Illustration by Jacqueline Jing Lin

めまぐるしく変わり続ける中国の大都市、香港。人々は歩道で押し合いへし合いし、林立する高層ビルにすし詰めにされて暮らしている。競争は激しくなるいっぽうだ。

経済的な豊かさを最優先する観念が、中等教育課程で植え付けられる。かつての英国植民地、新築住宅の価格が世界一高い香港において、大学入試は、就職して安定した生活を送るための第一歩だ。成功へのプレッシャーは、学校から夕食の時間まで、生活のあらゆる場面について回る。アカデミック・プレッシャー(学業成就へのプレッシャー)が、学生の自殺率の高さにつながっているのだろう。

香港では、2013~16年のあいだに、71名の学生が自ら命を絶った。昨年だけでも、5日間に学生4人が自殺した計算になる。そのなかには11歳の子供もいた。2013、14年度には、それぞれ19名の学生が自殺し、2015年度は33名に増加した。

2017年に入り、状況はさらに悪化した。2月だけで6名の学生が自殺した。いずれもアカデミック・プレッシャーに耐えかねた10代の若者が、高層ビルから飛び降りたのだ。

2016年6月に公開された、香港の検視報告書によると、同年の若者の自殺率は、公開された時点で、過去数年の数字を圧倒的に上回っていた。1~3月のたった3ヶ月で、22名もの学生が自ら命を絶ったのだ。

香港全体の自殺者数は、10万人当たり13人以下と決して高いわけではなく、韓国、日本、中国本土など、近隣諸国を下回っている。しかし、米国と同様に、近年、若者の自殺率が急上昇している。これを受けて、香港特別行政区政府教育局(Education Bureau, EDB)は今年3月、学生のカウンセリングや、教師と生徒を対象にしたセミナーなど、緊急対策を講じた。しかし公の場でEDBは、アカデミック・プレッシャーと学生の自殺の関連を否定している。

学生のプレッシャーを軽減する策について、EDBに問い合わせたところ、広報責任者のダグラス・ワン(Douglas Wun)は、回答を拒否した。学生の自殺率増加についても、「記憶があいまいで申し訳ないのですが、いつ、どこで、EDBが『過去3年で学生の自殺が増加した』と発表したか教えていただけませんか」とメールが返ってきた。さらに、今年初めの立法会の臨時会議でひとりの学生が、「学校は〈刑務所〉のようだ」と発言した件についても、EDBはコメントを拒否した。

EDBが採用した緊急対策のひとつとして、学生の自殺防止策を提案するための親、教師、ヘルスケア専門家、国家公務員からなる特別委員会が設置された。自傷行為の研究機関〈自殺研究・防止センター(Center for Suicide Research and Prevention:CSRP)〉代表で、委員会のポール・イップ(Paul Yip)委員長は昨年11月、EDBに最終報告書を提出した。そのなかで彼は、「学生の自殺が突然急増した理由を、教育制度だけでは説明できない」と結論付けながら、EDBはアカデミック・プレッシャー軽減に取り組み続ける、とも記している。

しかし、学生の自殺防止のため、草の根レベルで活動する人々からすれば、政府の結論は現実からほど遠い。「現場レベルで判断すれば、多くの若者が抱える悩みの原因は、勉強しなければ、というプレッシャーです」と自殺防止サービス(Suicide Prevention Services :SPS)のボランティアのカウンセラーで、ホットラインに対応しているマーティン・ロー(Martin Lau)は言明する。2時間のシフトのあいだに、思いつめた学生が、必ずひとりは電話をかけてくるという。「最近では感情的になったり、緊迫した雰囲気になる場合もあります」

SPSのヴィンセント・ウン(Vincent Ng)事務局長によると、学生からの相談件数は、昨年から急増したという。昨年3月以前の24歳以下学生からの電話は、毎月およそ50件だったが、それ以降は月およそ400件になった。現在も相談件数は減らないため、SPSは若者専用のホットライン〈ユース・リンク(Youth Link)〉の設置に踏み切った。

SPSのオフィスのほど近く、九龍半島東部では、NGO〈香港サマリア人の友(Samaritan Befrienders Hong Kong:SBHK )〉が、巨大な公営団地のなかにある駐車場の真横で活動している。SPSと同様に、この団体への相談も急増している。SBHKは、ホットライン以外にも、携帯電話やタブレット用のチャット・アプリによるカウンセリングや、AIを活用した教材を学校に提供するなど、準備を進めている。

「学生たちはアイデンティティーを失いかけています。ほとんどの時間を勉強だけに費やしているため、将来に何の展望も持てないのです」とSBHKの代表、クラーレンス・ツァン(Clarence Tsang)。ツァンの学生時代の教師は、大学入試時期の直前に自殺した。

その教師は何ヶ月も前から何かに悩んでいたようだが、勉強に集中すべき、という雰囲気に押され、生徒であったツァンは声を掛けなかったという。入試が終わる頃には、何もかも手遅れだった。ツァンは今もなお、この記憶に苛まれている。学業によって視野が狭くなることの危険性を伝えるのが、彼の使命のひとつになった。

このような風潮は、子供の成長を妨げる可能性もある。「8歳になっても、親やメイドに靴紐を結んでもらう子供もいるようです。私の同僚は12歳になっても、メイドに入浴を手伝ってもらっていたそうです。両親が子供のすべての時間を勉強に割かせた結果、こんな問題が起きるのです」とツァンは語る。

自殺願望のある学生やその家族と接し、ツァンはある結論に至った。学業が最優先されると、日常生活もままならなくなり、多くの学生が自殺する原因である〈挫折〉につながるのだ。

「要するに、彼らには生活する力がないのです」とツァン。「社会全体が成績だけを重視して、子供たちを同じ型にはめようとします。ですが、勉強が苦手な子供もいます。そういう子供たちの良さを認める必要があるのです」

対策を実現するのも大きな課題だ。人口およそ750万人を抱える大都市で、この問題に取り組んでいる団体は、SPSとSBHK、〈香港サマリア人(Samaritans Hong Kong:SHK)〉のたった3つしかない。そのうち政府から資金援助を受けているのはSBHKだけで、他の2団体は、募金や寄付金を頼りに運営している。

EDB特別委員会のイップ委員長は、断固とした姿勢で、アカデミック・プレッシャーだけが学生の自殺の原因とは考えられない、と主張した。「教育制度が関係しているのは確かです。でも、アカデミック・プレッシャーだけが問題だとは決めつけたくありません」

イップ委員長によると、37名の自殺を調査した結果、ほとんど全てのケースにふたつ以上の理由があったという。そのため、アカデミック・プレッシャーがひとつの原因だとしても、教育制度だけを非難するのは間違っている、と主張した。イップ委員長によると、「そのように結論付けるべきではない」らしく、中等教育課程の学生の自殺率より、中退者の自殺率のほうが高いという。

「CSRPの調査によると、15~24歳の学生の自殺率は、同じ年代の中退者や失業者の自殺率を下回っています。今年1~3月のあいだに、学生の自殺率は急増しましたが、それでも学生以外の自殺率のほうが高い」とイップ委員長。

しかし、「この見解はとんでもない」とオディロン・カズン(Odilon Couzin)は異論を唱える。カズンは、自殺問題を懸念する親、教師、ヘルスケア専門家が運営する団体〈若者の自殺防止を目指す市民会議(the Citizens’ Alliance for the Prevention of Youth Suicide)〉のスタッフだ。「今までに関わってきた両親のほとんどが、アカデミック・プレッシャーは、自殺や自殺願望と密接に関係している、と話していました」とカズンは語る。昨年末に団体が実施したオンライン調査では、約2万人の回答者が、アカデミック・プレッシャーは学生の自殺の直接的な原因だと認めた。

「長年の評価基準を変えるのは、容易ではありません。さらにプライドの問題もあります。親たちが子供に良い成績を望むために、こういったシステムがまかり通ってしまうのです」とカズン。

学校内外での教育機会の規模を考えれば、変化に抵抗があるのも無理はない。香港では、教育はただの文化ではなく、一大産業なのだ。2015年にMasterCardが実施した調査では、香港の子供の教育費は家計の約3割を占め、そのほとんどが語学や音楽など、学校外での教育に費やされるという。

「私には、根本的な解決策はわかりません」とカウンセラーのローは語った。「学生たちは、両親や同級生が自分に無関心だ、と感じています。私たちNGOは、教師や親の代わりにはなれませんし、政府の役割も果たせません」

小学生に詰め込み教育は早すぎる、という世間の反対を押し切り、今年1月23日、EDBは、小学3年生向け統一試験の再開を発表した。

「教育制度が変わらない限り、学校も教師も変わりません。しかし、親は変われます」とツァン。「香港で子供たちを守れるのは、親だけなのです」