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All photos courtesy of Darien Bruze

「ヒップホップ・ビジネスは本当に面白い」
「今日すごく気に入られたとしても、明日殺される」

ニューオリンズのラップのレジェンドは、マグノリア・プロジェクツの跡地で写真を撮影した後、電話口でそう語った。かつて米国内で最も悪評高く、最も危険だった公共アパートは、既に存在しない。ハリケーン・カトリーナによって崩壊し、更に付近は再開発も進んだ。しかし、ジュヴィナイルが生活したアパートだけは現存しており、彼の代表的な《Ha》のミュージック・ビデオでも確認できる。

ジュヴィナイル(Juvenile)は健在だ。90年代にN.O. Bounceが広まったのは、彼がDJ JIMIとリリースした《Bounce For the Juvenile》によるところが大きいのは周知の事実。そして90年代中盤になると、彼はニューオリンズのスターとなり、ソロ・アーティストとしても、ターク(Turk)、B.G.、リル・ウェイン(Lil Wayne)と共に活動したHOT BOYSのメンバーとしても、Cash Money Recordsに欠かせない稼ぎ頭となった。彼のアルバム『400 Degreez』(1998)には、鋭いフローとマニー•フレッシュ(Mannie Fresh)による魔法の最強ビートが溢れおり、今聴いても色褪せていない驚異的な作品だ。また、先にも述べた通り、ヒットシングル《Ha》のビデオでは、マグノリア・プロジェクツの日々をアーティスティックに表現。その評判は瞬く間に広まり、国民の関心をニューオリンズに向けた。しかし、2000年代初頭になると、Cash Money Recordsの悪名高いオーナー、バードマン(Birdman)のセコさに嫌気がさし、ジュヴィナイルはレーベルを離れる。Cash Moneyでの成功作に匹敵するアルバムをリリースするため、孤軍奮闘したジュヴィナイルだが、結局は失敗に終わり、2014年には同レーベルと再契約している。

ここ数年ヒットを飛ばしていないからといって、ジュヴィナイルはマイクを前に躓いているわけではない。現在の彼は、共演相手を片っ端から確実に打ちのめしている。《Ainchu》のフューチャー(Future)も、《100 Grand》のアイアムスー!(Iamusu!)も、更にはマイク•ウィル(Mike Will)がプロデュースした《Picture Perfect》ではリル・ウェインもやられてしまった。また5月には、間違いなく2016年を代表するミックステープ『Mardi Gras II』をリリース。更に彼は、リル・ウェインとのトラック《Hate》のために、マニー•フレッシュとの再会も果たした。マニーのビートでフローを掛け合う「ジュヴィ」と「ウィージー」の姿は、HOT BOYSの『Guerilla Warfare』(1999)時代を思い出させる。古い友人同士がくだらない話で盛り上がっているのを立ち聞きしているような気分になる。

また、ジュヴィナイルはラッパーとしてブレイクしたが、彼の作品には常に斬新なヴィジュアル的要素も含まれている。彼の音楽に付随するイメージは、《Ha》のビデオ、『400Degreez』『Guerilla Warfare』のジャケット、どれも曲同様に衝撃的だ。それらは、その時間とその場所にあった特別なヒップホップカルチャーを、簡潔に図象化している。

90年代ヒップホップのアイコンとして、また頼りになるシーンの先輩として、最近のジュヴィナイルは、ふたつの立場をフル活用している。DMX、BONE THUGS-N-HARMONYとのツアーを敢行し、来年には、ミスティカル(Mystikal)、トリック・ダディ(Trick Daddy)、バン・B (Bun B)、パスター・トロイ (Pastor Troy)、8BALL & MJGとのツアーも決定している。また、フューチャーの物販も手掛けたダーリエン・ブルーズ(Darien Bruze)と、ヴィンテージ風Tシャツの制作も準備中。ヒップホップ史のオタク的知識と、雑多なポストモダン調の遊びごころが融合したTシャツは、ジュヴィナイルのツアー、もしくは、ブルーズのサイトで購入できる。

ジュヴィナイルは、Cash Money Recordsでの日々、ニューオリンズの再開発、Tシャツについて話してくれた。しかし、20分経過すると彼は訳あってインタビューをぶっちぎった。そして私は、彼の息子にインタビューする羽目になった。

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まずは、現在製作中のヴィンテージ風Tシャツについて教えてください。どのようなきっかけでスタートしたのですか?

初めはツアー用に色々なTシャツをつくるつもりだったんだ。だけど今は、もっと大きなプロジェクトとして進んでいる。俺の名前や顔の入ったシャツは、しょっちゅうどこかで見かけるだろ? だけど、アーティスト本人がもっと色々考えて、表現した物をつくりたかった。そっちの方がリアルだ。

このデザインはどこから?

写真のいくつかは、Cash Money Records時代のだ。ちょうど、かつての俺の作業部屋でシャツ用の撮影を終えたばかりだ。作業部屋があった建物は、ほぼ取り壊されていたけど、実際に俺が住んでいた部屋はまだ残ってる。その前で俺の撮影もした。ちょっとヘンな気分になった。

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ニューオリンズは再開発され、ヒップな街になりつつあります。意見のわかれる問題ですが、あなたはどう考えていますか?

いいんじゃないのか。地域が多様化するから。アップタウンのヤツらに、下でも大丈夫だ、と知ってほしい。アップタウンで育った人間は、このエリアを怖がっている。昔の嫌な印象があるんだ。本当に悪かった。でも、少しでも人が移ってくるなら俺は賛成だ。ともに育った仲間も恩恵に預かるだろうし、多くのローカルビジネスが生き延びられる可能性ができたんだ。

『400 Degreez』のジャケット・デザインについて教えてください。背景となるストーリーはあったのですか?

あった。俺たちは、あのジャケのために、ヒューストンのPen & Pixel(ペン&ピクセル)に出向いた。彼らは『Solia Rags』のジャケもやってくれたから。彼らには「俺に関わるすべてを表してほしい」と伝えた。『400 Degreez』には、いろんなものが混ざっている。最初から最後まで、全く違うスタイルの曲が詰まっている。だから、ジャケからも同じ感覚が伝わるようにしたかった。「あれも、これも、それも、全部入れてくれ!」って頼んだんだ。彼らは「コイツ絶対に頭おかしい! ガキだから舞い上がってやがる。全部ジャケに入れろだと。まあ、全部は無理だけど、たっぷりブチ込んでやるか」って具合だった。母ちゃんの写真以外、全部入れたはずだ。

アルバムはどのように制作されたのですか? どんなプロセスがありましたか?

プロセスがあったといったら嘘になる。まるで仕事のように、全員が毎日スタジオに入らなくてはならない。それがCash Moneyの方針だ。常に何かしらレコーディングをしていて、完成した曲は、誰かしらがリリースするニュー・アルバムに入る。『400 Degreez』は、ちょうど俺が誰かしらだったからリリースされた。だから、『400 Degreez』には、別の誰かしらのアルバムに入る可能性の曲もあった。

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《Ha》のミュージックビデオについてお願いします。

いい経験だった。マーク・クラスフェルド(Mark Klasfeld)の初のビッグ・ビデオだったし、俺にとってもそうだった。マグノリア・プロジェクツが舞台になったのも初めてだ。マークたちは3日間キャンプを張った。地域の連中も出演してくれて、俺に100%の力を貸してくれたんだ。そう、あのときはドラッグ・ディーラーがみんな休業したんだ。 俺のために、自分たちの稼ぎを二の次にするなんて、そう簡単にできるもんじゃない。

あのビデオは物凄く話題になったので、あなたの街の状況にも光があたりました。

 《Ha》のビデオと、その後のハリケーン・カトリーナがなかったら、俺たちの状況なんて、多くの人間は知らないままだっただろう。

今、マニー・フレッシュ、リル・ウェインと一緒にアルバムをつくっているそうですね。

特に急いでない。締め切りなんてないから。音楽を通して、一緒に楽しんでいるだけ。

ツアーも積極的にやっていますね。ヒップホップが、クラシック・ロック・スタイルのフェーズに突入しているように感じます。

あちこちに、俺たちを恋しがっているオールドファンがいる。熱狂的なファンは、Cash MoneyとかRuff Rydersのツアーを再び体験したくてしょうがないんだ。…さてと、悪いがこれで終わりにしてくれ。今日は、嫁の誕生日なんだ。もう行かないと。

・・・・・。

§

そしてジュヴィナイルは消えてしまった。電話は、その場にいたダーリエン・ブルーズに渡され、私たちはTシャツのラインについて話し始めた。彼は、ジュヴィナイルと仕事ができて興奮している様子だ。彼と私は、ニューオリンズ・ヒップホップの歴史について、オタクのように盛り上がった。彼に「Rap-A-Lotから『Rejuvenation』のレコード盤は出たのか?」と訊ねた。「わからない」と彼。そして続けた。「ヤツの息子がここにいるから、彼に訊けば?」

ジュヴィナイルの息子もラッパーであった。その名もヤング・ジューヴ(Young Juve)。彼のミックステープ『Wuzz Crackin』を聴いた。正直いってかなりヤバイ。たとえ彼の父親がジュヴィじゃなくても、彼がその辺にいる普通のガキだったとしても、そんなの関係ないほど良い作品だ。ジューヴは、ジュヴィナイルがキュレートするGHETTO CHILDRENというグループにも属しており、そのメンバーには、ダニエル•ハートレス(Daniel Heartless)、ネノ•カルヴィン(Neno Clavin)、B.G.の息子であるT.Y.、ソルジャ・スリム(Soulja Slim)の息子であるリトル•ソルジャ•スリムが在籍している。ニューオリンズの若いオールスター・グループだ。

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ヤング•ジューヴが粋な理由は、父親のレガシーは彼そのものではない、と理解しているからだ。父親がジュヴィナイルであるがゆえ、彼は、ヒップホップ界のノスタルジア経済に便乗しようとすればできるし、父親のフローをコピーして、90年代風のバウンスビートに乗せてもいい。マニー・フレッシュの息子がプロデュースするのも良いアイデアだ。しかし彼は、歴史的な偉業に一役買った父親を尊敬しつつ、自身の作品でキャリアをスタートし、それだけで勝負している。《Do Yo Thang》を例にあげると『Wuzz Cracking』(2015)に収録された甘くて気だるいセックス・アンセム。絶えず変化するフローと歪曲したビートに、ドローンなサブベースを掛け合わせたサウンドは、かなりアブストラクトな仕上がりだ。コーラスには、BIG TYMERSの《Get Your Roll On》のマニー・フレッシュによるバースを取り入れているのも素晴らしい。また《Hoe》では、E-40、GHETTO CHILDREN、そして彼の父親(改めていう。ジュヴィナイルだ)がフィーチャーされている。

ラップを始めたきっかけを教えてください。

もちろん親父の影響だよ! HOT BOYS時代のすべてもね。あとは、ネリー(Nelly) の『Country Grammar』(2000)とかね。いってる意味わかる? あらゆるものを聴いて育ったんだ。俺は、ネリーがいたセント・ルイスで生まれて、ニューオリンズで育ったったんだから。

お父さんに対しては、「俺の親父が『400 Degreez』とか《Slow Motion》をつくったなんて信じられない!」って感じでしたか? それとも「今日はゴミの日だぞ、出しとけ!」「うるせえ、クソジジイ!」って感じでしたか?

いたって普通だったよ。俺は、学校で問題も起こしたし、もちろん叱られもした。周りからは、「父親がどれだけビッグか知っているか?」ってよくいわれていたけど、「そんなことない。くだらねー」ってね(笑)。でも今は本当によくわかる。みんな、俺の親父を聴いて成長したんだ。

お父さんのラップから何を学びましたか?

ラップのすべてを学んだ。子供の頃からラップをしてきたけれど、親父はいつも対等に接してくれた。俺がなにかやってみせると、はっきりと「俺は好きじゃない」っていってくれたしね。16になったとき、親父は車じゃなくてPro Toolsとマイクを買ってくれた。俺は怒った。そりゃ怒るだろ? 「コンピューターだって? 俺は、車が欲しかったんだよ!」って(笑)。でも親父には「ラップをしたいんだろ? じゃあ、つくれるようになるしかないだろ」っていわれたよ。

いつお父さんは、あなたの音楽を認めてくれました?

以前は6ヶ月ごとに曲を出していたんだ。親父は、ずっと「続けろ!」っていっていた。そして、《Do Yo Thang》ができると、ようやく「いい曲だ。よくやった」って褒めてくれたよ。

ジュヴィナイルに褒められたから嬉しかったのですか? それとも、お父さんだから?

親父からいわれて嬉しかっただけだ。他のヤツらは知らないけれど、俺の親父からのいわれるのは、神からいわれているのと同じなんだ。俺は親父を尊敬してきた。ずっと親父の音楽を聴いてきた。「なぜ、彼みたいにラップをしないんだ?」って訊かれる。でも、親父がやってきたすべてがパーフェクトだから、そのスタイルをつくり変えるのは無理だ。俺は俺の道を見つけるしかない。俺のやり方でやるしかない。

今はどこに住んでるのですか?

 ニューオリンズに住んでる。暑い。暑い。クソ暑いところだ。3回繰り返す必要があるくらいだ。

それだけ暑さを感じるなら、お父さんの音楽を心から理解できますね。

 そっから『400 Degreez』(400度)ってつけた訳じゃないだろ(笑)。