Photo c/o Maan Abu Taleb

エジプトの首都カイロに暮らして1年、本気でアラビア語を学んでいる。ここ数ヶ月使っているテキストは、『Media Arabic: A Coursebook for Reading Arabic News』。著者はアラー・エルジバリ(Alaa Elgibali)とネヴェンカ・コリカ・サリヴァン(Nevenka Korica Sullivan)。小ぶりながらもよくできたこのテキストで扱われているテーマは、選挙、デモ、テロリズムなど、割とヘヴィで、さらにアラビア語ニュース記事の頻出用語集もついている。〈テロリスト〉や〈過激派〉を意味する単語は6種類もある。

しかし、このテキストは、アートやエンターテインメントといったトピックには触れていない。アラブ世界には、音楽、ヴィジュアル・アート、映画の豊かな歴史があるにもかかわらず、ふたりの著者は、テキストで触れる理由を見つけられなかったようだ。非常にもどかしい。アラブ音楽変遷の概略図、アーティストのプロフィールくらい載せてもいいはずだ。レバノン人ラッパー、アルジェリアのポップ・ミュージック〈ライ(raï)〉の歌手のテクニックを理解するための、語彙リストがあってもいい。アラブ音楽の撥弦楽器〈ウード(oud)〉のパーツの名称や、アラブ音楽の音階〈マカーム(maqam)〉について、あるいは、伝統的インプロビゼーション〈マワール(mawwal)〉の構造を理解するための語彙も知りたい。

ただ、著者たちの判断については理解できなくもない。政治と政策にまつわる中東、イスラム研究の一環として、複雑優美なアラビア語を学ぶ学生は、少なくない。また、アラブ音楽については、エジプトの歌手、ウム・クルスーム(Oum Kalthoum)などのアーティスト、アルジェリアン・ライなどのジャンルの研究書を上梓する民族音楽学者は数多いが、米国や英国などのようなロック批評文化が根付いているわけではない。Soundcloudにはエジプトのストリート・アンセムがどんどんアップされているし、アラブ世界を越えてライブ活動やアルバムリリースをしているエレクトロニック・プロデューサーやサウンド・アーティスト、ラッパー、ロックバンドがたくさんいる。しかし、その数に比べると、アラブのポップミュージックをピックアップし、充実したレビュー、プロファイル、記事をつくり、考察できるライターは圧倒的に少ない。

世界初のアラビア語音楽ウェブマガジン〈Ma3azef〉の共同創始者でエディターのマーン・アブ・タレブ(Maan Abu Taleb)によると、メディアの注目を浴びるアラブ・ミュージシャンは、音楽そのものよりも、難民危機、セクシュアル・アイデンティティやジェンダー・アイデンティティ、〈アラブの春〉やシリア内戦など、現代社会の問題をいかにして斬るかで評価されるという。

「アラブ人は、アートなんてやる権利もないって感じだ」とアブ・タレブ。「政治的な意見しかいえない。被害者でしかいられない」

Ma3azefが目指すのは、偏屈に語られがちなアラブ・ポップカルチャーの刷新だ。2012年12月にローンチされたこのウェブサイトでは、長編特集、アルバム・レビュー、シングル・オブ・ザ・ウィークなど、大小様々な記事を掲載している。シリア人歌手ゲオルゲ・ワッスフ(George Wassouf)などの伝説的アーティスト、イスラム戦士の音楽、ドラムマシンやシンセサイザーの歴史などについて深く掘り下げた意欲的な記事は、8000ワードに及びもする。ヨルダンのアンマンで育ったアブ・タレブは、哲学の文学修士号を取得し、最近では、小説『All the Battles』を上梓(英語翻訳版も出版)した。彼は、ヒップホップにも情熱を傾けており、Ma3azefは、RUN THE JEWELSやケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)、カニエ・ウエスト(Kanye West)だけではなく、エル・ラス(El Rass)やアビューシフ(Abyusif)など、新進気鋭のアラビア語ラッパーについて考察するための必須資料となっている。

アブ・タレブは、音楽記事制作だけでなく、ワークショップや年1回の音楽ライタースクールを開催し、新人ライターの育成指導にも勤しんでいる。知識欲旺盛な若い読者たちの心をつかむために、彼は、Ma3azefの寄稿者たちに、アラブ然としたニュース記事や学術論文に求められるような文章作法を用いず、時間をかけて自分自身の言葉で明確に表現するよう伝えているという。

「アラビア人の識字率が低いって〈神話〉、聞いたことある?」とアブ・タレブ。「アラブの知識人たちは、アラビア人の識字率の低さをよく嘆いてる。でも〈お前らの文章がめちゃくちゃなんだよ〉といいたい。だからみんな、オマえらの文章なんて読まないんだ、とね」

2017年初頭、学識と怒りを兼ね備えたライター、アブ・タレブとスカイプした。Ma3azefの使命から、アラブ音楽批評の課題、そしてアルバム・レビューを書くためのシンプルなアドバイスまで、話題は多岐にわたった。インタビュー中の彼は、高い背もたれのついた椅子に座り、シルバーの耳掛け式ヘッドフォンを装着していた。さながら、言語やサウンドの新しい地平を目指す宇宙船のキャプテンのようだった。

Ma3azefの始まりから教えてください。

カイロで活動するミュージシャン、タメール・アブ・ガザーレ(Tamer Abu Ghazaleh)を知ってる? 俺のいとこなんだけど、アイツがこういうことをやりたい、とずっといってたんだ。でも、当時の俺は、哲学の修士号を取るのに忙しくて、それどころじゃなかった。ハイデガーやらヘーゲルのことしか考えてなかったし、時間の普遍性、未来、なんてテーマの論文を書いていた。哲学が好きなんだ。でも、タメールと、もうひとりの共通の友人が、サイトを始めよう、と誘ってきた。「俺たちの名前で資金集めに応募しまくってるから、名前だけ貸して。あとは何もしなくていいから」とね。「いいよ、何でも」と答えたよ。そしたら審査をパスしたんだけど、ふたりは何もしようとしない。俺の名前だけがサイトに明記されたまま半年ほど経った。資金が振り込まれるのに、誰も何もしないのが、だんだん気になってきたんだ。

いよいよ俺が動かなきゃダメだとわかって、実際にやってみたら楽しくなったんだ。どんなコンテンツを載せたいか、どんな文章スタイルにするか、それを見極めるのには少し時間がかかったかな。俺はアラブ音楽、ニュース、スポーツでよくあるような記事は書きたくなかった。もっと好きにやりたい。攻撃的だったり、繊細だったりね。

あなたが嫌いな文体というのは、アラビア語の新聞でよく見るドライでフォーマルな文体ですか?

それだけじゃない。ここでは名前を挙げたくないけど、記事を送ってくる有名なライターが結構いるんだ。知名度があって、〈自称進歩派〉〈自称アヴァンギャルド〉な連中ね。そいつらの記事は、掲載する価値がない。とにかく下手。そんなモン載せたくない。でも、それ以上に避けなきゃいけないことがある。〈レビューでは政治的メッセージに触れない〉ということ。これは、アラブ文化についてのあらゆる記事に共通する問題だよ。西洋でもアラブでも、つまり『The Guardian』の記事でも、『Al Akhbar』の記事でも、作品の芸術的価値には触れられない。アラブ人は、アートなんてやる権利もないって感じだ。政治的な意見しかいえない。被害者でしかいられない。誰のアルバムでも、「この青年は難民で…」「この少女は抑圧されていて…」なんて解説ばっかりなんだ。作品やアートそのものは、注目されないし、考察もされない。それ、最悪だよ。若いミュージシャンやアーティストに、「作品のクオリティなんか気にしなくていいんです。正論をいってればいいんですよ」とメッセージを送ってるのと変わらない。

音楽的にひどいアルバムでも、背景があれば、そちらが重要視される。

そう。そんな見方する連中は大勢いる。白人や中流階級だ。悪意はないとしても、そういうふうにアラブ文化を消費するのは非常に傲慢でしょ。例えば、カミリア・ジュブラン(Kamilya Jubran)みたいに、最高で、マジなアーティストだっている。ジュブランは本当に真摯に活動している、優れたアーティストだ。彼女は自分のバックグラウンドなんて気にしてない。「私って波乱万丈のパレスチナ人アーティストなんですよ」なんて絶対いわないからね。

米国では、アラブ音楽は知られていません。なのでダブケ(dabke)系アーティストなどの記事を書くときには、毎回、長い注釈を入れなければなりません。それだと、前提が共有されている考察のレベルには、なかなか到達できませんよね。

でも、アラビア語なら「Enta Omri」といえばみんなわかる。みんな大好きな曲だから。説明がいらないし、新しい考察ができる。英語にしたら、本当に、一字一句に註がいる。そうなると、深い考察なんて無理だし、浅い文章になる。それを避けるには、説明を端折るしかないんだけど、そうなると、多くの読者が置いてけぼりにされてしまう。

これまでに、アラビア語の音楽批評、文化批評はあったんですか?

かつてはね。50年代から70年代の全盛期には、レベルの高い音楽批評があったんだよ。でも、80~90年代に全滅した。1971〜2000年まで在任したシリア大統領で、今のバッシャール・アル=アサド(Bashar al-Assad)のおやじ、ハーフィズ・アル=アサド(Hafez al-Assad)が権力を握っていた頃だよね。イラクはサダム・フセイン(Saddam Hussein)、エジプトはホスニー・ムバラク(Hosni Mubarak)。音楽は、国家に統制されて、批評もできなくなったんだ。音楽批評と体制批評がリンクしたんだ。体制批判はシリアみたいな国ではすごく危ない。そんなこんなで批評文化がなくなったんだ。

それでもシリアには、真摯な音楽批評があるんだ。でも、とにかくカタいし、学術的で難解。俺たちが想像するような音楽ジャーナリズム、音楽雑誌とはまったくかけ離れてる。〈Pitchfork〉〈Metal Hammer〉〈The 405〉〈Q〉みたいなのはない。参考になるアラブ音楽批評がない。だから、俺たちは挑戦する。アラブ音楽批評の手本になりたいんだ。でも、そうすると、今度は別の問題に突き当たる。音楽ライター不足。じゃあ俺たちは、どうやってチームをつくるのか。その問題を解決するためにも、年に1度、4ヶ月のライタースクールを開いてるんだ。

レギュラーで投稿しているライターはどれくらいいるんですか?

12人から15人。3~4ヶ月に1~2本ペースのライターはもっと。でも、増やさないで、コア・チームに集中したい。文体や考察をブラッシュアップしたいから、ライターとの連携を確実にするのが重要なんだ。でも、全員に同じ文体で書いてほしくはない。今のアラビア語ライターの大多数を占めるような文体にはしてほしくないだけ。コンマの多用とか、哲学者の無駄な引用が、マジでイヤなんだ。

クソみたいな文章ばっかりなんだよ。ブっちゃけ、俺もそうだった。でも、モーリス・ルカ(Maurice Louca)のアルバム・レビューにハイデガーなんていらない。でしょ? アルバム・レビューに哲学者なんて引用すんのは、高飛車で、読者をバカにした、うぬぼれてるだけのライターだよ。アホかっつーの。大事なのは、はっきり書くこと。良い文章を書くこと。ひとつのアイデアを膨らませて、ひとつの考察にする。議論が起きてもいい。あとは楽しい文章。ああ、おもしろかった、と思ってもらえる文章。それだけ。

言語にかかわらず、全ての音楽ライターが意識すべき重要なアドバイスですね。

そうかもね。アラブ人じゃなくても、トラップにハマるライターは多い。アラブ世界では特に顕著だけどね。

オフィスはあるんですか?

ないよ。〈Slack〉を使ってる。カイロとベルリンにスタッフがいて、俺はロンドン。あとはチュニスにも数人。それが中核チーム。常にSlackでつながってて、ケンカしたり、議論したり、罵りあったり…。全部そこで完結してる。

考察対象となるアーティストには何を求めていますか。

音楽がおもしろいかどうか。それだけかな。俺たち音楽ファンが盛り上がれる音楽かどうか。特集記事では、おもしろそうな文化現象を探す。最近だと、ゲオルゲ・ワッスフね。実は、彼の記事には、たくさん批判があった。彼はアサド政権を支持してるからね。でも、現代アラブ文化への彼の影響のデカさは、誰も否定できない。文字どおり、全ての、全アラブ人が彼の歌声と音楽性を知ってる。気づいたら彼の曲が頭のなかで流れてたりする。まさに〈文化現象〉なんだ。だから、彼の記事を書くことは、俺たちの〈義務〉なんだ。特に、マトモなワッスフ考は、今までなかったから。あとは、ジハード音楽の特集記事。俺たちも神経質になる話題だよ。でも、ジハードも文化現象。アラブ世界で聴かれている音楽のうち、25%がジハードに関係してる。確かにあるんだ。無視できない。「ジハード音楽なんてない」としらばっくれんのは無理。

世間でも〈親アサド派〉と認識されているゲオルゲ・ワッスフを特集するのに、どんなアプローチをとりましたか?

そこには触れなかった。俺たちにとってはどうでもいいことだからね。確かに、現代アラブ文化では、アーティスト、作家、詩人に倫理的規範を求めてる。だけど、そんなのファックだよ。 すばらしい詩人だからって、人間的にすばらしいとは限らない。だから、政治信条には触れなかったんだ。親アサド派であろうが構わない。好きな信条があっていい。俺たちが伝えたいのは、1980~2000年代初頭、彼がポップカルチャーにどれだけ影響を与えたか、なんだから。

音楽批評におけるボキャブラリーはどうしていますか? 英語圏の音楽批評は、独自の造語をいろいろ生み出してきました。

今、Googleドライブで辞書をつくってるんだ。アラビア語で何だっけ、という単語があればどんどん加える。例えば〈最も重要なシンセサイザー14選〉という記事を翻訳しているとき、〈シンセサイザー〉という単語をどう訳すかが問題になった。〈mu’alajat electronaya soutaya〉(〈エレクトロニック・サウンド・プロセッサー〉の意)なんてつまらない。アラビア語で〈synthesizer〉と表記すると、〈th〉や〈z〉の見てくれがよくない。だから、今後は〈سنث〉と表記しよう、と決めた。〈シーン・ヌーン・サ〉と読む。これで〈シンセ(synth)〉。

エジプトで暮らして気づいたんですが、若者のあいだでは、アラブ文化よりも西洋文化のほうがクールだ、おもしろい、という雰囲気がありますよね。例えば、エジプト人しかいないのに英語で話す中、上流階級の若者と出会ったことがあります。

確かに。だから俺たちがサイトをローンチしたときも、かなり反対されたんだ。特に中流、もしくはアッパー・ミドルクラスの気取った連中は、「こいつらアラビア語でテキスト書いてる。絶対に世界のことをしらないんだ」って感じ。勘違いがあったんだよね。俺たちがアラビア語で書くのは、英語を知らないから、西洋のポップカルチャー、ハイカルチャーに触れた体験がないからだ、と勘違いされてた。あとは、文章が下手なんじゃないか、とか。でもあらゆる誤解をMa3azefは晴らしてるはずだよ。これは、アラビア語のウェブマガジンで、世界の事象を理解しているライターが書いていて、何より文章が上手い。今はベイルート・アメリカン大学(American University of Beirut)にも読者がいて、俺たちの文章を論文に引用するくらいだから、軌道に乗ってきた実感もある。Ma3azefを参照するキッズがいるんだから、俺たちは間違ってないんだよ。