生前のプリンス(Prince)が残した未発表曲を収録したEP『Deliverance』が4月21日にリリースされる。しかし、このリリースに対して、ペイズリー・パークとプリンスの遺産管財人が訴訟を起こした。被告は、EPの共同作曲者であり、プロデューサーのイアン・ボクシル(Ian Boxill)。原告団は、「ボクシル氏は、自らの利益のために複数の曲を利用しようとしている」と主張し、所有権を求めて争う姿勢を見せている。現段階で、このEPがリリースされるか否かはわかっていないが、〈紫の君〉は、このような状況をどう思っているのだろうか。プリンスの事例から、アーティスト死後の未発表曲リリースについて考えてみる。

追記:日本時間4月21日の深夜、米国連邦裁判所は原告の要求を認め、『Deliverance』のリリースは中止となった。これまで試聴できていたSOUNDCLOUD及び、『Deliverance』のオフィシャルサイトも閲覧ができなくなっている。

§

自らの死について誰も考えたくはないはずだ。もし、考える人がいるのなら、それはアーティストたちだろう。しかし彼らの死への考え方は、あくまで抽象的で詩的であり、「自分の遺産や知的財産の管理人をハッキリさせるため、書類をまとめておかないと」なんて考えはしていないだろう。2016年に57歳で突然亡くなったプリンスもきっとそうだったはずだ。だから彼は遺言の類をいっさい残さなかった。

プリンスの死後、〈遺産を誰が管理するか〉の煩雑な法的手続、聴聞会が数ヶ月にわたって続いた。遺産はとんでもない額だったので、全世界から注目された。混乱きわまる状況は、絡まったiPhoneのイヤホンコードをほどくように徐々に整理され、ファンたち、そして、関係者は結果を気にしていた。彼らは、プリンスの〈突然の死〉という最悪の報せを悲しみつつも、死が彼の自宅金庫室に収蔵されているであろう未発表作品のリリースにつながるのでは、という淡い期待を抱いていたからだ。

まず、プリンスの遺産管財人が決まった。そして、捜索の結果、彼の遺言は見つからなかった。そのため、ついに皆が(期待をもって、あるいはひやひやしながら)待ち望んだ結果が発表された。プリンスの金庫は開かれ、アウトテイク、デモ音源、ライブ音源などの作品をリリースすべきだ、という内容だった。

プリンスの自宅金庫室についての複雑な事情を知らない向きのために、金庫室に眠っているであろう作品を紹介しよう。まずプリンスのサイドプロジェクト、THE REBELSの作品。本人が「特徴も面白味もない」と判断してボツにした作品だ。そして、プリンスの別人格で、倍速にした歌声が特徴的なカミール(Camille)名義でのリリースを予定していたアルバム。同作はリリース数週間前にキャンセルされ、結局1987年のプリンスのアルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ(Sign O’ The Times)』に収録された。そしてプリンスの当時の妻、マイテ・ガルシア(Mayte Garcia)の妊娠にインスパイアされて制作したキッズ向けアルバムもあるが、生後1週間で彼らの子供は亡くなったため、お蔵入りの憂き目をみた。さらに、ケヴィン・スミス(Kevin Smith)監督によるドキュメンタリー作品もあるという。しかし、これらのプロジェクトのなかでもプリンス自身が、発表すべきだ、と認めたクオリティの高い楽曲は、他のプロジェクトに部分的に収録されるなど、何らかのカタチで発表されている。つまり、未収録作品には未収録たる理由があるのだ。

ではなぜ私たちは、アーティストたちの私的な貯蔵庫をこじ開け、お蔵入り作品を享受しようと熱心になるのだろうか? プリンスだけじゃない。マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)、カート・コバーン(Kurt Cobain)、トゥパック(Tupac)、エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)、皆同じような〈熱狂〉と〈侵入〉の被害をこうむっている。その理由が経済的な利益を得るためだろうが、熱心なファンを想う純粋な行為だろうが、多くの管財人は、発見できる限り、最後の1滴までも絞り取り、その結果、アーティストが残した創造性のクオリティを下げてしまう。だからこそ考えてみたい。私たちの飽くことのない好奇心は、できる限り多くの作品を楽しみたい、という純粋な欲求から生まれているのだろうか。それとも手に入れられないものを手にしたい、という恐ろしいまでの熱狂、衝動から生まれているものだろうか。そして、アーティストが未発表音源を自分以外の誰にも聴かせたくない、と考えていた可能性があったらどうなるのか。

実のところ、法律では、私たちの欲望は簡単に満たされるようになっている。「有名人のプライバシーの権利は極めて限定的です」。そう語るのは芸能関係の弁護士で、ストローク・アンド・ストローク・アンド・ラヴァン(Stroock & Stroock & Lavan)法律事務所の業務執行社員ジェームズ・サンマタロ(James Sammataro)だ。「〈有名税〉のようなものです。日記やそれに類する遺品、公表によりプライバシーを侵害するであろう遺品は、除外される可能性もありますが、創作物の権利は譲渡可能です。そして、それらの創作物を金にしようとするのは人間の性です」。サンマタロによると、実際に著作権法の第一義は〈ミュージシャン個人を守ること〉ではなく、〈公共の知的財産としての芸術の発展を促進させること〉にあるという。

サンマタロはこう続ける。「あまりに無情なようでもありますが、もし、プリンスをはじめとするアーティストたちが本当に公開したくない作品があるのなら、法的効力を有する文書として、その旨を明文化する必要があります。そうでないとしても、せめて作品を有形メディアとして残さないようにするか、あるいは作品を破棄しなければなりません」。例えば、あなたがミュージシャンだとする。15歳のときに初めての失恋の曲を創ったとする。その3コードナンバーのテープがその辺に転がっていたとする。その場合、テープは今すぐ燃やしたほうがいい。そういうことなのだ。それしか安全な道はない。

NIRVANAのフロントマン、カート・コバーン(Kurt Cobain)の場合をみてみよう。ドキュメンタリー映画『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』(Montage Of Heck, 2015)の公開に先駆け、デモ音源や会話などが収録されたサウンドトラックがネットで購入可能になり、2002年には彼が私的に書き溜めた日記『JOURNALS』までもが出版された。ミュージシャンたちは、自分たちもこんな風になってしまうのでは、と戦々恐々としている。日系アメリカ人のミュージシャン、ミツキ(Mitski)はこう語る。「もし自分がレコードを完成させる前に死んでしまったら、そして、私抜きにその後のレコードの扱いが決まってしまったら…そう考えると、道路を渡るときには左右をよく確認しようと思わざるを得ないですね」「私が生きているあいだに、意図的にリリースしなかった作品があったとすれば、それはつまり、絶対にそれを世に出したくなかった作品です。私のノート、ボイスメモが私の意図に反してリリースされたら。想像しただけで傷つきます。ミュージシャンへの興味、関心を満たすための行動を正当化する人たちがいる、そんな状況に恐怖すら感じます」

イギリスのシンガーソングライター、ローラ・マーリング(Laura Marling)もその意見に同意する。「私にもお蔵入りになっているアルバムがあります。本当に駄作だし、その作品にかけた時間は無駄でした。そんな作品がリリースされる、なんて体験、誰にもしてもらいたくありません。絶対にリリースしてほしくない。博士課程でデジタル・アーカイブを研究している友人がいるんですが、彼女は『あなたのパソコンと携帯を自由に見ていい許可をくれれば、私がしっかり保管してあげる』なんていうんです。私は『そんな許可与えるわけないじゃん!』って答えていますが」

本来、リリースの予定はなかったのに、結局、リリースされてしまった未公開音源の代表といえば、アーサー・ラッセル(Arthur Russell)の作品だ。アーサー・ラッセルは、自らの音楽に納得できず、生前にはほとんど何もリリースしていなかった。しかし、1992年に他界するまでに、彼は何千ものテープを遺しており、それから長い年月を経て、当時の重要アーティストとして再評価の機運が高まった。もし彼の作品が、彼の死と共に葬られていたならば、BLOOD ORANGEのデヴ・ハインズ(Dev Hynes)やLCD SOUNDSYSTEMのジェームス・マーフィー(James Murphy)などが影響を受けたアーティストとして、彼について言及する機会もなかっただろうし、カニエ・ウエスト(Kanye West)もサンプリングしなかっただろうし、ロビン(Robyn)やスフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)もカバーしなかっただろう。ラッセルの死の2年後にリリースされたアルバム『Another Thought』は美しく革新的な作品で、主に彼自身の歌声、1挺のチェロ、うっすらと鳴るシンセ的なビートのみで構成されたアルバムだ。しかし、彼にとってのこのアルバムは、大まかなただのデモ音源で、後々、様々なアレンジを施そうとしていたのかもしれない。もしそうだとしたら、このアルバムはリリースされるべきだったのだろうか?

しかし、別の意見もある。ボストンのロックバンドPVRISのメンバー、リンジー・ガナルフセン(Lyndsey Gunnulfsen)は、死後リリースもかまわないと、考えている。「最近それについて考えていたんです」と彼女。「もし、新しいアルバムを創っている最中に自動車事故で死んでしまっても、私は絶対に、そのアルバムをリリースしてもらいたい。そうでないと、ただの時間の無駄になってしまうし、聴かれないまま埋もれてしまいますから」。2016年2月、イギリスのVIOLA BEACHというインディ・ロックバンドのメンバー4人全員が自動車事故で死亡した。彼らはまだデビューアルバムもリリースしていなかったが、その5カ月後、2016年7月、メンバーの家族の協力を得て、既に収録済みだった音源やライブ音源をかき集めたアルバム『Viola Beach』がリリースされ、イギリスのチャートで1位を獲得した。もし自動車事故という悲劇がなかったら、それほどの売上を達成できたか否かは定かでないが、メンバー4人は、きっと誇らしい気持ちでいるに違いない。

ロンドンの女性プロデューサー/リミキサーであるシューラ(Shura)もデビューアルバム『Nothing’s Real』(2016)のリリース準備を進めている最中に、同じように感じたそうだ。彼女は自分の双子の兄弟、ニック(Nick)にこう伝えたそうだ。「万一、私に何かが起こっても、必ずアルバムはリリースして。世界に貢献したいから」。しかし、名を成したいと願う駆け出しのミュージシャンと、すでに成功しているミュージシャンがリリースしたくないと願う音楽のあいだには、明らかに差があるのも彼女は認識している。

現在、テクノロジーの発展とSNSのおかげで、10年前には想像もできなかったほど、私たちの好きなアーティストについての情報量は多い。そのため、アーティスト自身が望んでいようがいまいが、私たちは彼らの生み出した作品に触れる権利があると勘違するし、法律も私たちに有利だ。しかし、未発表の作品を聴きたい、という欲望をあらわにするよりも、既にリリースた作品で満足するように、ファンは自らをコントロールすべきなのかもしれない。シューラはこんな意見を述べている。「プリンスやカート・コバーン、エイミー・ワインハウスの金庫室のなかの作品が、もし彼らのディスコグラフィーのいち部になるべきではなかったのなら、それでよしとしなければいけなりません。クリエイティブなアーティストに、私たちは求めすぎてるんです。プリンスがつくった曲なら全部聴きたい、なんて当たり前だけど、その欲望はフェアではありません。だから私は絶対に、要求も期待もしません」