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ジャマイカ…それは、カリブ海の大アンティル諸島に位置する立憲君主制国家。首都はキングストン。イギリス連邦の加盟国です。北にキューバ、東にハイチとドミニカ共和国。イギリスの旧植民地だったこともあり公用語は英語。なので、南北のアメリカ大国及び近隣諸島の中では、米国、カナダに続いて三番目に英語を話す人が多いそうです。あー、それもあってジャマイカの音楽は、世界的にもポピュラーな存在になったんでしょうねぇ。

もちろんその音楽と言えばレゲエ。その名を知らない人なんて、幼稚園の坊やくらいじゃなかしら。その存在と影響力は計り知れないものがあります。ただ最初に断っておきますが、この第一回目ではレゲエまで辿りつきません。申し訳ありません。ただその「レゲエ前夜」こそが本当にヤバイ。グ~ッと来る。ここから広がって行くシーンの礎をぜひ頭に叩き込んでくださいませ。

さて1950年代までのジャマイカでは、メントと呼ばれるフォーク・ミュージックがポピュラーな存在でした。カリプソとして日本でも大ヒットしたハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」(♫ヒデーオ、ヒデーオ、野茂が投ぁ~げればダイジョウブ~♫ …でおなじみの野茂投手応援歌の元ネタ!)も原曲はこのメントなのです。

同時にアメリカのラジオから流れるR&Bやジャズ、ビーバップの音が、メキシコ湾を越え、キューバを越え、せっせとジャマイカに到達。秋田県くらいの大きさしかないので、その影響は一気に広まります。更に第二次世界大戦後のアメリカ軍駐留から生まれた軍事放送の存在もデカかった。いやぁ~やっぱ電波の力ってすごいですね。インターネットも真っ青ですね。

そんな音楽に恵まれた環境のジャマイカでしたが、やはりステレオやらレコードやらを国民全員が持っていたわけではありません。そこで貧しいジャマイカの現実が産み出した最強で最高のアイデアこそが「サウンド・システム」。元々はレストランとかバーのオーナーが、店先に機材を持ち出し、ジャズやらR&Bやらをかけていたのが始まり。それが発展して、ジャマイカの市民にとっては欠かせない娯楽・交流場所になり、至るところでサウンド・システムが生まれました。

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有名なのは、トム・ウォンによる「トム・ザ・グレート・セバスチャン」、ケネス・デービー&レイトン・ジェフの「マット&ジェフ・サウンド・システム」、コクソン・ドッドの「サー・コクソン・ザ・ダウンビート」、デューク・リードの「デューク・リードズ・トロージャン」、キング・エドワーズの「キング・エドワーズ・ザ・ジャイアント」あたり。力道山に食い入る街頭テレビみたいな感じかしら。ちょっと違うか。

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マット&ジェフ・サウンド・システム

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サー・コクソン・ザ・ダウンビート

更に政府から許可が下りて、民営のラジオ放送局も開局。そしてジャマイカのオリジナル・ミュージシャンも登場して来るのですが、その理由はサウンド・システムが乱立したことによって、それぞれの個性が出にくくなったことから。既に現在のクラブのように商売となっていたサウンド・システムは、独自のカラーを打ち出してお客を呼ばなくてはならない。でもアメリカ産の音楽ばかりに頼っていたら、どの店も同じになってしまう…そうだ!オリジナルの音楽を作ってしまおう!オリジナル・アーティストを育てなきゃでしょ!!…そこでサウンド・システムのオーナーは、レコード・レーベルやスタジオ経営をスタート。コクソン・ドッドはスタジオ・ワンを、デューク・リードはトレジャー・アイル/トロージャンを…ってな感じです。

これにより、これまでほとんどアメリカ産の音楽に溢れていたサウンド・システムは、ジャマイカ産のR&Bやジャズを流し始めます。そして1962年のイギリス連邦の加盟国としてジャマイカは独立。それと前後して、オリジナル・ジャマイカン・ミュージックも誕生。そう、スカが生まれたのです。スカは、カリプソ、メントなどのジャマイカ音楽をベースに、ジャズやR&Bなどを融合させ、独自に解釈したもの。これを機にサウンド・システム及びレーベルの争いが一気に加速。ライバル関係のデューク・リードとコクソン・ドッドを中心として、更にジャマイカのシーンは充実していくのです。

Guns Of Navarone – The Skatalites

しかし、オリジナルの音を流せるようになったサウンド・システムでしたが、そうそう何枚も何種類ものレコードを作る余裕はありません。そこで登場するのがダブ・プレート。通常のレコードは塩化ヴィニールで出来ているのですが、このダブ・プレートはアセテートで作られたもの。だから製造費が安かったんですね。更に「一枚から納品可能!」なもんだから、みんな気軽に作ってサウンド・システムに乗っけていたわけです。そしてそんな気軽さは、盤の中身にも。単に自分のサウンド・システム名を連呼しているものや、ライバル・サウンド・システム店の悪口を言ってるもの、更にカラオケにしてアドリブでマイク・パフォーマンスをしてみたり。ダブ・プレートを使って、己のカラーをぶちまけていたんですね。

また、サウンド・システムとダブ・プレートの登場によって、素敵なイベントも発明されました。その名も「サウンド・クラッシュ」。サウンド・システム同士が、ダブ・プレートやレコードを交互にかけて勝負を競うという正にDJバトルの超元祖。自身のシステムをパワーアップさせ、最高の曲をかけるのが勝利への一番の近道なんだけれど、何がなんでも勝ちたいばっかりに、向こうチームに石を投げるわ、相手の機材ケーブルをブッタ切るわ、スピーカーをぶっ壊すわ、グーパンチするわ、終いには銃を撃ち込む…なんて野蛮なチームも。特にデューク・リードの子分たちは相当悪かったそうです。怖いけど、なんか笑えますね…。ちなみにこのサウンド・クラッシュは、超進化して現在も各地で開催されております。

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デューク・リードズ・トロージャン

ちなみにサウンド・システムは、1967年にジャマイカからニューヨーク・ブロンクスへ移住したクール・ハークによって伝えられ、ヒップホップ音楽の誕生にも大きな影響を与えましたよ。

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クール・ハークのブロック・パーティー

さて、ココでお勉強を。このジャマイカDJシーンを語る上で大切なポイントがありますので、覚えてくださいね。通常は…

MC→喋る人。ラップする人。
DJ→曲をかける人。

…なんですが、ジャマイカでは

MC→曲の説明をしたり、場を盛り上げたりする人。
セレクター→曲をかける人。

…となります。ジャマイカでのDJは「ディージェイ(Dee Jay)」と表記され、いわゆる通常のMCのように、曲にヴォーカルを付けたり、合わせてラップしたりするトースティングのことを言うのです。お間違えのないように。

さて、隆盛を極めたスカですが、1966年頃になるとその人気にも陰りが。そこに変わって登場したのがロックステディ。スカよりもゆったりとしたリズム、メロディアスでソフトなサウンドが特徴。アルトン・エリス、ヘプトーンズ、パラゴンズなどがヒットします。更にこの時期になると、「ヴァージョン」と呼ばれるこれまた最強の武器が発明されます。今では当たり前の「なんちゃらヴァージョン」ですが、これもジャマイカが産み出したんですね。ヴォーカルを除いたリズムの「ヴァージョン」なのですが、「リディム(ジャマイカ英語が変化したリズムの意)に乗る」ことによって、別のヴォーカル・スタイルを入れることが出来る、別のギターを入れることが出来る、別の楽器を入れることが出来る…要するにリサイクルして、違うメロディーの別の曲を生み出すシステムが始まったのです。これによりジャマイカのシングル盤のB面には、A面の曲のヴァージョンを入れることが大流行。サウンド・システムでもディージェイにとって無くてはならないものになったのです。

Larry Marshall – Throw Me Corn + Version

ただロックステディも短命に終わります。しかしそれと入れ替わるように遂に登場したのがレゲエ。1968年のことです。そしていよいよレゲエ・ディージェイのU・ロイ、キング・タビーが開発したダブ…と続きますが、今回はここまで。…それにしてもサウンド・システム、ダブ・プレート、ヴァージョン、トースティング、サウンド・クラッシュ…と、現在のDJシーンの源が、こんな小さな島国からスタートしたことに改めて驚かされてしまいますね。次回ももっと驚くゾ!!