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Ian MacKaye, Minor Threat

もうずっと昔の学生の頃のこと。友達とドライブしてました。カーステレオから流れて来たのは、なんともかんともなロックっちゅーか、なんちゅーか。ちょっとヴィジュアルっぽい感じの速いヤツ。

「なにコレ?」

「え?オマエ、マジで知らねーの?エラそうにSONIC YOUTHとか聞いてんだろ」

それはDAG NASTYでした。そしてそれがハードコアだと聞かされ、ガラガラとハードコアの概念君が崩れ去ったのでした。ダサイと思いました。

しかしそれが「超カッチョいい!」に変わるまでに、それほど時間はかかりませんでしたね。やっぱFUGAZIはデカかった。ニューウェイヴでもゴスでもジャンクでもない。ヌルヌルなのにめちゃソリッドなグルーヴ音楽。THE CLASH先生よりもDISCHARGE先生よりも、もっと身近で説得力溢れる若手先生。パンク、そしてハードコアってものは、ライフスタイルだってことを学んだのです。

ヤングなみなさんに押し付ける気持ちは毛頭ございませんが、とりあえずココに掲載する写真を見て頂きたいナー。頑固な坊さんみたいなのや汗ドロドロ・ゴリラみたいのが頑張ってる姿を見てもらいたいナー。んでもって、ちょっとでも興味が沸いたら音にトライすることをおすすめします。

―トライ先生より。

 

70年代の終わりから80年代初めにかけて、ワシントンDCのあらゆる場所でパンク革命が起こっていた。そんな中、ジム・サーは、スラムダンサーにブン殴られずに、床のゲロを躱しながら、BAD BRAINS、MINOR THREAT、S.O.A.、西海岸のBLACK FLAGを最前線で撮影していた。

サーの写真は、DCハードコアシーンについてのドキュメンタリー映画「Salad Days」にも納められている。このドキュメンタリーを通じて、MINOR THREAT/FUGAZIのイアン・マッケイに、52歳になった今もまだストレート・エッジをからかうイタズラ電話があること、彼の弟アレック・マッケイがサーストン・ムーアの足に向かって嘔吐した…などの逸話を知ることが出来る。

当時、サーが目撃した、アメリカで一番エネルギッシュだったハードコア・サブカルチャーについて聞いてみた。

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Void

DCのハードコアシーンを撮影するようになったきっかけを教えてください。

僕が16歳だった1980年にパンクと出会ったんだ。そして、その音楽を創っている人たちが、すぐそばのワシントンDCにいると知った。それでその人たちを求めて出来る限り多くのショーに出かけるようになったんだ。そこがスタートだよ。

当時はどんな雰囲気でしたか?

ありとあらゆる奇妙なところでライヴは行われたよ。チャイニーズ・レストランの裏部屋とか、潰れたショップとかでね。日曜の午後に行われるハードコア・マチネも素晴らしかった。そこにあるコミュニティ意識と力強いエネルギーに、僕はすっかり夢中になったよ。

パンクを嫌う人がまだたくさんいた中、パンクスとして街を歩き回るのは、どんな感じでしたか?

「Salad Days」では、レッドネックと呼ばれる奴らが車から飛び出してきて、パンクス狩りをしてたことが語られる。そして多くのパンクスたちも、それに応酬していたんだ。彼らは生まれながらのファイターではなかった。この映画の中でヘンリー・ロリンズも「僕はファイターではない。私立学校に通ったし、アメリカ北西部の郊外で育った。でも、そのうちに人の殴り方を学んでいったんだよ」とコメントしている。でも彼らは攻撃を覚え、グループで行動するようになったのさ。ショーで人がケンカをするのはしょっちゅうだったよ。

DCのパンクシーンはストレート・エッジの誕生の場として知られていますが、アルコールやドラッグは?

あった。DCはストレート・エッジで知られているから誤解されているが、酔っぱらってショーに来る人や、マリファナをやっている人もたくさんいたよ。

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Faith

ストレート・エッジは少数派だったのでしょうか?

たしかに少数派だったね。

床に座ってバンドを見ている人々のショットが出てきますが、この光景はFUGAZIのライブではふつうだったのですか。

うん、そうだね。でもたぶんその写真は、バンドの転換時に撮られたものではないかと思う。FUGAZIは、ショーの最中に観客が暴れだしたら「落ち着け!!」って怒鳴ってた。FUGAZIのショーにダンスはつきものだったからね。RITES OF SPRINGなんかは意図的に暴力を避けてたけど、それ以外は観客がじっとしていることはなかったよ。人が暴れないように朝早い時間…例えばカフェのFood For Thoughtとかでライヴをやったりね。初期にはそんな状況は見られなかったんだけど。

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Ian MacKaye, Minor Threat

イアン・マッケイが観客に説教するシーンが出てきますが、こんな風に曲をストップさせることは頻繁にあったのでしょうか?

MINOR THREATのショーでは決して無かったね。でもFUGAZIでは結構あった。二回に一回はそんな感じだったんじゃないかな。1990年だったと思うけど、ギー(・ピチョット:FUGAZIのギタリスト)がスラムダンスにマジで辟易してね。ショーをストップして、みんなの頭を殴りまくっている男を掴み、「座れよ!頭を殴りたいなら、ステージに上がって俺の頭を殴れ!」と言ったんだ。

ショーが途中で終わってしまうことなどあったのでしょうか?

たいていはそのまま続いたよ。ストップして、観客に向かって怒鳴って、またすぐ再開する感じだね。完全にリズムが壊れてしまうことはなかった。

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Ian MacKaye looking on at a Dead Kennedys show

イアンは、あなたが撮影したDEAD KENNEDYSの写真にも出てきます。男が首根っこを掴まれて舌を出しているのを、イアンは後方から心配そうに見ていますが、彼はショーにおけるセキュリティーみたいな存在だったのでしょうか?

いやいや、単なるファンだったと思うよ。自分のショーでないかぎり、イアンが警備員のような行動をとったり、「あれをやるな、これをやるな」と命令することはなかった。ただ、舞台の袖で見ていただけだよ。彼のショーならそういうこともあったかもしれないけれどね。

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Guy Picciotto, Fugazi

有名なギーの写真について語っていただけますか?舞台で脚を広げているヤツです。

あれは9:30クラブでショーをやった時のものだ。彼が転がり出して、いろんなものから落ちたりして、痛そうで心配だったよ。ドラムに飛び込んだり、ぶつかったり、ギターの弦を引き抜いたりね。あの写真の彼、ケガはしてなかっただろうけど、相当疲れてたと思う。マイクのスタンドやら、いろんなものが床に転がっていたね。あの写真が『Repeater』のジャケになったんだけど、ギーは「俺のケツがカバーになっているぞ」と人に言っては笑ってたよ。ちょっと恥ずかしかったのかもしれないね。

メンバーが『Repeater』に使いたいとあなたに言ってきたのですか?

うん。彼らが写真を選んだ。僕はあまりにもたくさんのショーを撮影してたから、その度に写真を彼らに送っていたんだよ。そしてカート・サエンガがデザインをした。彼も僕もファンジンに携わっていたからね。

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Black Flag

あとは汗だくになったヘンリー・ロリンズのショートパンツ姿。とっても印象的ですね。ロリンズやBLACK FLAGを撮影するのはエキサイティングでしたか?

彼の撮影はいつも強烈な体験だったよ。僕がショーに通い始めた頃、彼はもうBLACK FLAGに参加するためにDCを離れていたので、彼が帰って来る度に観に行ってた。当時の彼は本当に強烈なキャラで、例えばファンジンでインタビューした時も、彼はずっと僕を睨みつけているんだ。特に彼と親しいわけではなかったからなのか、警戒していたのか、彼はビリヤードボールを握りしめてずっと睨んでるんだ。

そしてショーが始まると全開になる。ショーツも汗でどっぷりと濡れて、観客の中に寝そべりだす。とにかく理屈抜きなんだよ。汗と唾とうるさい音楽が混じり合ってね。ものすごく強烈だった。

DC育ちはヘンリーだけだったにも関わらず、BLACK FLAGはDCシーンにもピッタリとハマっていたようですね。

そうだね。彼はS.O.A.など、いくつかのDCのバンドに所属していた。BLACK FLAGはDCのバンドだと思っている人もいるかもしれないけど、彼はBLACK FLAGに参加するためにロサンゼルスに引っ越したんだ。

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Henry Rollins, Black Flag

80年代後半からシーンが衰退してしまったのはなぜだと思いますか?

MINOR THREATの解散だね。僕のお気に入りのバンドだった。あとFAITHもね。80年代前半に僕が夢中だったバンドのほとんどは解散してしまった。そして次にRITES OF SPRINGやBEEFEATERなど新しいバンドがいくつか出てきて、“レボリューション・サマーの時代”になったんだ。レボリューション・サマーには、人々がシーンを自分たちのものとして取り戻す意味があったと思う。彼らは、みんなを殴りまくるような変人のいない、少人数の観客を相手に演奏することを好んだ。それは構わないと僕は思ったよ。これらのバンドは、静かにひっそりと演奏したがったんだ。でもそれは長続きしなかった。RITES OF SPRINGは9ヶ月くらいしか続かず、HAPPY GOLICKY、BEEFEATERは、解散後にレコードが出たくらいだからね。

ショーの多くは政治的なメッセージを持っていたにも関わらず、それらのバンドのほとんどは、政治的運動を宣伝することにあまり積極的ではなかったようですが。

いや、そうでもなかったよ。(MINOR THREATの)ブライアン・ベイカーをはじめとする人たちは、運動もしていたし、政治に関心が深かったと思う。でもその風潮がショーを牽引するようになってしまい、そのうちDCで行われるすべてのショーが、地元のポジティブ・フォースの為のショーみたいになってしまったんだ。そして政治に関心が深く、アパルトヘイト反対運動や、彼らの行ったパーカッション抗議に参加した人たちも出て来た。一方、政治なんか関係なく、ただ音楽を聴きたいと思っている人たちもいた。つまり二つのグループがあったんだ。ポジティブ・フォースに関わっている若い人たちのグループと、ただそのバンドの音楽が聴きたいだけで、「しゃべるのはやめて、バンドの演奏だけ聴かせてくれたらいいのに」と思っているグループさ。

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Bruce Hellington, 9353

(SONIC YOUTHの)サーストン・ムーアは、「若者がセックスをすると、シーンは確実に変わる」と言っていますが、どう思いますか?

彼が使った「pre-sexual」って言葉は面白いよね。個人的なことなんだけど、84年と85年に僕があまりショーに行かなかったのは、その頃ステディなガールフレンドが出来たからなんだ。彼の発言に「正にその通り。セックスをするようになって僕の状況は変わった」と、頷いたものさ。パンクロックもいいけど、もうひとつのこともなかなか素敵だ、と(笑)。

それまでにあまり無かった女性についての曲もポスト・ハードコア~エモーショナル・ハードコアから生まれましたね。それもガールフレンドの影響からだと?

その通り。シーンは音楽を変えたね。自分が感じることを歌にするようになったのさ。年を取っていく上で、それは自然なことと言える。誰かと交際することは、大きく関わっていると思うよ。サーストンが言ったことは本当だと思う。言い得ているね。

MINOR THREAT、BAD BRAINS、FUGAZIなど、象徴的なバンドをすべて撮影しましたけれど、どのバンドから一番多くを得ました?

初期の頃はMINOR THREATを撮影するのが大好きだった。バンドも観客も完全に盛り上がっていたからね。でも、僕が一番夢中になって撮影したのはFUGAZIだ。僕は数えきれないほど彼らを撮影した。彼らの写真は数千枚もある。そして僕は決して飽きなかった。なぜなら彼らはいつも違っていた。同じセットリストなんてなかった。彼らには決まり事なんていっさいなかったんだ。