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Photo by Lise Josefsen Hermann/VICE News.

2016年6月、コロンビア革命軍FARCが政府との和平合意を結ぶ直前、同組織のなかでは異色のフランス女性戦闘員へのインタビューが実現した。なぜ彼女は革命軍に参加し、コロンビア、FARCが置かれた状況をどう捉えていたのだろう。9月26日には両陣による和平合意への署名も実現したものの、依然として予断を許さない状況にあるコロンビアの未来を占うヒントが彼女の視点には隠されていた。

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コロンビア、チョコ県のジャングルには、同国最大のゲリラ組織、コロンビア革命軍(FARC)の遊撃隊がいたるところに潜んでいる。

そのなかのとある部隊に、ナタリー・ミストラル(Natalie Mistral)として知られる42歳のフランス女性が配属され、15年にわたり、ゲリラ活動を続けていた。

FARCはラテンアメリカで最も歴史の長いゲリラ組織であり、何十年ものあいだ、コロンビア国内各所を支配していた。そしてその間、FARCは強奪、誘拐、ドラッグ取引で軍資金を調達しながら政府軍、右翼民兵組織との戦闘を半世紀にわたって続けてきた。

ミストラルは、一丁のピストルをベルトから下げ、木製ベッドに腰掛けながらインタビューに応じてくれた。資金調達については明言しなかったが児童徴兵、堕胎の強要など、FARCにまつわるその他の問題については、自説を披露してくれた。

インタビューは、2001年、27歳だった彼女の話から始まった。彼女はなぜ、革命軍のメンバーになったのだろう。

ミストラルは、フランスの地中海に面する街、モンペリエで生まれた。彼女は当時、1930年代のスペイン内戦において、共和国派とともに闘った国際旅団に強い興味を抱いていたそうだ。また、アフリカ及びラテンアメリカでのヨーロッパの振る舞いに罪悪感を抱いており、それも、FARC参加の原動力になったそうだ。FARCへの加入は、「先祖が与えた被害に対する償いだった」と振り返る。ただ、それだけではなく「冒険心」もあったようだ。

「革命に生きるのを夢見ていましたから、実際に革命が起きている国家を探しました。ラテンアメリカに興味があったので、最初はメキシコに行きました。チアパスのラレアリダッド(La Realidad:サパティスタ民族解放軍の拠点となるコミュニティ)に向かったんです。そこでサパティスタのメンバーたちと過ごしたあと、FARCを探しにコロンビアに移動しました。元々ゲリラになろうとしていたわけではありません。それより、何か手助けできれば、と考えていました。何かしら貢献したかったんです。連絡先を入手するのに約1年かかりました」

最終的にミストラルは、他の外国人たちとともに、とあるFARCの指揮官から特別会合へと召集されたそうだ。

「その指揮官は外国人出席者一人ひとりに、どれくらい滞在できるか、と尋ねました。ほとんどの出席者の返答が3日、1週間、長くても15日程度でしたから、私たちが1年半、と答えると驚いていました。指揮官に、学ばせてほしい、活動の一端を担いたい、コロンビアのこの場所にいたいから母国には帰らないつもりだ、と伝えました。そうしたらここにいてもいい、と許可してくれたんです」

指揮官の承認を得ると、新兵たちの入隊準備が始まった。彼女はその準備を「ゲリラ基本教練所」と呼ぶ。

「まず、マルクス、レーニン、ボリバル主義団体であるFARCの起源を学びます。そして、共産主義者とは何か、地下活動とは何かを学びます。軍事的面では、ターゲット狙撃、進軍、命令に従うこと、戦闘中の応答、前進の方法などを学びます。基本的に、兵士としての生活を叩き込まれます」

ミストラルは、これが私の人生だ、と決意したそうだ。彼女はいつでも「革命的で冒険的」であったし、自らの価値観に忠実でありたかったそうだ。

「自らの主義に従わずに生きるなんて耐えられません。私は、戦闘は本当に必要な選択肢なのだ、と気付きました。単なる衝動ではありません。ちょっと思いついた、戦争が好き、だからではありません。抑圧に対してそれ以外の道が残されてなかったんです」と彼女は説明する。「組織に残れるか否かは、正式な通達があると想定していましたが、1年経った頃、もし留まりたかったらそうしていい、と司令官から電話がありました。私は、ぜひ留まりたいです、と応えました」

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Photo by Lise Josefsen Hermann/VICE News.

新しいヨーロッパ人戦闘員として、ミストラルは、FARCにおける国際的連携の調整役として活動を始めた。当時、彼女はフランスのパスポートを所持していたので、国内、時には海外に旅行した。その後、パスポートの有効期限が切れると、再申請には危険が伴うので、この7年はコロンビアを離れていないらしい。

訓練は受けたものの、ミストラルによると、特別戦闘ミッション参加の機会は少ないらしい。陸軍の襲撃、空爆に対する予期せぬ作戦には頻繁に参加したそうだ。戦闘での死者こそいなかったが「すごく印象に残っている」と彼女は回想した。

ベテラン戦闘員でもあった彼女は、FARCメンバーゆえの個人的問題も抱えていた。

「誰かと結婚したければ、その誰かといっしょになり、同居したい、と司令官に伝えます。それから、大きなベッドを造り、一緒に眠ります」。しかし、常に戦闘が起きる懸念があるので出産子づくりはひと筋縄ではゆかない、と続けた。「FARCは常に交戦状態ですし、移動と野営が当然の環境ですから、子供はつくれません。そんな場所ではないんです。コロンビア人にとって家族とは大家族であり、みんな、子供がいてはじめてこころが満たされます。ですから、コロンビア人にとって、子供がいないのは、大きな犠牲でもあります」

さらにミストラルは、組織のしきたり、と噂されていた強制中絶の習慣も認めた。

「東部ブロックでは激戦が長年続いたため、確かに、中絶が義務付けられていました。それは、指揮官の気まぐれ、といった類の強制ではなく、日々の戦闘、軍旅を考慮したうえでの決断です」

戦況が落ち着いた期間、場所では、戦闘員たちは中絶せず、出産のために部隊を離れ、一般市民としての生活を送っていた、と彼女は教えてくれた。出産を終えた女性戦闘員たちは、2~3カ月以内に部隊に復帰しなければならず、それはそれで「過酷な状況」であったようだ。

ミストラルは、彼女自身、ゲリラの途を選べば子供は諦めねばならないと「常に認識していた」と言明したが、今でも、子供が欲しい、と望んだりもするそうだ。「自身の妊娠が発覚すると、上官たちにすぐに連絡し、堕胎の準備を整えました」

彼女の選択した人生を、家族が理解するまでに要した困難について話す際も、中絶と同じく、ミストラルの割り切った考え方は変わらなかった。

「フランスの一般的労働階級の家庭に生まれました。自分の考え、夢については家族によく話していましたが、理解はしてもらえませんでした。家族には極端すぎたようです。結局は、仕方ない、と受け入れてもらえたようです。説得を続けましたし、関係は途切れていません」と彼女。「父は平和主義者でしたから、理解するのは大変だったようです。団結の必要性についてはわかってくれましたし、私がどれほど、世界を変えたい、と願っているのかも理解してくれました。だけど『どうして武器が必要なんだ』と何度も訊かれました。私はコロンビアの現状を説明し、武器を使うか否かの問題ではなく、それが戦うため、生きるための唯一の道なんだ、と説明しました」

フランス生まれの反逆者は、FARCの児童徴兵についても、コロンビアにおける地方の現実、という観点から正当化した。

「最近、子供の問題が広く論議の対象になっていますが、偽善的ですね。コロンビア社会は兵士として子どもを集める私たちを非難しますが、彼らは、子どもの幸福については何も配慮していません」、と彼女は断じた。「子供たちが戦闘員になるのには、理由があります。コロンビアには子どもが育つ然るべきな環境がないからです」

「FARCのメンバーは大半が農民です。コロンビアの農民は、男性なら15歳で父親になり、女性なら15歳ですでに2児の母です。子供たちには、自らの未来など観えていません。FARCは選択肢のひとつになっています。売春や麻薬密売に手を染める子供たちもいますから、FARCは決して、最悪の選択肢ではありません」

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Photo by Lise Josefsen Hermann/VICE News.

しかし、それもすべて終わりに近づいている。

2016年9月26日、コロンビア政府とFARCの両者が和平合意文書に署名した。去る5月、FARCは、できるだけ早急に15歳以下の戦闘員を一般社会に復帰させる計画を進める、と宣言している。和平合意により、復帰計画が現実味を帯び始めた。

和平合意が実現し、FARCに残っている約7千の戦闘員は、半年以内に、国連監視下の特別キャンプに集まり、武力を放棄する予定だ。これが実現すれば、ミストラルとチョコ県の部隊は、二度と同じ生活には戻らないだろう。人口の大半を黒人が占めるチョコ県では、小規模農業、漁業、鉱業、コカイン栽培が生計を立てる手段だ。アトラト川流域にFARCの牙城が集中しているが、そこにはコロンビア第2の規模を誇るゲリラ組織である国民解放軍(ELN)、いくつもの犯罪組織が拠点を構えている。

家族からの呼びかけにもかかわらず、ベテラン戦闘員のミストラルは同地域に残ろうとしている。

「何らかの協定が交わされるたび、帰国しないの、と母から連絡があります。でも、私の人生は今、フランスではなくコロンビアにある、と応えています。ここ、チョコ県には2~3年残るつもりです。ここには築くべきものがたくさんありますから」と彼女は語る。「現在、私たちは戦闘に費やしていたすべての時間を、政治の勉強などの活動に充てています。交渉の席では何が起きるのか、コロンビアの政治生活とは、市井の人々は何を考えているのか、いろいろ学べる機会なんです」

この戦いで繰り広げられた、あらゆる陣営の恐るべき残虐行為が非難されており、戦禍の被害者との調停は、難航するだろう、とミストラルは承知している。しかし、FARCも被害者として扱われる側面があって然るべきだ、と強調した。

「私たちも政府、準軍事組織。コロンビアでの出来事を許さなければならないでしょうが、それは、すぐには叶わないでしょう。私たちの闘争は個人的なものではありません。社会変革のための闘争です。戦争が何かしら結果をもたらすのは重々承知していますから、恨みつらみはありません。誤ちを認めるための努力を厭うつもりもありませんし、必要とあらば許しを請うでしょう」