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MAYHEMのベーシスト、ネクロブッチャー(Necrobutcher)こと、ヨルン・ストゥッベルド(Jørn Stubberud)による初の書籍『The Death Archives:Mayhem 1984-94』のUS版が、サーストン・ムーア(Thurston Moore)のエクスタティック・ピース・ライブラリー(Ecstatic Peace Library)より発売された。悪名高いノルウェーのブラック・メタルバンドの歩みとともに、レアな写真、ダイアリーなどが満載の本書は、オリジナル版が発売されて以来、数年も経たないうちに、既にブラックメタルファンの必読書となっている。ファン以外にも、バンドにまつわる一般的なイメージ、つまり殺人、教会放火事件など、センセーショナルな歴史を超えたところにあるMAYHEMの真実について、より深く知りたいファンにとっては魅力的な著作だ。

以前、インタヴューで、ムーア(ノイズ愛にあふれる博識家。SONIC YOUTHのギタリスト。しかしMAYHEMのメンバーによる著書を出版するというのは、当初結びつかないように思えた)は、自らのブラックメタル愛と、このプロジェクトがスタートした興味深いストーリーを詳しく教えてくれた。「ヨルンが、部屋のベッドの下にあった未発表写真とか、貴重な資料をまとめて自伝を書いた、と知ってとても興味を持ったんだ。その本はどこにもなかったんだけど、ノルウェー北部のあるCDショップに1冊だけあった。後にも先にもノルウェーで見つけたのは、この1冊だけだった。すごく読みたかったから、エクスタティック・ピースのパートナーと一緒に、出版を決めたんだ。ノルウェーの出版社に電話したら、担当の女性はこういった。『私たちも嬉しいですし、ミュージシャンであるあなたが出版してくれるんですから、彼もすごく喜ぶはずです』。そんなこんなで英語版の出版権を手に入れた。内容も素晴らしかったよ。控えめな言い回しで書かれているんだけど、地に足がついていて、自殺や殺人、教会への放火など、バンドにまつわる様々な事件の脱神話化を試みている。スキャンダラスな要素を抜いて提示しているんだ。MAYHEMは2年くらい、客がほとんどいない会場でプレイしていた。でも数々の事件を起こしてから、『このヤバいバンドはどこのどいつだ?』って注目されるようになった。そして、ブラックメタルを代表するバンドになったんだ」

そしてこのたび、ムーアとネクロブッチャーの対談が実現した。ふたりの初顔合わせだった、ロンドンでのミーティング中に交わされた会話だ。

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サーストン・ムーア:MAYHEMは、あなたとユーロニモス(Euronymous)とマンハイム(Manheim)の3人で始めたというより、あなたとユーロニモスのふたりが中心になって結成されたんですね。知りませんでした。

ネクロブッチャー:そう。俺たちは同じ県で育ったんだが、違う地域に住んでいたから交流はなかった。お互い知らなかった。初めて彼に会ったのは、1984年の夏。俺以外にVENOM好きがいるなんて驚いたね。すぐに仲良くなってバンドを始めた。でも本当は、とあるバンドが、俺を加入させたがっていて、その交渉の代理人としてユーロニモスが現れたんだ。駅からそのバンドのリハーサル・スペースに向かう途中で、俺たちは意気投合して、いつか一緒にバンドを組もうって決めた。

80年代中頃のあなたは、ノルウェーの小さな町に住んでいましたが、どうやってVENOMを知ったんですか?

ロック好きなクリスチャンの友人がいて、そいつがある日「お前の好きそうなアルバムがある」と教えてくれた。そのアルバムがVENOMの『Black Metal』(1982)だったわけだ。当時は異様な作品だった。もちろん俺はどハマりした。そもそもMOTÖRHEADの大ファンだったから、VENOMを好きになるのも自然な流れだ。その前はTHE ROLLING STONESにハマってた。STONESが史上最高のバンドだっていう家庭で育ったんだよ。そこからMOTÖRHEADに影響を受けたんだが、VENOMが俺をもうひと段階上へもっていってくれた。明らかにVENOMのほうがイメージ重視だったのもある。

米国でVENOMが人気になったのは、BLACK FLAGやMINOR THROATなど、ハードコアの流れがあったからなんです。なぜか当時は、誰もメタルをそれほど聴いていませんでした。メタルは1977年頃には一掃されてしまった感があり、LED ZEPPELINのレコードも、BLACK SABBATHのレコードも、DEEP PURPLEのレコードも、JUDAS PRIESTのレコードでさえも、全て隠されてしまいました。復活したのは、ハードコアバンドが髪を伸ばし始めてからですね。ジャンルとして進化し、もっと発展したアイデアを実践するようになった。そういった時代のなかで、録音状態の悪い野性的なサウンドを鳴らし、サディスティックで野蛮なイメージをまとったVENOMに、私たちはハマっていったんです。本当に面白い存在でした。

なるほど。俺は、たいして歌詞には注目してなかった。それ以外のところのほうが大事だった。特にサウンドだ。俺はそもそもパンクロックが大好きで、MAYHEMのファーストアルバムも〈パンクロック〉と呼んでいたくらいだ。実際こういうヘヴィーなサウンドをなんて呼べばいいのかわからなかった。アルバムは『Deathcrush』と名付けた。俺たちのバックグラウンドは〈間違っている〉モノ、違法なモノ全てだ。俺は当時、スイッチブレード・ナイフやスプラッター映画を集めていた。なぜかというと、ノルウェーではそういうもんは怖がられていたからだ。皆、ブラック・ユーモアを理解できなかったんだ。俺たちはダリオ・アルジェント(Dario Argento)監督の作品を買いにオランダのビデオ屋に通っていたんだ。ノルウェーでは違法だったから。あとはルッジェロ・デオダート(Ruggero Deodato)の『食人族』(Cannibal Holocaust, 1980)のブートも入手した。そのVHSは何度もダビングを重ねられたもので、映像は粗いし、白黒だし、「これって本物かよ?」なんていってた。まぁ、結局これらはただのエンターテインメント作品だった。あとになってわかったね。そういう類いのモノを、当時、過剰摂取しすぎた。今はまったく好きじゃない。

私たちの世代にとって、それこそ80年代ですね。『Fangoria』『Psychotronic』など、ホラーやスプラッター映画の専門雑誌がありましたから。そういったモノと、流血、残忍な行為、悪魔崇拝(サタニズム)など、新しく出てきたアンダーグラウンドなメタルカルチャーとの関わりっていうのは、間違いなくありましたよね。ある意味、そういう映画の美意識とメタルは同じかもしれません。映画に出演する俳優やスタッフは、本物のサタニストではない。だけど、そういう暗黒面に胸をときめかせて、それをアートとして昇華させようと企んでいた。

ロックミュージックにおけるサタニズムに惹きつけられたのは、俺たちがクリスチャンの地域に住んでいたからだ。県が定めた宗教があって、それがキリスト教だったんだ。社会に対して反感を覚え、反抗したかったのは、キリスト教なんて馬鹿げている、と確信していたからだ。地元で尊敬される名士たち、たとえば学校の教師なんかは、ほとんどが敬虔なクリスチャンだった。本当にこんなナンセンスなモノを信じてるのか、と俺は尋ねていた。でも成長するにつれて、宗教っていうのは大衆操作のいち形態で、1000年前の野蛮な人間たちを導く指針だったと気づいた。そこで聖書が重要になるわけだ。〈他人の頭をかち割るのはいけない〉という教えは、悪くない教えだったろう。現代でも指針が必要な国はある。コーランを最重要の経典としている国はたくさんあるわけだが、これから数年はそれを指針として、物事を正す必要があるだろう。皆、イスラム教は同情の宗教だというけれど、俺には〈同情心〉が発揮されているようにはみえない。

全ての宗教がなくなればいいと?

まったくそのとおりだ。でも俺たちが反抗できるのは、敵がいるからだ。高いところにね。

立ち入った質問かもしれませんが、その信念の基礎に、なんらかの信仰心はないんでしょうか?

ない。だからこそ俺はここにいる。個人としてここにいる。はっきりいうが、俺は無信仰者だ。なにも信仰していない。自分の生き方しか信じていない。

仏教徒でもないと?

少なくとも仏教は人々に同じ行動を強いる宗教ではない。自分たちは特別で、メンバーでなければ温かく迎えない、という〈宗教〉とは別物だ。教えを広めるというより、なにを考えるべきかを教えてくれる。だからキリスト教や他のクソみたいな宗教より仏教はマシだ。

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20代の頃には、すでにそのような宗教に対する見解を自覚していたんですか? それとも、とにかくバンドをやりたかったんですか?

当時から意識はしていた。今回の著書には俺の〈堅信礼〉のときの古い写真も掲載している。本来はキリスト教の儀式だが、その代わりにパーティーをしたり、プレゼントが欲しいやつらのための式もあるんだ。ノルウェー語では〈ボルゲリ(Borgerlig)〉、〈俗人の堅信礼〉と呼ばれている。俺はそれに参加した。その免状をもらうための列に並んでいるときの写真もある。俺は苗字が〈Stubberud〉で、Sから始まるから、名前の順で並ぶと後ろのほうなんだ。それはユーロニモスも同じだった。あいつの本名は〈Øystein Aarseth〉で、苗字がAARで始まるから最後だ。だからその列に並んでる写真を見ると、お互い知り合う前なのに、俺とユーロニモスが一緒に写ってるんだよ。この式は俺にとって、意識的な選択だったけど、未来の共犯者であり、一緒にバンドを組むユーロニモスにとっても、それは同じだった。当時、オスロ外の地域で、この儀式に参加したのは12人だった。今は参加者と不参加者の割合は半々くらいらしい。不思議なもので、当時から俺たちふたりは、同じような考え方をしていたんだ。いつだったか、誰かと話してて、そのとき同じ部屋にいたユーロニモスに「俺たちが初めて会ったのってあの駅だよな?」って訊いたら、あいつは「違う。ボルゲリで会ってるじゃないか」っていった。でも当時の俺は、革ジャンを着てナンバープレートを外したスクーターに乗って、タバコも吸うような悪ガキだったから、あいつは俺に話しかけなかったらしい。あいつはもっと地味な風体だったんだ。

本当に仲良くなったんですね。

ああ。俺のソウルブラザーだ。凸凹コンビだった。

おふたりはそうやって同じ町で育ち、自分たちが見習うべきはこの町にはない、と気づいていたんですね。そこで参考にしたのが、VENOMや他のパンクロックだったと。ちなみに、当時、注目していたノルウェーのメタルバンドはいましたか? たとえばDARKTHRONEとか。彼らの活動については知っていましたか?

いや、その辺のバンドはもっと後から出てきた。DARKTHRONEが俺たちに手紙を送ってきたときなんかは、あいつらを敵のように扱ったよ。鼻クソを入れた灰皿を、封筒に入れて、切手も貼らずに返送したんだ。受取人は郵便局から、「手紙が届いています。受け取るには5クローネ(日本円で約80円)お支払いください」って通知が届く。受取るヤツは、わざわざそれを取りにいって、開いてみたら鼻クソが入った灰皿なんだ。それが、送ってきたテープに対する返答だ。「バンドのことは忘れろ、望みはない。お前らはクソだ。やめとけ」って意味だった。

誰かそんなことを?

ユーロニモスだよ。

なんでそんな仕打ちを?

わからない(笑)。でも実際にあいつらに会ったら親友になった。まぁ、それ以上の出来事はなかったが、ノルウェーのバンドが出てきたときはいつもそんな感じだった。俺たちを尊敬してくれるやつらには灰皿を送っていた。

今回の著書は、写真やフライヤーなど、あなたが保管していた様々な資料とともにページが進みます。当時、あの瞬間に何が起こっていたのか、あなたの記憶も蘇り、歴史がはっきり見えてくる。とても興味深く読ませていただきました。そして様々な人物も登場します。やはりMAYHEMのヴォーカリストだったデッド(Dead)は欠かせません。彼がスウェーデンからやってきたときのノートも重要ですね。でも彼は自殺前には、何も残していませんでした。

JOY DIVISIONみたいだったな。最初はうまくいってたんだが、自殺してしまった。

当時の音源を聴くと、あなたたちは本当に荒々しいサウンドを展開していましたよね。間違いなく唯一無二のサウンドです。当時、バンドについてはどう考えていましたか? 「俺たちは最高だ。俺たちは重要なバンドになる」とか。

世界でいちばんビッグなバンドになる。成功する。そう信じるのに時間はかからなかった。初リハーサルから覚えている。それ以前に俺がやっていたパンクバンド〈MUSTA〉のギタリストを募集したんだ。そしたら、ユーロニモスがオーディションを受けに来てくれた。そのときの嬉しさは忘れられない。あまりに嬉しくて、勢いよく外に出てジャンプしたくらいだ。バンドとして進化できるのが嬉しかった。あの気持ちは消えてない。それがあるからこそバンドへの情熱も維持できた。長年やっていればトラブルもあるし、停滞もした。いろんな事件があって、それでも歯を食いしばりながら、今でもバンドを続けているのには、自分でも驚く。「殺されたお友達、自殺したお友達にお悔やみ申し上げます」、なんていってくれるヤツはいなかった。その代わり俺たちを攻撃した。まるで俺たちが悪いかのように扱われた。そんな状況でどう活動を続けりゃいい? 責めるような言葉を投げかけるのではなく、こき下ろすのでもなく、俺たちの活動を評価してもいいだろう?

そんなヤツらに囲まれていたけれど、成功したかった。新聞では、かなりのヘイトキャンペーンが繰り広げられた。俺たちは皆に憎まれていたんだ。通常の記事としては、いっさい扱われなかったし、扱われたとしてもネガティブな内容だった。その風潮は何年も何年も続いた。そしてある日、オランダのホテルの部屋をめちゃくちゃにした、といって逮捕された。そこでまた突然、俺たちがニュースになった。最高に馬鹿馬鹿しかった。9時のニュースで、「この男たちをご覧ください。彼らの狼藉をご覧ください。われわれがずっとお伝えしてきたとおり、この男たちは完全に常軌を逸しています。この男たちを非難し続けたわれわれは、常に正しかったんです」、なんていってたんだ。そのあとアルバムを数枚出して、ワールドツアーも何回かして、海外の人たちも俺たちを知り始めた。その事実が、ノルウェー当局にプレッシャーを与えてくれたんだ。「ちょっと待て。このバンド人気あるんだぜ」って伝えてくれた。ただ俺からすれば、ちょっと遅すぎた感もあった。俺たちがノルウェーのエミー賞、グラミー賞を受賞するようになって、「え、あいつらが受賞したのか? まさか!」となり、それから周りから媚びられるようになった。俺たちはもうそんなの気にしていないけれどね。でも、俺も48歳になった。時が経つのは早いもんだ。今じゃノルウェー大使館のお墨付きもある。

時代は変わりましたね。おそらくノルウェー大使館で働く多く大勢が、同年代なのではないでしょうか。きっと彼らもあなたたちの音楽を聴いて育ったので、彼らの文化にとって重要なものとして支持されているのではありませんか?

 新世代だな。今回の本に関連して、ロンドンのノルウェー大使館がなにかやりたいと依頼がしてきたんだが、それは、名誉と受け止めている。「ああ、クールだ」とね。俺の最終的な夢はコスタリカ大使だ。クソみたいな大使になりたい。

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あなたにぴったりです。もしユーロニモスが、MAYHEMの現在の栄誉を知ったら、どういう反応をするでしょう?

そうだな。俺たちふたりは似ている。兄弟みたいなもんだ。魂が同じだった。もちろんあいつは、俺と同じくらいに喜ぶだろう。ただの推測じゃない。俺たちふたりは同じだ。家から40分の距離に住んでいながら、ずっとお互いを知らずに過ごしてきた〈双子の兄弟〉の存在に俺たちは驚いた。だから出会った瞬間っていうのは、マジで大事件だった。だからアイツが死んだとき、そのときと同じくらい衝撃を受けた。最悪だった。でも、あんな事件が起こっても、あいつらに敬意を表す意味でも、そしてなにより自分のためにも、「それが人生だ。とにかく進んでいくしかない」、そう考えてやってきた。それが俺のやり方なんだ。俺はミュージシャンだ。バンド活動を続けなきゃいけないってな。死んだヤツらのことは絶対に忘れない。今でも多くの人々にとって、重要な意味をもつ事件だった。何年もかけてその事件は神話になった。死んだ人間っていうのはヒーローだ。いつだってそう。

MAYHEMの粘り強さには感銘を受けます。デッドが自殺し、BURZUMのヴァルグにユーロニモスは殺され、その他の様々な事件が絡んでも、全てを乗り越えてきました。実際MAYHEMの曲は、忌まわしい時期以降につくられたほうが多いのですから、本当に素晴らしい。でも、一時期バンドから離れていましたよね。

ああ…その話題に関しては、あまり語りたくないんだが、実際どうだったかというと、俺はカマかけて、オイスタイン(ユーロニモスの本名)にこういった。デッドの死体写真は全部焼いてくれ。そして俺も忘れてくれ。電話もするな。手紙もよこすな。連絡してくるなら自殺の写真を焼いてからにしてくれと。でもあいつはそのあと殺されてしまった。それに自殺の写真も、結局ユーロニモスは数人に送っていて、俺がカマをかけた意味はなかった。写真の受取人は、コロンビアから来たとかいう男で、そいつがデッドの自殺死体をジャケットに使って、『Dawn of the Black Hearts』をリリースした。このアルバムについては、俺はずっとリリースの差し止めや、写真を使用しないよう、働きかけてきた。多くのレコード屋でも問題になっていた。これが違法な写真であるとわかろうとしない、更に商品として売られるなんて信じられなかった。俺はレコード屋で、叫びながらこのアルバムを棚から排除した。だけど数日後には棚に並んでいたんだ。大問題だった。それがきっかけで、俺は2年間バンドから離れた。デッドが大衆の目に晒されていたんだからな。あいつがノルウェーにやってきて、俺は弟のように面倒をみようと考えていた。弟みたいなヤツが自殺するなんて最悪だ。俺にとってはダメージが大きかったんだ。

事件に関するあなたの筆致は素晴らしいですね。地に足がついているというか、ある意味で脱神話化を図っているように感じました。ブラックメタルについて、そしてMAYHEMについて、私たちがメディアを通して入手した情報の脱神話化です。殺人、自殺、教会への放火は、格好のネタです。しかし、そんなバンドの創始者であり、事件の関係者であり、内情をよく知っている人間が、真実をここまでしっかり語っている。しかも美化していない。このような本は初めてではないでしょうか。デッドとの関係、ユーロニモスとの関係、そしてヴァルグについて。これらを語るあなたの文章を読んでいると、とてもパーソナルな印象を受けます。適切な時期に出版されたとも思いますし、このジャンルの音楽、特にMAYHEMの音楽が、これからも発展していくんだ、と実感できます。いろんなカタチで広がり続けていていますし、袋小路にハマった音楽ではない、少なくとも私はそう考えています。その点で、あなたには感謝を伝えたかったんです。

こちらこそありがとう。

この本のオリジナル版は英文ではないので、初めて見つけたときは内容がわかりませんでしたが、写真を眺めるだけで心から感動しました。これだけでも満足なくらいです。ここまでヴィジュアルデータが掲載されているなんてすごいですね。

ここらで、この本の出版経緯を話しておこう。俺は怠け者で、もし最低限生きていけるのであれば何もしないような男だ。悲しい事実だが、暇さえあれば家で寝ている。しかし俺のバンド、俺の音楽、俺のイメージ、俺の名前、俺の写真などを使って稼ぐ人間たちが現れた。そういうやつらが俺のストーリーを、本やら、ドキュメンタリーやら、映画やら、雑誌やらで語り始めた。それ自体はまったく悪い行為ではない。しかし、事実に反する出来事を事実と称していれば話は別だ。たくさんのヤツらが、真実を語らない連中を利用し、その情報を本にして稼いでいた。まあ、連中は自分にとっての事実を語っていたわけだが、ある意味、俺たちの代わりに事実を美化したがっていたんだ。そういう本が出るたびに、ジャーナリストたちが俺に連絡してきた。「この本に書かれている件についてはどうお思いですか……」。なんで俺に確認するんだ。なんで俺が発言しなきゃいけないんだ。そこで他人の本の登場人物になるのでなく、本を書いて、実際どうだったかを克明にして、他人の憶測、クソみたいな答え合わせなんか終わりにしたほうがいいんじゃないか、と考えたわけだ。今、ハリウッドでは映画の製作が進んでいる。俺は、この本にたくさんの写真を載せて、映画は事実に即してない、本当は映画で語られているものは違う、と気づいて欲しかった。結局、脚本を書き直したらしいがな。そしたら今度は音楽が必要だとよ。向こうが電話してきて、俺に取り入ろうとしてきた。「ファック・ユー」っていってやったよ。さっきもいったが、俺は基本的に怠け者だ。イスに座って本を書くなんてクソだ。実際、最初はすぐに書き終わると考えていた。でもそうならなかった。1年以上かかった。かなり大変だった。信じられないくらいにな。

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しかし、この本のストーリーは途中で終わっていますね。

最初の10年分だけを扱おうと決めていた。それだけでもかなりの情報量になる。もしバンドの歴史全部を網羅していたら、最低でも1000ページになる。300ページで十分だろう? それに全部読んだら、続きも読みたくなるもんだろ。俺はそういうのがいいんだ。次の本はいつ出るんだ、っていう期待が生まれる。それが好きなんだ。

あなたがイギリスに行ったときの話も興味深かったです。VENOMのようなバンドを生で観るためにはどうすればいいのか? どうやってロンドンに行くか? その方法を探っていたそうですね。1章丸ごと割かれています。最高でした。

当時、飛行機はビジネスパーソンのためのもので、クソみたいに高かった。だから飛行機を使おうなんて考えはなかった。当時は皆、ノルウェーから船で渡英していた。俺の友達の姉妹に、旅行会社で働いている娘がいたんだが、そこでは1週間のホテル付きツアーなんかを扱っていた。だから、それを利用してロンドンに行ったんだ。到着して1日目、ハマースミス・オデオン(現ハマースミス・アポロ)で、友達とVENOMのチケットを買った。会場は満員。近くにレコード屋があったから、ホテルに歩いて帰る途中そこに寄った。ホテルはめちゃくちゃ遠かったから、その〈Shades〉っていうレコード屋を見つけられたんだが、そこはヨーロッパにおけるメタルミュージックの聖地だったんだ。閉まっていたから店の前に座って待っていた。するとちょっとオヤジ臭い男がやってきてドアを開けてくれた。その男こそがデイヴ・コンスタブル(Dave Constable)だったんだ。『Metal Force』誌でライターをやっていた男だ。俺たちは店内をうろついて、初めて見るお宝をたくさん見つけた。店の奥で俺たちふたりは「すげえ!!」って叫んだね。初日で50枚ものレコードを買った。そしたらデイヴが「おめえらが好きそうなレコードはまだまだたくさんあるから、明日また来いよ」って誘ってくれたんだ。

もちろん翌日も行って、デイヴが教えてくれたものは全部買った。彼とは友達になってね、俺たちの最初のデモテープも送ったんだ。そしたら『Metal Force』にレビューが載った。全部話すと長くなるが、レビューはこんな風だった。「本作にはヴォーカルがいない。ベースのように聴こえる低いオナラの音が鳴っている」とね。本当はヴォーカルも入っていたんだがな。で、その次には別のバンドのレビューがあった。そのレヴューはただ「zzz」としか書かれていなかった。つまり「眠い」ってワケだ。それを見た俺たちは、「俺たちイケてるんじゃないか。こいつら結構なバンドだけど、俺たちのほうが良いレビューだぜ!」って喜んだよ。あと面白かったのは、その1年後、『Deathcrush』のレコードを出したときの話だ。125枚プレスしたんだけど、それを全部デイヴに売ったんだ。そうするとだな、〈Shades〉での売り上げは輸入盤として扱われる。それでなにが起こったかって、俺たちはその125枚のおかげで、イギリスの公式輸入盤メタルチャートで1位を獲ったんだ。痛快だったな。以前、ロンドンのヤツらから、〈Shades〉はもう同じ場所にはない、と教えてもらった。ソーホーにあったんだけどね。でも、今でもロンドンには〈Rough Trade〉という素晴らしい店がある。ここもレコードの聖地だな。今回初めて来たってのが自分でも信じられないよ。

今もツアーのときはレコードを買いますか?

さんざんやったから、もう買ってない。

もしあなたのコレクションにある『Deathcrush』のオリジナル盤が必要なくなったら、ぜひ私に連絡ください。

ああ、何枚か持ってる。やたらと価値が上がってる。『Record Collector』を読むのが好きなんだが、ノルウェーのアルバムのなかで、いちばん高価で、いちばんレアなアルバムとして認められている。何千ポンドの価値がついてるなんて面白いよな。俺たち自身がレコードコレクターだったのに、自分たちのレコードがお宝とはね。

そうですよ。本当にすごい!

やったな(笑)。

私自身にもそんな経験があります。中古レコード屋に通ってたんですが、〈S〉の棚にはSONIC YOUTHのレコードはありませんでした。まだ誰も私たちのレコードを手放していなかったんです。でもある日初めて見つけました。「マジかよ! 誰かが売ったんだ! でもなんでこれを? もう廃盤なってるのに!」とね。ガッガリしましたよ。