2017年12月5日、〈欅坂46〉の人気メンバー、渡辺梨加の写真集が発売された。そして、19日には、長濱ねるの写真集が発売される。両写真集がグループ初の写真集であり、メンバー初の水着解禁だ。当然、欅ヘッズたちは、ざわついている。水着解禁を喜ぶいっぽうで、「単なるアイドルではなく〈アーティスト〉である欅坂が、AKBのように水着になる必要性が全く感じられない」という見解も噴出している。先行して公開された、ラコステのポロシャツを捲る、長濱ねるの写真について、「不純で実用性を追求している」というSNSへの書き込みがあった。水着の写真に実用性を嗅ぎ取った気持ち悪さはもちろんだが、何かにつけて欅坂がロックやアートに結びつけられるのにも、違和感がある。欅坂が〈ロック〉扱いされるのは、いったい、どうしてなんだろう。

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2017年6月24日、幕張メッセで開催された全国握手会にて、平手友梨奈、柿崎芽実レーンで、刃物を所持した男が発煙筒に点火する事件が発生した。運営が警備体制を強化し、握手会は翌日も続行されたが、平手友梨奈、柿崎芽実を含めたメンバー6名が欠席した。6月25日は、平手友梨奈、16歳の誕生日だった。

1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』の発売にともなうツアーで欅坂は、平手友梨奈の体調不良によるまさかのセンターレス公演、今泉佑唯の活動休止など、ハプニングに悩まされた。ツアー初日は、平手を欠いたまま、『サイレントマジョリティー』のパフォーマンスに臨まなければならず、残されたメンバーたちは、いきなり苦境に立たされた。

私は、ツアー開始から3日後に開催された〈TIF2017〉でのゲンバに参戦した。明らかに、平手の様子がおかしかった。終始うつむきがち、ラストでの全員の挨拶もほぼアクションなし。本調子でないのは、誰が見ても明らかだった。この頃になると、初期の平手の面影はほとんどなくなっており、大勢のファンから心配の声があがった。

その後、私は、5thシングル『風に吹かれても』個別握手会に参加したが、平手は、体調不良を理由に欠席した。私の握手券は、今も自宅で振替日を待ち続けている。『ケヤキセ』でポイントを貯めて〈ゲーム会参加抽選券〉を集めると、リアルイベントでメンバーに会えるのだが、こちらでも、平手の不参加がアナウンスされた。欅坂のセンター、平手が抱えるストレス、スケジュールの過密さの影響は、われわれファンには想像もつかない。

2017/11/19に使われることのなかった「風に吹かれても」個別握手券

もしかしたら、ファンの想いが平手、そして欅坂を精神的に追い込み、型に嵌めているのではないのか。

デビュー曲『サイレントマジョリティー』や『不協和音』の重々しい、アイドルらしからぬ楽曲の世界観は、アイドルファンの領域を超えて、世間の注目を集めるきっかけになった。欅坂は往年のロックバンドに、平手はあらゆるミュージシャンに例えられ、「いま、一番ロックなのは、アイドルグループ欅坂46だ」「平手はカート・コバーンの再来だ」という主張がオンオフ問わず飛び交うようになった。先に述べたように、『真っ白なものは汚したくなる』ツアーは、グループの最大限の努力があったにせよ、不安定さを隠しきれないパフォーマンスだったので、「プロとして失格。せっかく観にいったのに残念だ」というファンの不満もあった。欅坂の不安定さや平手不在のパフォーマンスを、ロック、と評する、何周もして目が回ってあらぬところに着地してしまったような意見もある。ファンの不満は理解できなくもないが、なんでもかんでも〈ロック〉と評するのはいかがなものだろう。

そもそも、欅坂は、ロックを表現するために結成されたグループではない。それなのに、どうして〈ロック〉と評されるのか。笑わないアイドルとして注目され、秋元康がプロデュースするアイドルのイメージを壊したことが、ロック扱いされる発端になった気がしなくもない。しかし、〈笑わない=ロック〉だとすれば、より過激でロック感全開のアイドルが地下に潜れば見つかる。だから、それだけではロックにならない。おそらく、知名度が高すぎる秋元エンパイアーのアイドルが、お約束を破るからロックに見えるのだろう。仮に、知名度の低いアイドルグループが、険しい表情で髪を振り乱して叫んだところで、世間は振り向きもしないはずだ。

欅坂と従来のアイドルの違いをどれだけ強調したところで、エンペラー秋元の操り人形に過ぎない、という見解もある。だが、ロックを象徴するようなバンドやアーティストにも、プロデューサーがいるので、ロックかどうかを判断するのにプロデューサーの有無は関係ない。平手は、気持ちが入っていないと『不協和音』の世界観を表現できないという。欅坂の場合、エンペラー秋元のもとにいるのに、与えられた楽曲と踊りをこなすだけではなく、パフォーマンスにメンバーの意志を強力に反映させているのが、よりロックなポイントなのだろう。

もうひとつ、ロックと評される所以が想像できる。今までアイドルに興味のなかった人が抱くアイドルのイメージと、欅坂の振る舞いのあいだにあるギャップだ。例えるなら、クラスいちの優等生がコカインをキメているのを目撃してビビってしまう、あの感じだ。それを説明できないから、欅坂をロック扱いするのだろう。しかも、そのさい引き合いにだされるバンドやアーティストは、ひと昔前のアイコンばかりだ。この傾向をみると、今までアイドルに興味のなかった音楽ファンたちが、自分の尊敬するアイコンを、無理やり欅坂に投影しているだけな気もする。「欅坂って○○っぽいよね」「○○の再来だよね」という発言は、耳が肥えるでしょ、という自己アピールにしか聞こえない。鳥肌モンだ。女の子たちの個性がぶつかり合った結果生まれる欅坂の不安定さが、偶然、ロックの破天荒さと結びついてしまった。それだけなのに、平手を〈憑依型〉などと分類して崇め奉るのは、彼女に苦悩と孤独を背負わせて苦しませるだけだ。平手がファンのツイートを見る機会はいくらでもあるのだから。

鳥肌の原因は他にもある。欅坂をロックやアートに結びつけるのは、セルフ・ブランディングに躍起になった小心者が、世間体を気にしているだけのハナシだろう。アイドルが好き、と公言したさいに、職場や家庭でロリコン扱いされないよう、仲間にバカにされないよう、自らの志向を正当化しているとしか思えない。ロリコン扱いを恐れて平手、欅坂にロックを押し付けても、彼女たちを追い込むだけだ。もし、本当に欅坂を愛しているのであれば、そんなことせずに、ありのままの欅坂を愛して欲しい。ダニエル・ジョンストンのTシャツだって、スタイリストがBEAMSでみつくろっただけなんだから、てちキャロを素直に愛でればいい。オルタナでユナイト、なんてのは諦めて、ロリコン呼ばわりされて欲しい。それでも欅坂を愛せるのであれば、それこそ〈ロック〉だ。(ここでいうロリコンとは、俗的ロリコンのこと)

ふたりの〈けや描き〉。上:先輩に無理やり描かされた、欅坂46。下:先輩が楽しそうに描いていた平手友梨奈。

しかし、シャバたれた小心者の見解を無視して、羞恥心をかなぐり捨てた猛者たちの愛する欅坂の振れ幅に注目すると、欅坂ロック説は、あながち的外れでない気がしてきた。不本意ながら、私の疑念は晴れつつある。あらぬギャップを生みだす欅坂のアティチュードは、間違いなく、シャバやんたちが騒ぐ以上に〈ロック〉だ。しかも、彼女たちは、アイドル・グループに望まれる予定調和を覆しながら、お茶の間へのアピールにも成功している。カート・コバーンがパジャマでステージに立ったところで、日本のお茶の間は見向きもしなかった。ガンズ・アンド・ローゼスのNHKホール公演が30分で終わっても、一部のロック・ファンがざわついただけだった。レッチリがポコチンに靴下を被せて現れるのをファンは楽しみにしていたけれど、世間は変態と切り捨てた。どれも、予定調和を覆す、というロック的予定調和のなかでの出来事だから、当然の扱いだろう。茶番を愛する好き者のための茶番に、世間はいちいち驚かない。私の母ちゃんは、未だに、「ロッカーはキ●ガイなんでしょ」と信じて疑わない。彼女は、YOSHIKI伝説がどれだけ凄かろうと、そのひと言で全てを片付けてしまう。そんな今の日本で、母ちゃんにもわかるほどの知名度で〈ロック〉を体現しているグループは、欅坂の他に見当たらない。

みなさんおわかりだろうが、私の〈欅坂イズ・ノット・ロック〉は完全に覆された。これでは〈マッチポンパー〉と蔑まれてもしかたがない。なんにせよ、欅坂が凄いのだ。しかし、いくら彼女たちがチンケな想像をはるかに超えているとはいえ、偶然と思春期の不安定さとが相まって欅坂の〈ロック〉なのだから、そこにレジェンドを投影すべきではない。むしろ、レジェンド以上なのだ。ありのままの、アイドルを夢見た少女たちが、偶然、誰よりも〈ロック〉してしまっただけなのだ。彼女たちが、ありのまま〈ロック〉なのだから、私は、ロックなアティチュードで彼女たちを受け止めたい。こざかしい屁理屈をならべたり、欅坂ロック論なんて唱えなくても、みんなが〈ロック〉なら、彼女たちといっしょに、もっともっと欅ワールドを楽しめるはずだ。

つい先日、『けやかけ』を観たら、メンバーから初期の素人感が消えている感じがしたが、成長と受け入れて楽しんだ。しかし、それを先輩に話すと、「成長とはちょっと違う。欅坂は欅坂でいることに慣れちゃったんだよ」と偉そうに諭されてハッとした。四十路をとっくにこえた先輩は、ロリコン、と後ろ指さされながら、独身を貫き、アイドルを愛している。かなり〈ロック〉な先輩だ。そんな彼は、とあるメンバーに平手以上の〈ロック〉を見出しまっている。またしてもハッとした。バンドでも、フロントマンよりドラマーのほうがイカれていることが多々ある。とあるメンバーに過剰な負荷をかけたくないので、名前は伏せるが、想像していただきたい。わかれば納得するだろう。

それはさておき、先輩の諭しを真に受けてやると、漢字欅は、もはや〈ロック〉ではないのかもしれない。平手ですら、世間のつまらない期待に、無意識のうちに応えているだけなのかもしれない。初期漢字欅が放っていたロックな初々しさは、今、〈ひらがなけやき2期生〉が担っているのかもしれない。しかし、べりさが〈右手が強いじゃんけん〉を恥ずかしがるように、丹生ちゃんが〈剣道の素振り〉を見返して顔を赤らめる日が来るに違いない。そうなったとしても、漢字欅が打ち立てた欅流ロックが次期生に受け継がれるはずだ。先輩も私も、しばらく〈ロック〉でいられる。

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私は、この記事を書くまで、欅坂をロックだと認める気はなかった。欅坂ロック説が気に食わなかった。しかし、私は気づいてしまった。欅坂は、誰よりも〈ロック〉なのだ。勘違いしないでほしいのだが、欅の〈ロック〉は、死んでナンボの伝統的破滅型ロックではなく、〈偶然のロック〉だ。偶然のロックだけに、彼女たちは、必ずしも、われわれの期待に応えてはくれない。それでも構わない。そして、ロックじゃなくなっても、ディスるべきではない。脱ロックも欅流ロック。平井堅に平手がかなわないのも〈ロック〉。これから、欅坂がどうやって世間の期待を裏切り、われわれのハートをロックしてくれるのだろう…。楽しみは尽きない。