NYハードコア・シーン最大の伝説 ALTERCATIONを振り返る (1)

「ロジャー・ミレット(AGNOSTIC FRONT)初期音源を語る」「アレックス・ブラウン(GORILLA BISCUITS)レゲエを語る」に続くニューヨーク・ハードコア・シリーズ第三弾!まだまだ出て来ますね~、ココは。ハードコア宝の山ですね。で、今回はこのシーンにおいて最大の伝説的バンドをご紹介。出した音源はデモ一作のみ。そしてライヴ回数はたったの4回!ってんだから、知ってる方はかなりのマニアでございます。しかしそんなちっぽけな活動歴でここまで伝説になっちゃってんだから、どんだけ尾ひれ羽ひれが付いてんだよ~と訝しく思うわけですが、以下重鎮たちによる証言、そして遂に再発されたデモ音源によって、どんだけこのバンドが奇跡だったのかが分かりました。再結成ステージのおっさんぶりにはかなり驚愕しますが(映像あり)、ぜひぜひ80年代後期のニューヨークを味わってくださいまし。

 

 

80年代後期の ニューヨーク・ハードコア(NYHC)シーンのあらゆるバンドの中で、ブルックリンのALTERCATIONは最も伝説的で、完璧だった。後に伝説的なバンド、WARZONEやSUPERTOUCHのメンバーで構成された彼らは、重いリフと威嚇するようなスキンヘッドのバイブレーションを組み合わせた。ただそれだけではなく、彼らは当時新顔だったユース・クルーと、厄介者のOi!集団の両方から支持されていたのだ。

 

そこでメタルでスキンヘッドのこのグループを探ってみるために、数人のNYHCのキーパーソンたちに話を聞いてみた。そこにはALTERCATIONのドラマー、アンディ・ガイダも含まれている。この記事は彼らがまさしく話さなくてはならなかったものだ。

 

 

フレディ・アルバ(New Breed Fanzine、Urban Style Records、Wardance Records):1987年だった。学校が終わってから毎週行っていたローワー・イーストサイドのサム・レコードに向かっていたんだ。店がある地下室の入口に近づくと、階段の吹き抜けに沿って「ALTERCATION」という言葉をステンシルを使ってスプレーで描いている二人のスキンヘッドに気づいた。背の低いヤツに何をしているのか尋ねると、ソイツはいったんだ「俺の知り合いがやってるバンドの名前だよ。土曜日にピラミッドで演奏してる。マジでやばいぜ」

 

アンディ・ガイダ(ALTERCATION、SUPERTOUCH):友人のマイルス(・リーフ)と一緒に、バンドをやろうとセッションをしていたんだ。ベーシストのエディー・コーエン(SICK OF IT ALL、LEEWAY)を知っていたし、他にもバンドをやってみたいってヤツがいた。それでみんなでブルックリンの東15番街にあるグレイト・ロック・スタジオで演奏してみたんだ。すぐに「オー・シット! これはヤバいぞ!」って思った。それがALTERCATIONの始まり。俺たちは本当に早く曲を書いた。まだ子供だったので時間はたくさんあったんだ。シンガーのジェイ(・ヴェント)とギタリストのポール(・カナデ)はいつもシーンの中で一緒にいたから、次に何をすべきかを知っていた。2、3ヶ月しないうちにポールは「デモをレコーディングするためにドン・フューリーのスタジオに入ろう」とね。俺たちの最初のギグは、YOUTH OF TODAYのLP『BREAK DOWN THE WALLS』と、WARZONEのシングル「Lower East Side Crew」のリリース・パーティーだった。CBGBでやったんだ。ラッキーなことに、このギグの直前にデモ盤が出来てね、すぐに受け入れられたんだ。それでこのデビュー・ギグの幸運を掴んだってわけ。

 

NYハードコア・シーン最大の伝説 ALTERCATIONを振り返る (2)

フレディ・アルバ:ALTERCATIONを見て心に浮かんだ言葉は二つ。「タフ」と「リアル」だ。彼らは俺と同い年ぐらいだった。剃った頭にフライングV、ニューヨークの裏と表に通じている子供たちがステージで反逆していた。彼らはメタルとハードコアをミックスして、さらにブルックリンらしい立ち振る舞いをしていた。

 

アレックス・ブラウン(GORILLA BISCUITS、SIDE BY SIDE、PROJECT X、Schism Fanzine):GORILLA BISCUITSのデモも素晴らしかったけど、ALTERCATIONのデモが、80年代後期NYHCの最高傑作だ。連中の一人はメタル系だった。彼らはブルックリン出身。ハードコアに足を踏み入れたメタル系であり、スキンヘッドもバンドをやっていくための方法だったと理解している。メタル/スキンのハードコア?その通りだ。

 

アンディ・ガイダ:当時の俺たち子供にとって、メタルはハードコアより見つけやすかったんだ。ALTERCATIONは二つをミックスしたニューヨーク最初のバンドだった。やりたいことを全部やっちゃう子供にピッタリの方法だった。俺にとってLEEWAYはハードコア・シーンの中のメタル・バンドだったし、LEEWAY以外に本物のハードコアはなかった。彼らは大好きなバンドの一つだ。だけど俺たちはメタルのリフを演奏するスキンヘッドだったんだ。

 

アレックス・ブラウン:俺は87年にピラミッドで見た。SIDE BY SIDEも多分演奏していたと思う。 ALTERCATIONは怖いぐらい良かった。ギタリストのポールはフライングVを弾いていた。俺はこんなギターを弾けたならいいなぁと、口をあんぐり開けて突っ立っていただけだったよ。

 

NYハードコア・シーン最大の伝説 ALTERCATIONを振り返る (3)

アンディ・ガイダ:みんながメタルとハードコア両方を一緒にしてしまうことを恐れていたと思う。しかし俺たちはそれについてあまり深く考えなかった。更に俺たちを際立たせていたもう一つの理由は、若くてメンバー全員が良いプレーヤーだったということだ。俺は放課後に毎日ドラムの練習をした。俺のヒーローがジョン・ボーナム、ビリー・コブハム、CRO-MAGSの マッキー、そしてBAD BRAINSのアールのような人々だったからね。 ギタリストのポールはランディー・ローズを愛していて、彼も偉大なギタリストになりたいと思っていたのを知っている。他の多くのハードコア・バンドはランディー・ローズなんて言わないだろうけどね。

 

ウォルター ・シュレイフェルズ(GORILLA BISCUITS、YOUTH OF TODAY、WARZONE、PROJECT X、QUICKSAND、RIVAL SCHOOLS):ALTERCATIONは NYHCの中でもずば抜けていた。曲は短く、強力だった。みんなモッシュして踊りまくっていたね。ポールは引き裂くようなリードを弾いていた。「ALTERCATION」という曲を初めて聴くまでピックの倍音なんて聞いたことがなかった。僕の耳に聴こえるALTERCATIONはCARNIVOREやSOD、ブルックリン・シーンの優れたものなら何でも吸収していたに違いない。人種差別主義を取り去って、スキンヘッドのハードコア・ミュージックとして再び焼き印を押したんだ。それは当時、流行り始めた一般的なハードコアの多くからのリベンジだった。ALTERCATIONは危険でありながら正義であり、そして今まで僕が知らなかった人々をギグに招き入れたんだ。

 

アンディ・ガイダ:ウォルターは何年も前にALTERCATIONについて最高におかしなことを言っていたんだ。「最初はALTERCATIONを好きになりたくなかった。なぜかというと、お前たちは危険な感じがして、それがNYHCの進んで行く道じゃないかと恐れていたから」ってね。俺たちは威嚇するようなアメリカ支持のスキンヘッド・バイブレーションを放ち、本当にそれを拡大した。

 

ジョーダン・クーパー(Revelation Records):ALTERCATIONのデモ盤が広がり始めて、みんなが夢中になったんだ。CRO-MAGSのデモ盤が最初に発表されたときと同じ感じだった。どこ行っても誰かがそれをかけているか、それについて話をしているようだった。

ウォルター ・シュレイフェルズ:僕はアレックス・ブラウンを通して、ALTERCATIONのデモ盤の存在を知った。アレックスとレイ ・カッポ(YOUTH OF TODAY)は熱弁をふるっていたね。更に僕がデモ盤を持っていなかったから、からかわれたっけね。レイは、彼のレーベルであるRevelation Recordsに入れたがっていた。でも表面上、ALTERCATIONがユース・クルーのアンチテーゼに見えていたんで、僕はレイに当惑したよ。でも僕が遂にデモを手に入れたとき、混乱が解決された。ただただ感動的で素晴らしかった。まるで新鮮な空気を呼吸したようだった。凶暴で、アメリカ支持者で、ブルックリン支持で、僕は虜になった。彼らは、スキンヘッドが何か、という概念に新たな意味を付け加えたんだ。英国、ヨーロッパの人種差別主義とはかけ離れたOiだった。デモ盤の歌詞とその描写は『タクシー・ドライバー』から削除されたシーンみたいだったよ。

 

アンディ・ガイダ:歌詞は未熟だったな! 大人の男として、生き恥だ。 面白いのは、ポールの当時のガールフレンドだったビアンカがすべての歌詞が書いたことだ。だから歌詞については自分たち自身さえ責められないんだよ!その当時俺は「Fuck yeah!アメリカ!」だった。少ししか人生を知らなかったし、なぜ17歳でこのような馬鹿なことを歌って自信を持っていたのかがいまだに分からない。2013年にブラック・アンド・ブルー・ボウルで再結成をした時、まさか「America」や「Vigilante Song」のような歌をまた演奏するなんて信じられなかった。しかしジェイが言ったんだ。「リアルに受け止めるヤツなんで誰もいないよ」 ってね。そう、俺たちはもちろんこんな戯言を信じちゃいないからね。息子が17歳になったらALTERCATIONのデモを聴かせてこう言うんだ。「歌詞を聞いてみろ! お前はこういうことをするな!」

 

フレディ・アルバ:残念なことにALTERCATIONは解散までたった4回しかギグをしなかった。メンバーのうち二人はWARZONEに移籍した。だからWARZONEのレイビーズは演奏する時ちょっとナーバスになっていた気がする。

 

ウォルター ・シュレイフェルズ:ALTERCATIONが続かなかったことは本当に残念だった。もし続いていたならもっとビッグになっていたに違いない。でもメンバーの内二人はWARZONEで素晴らしいレコードを作った。『DON’T FORGET THE STRUGGLE, DON’T FORGE THE STREETS』はお気に入りだ。結局すべてに理由があった。それですべてが始まったんだ。クールなことは、彼らが素晴らしい時代に素晴らしいのデモ盤を後に残したということだ。

 

NYハードコア・シーン最大の伝説 ALTERCATIONを振り返る (4)

アンディ・ガイダ: レイビーズがWARZONEのためにジェイとポールを引き抜いた。 彼は二人を気に入っていたんだ。そしてジェイはレイビーズのブラザーになった。だからジェイはしばらくの間「ジェイビーズ(Jaybeez)」なんて言われてたんだ。もちろん最初はWARZONEに入った二人がすごく嫌いだった。しかし分かったのは、彼らがALTERCATIONを終わらせるために、WARZONEに加入したわけではないということ。決して本当の分裂があったわけじゃない。それはただWARZONEが大きなプライオリティになってしまったということだ。

 

そこには神秘性があったと思う。もしバンドが続いていたなら、おそらくビッグになっていたと思う。しかし同時に、そうならなかったことが嬉しい。なぜなら俺たちは馬鹿なことを言うマヌケなキッズだった。たった一つの本当に良いデモ盤を作って、たった4回の良いギグを行って、そして姿を消した、という事実は本当に人々を興奮させる。そして同じく、俺たちがSUPERTOUCHとWARZONEのようなバンドに移ったという事実も大事なことだと思う。ポールと私は最近一緒に作業しているし、大のWARZONEファンの若者とも仕事をしている。ポールはALTERCATIONがハードコアに大きい影響を与えたことを理解していなかった。ハードコアがまだ続いていたことさえ知らなかったんだから!彼はいまだにALTERCATIONを誰かが評価していることにショックを受けている。俺たちみんなはALTERCATIONを好きでいてくれる人がいることに感謝しているんだ。

 

ALTERCATIONは3月1日日曜日、ブルックリンのグランド・ビクトリーで、トニー・レトマンの書籍『ニューヨーク・ハードコア(NYHC) 1980-1990』の出版記念パーティーに、NIHILISTICSとTHE HIGH & THE MIGHTYとともに出演するため再結成された。

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