Interview by Tony Rettman

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「第3問です!アメリカで一番最初のハードコア・パンク・バンドといえば?」パネル・クイズ・アタック25でも出そうな問題ですが、その答えのひとつとして挙げられるのが、カリフォルニア州サンタアナ出身のTHE MIDDLE CLASS。1979年の彼らのデビュー・シングル「Out of Vogue」は、BAD BRAINSの「Pay to Cum」、STIMULATORSの「Loud Fast Rules」、BLACK FLAGの「Nervous Breakdown」らとともに、ハードコア・サウンドの先駆的存在であり、青写真となったと考えられています。あれから36年。バンドのギタリストであったMike Attaが癌で亡くなって1年を迎えるこの時期に、いきなり「Out of Vogue」のビデオがドロップされました。あらあら、なんで??

もちろんこれは嬉しい事件なわけでして、お祝いの言葉と共に、THE MIDDLE CLASSのボーカリストであったJeff Attaにインタビュー。ビデオのことはもちろん、当時のL.A.ハードコアシーンや、MIDDLE CLASSがポスト・パンク・アルバム『Homeland』をリリースしてシーンから去っていったことなど、ワクワクと聞いてみました。

Out of Vogue」のビデオは、なぜ今になってリリースされたのですか?

これを撮影した男は、FRONTIERレコーズのオーナーであるLisa Fancherの友達なんだ。彼は俺たちのファンだったらしい。それで彼が勝手に撮ったんだよ。Lisaが教えてくれるまで、俺たちはその存在すら知らなかったんだ。

このビデオについてどう思いますか?

素晴らしいと思っている。最初は見るのが怖かったんだ。だってオーディエンスがスラムダンスとかしていてさ、暗くて、ヴァイオレンスなビデオだと思ってたから。だからこの作品は、素敵なサプライズだったね。予想とはまったく反対のイメージだからね。良いアイデアだ。

MIDDLE CLASSは、カリフォルニア州、オレンジ・カウンティの出身ですが、郊外のバンドが次々L.A.のハードコアシーンに入り込んで行く前に、あなたたちは既にそのシーンにいたんですよね?

そのとおり。RAMONESやDICTATORSを聴いてるヤツなんて、オレンジ・カウンティには一人か二人、そして俺たちしかいなかった。あとになってから、当時、フラトンにもMECHANICSやAGENT ORANGEのようなバンドがいたことを知ったんだけどね。それからまもなくして、ハンティントン・ビーチでシーンが形成された。でも俺たちはそんなことも知らなかった。完全に孤立していたんだよ。LED ZEPPELIN やJETHRO TULL好きの白人や、オールディーズが好きなメキシコ人に囲まれていたんだからね。

Out of Vogue」は自費でリリースしたのですか?JOKEレコーズは、あなたのレーベルですか?

違うよ。Billy S. Starrという男がリリースしてくれたんだ。MIDDLE CLASSのベースだったMike Pattonが全部仕切ってくれた。ヤツは、アンプを買ってくれるパトロンみたいな人間も見つけてきてくれたよ。1980年に出した2枚目のEP「Scavenged Luxury」は、自分たちで出したんだ。

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L.A.のパンクシーンがハードコアと融合したのは、いつ頃でしたか?

俺が初めて大きな変化に気づいたのは、GERMSと一緒に演奏したときだね。確かT.S.O.Lも一緒だったと思う。客の感じがいつもと違っていた。あちこちで喧嘩もが起こっていたし、ちょっと恐ろしかった。殺伐としていて、すごく不快だったのを覚えている。

楽しくなかったと?

その通り。危ないから女の子たちも来られなくなったしね。あとファッション的にも俺たちは合わなかった。いつもハードコアとハリウッドのパンクの間に挟まれていたんだけど、どちらにも完全にハマらなかったんだ。

ハードコアは、L.A.のパンクシーンに悪影響を与えたのでしょうか?

そうだね。ハードコアのライヴの度に、誰かが警察に通報して、ショーは中断されていた。1週間か2週間くらいだったと思うんだけど、ザ・ウィスキー・ア・ゴーゴーに、ハードコアとか、パンクのバンドばかり出演した時期があったんだ。そしたらトイレが酷いことになって、そっち系のバンドは出演禁止になった。元々どこにも演奏させてくれるところがない状態で始まったシーンなのに、ハードコアが出てきた途端、出入り禁止になったんだからね。皮肉なものだよ。それで俺たちも違うスタイルで演奏するようになっていったんだ。

では82年に発表したアルバム『Homeland』で、MIDDLE CLASSはポスト・パンク・スタイルを展開していましたが、それは当時のシーンに対する対応だったのですか?

そうだよ。レコーディングの1週間前に、俺たちは今までのセットリストをすべて吐き出した。そして、まったく新しい曲を書くことを決めたんだ。WIREやGANG OF FOURみたいなね。俺たちがどこまで違う方向にいけるか、試してみたんだ。

あなたたちが「Out of Vogue」のスタイルを守り続けないことをシーンは軽蔑しませんでしたか?

いいや、まったく。誰もあの曲をそれほど特別に感じていなかったと思うよ。

Homeland』への反応はどうでしたか?

あれがリリースされるのに6ヶ月もかかったんだよね。PULSEレコーズから出たんだけど、ヤツらはずっと、「もっと大きいレーベルに売り込んでいるから」とイキがっていてね。結局、PULSEから出たんだけど、ヤツらは最初から自分たちでリリースするつもりだったんだ。時間を稼いでいただけだった。でも『Homeland』がリリースされた頃は、既にパンクシーンは分裂していて、ハードコアか、ポスト・パンクか、サイコビリーか、という状態になっていたんだ。時間稼ぎは無駄になっていたよ。それに俺たちはハードコアだと思われていたからね、みんな『Homeland』を聴いて混乱していたな。

1979年にはいくつかのレコードがリリースされ、ハードコア・パンクのマニアたちは、どれが一番最初のアメリカン・ハードコア・パンクなのかということについて、いつも議論をしています。BAD BRAINSの「Pay to Cum」なのか、BLACK FLAGの「Nervous Breakdown」なのか。そしてもちろん「Out of Vogue」だという人もいます。この熱い議論について、意見はありますか?

俺たちは別に「新しいジャンルのパンクをやろう」と思っていたわけじゃないんだよ。俺たちは若かった。だからパンク・ロックを、シンプルかつ速くしただけ。他とは違うことをやろうなんて、思っていなかったんだよ。どれが最初かなんて分からない。BAD BRAINSの「Pay to Cum」かもしれないし、「Out of Vogue」かもしれない。どっちかが、2日ほど前にリリースされたのかもしれない。でも俺たちは一番になりたいからって、プレス工場に他のレコードをストップさせたことなんてないよ。今でも、ほんの少しだけでも、認められているだけで嬉しいんだよ。