Images: Geoffrey Weiss/Light in the Attic press center

この間、恋人とふたりで〈YouTubeにある最もヒドい曲対決〉をした。DUNE RATSのビデオをあれこれ、セッション・シリーズ〈LIKE A VIRGIN〉の魂のこもっていないカバーをあれこれ、そしてタシュ・スルタナ(Tash Sultana)がMGMTの「Electric Feel」を台無しにするのを確認したあと、私の恋人は勝負に打って出た。彼が次に流したのは、THE SHAGGSの「My Pal Foot Foot」だった。

そこには、こんがらがったドラムと挙動不審な安っぽいギターのメロディ、そしてとんでもなくぎこちないボーカルが、狂気の沙汰ともいうべき不協和音を放っていた。ベースが無かったのが不幸中の幸いだったかもしれない。音程は外れに外れ、ガチャガチャに掻き鳴らされ、ニューイングランド訛りの不自然な声で、〈フットフット〉と、行方不明になったネコの名を呼んでいる。そういう曲だった。

モノクロの静止画に写っていたのは3人の少女だった。全員が前髪を厚く垂らし、長くウェーブのかかった髪で奇妙な笑みを浮かべ、こちらをじっと見つめていた。気味が悪かった。野暮ったいカルトな匂いがした。人を不安にさせるその笑みに、私は部屋を出て自分の〈存在〉について考えたくなった。

ドロシー(Dorothy)、ベティ(Betty)、ヘレン(Helen)のウィギン(Wiggin)3姉妹は、ニューハンプシャー州の小さな町、フリモント出身。1968年に父親のオースティン・ウィギン(Austin Wiggin)の命令により、音楽活動を始めた。しかし、彼女たちが注目を集めるようになったのは、それから10年ほど先。どんな程度であれ、彼女たちが注目を集めたという事実に、私は驚愕した。THE SHAGGSは、次世代の音楽ムーブメントの新しいビジョンを持っていたわけではなく、ただの未熟な若い女の子たちだった。特に私が最も困惑したのは、どんなに未熟で、才能のない10代のバンドメンバーだったとしても、「リズムは理解できるでしょ」ってところ。「My Pal Foot Foot」には、それが完全に欠けていた。私は、耳を守るために、どうかビデオを止めてくれ、と恋人に頼んだ。

それは史上最低バンドによる史上最低の曲だった。バンドにはまとまりがなく、歌詞は不条理主義といい子ぶりっ子の明るさに溢れていた。すべてが変だった。1969年にリリースされた彼女たちのファーストアルバム『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド(Philosophy of the World)』に収録された他の曲も同じようなものだった。

しかし、WILCOがキュレーターを務める〈Solid Sound Festival 2017〉で、結成から50年近いときを経たTHE SHAGGSが再結成すると知り、改めて『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』を頭から終わりまで聴いてみた。すると奇妙な感覚に陥った。聴けば聴くほど不協和音はまとまりを持ち始め、あっという間に私の脳は下手なギターとよろよろしたドラムを整理し、その意味を理解しようと頑張り始めたのだ。私はTHE SHAGGSが好きになっていた。

彼女たちを〈史上最高の最低バンド〉だと考えている人は多い。フランク・ザッパ(Frank Zappa)は、「THE BEATLESよりも彼女たちは優れている」といっていたし、NIRVANAのカート・コバーン(Kurt Cobain)は、マイベスト・アルバムの第5位に、『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』を挙げている。更に、『Rolling Stone』や『CREEM』誌に執筆していた評論家で、〈パンク〉という概念を始めて用いたといわれるレスター・バングス(Lester Bangs)も、〈ロック史における重要バンドのひとつ〉と発言している。

Image: Dot Wiggin

しかし、バンドの不可解さと、百万にひとつの幸運で名声を得た事実を考えれば、THE SHAGGSを好きになるというのは、単に変わったものを愛でようとする行為かもしれない。私もそれを自問してみた。THE SHAGGSのボーカル兼作曲担当のドロシーでさえ、「みんながTHE SHAGGSの虜になるのは、私たちの物語が理由であって、音楽が理由ではない」と言明している。

確かにすごい物語である。祖母の手相占いから、マネージャーを務める厳しい父親の存在、そして12年経ってから突然沸いた名声などなど。それがTHE SHAGGS物語。小さな町の姉妹たちの物語なのだ。

オースティン・ウィギンの母親は、手相占いで息子に3つの予言をしていた。そしてオースティンも、既にそのうちのふたつを実現済みだった。ひとつは、髪の色がストロベリーブロンドの女と結婚するという予言。もうひとつは、母親の死後にふたりの息子に恵まれるという予言。ここまで当たっていた。そして3つ目こそ、孫娘(オースティンの娘)たちがいつかポップスグループを結成、という予言だった。そこでオースティンは試した。彼は娘たちを学校から連れ出し、朝から晩まで練習させ、アルバムをレコーディングし、土曜の夜には、地元の公会堂で演奏させていた。

その父親が死ぬと、姉妹はすぐにバンドを解散した。THE SHAGGSはこの世からなくなった。しかし1980年、NRBQのテリー・アダムス(Terry Adams)とトム・アルドリーノ(Tom Ardolino)が、超偶然に『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』を発見してしまう。もちろんふたりは圧倒された。彼らは自身のレーベルから同アルバムを再発し、音楽業界はTHE SHAGGSの話で持ち切りになった。彼女たちの物語は、アカデミー賞を狙う映画の題材にぴったりだった。(実際、数年前にハリウッドで伝記映画化の企画があった)

彼女たちの曲からは、父親の強制力が聴こえてくる、というリスナーもいる。ひたむきな演奏から分かるように、父親が大きな影響力を持っていた事実は間違いないだろう。 彼女たちの音楽には、痛ましさと身動きのとれない居心地の悪さのようなものがあり、耳障りな歌声のあいだには、恐るべき物語が隠されている、と大勢が指摘する。特に〈Who Are Parents?〉のような曲がそうだ。聞かん坊たちの目の前で、親が人差し指を振っているかのような歌だ。

忘れてはダメ
親はいつでもわかってくれる
親はこころから心配してくれる

張り詰めた不気味な声はそう歌っている。

しかしドロシー自身は、こいった解釈を否定している。彼女の不器用でナイーブな歌詞は、助けを求める声ではないと『Rolling Stone』のインタビューで語っているのだ。「いつも両親を敬っていた」「敬意を払わず、親に大変な思いをさせる子供が大勢いたから、彼らにメッセージを送って、理解させようとしていた」というのだ。では、「権威主義的な父親の恐怖から救ってほしい」という秘めた悲しい願いや、恐ろしい物語が彼女たちの曲に込められていないとするならば、THE SHAGGSの魅力はどこにあるのだろうか?

それはやはり音楽だ。確かに彼女たちの物語を取り去り、音楽だけに集中しても魅力は変わらないかどうかを判断するのは難しい。しかし、それをいうなら世の中には『メタル・マシーン・ミュージック(Metal Machine Music)』を心から楽しんで聴く人たちもいる。『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』は、『メタル・マシーン・ミュージック』の奇怪さに比べればかなりわかりやすい。THE SHAGGSには、意図したものではないアヴァンギャルド〜実験音楽的性質が間違いなくあり、それは、オーネット・コールマン(Ornette Coleman)のフリージャズと比べられたりもする。更にいうならば、一般的な見方に反し、姉妹は自分たちの音楽を理解していたようだ。

彼女たちは、偶然の天才、評される。どう深読みしても、パンク・ソングの先駆けを創ろうとしていたわけではない。彼女たちは、常識的なポップスをつくろうとしていた。しかし、それを真似する知識も、スキルもない彼女たちは、不自然なアレンジを施すしかなかった。ピアニスト、ヴィブラフォニストであり、ドロシーによるDOT WIGGIN BANDのメンバーでもあるブリッタニー・アンジュー(Brittany Anjou)は、こう語っている。「THE SHAGGSのメロディは、ペンタトニックスケールなんだけど、そこから9度、4度に外れていく。彼女たちは、同じキーにある5つの音を使っているつもりで、完全にルールを度外視してしまっていた」。やはり偶然の天才だ。そしてこれこそが、物語とは関係のないTHE SHAGGSの魅力なのだ。

でも最終的に私が、THE SHAGGSの完全な支持派になったのは別の理由からである。それは不協和音の中で彼女たちが持っていた子供ならではの純粋さと、それを保つ力だ。父親からバンド結成を強制されたとき、彼女たちはとても若かった。THE SHAGGSの曲からは、彼女たちが依然として健全であり、放り込まれた音楽の世界に対し、相当準備不足であったのがわかる。『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』で彼女たちは、「どうしてこの世界で、誰も喜ばせられないのか」と歌っている。ひねくれた意見のようだが、それが、あの騒々しくてたどたどしい楽器の音に包み込まれると、心がこもっているように聴こえてしまうのだ。

オースティン・ウィギンは、アルバムのライナーノーツで、音楽に対するバンドのユニークなアプロアーチと、調子外れの混乱の背後にある詩的な理由について語っている。訳の分からないドラムのフィルインと、不気味で無感情のボーカルは、彼にとっては不快ではなく、むしろロマンチックなのだ。

「娘たちは、他とまったく違う、唯一無二の音楽を奏でている。彼女たちは、自分たちの音楽を信じ、それを実践している。バンドの音楽は彼女たちのいち部であり、彼女たちはバンドの音楽のいち部なんだ。今、世界中のバンドが演ろうとしている音楽を、実際に再現しているのは、恐らくTHE SHAGGSだけだ。つまり、こころから信じ、感じたままに演奏しているんだ」。あんまり認めたくはないが、彼の発言は、ほぼ当たっているだろう。

THE SHAGGSは、間違いなく忘れられないバンドである。忘れるにはあまりにも奇妙だ。そして、何といっても彼女たちはすごく純粋だ。それは、彼女たちの曲と人生の両方からわかる。確かにヘレンは何の理由もなくドラムをたたいているかもしれないし、ベティとドロシーが弾くギターは、たどたどしいかもしれない。しかし、彼女たちにはもっとうまくなりたいという願望と、コンサートで缶を投げつけてくる地元高校の生徒たちに好かれたいという願望があった。彼女たちはHERMAN’S HERMITSになりたかったがなれなかったのだ。だから彼女たちは、くたびれた童謡みたいな曲、メッセージ性の強いを寓話のような曲、そして奇妙なクリスチャンソングをつくった。それしか知らなかったからだ。

THE SHAGGSは史上最高のバンドではない。最高のバンドは目的を持ち、自ら創る作品について熟慮している。確かに彼女たちは、そんなバンドではなかったが、間違いなく、音楽的にも聴くに値するバンドである。彼女たちには、意図的ではない二重性がある。混沌と静けさ、無秩序と美。私が知る限り、THE SHAGGSというバンドを正確に表現できるのは、やはり父親だけだ。

「彼女たちが純粋なのは確かなのだから、彼女たちを認めるべきだ。これ以上何を望むというのだ?」