートTシャツだった。バンド名のスペルミス、まったく違うアルバムジャケットとかね。フロントにプリントされたジャケットとは別の歌詞がバックにプリントされていたり、そんなのは普通だった。でも、マダガスカルのメタルファンは、『そんなTシャツでも手に入るのはラッキー』と思っていたから、誰も気にしていなかった」とバンチスは書いている。

ブラックTシャツ、ブラックジーンズ、そしてスタッズ付きレザーという彼らのファッションのせいで、アフリカの多くのメタルバンドは、悪魔崇拝や魔術使い、といった濡れ衣を着せられている。南アフリカでは、1980年代に悪魔崇拝騒動が起こり、警察によって多くの若いメタルファンが取り調べを受けた、とバンチスは記している。当のバンチスも最近アフリカで、「笑みを浮かべる悪魔風の山羊」が描かれたDARKEST HOURのパーカーを着ていたため、ケニヤでは店からつまみだされ、マダガスカルではティーンエイジャーのグループに襲われたそうだ。

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しかし、当時の悪魔崇拝騒動は、逆に様々なところにメタルの種を蒔いたのも事実だ。元警察官で、演説家のジョン・シール (John Seale)は、アフリカの若者が避けるべきものとして、様々なメタルアルバムを紹介した。そして、自ら演奏もした。「彼はアフリカのメタルシーンに大きな貢献をした。彼は、これらの邪悪なバンドを見つけるために労を厭わなかったんだ!」と、GROINCHUMのクリスト・ベスター (Christo Bester)はバンチスに語っている。

悪魔崇拝で非難されるミュージシャンもいれば、社会問題を公にして問題視されたミュージシャンもいる。マダガスカルでは、BLACK WIZARDがバンドメンバーのナリー(Nary) が住む地域の極貧状態を描いた「Land of Doom」の動画をつくったのだが、これがテレビで放映されると、警察がネリーの家まで来て、国の貧困地域を公にした、と叱責したのだ。

長年にわたって、アフリカの国々は、独自のメタルの歴史を築き上げてきた。独創的なバンドが地域のメタルシーンをつくり、新しい世代がその伝統を受け継いでいる。一部の地域では、ヘヴィメタルがメインストリームとなっており、マダガスカルのAPOSTは、この世の終わりを歌ったシングル「Apokolipsy」をリリースしたが、この曲は他のバンドに何度もカバーされ、しばしばマダガスカルの結婚式で演奏されてもいるのだ。

しかし、南アフリカのような場所で、メタルは依然として完全なアンダーグラウンドであり、メタルファン自身もそれを望んでいる、とバンチスは語る。「アパルトヘイト後の南アフリカでは、手に入らないものが多かった。しかしそのおかげで、『自分でなんとかしよう』という本物のカルチャーが育った。サブカルチャーにはリアルな仲間意識がある」とは、OTAL CHAOSのジェイ・R (Jay R)の言葉だ。

欧米のメタルシーンと共に育ったファンにとって、アフリカのメタルは奇妙かもしれない。しかし、「メタルは究極的にアフリカのものだ」とBALAFOMANGAのニュートンは力説する。「私たちのロックミュージックはここで始まった。それはアメリカのカルチャーでもなければ、ヨーロッパのカルチャーでもない。私たちのカルチャーなのだ」