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パナマ文書によって暴かれたアート・マーケットの闇

ナチスがユダヤ人画商から略奪した疑いのある貴重な絵画が現在、世界の美術業界で最大の影響力を誇る一族の手に渡っているのが、偶然の発見により明らかになった。訴訟にまで発展したその発見は、パナマ文書に端を発している。同文書のなかには、絵画の国際取引とオフショア・タックスヘイブンのつながりが記載されていたのだ。

Visitors look at works by Spanish artist Picasso displayed in the exhibition “Miró, Monet, Matisse – The Nahmad Collection” in the Kunsthaus Museum in Zurich, Switzerland, 20 October 2011. Photo by Walter Bieri/EPA

本記事は、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)によるパナマ文書の調査によって明らかになった特定の事実を公開するものである。

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ナチスがユダヤ人画商から略奪した疑いのある貴重な絵画が現在、世界の美術業界で最大の影響力を誇る一族の手に渡っているのが、偶然の発見により明らかになった。訴訟にまで発展したその発見は、パナマ文書に端を発している。同文書のなかには、絵画の国際取引とオフショア・タックスヘイブンのつながりが記載されていたのだ。

パナマの法律事務所、モサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)から流出した機密文書1万1、000点、データにして2テラバイトの「パナマ文書」が、史上最大のリークとして世界中の注目を集めている。リークされた文書は、1977年〜2015年に作成され、そこには世界の政財界のリーダーたちの側近や親族の情報をはじめ、美術品市場とオフショア企業のつながりを含む、過去に類を見ない、おびただしい数の情報が記載されている。

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問題の作品はイタリアの画家、アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani)の作品「Seated Man with a Cane」だ。彼の作品は現在、最高で1億7,000万ドル(約185億円)もの価値があり、「Seated Man with a Cane」は約2,500万ドル(約27億円)の価値がある。

ICIJの調査により、1996年に開催されたオークションでこの作品が、大富豪のナーマド(Nahmad)家によって落札されていたのが確認された。ユダヤ人画商の孫、フィリップ・マエストラッシ(Philippe Maestracci)氏の弁護士は、マエストラッシ氏こそ落札された作品の所有者であり、作品は彼に返却されるべきだ、と主張し、ニューヨークのヘリ―・ナーマド・ギャラリー(Helly Nahmad Gallery)にその件について相談したい旨を書面で伝えた。裁判所に提出された文書によると、同ギャラリーから返事がなかったため、マエストラッシ氏は訴訟を起こしたそうだ。その訴訟は未だ結着に至っていない。

ナーマド・ファミリーは、ニューヨークの連邦・州裁判所で、当該するモディリアーニの作品は所有していない、と主張した。その絵画の現在の所有者は、パナマの法律事務所、モサック・フォンセカによって登記された、インターナショナル・アート・センター有限会社(International Art Center S.A., 以下IAC)、というオフショア企業だ。「パナマ文書」の情報によると、IACは、真の作品所有者を隠匿するために設立されたオフショア企業の可能性があるらしい。記録では、ナーマド家は20年以上にわたり、パナマで登記されたIACを管理してきた。この会社は、一家のアート・ビジネスにおいて重要な役割を果たしており、一族の長、デヴィッド・ナーマド氏は、2014年1月以来、同社の単独所有者だ。

デヴィッド・ナーマド氏の弁護士、リチャード・ゴラブ(Richard Golub)は、IACの所有者がナーマド家である、と示すであろうパナマ文書のある部分を突き付けられると、「所有者が誰であろうと、今回の件はIACとは関係がない。重要なのは、この訴訟の争点は何かだ。原告はそれを証明できるのか」と反論した。その争点とは、この作品がマエストラッシ氏の祖父から奪われた、と証明できるか否かだ。数年にわたる法廷闘争にもかかわらず、絵画の所有権をめぐるこの争いは、裁判官の関心を十分に惹き付けられていないのか、未解決のままである。

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パナマの法律事務所モサック・フォンセカは、1995年にナーマド家によるIACの設立を支援しただけでなく、その他、数多のクライアントのために、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)、レンブラント(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)、シャガール(Marc Chagall)、マティス(Henri Matisse)、バスキア(Basquiat)、ウォーホル(Andy Warhol)など、錚々たるアーティストの名作を世界中で秘密裡に取引するための手筈を整えてきた。

モサック・フォンセカが登記した会社を所有する著名なアート・コレクターのなかには、スペインの著名な富裕一族ティッセン=ボルネミッサ(Thyssen-Bornemisza)、中国エンターテインメント業界の重鎮ワン・チョンジュン(王中軍)、ピカソ(Pablo Pidasso)の孫娘マリーナ・ルイス・ピカソ(Marina Ruiz-Picasso)などが名を連ねている。

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ICIJの質問に対して、王中軍から返答はなく、ルイス・ピカソはコメントを拒否した。ボルジア・ティッセンは、弁護士を介してオフショア企業の所有を認めたが、必要な全てをスペインの税務当局に申告しているそうだ。

文書には、小規模な美術館であれば開設できてしまう点数の美術品が秘密裏に取引された記録が残されていた。モディリアーニの作品をめぐる係争を左右するであろう新たな証拠をはじめ、ギリシアの海運王が所有する消えた名画の情報、これまで全く知られていなかった20世紀のモダン・アート・オークションの詳細など、重要な情報が文書内にはある。

パナマ文書は、アート作品の取引が、世界金融システムの死角で繰り広げられている事実を暴き出した。その死角で、匿名性の恩恵に与るのは、独裁者、政治家、詐欺師といった世界の富裕層だ。

近年、アート作品の価値急騰に伴い、オフショア企業、仲介業者、自由貿易地域、恣意的なオークション、プライベートセールなどを利用した作品取引の隠蔽が増加している。それらの手段は、公衆の耳目を避け、法的リスクに晒される危険を回避し、国際取引の煩わしさを軽減するための合法な処理法ではあるものの、脱税、後ろ暗い所有歴の隠蔽、といった不正目的にも利用される。運搬が容易で、有する価値は高く、法規制も緩いため当局は、アート作品がマネーロンダリングに利用されるのを懸念している。

好況の時代

昨今のアート・マーケットの好況と、世界金融システムの盲点を突くタックスヘイブンとの連携により、大富豪の資産が驚くべき速さで増え続けている。可能であれば、隠し金庫に大金を隠しておきたい世界のエリートにとって、絵画は貴重な資産になる。業界誌『Art Market Report』によると、2015年、絵画の売上高は638億ドル(約6兆6,458億)を超えたそうだ。

調査会社Wealth-Xが発表したデータでは、2013年、世界中の大富豪が絵画購入に投じた総額は約326億ドル(約3兆3,958億)と見積もられている。

絵画の価格変動を追跡するビューティフル・アセット・アドヴァイザーズ社(Beautiful Asset Advisors)のマイケル・モーゼ氏は、「アート・マーケット拡大の要因は、富の蓄積が唯一の目的だ。他のどの層の財産よりも、富裕層の財産急増は、美術品への投資額増加を意味している」と分析した。

『Art Market Report』によると、アート作品取引の約半数が、売主と買主が秘密裏に交わすプライベートセールであるそうだ。「プライベートセールについて公表されている情報はほぼ皆無だ。それ以外のオークションによる売買でも、値段に関する透明性はある程度提供されるが、売主と買主の素性を隠すのは可能である」とモーゼ氏。

高額で取引されたアート作品は、「フリーポート」と呼ばれる自由貿易地域に保管されるケースが多い。フリーポートに保管される限り、所有者は、美術品に対して輸入税や関税を支払う必要がない。美術品の取引と在庫は厳密な追求を逃れるので、フリーポートのシステムが脱税やマネーロンダリングの温床になるのでは、と懸念されてきた。世界四大会計事務所のひとつ、デロイト(Deloitte)の調査によると、調査対象となったアートコ・レクターの42%が、フリーポートの利用を視野に入れている、と回答したそうだ。最も多数の絵画が保管されている、最も歴史の長いフリーポートはジュネーヴにある。そこにあるアート・ストレージには、世界中の博物館が所蔵する作品数に匹敵するだけの美術品が保管されているのでは、と噂されている。

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イヴ・ブーヴィエ(Yves Bouvier)氏が所有するナチュラル・ル・クルト社(Natural Le Coultre)は、ジュネーヴ・フリーポートのほぼ4分の1にあたる敷地を賃借している。ブーヴィエ氏は、ルクセンブルクとシンガポールのフリーポートの主要所有者でもあり、北京で建設中のアート・ストレージのコンサルタントでもある。これらの利権を手にした同氏は「フリーポート王」と呼ばれている。

そんなブーヴィエ氏が、アート界で噂になり、民事訴訟のターゲットになった理由は、プライベートセールの仲介者としての活動にある。ロシアの大富豪ドミトリー・リボロフレフ(Dmitry Rybolovlev)氏は、絵画販売価格の不正操作を咎に、モナコ、パリ、香港、シンガポールでブーヴィエ氏を提訴したが、ブーヴィエ氏はその嫌疑を強く否定した。シンガポールの裁判官は、その申し立てを審査した後、ブーヴィエ氏の資産凍結を解除した。香港の裁判官もそれに倣った。

世界中の大富豪や美術商がモサック・フォンセカの顧客であるので、ブーヴィエ氏とリボロフレフ氏がともに同法律事務所のクライアントであっても驚きはない。

同法律事務所から流出した文書は、少なくとも、ブーヴィエ氏と5企業とのつながりを示唆している。しかし、そのいずれも、リボロフレフ氏の訴えとは無関係だ。

リボロフレフ氏もオフショア企業を2つ所有している。この件について、リボロフレフ氏はコメントを拒否し、ブーヴィエ氏の代理人は、クライアントはしっかりとした合法的な目的でオフショア企業を利用している、と回答している。

オークションで繰り広げられたゲーム

1997年11月のある月曜日の夜、ニューヨークのクリスティーズは、ヴィクター&サリー・ガンツ夫妻によるコレクションのオークションを開催した。コレクションを目の当たりにした参加者の熱狂は記憶に新しい。そこでは驚くべき落札価格が記録され、アート作品が世界商品の仲間入りを果たした瞬間が目撃された。

「ガンツ・コレクションのオークションは、それまで見たこともない盛り上がりで、突然、そこからゲームが始まった」とニューヨークを拠点に活動する美術関連顧問会社、レヴィン・アート・グループ(Levin Art Group)のトッド・レヴィン(Todd Levin)氏は回想する。「マーケットにステロイドが打込まれたみたいだった」

オークションの背後で何が取引されていたのかは定かでない。しかし、パナマ文書は、このオークションへのモサック・フォンセカの関与を明らかにした。

ガンツ夫妻は、パブロ・ピカソのコレクターであり、駆け出しのフランク・ステラ(Frank Stella)を支援し、さらにはジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Milton Ernest Rauschenberg)、 エヴァ・ヘス(Eva Hesse)の友人でもあった。夫妻が亡くなった後、遺族は、幼少期を過ごした自宅の壁に掛けられていたコレクションを売りに出さざるを得なくなった。

ガンツ夫妻が50年以上かけて収集してきたコレクションの総額は約200万ドル(約2億1800万円)であった。しかしコレクションは、その晩、2億650万ドル(約256億円, 1997年11月の為替レート)という記録的な値段で落札された。

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流出文書により、ガンツ夫妻の相続人がオークションの数カ月前にコレクションを売却していた、という事実が明らかになった。取引の主役は、南太平洋の小島ニウエに拠点を置く企業、シムズベリー・インターナショナル社(Simsbury International Corp.)であった。

同企業はガンツ・コレクションの購入を目的に創設されたらしい。1997年4月に設立され、その1ヶ月後にガンツ・コレクションを購入。同社の登記を代行したのは、モサック・フォンセカだ。モサック・フォンセカの社員は、同社の名義重役もしくは代理人として、銀行、オークションハウス、美術品輸送会社との契約に署名する役目を果たしていた。しかし同社の業務に関する実質的な権限はまったく行使していない。

同企業の株式は「無記名株」として保持されていた。それは、単なる証書でしかなく、株主が誰であろうと名義変更の手間をかけずに譲渡が可能で、その額面金額を請求できるため、脱税やマネーロンダリングの手段になり易く、現在、多くの国で発効が禁じられている。

パナマ文書によると、シムズベリー・インターナショナル社は1997年5月2日、ガンツ・コレクションのなかでもとりわけ高価な数作品を、当時クリスティーズが所有していたロンドンのオークションハウス、スピンク・アンド・サン(Spink & Son)から1億6,800万ドル(約175億円)で購入している。ガンツ・ファミリーとクリスティーズの間で、具体的にいかなる契約が交わされたのか、文書には明記されていない。

取引の詳細に関するICIJの質問に対し、ガンツ・ファミリーの代理人は回答を拒否した。

コレクション売却のさいには、裏取引があった。落札価格が予想を上回れば、シムズベリー・インターナショナル社のオーナーとスピンク・アンド・サンがガンツ・ファミリーに差額を支払う、という契約が交わされていたのだ。

Simsburyの代理人であり、同社とその銀行口座を管理していたのは、英国の大富豪、ジョセフ・ルイス(Joseph Lewis)氏だ。為替取引で莫大な財産をきずいたイングランドきっての資産家であり、クリスティーズの筆頭株主でもあった。

ガンツ・コレクションのカタログには「クリスティーズは、今回販売される全品に対し、直接的な金銭的利害を有している」と記載されているが、それがいかなる利害であるのかの説明は一切ない。

ルイス氏は、複数の方法で利益を生み出せる可能性に賭けた。

クリスティーズは1997年、ガンツ・コレクションのオークションで20億ドルを超す過去最大の売上を記録した。

この件に関するICIJからのコメント依頼に対し、ルイス氏からの返答はなかった。

ガンツ・コレクションのオークションで販売された最も高価な絵画の1つに「アルジェの女たち(Femmes d'Alger dans leur appartement)、バージョンO」がある。それはピカソが1950年代半ばに描いた絵画シリーズ15点のなかで最も有名な作品である。同オークションにはバージョンM、H、Kも出品されていた。

入札者のには大富豪ナーマド・ファミリーのメンバーもいた。デヴィッド・ナーマド氏はバージョンHを落札した。それはピカソのコレクションでも、個人が所有する最大規模の作品らしい。

アート帝国

ナーマド・ファミリーは、シリア、アレッポ出身のセファラディム系ユダヤ人金融帝国を打ち立てた一族だ。ヒレル・ナーマド(Hillel Nahmad)氏は1948年、妻と8人の子息をベイルートに移住させた。

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それらの子息のうち、ジュゼッペ(Giuseppe)、デヴィッド(David)、エズラ(Ezra)の3兄弟はミラノに移住し、1960年代の初頭には美術商としてのビジネスを始めた。家長ジュゼッペの趣味は高級スポーツカーであり、デヴィッドによると、リタ・ヘイワースと付き合っていた時期もあるという。また、アート作品を購入し、それが最大の利益を生むタイミングで売り捌く、といった株式取引にも似た手法で美術品の売買を始めたパイオニアでもあるそうだ。

ジュゼッペは2012年に他界し、デヴィッドが家督を継いだ。彼と兄のエズラは、祖父の名前にちなんで、息子にヒレル(Hillel)と名付けた。彼らの息子はともにへリーという愛称で呼ばれていた。4人は一緒に家業を継いだ。

『フォーブス』によると、現在モナコに在住するナーマド兄弟の資産は合わせて33億ドル(約3,437億円)である。デヴィッドが得意とするのは為替取引とアート作品の売買だけではない。彼はバックギャモンのチャンピオンプレイヤーだ。エズラの息子はロンドンに、デヴィッドの息子は、ニューヨークに同名のギャラリー(ヘリー・ナーマド・ギャラリー)を所有している。

パナマ文書は、アート作品の取引にいち早くオフショアリングを採用し、利益を得たのはナーマド家である、と示唆している。

2013年12月4日、米フロリダ州マイアミで開催されたアートフェア「アート・バーゼル」にて、ニューヨークのヘリー・ナーマド・ギャラリーが所有する、パブロ・ピカソ、フランス人画家イヴ・クライン(Yves Klein)の作品を鑑賞する後援者達(Photo by Rhona Wise/EPA)

ジュゼッペ・ナーマド氏は1995年、UBS銀行とモサック・フォンセカのジュネーヴ事務所を介してIACを創設した。この会社は以前から、何らかのかたちで運営されていた可能性がある。パナマ文書には、1989年10月、IACがエドガー・ドガ(Edgar Degas)のパステル画「踊り子(Danseuses)」を購入した、と記載されている。

国境を越えて拡大するナーマド家のビジネスは、オフショアリングを基本に形成されている。ナーマド家の主たる債務者の拠点は3カ国に存在する。それらは、大西洋を挟む英国と米国のギャラリーと、ほとんどの絵画がこっそりと仕舞い込まれているスイスの保管倉庫だ。そこで必要となるのは、オフショア企業という合法的な隠れ蓑である。

ナーマド家がモサック・フォンセカの支援を受けて設立したのはIACだけではない。1992年8月にはスウィントン・インターナショナル社(Swinton International Ltd.)がイギリス領ヴァージン諸島で登記されている。設立者はジュゼッペ・ナーマド氏だ。

それらのオフショア企業は、相互に連携して一家のビジネスを支えている。1995年、ジュゼッペ・ナーマドがIACのUBS銀行口座手続の委任状を保持していたことは明白であり、デヴィッドとエズラも同じ権利を保持していたようだ。流出した文書によると、その2年後、ジュゼッペは、IACのCitibank口座に兄のエズラ・ナーマド氏と連名で署名している。

スウィントン・インターナショナル社は、1995年、自社が所有する5点の絵画販売権利をデヴィッド・ナーマドに与えている。それはピカソのパネル画の油絵1点、ドガの「踊り子(Danseuses)」、アンリ・マティスのキャンバス画の油絵2点、ラウル・デュフィのキャンバス画の油絵1点だった。そのうちの何点かが後に「プライベート・コレクション」からサザビーズのオークションに出品されている。出品された絵画のうち2点はIACが所有していた。

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IACは当初、無記名株で所有されていたため、実際のオーナーはわからなかった。2001年、モサック・フォンセカの名義重役による取締役会決議により、IAC株が100株発行され、ジュゼッペに譲渡された。2008年、それらの100株は、50株ずつデヴィッドとエズラに譲渡された。その1年後、エズラは持株を息子のヒレルと分割したが、デヴィッドはそうはしなかった。

2007年、『フォーブス』に掲載された記事には、デヴィッドが「顔をしかめながら」語った言葉が引用されている。「息子は世間から注目されるのが大好きなようだが、私はまっぴらごめんだ」。そこからデヴィッドと息子の穏やかならぬ関係が読み取れなくもない。

下手すればデヴィッドがIACの株主でいられなくなるほど、息子のへリーは奔放だった。へリーは叔父のジュゼッペに似て貪欲だった。ガールフレンドはモデル、トランプタワーの数百万ドルの部屋、映画スターの友人、高額のギャンブルなど、数々の話題でタブロイド紙を賑わせた。いずれも大した問題ではないように思われたが、彼は、2013年4月、1億ドル(約104億円)もの大金が絡む賭博ビジネスの枢軸としての役割、ロシアン・マフィアにつながるマネーロンダリング組織への関与を疑われ、ニューヨーク南部地区の弁護士プリート・バララ(Preet Bharara)氏によって起訴された。

一家のビジネスを隠れ身に大金を秘匿する方法についての発言を、2012年3月、ヘリーは盗聴された。裁判所の量刑に関する覚書には「銀行から送金の理由を尋ねられたら、アートを購入した、と主張すればいい。なぜそんな大金が必要なのか、と尋ねられたら、ピカソか誰かの作品を購入したことにすればいい」という彼の発言が記録されている。

銀行との間で、実際に取引が行われたか否かは法廷でも明らかになっていないが、へリーの発言は、有罪の決め手にはならなかった。ナーマド家の弁護士はインタビューに、この会話はモディリアーニのケースとは何の関係もない、と応じた。

2013年11月、へリー・ナーマド氏は違法賭博ビジネスへの関与を認め、裁判官は1年と1日の実刑判決を下した。その後、彼は640万ドル(約6億6,666万円)の罰金、ラウル・デュフィの絵画の権利を放棄することに同意し、刑期は5ヶ月に短縮された。

行方不明の絵画

訴訟の原因となったオフショア企業を所有するアート収集家は、ナーマド家だけでなない。

モサック・フォンセカから流出したデータには、ギリシャの海運王グランドリス(Goulandris)家が関与する訴訟の情報もある。同家は現在、83点の行方不明絵画に纏わる訴訟の最中だ。

エズラ・チョワイキ (Ezra Chowaiki)氏はICIJのインタビューに、行方不明の絵画の総額は約30億ドル、史上最大規模の紛失になるだろう、と応えた。同氏はギャラリーのオーナーであり、グランドリス家訴訟の1案件に資金援助している。

スイスのローザンヌでは、当該コレクションの所在と所有権者を明らかにするため、2件の訴訟と犯罪捜査が実施されている。文書の偽造ならびにゴッホ、マティス、ピカソなど有名画家の作品紛失をめぐる訴訟の当事者は、肥大した富裕家とパナマのペーパーカンパニーだ。

訴訟にかかわる絵画のうち何点かは売却されている。売主は絵画の来歴を知られたくなかったようだ。モサック・フォンセカのファイルには、グランドリス家が所有所有する作品の1つ、ゴッホの「Nature Morte aux Oranges」、200億ドル(約2兆800億円)の売買契約書が含まれている。そこには守秘義務に関する節が設けられており、「本契約の当事者の身元(売主の唯一の株主の身元を含む)」ならびに「作品の来歴と所有権の変遷に関する情報または文書」の暴露が禁じられている。

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同作品はかつて、ギリシャの海運王バシル・グランドリス(Basil Goulandris)氏によって所有されていた。同氏は1994年にパーキンソン病で死亡している。2000年に未亡人のエリス(Elise)が亡くなった後、相続人は夫妻の莫大なコレクションが数年前にすでに売却されていたのを知った。新たな所有者は、ウィルトン・トレーディング有限会社(Wilton Trading S.A.)というパナマの会社であった。

バシルの甥、ピーター・J・グランドリス(Peter J. Goulandris)氏によると、バシルは1985年、全コレクションにあたる83点の絵画を3,170万ドル(約33億200万円)という法外な低価格でウィルトン・トレーディング社に売却している。しかしその後も、取引された絵画は夫妻の所有物であり続けた。グランドリス夫妻は同時期、それらの作品を美術館に貸し出し、自らの所有物である、という来歴を付けてディーラーに売却している。

スイスでの裁判により、ウィルトン・トレーディング社について、多くの事実が判明した。1981年に創設された同社には、売買契約が結ばれた10年後にあたる1995年まで取締役がいなかった。スイス人検事によると、1985年の時点で、売買契約を記した書類は確認されておらず、金銭のやり取りの有無を証明できる人物はいまだに現れていないそうだ。

ピーター・J・グランドリスはスイスの法廷で、亡くなった母親、バシルの義姉妹であったマリア・グランドリスがウィルトン・トレーディング社のオーナーであった、と証言している。

ピーター・グランドリスと彼の弁護士は、この件に関するコメントを拒否した。

エリスには子供がいなかったため、姪のアスパジア・ザイミス(Aspasia Zaimis)氏は、自分にも83点の絵画を分与される権利があると信じ、エリスの遺言執行者を相手取って訴訟を起こしている。

2004年11月には、モサック・フォンセカによって設立された匿名企業が、ウィルトン・トレーディング社の管理下にある、グランドリス家が所有する絵画数点の売却手続きを開始した。

スイスのスキーリゾート、グシュタードにある邸宅での食事のさいに撮影されたグランドリス一族の家族写真。後ろの壁に掛けられているのはマルク・シャガールの「Le Violoniste Bleu」。(Photo via Goulandris family)

2005年初頭に開催されたロンドンのサザビーズのオークションでは、トリコルニオ・ホールディングス(Tricornio Holdings)がピエール・ボナールの「Dans le cabinet de toilette」を売却し、ヘレディア・ホールディングスがマルク・シャガールの「Les Comédiens」を売却する契約をサザビーズと交わした。また、シャガールの「Le Violoniste Bleu」を出品していたのは、第三の会社、タララ・ホールディングス(Talara Holdings)であった。

それと同時期に、オレンジが入ったバスケットを描いたゴッホの1888年の作品「Nature Morte aux Oranges」が、プライベートセールによってカリフォルニアのダイレクトマーケティング業界の大物、グレッグ・レンカ―(Greg Renker)氏とその妻ステイシーの手に渡っている。売主はヤコブ・ポートフォリオ・インコーポレイテッド(Jacob Portfolio Incorporated)という法人だった。

この件に関するコメント依頼に対し、レンカー氏からの返答はなかった。

上述の4社はすべて、売買の直前に登記され、その直後に解散しているので、その裏で糸を引いていた人物を特定するのは不可能であった。しかし、パナマ文書により、それら4社のオーナーはマリー・ヴォリディス(Marie Voridis)氏であったのが明らかになった。

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それらの会社による取引の1つから、マリー・ヴォリディス氏の出自の手がかりをつかむことができる。2004年10月22日、ヴォリディス氏は、ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)の作品「The Seamstress」の全権利をタララ社に移転したが、数週間後に同社からそれらの絵画の権利を取り戻している。

2005年9月、ギリシャ社交界の有名人、デューダ・ヴォリディス(Doda Voridis)氏が所有するニューヨークの豪華絢爛なアパートが、同国のファッション誌に掲載された。アッパー・イースト・サイドのアパートの部屋には、著名な画家の名作が飾られていた。掲載されている写真を見ると、威厳のある衣装箪笥の上にルノワールの「The Seamstress」が掛けられているのがわかる。デューダ・ヴォリディスはバシル・グランドリスと姉妹であり、ゴシップ欄には、「彼女はデューダと呼ばれているが、本名はマリーである」と記載されていた。彼女は2015年12月に他界した。

戦争と財宝

モディリアーニの「Seated Man with a Cane」をめぐる悶着の起源は、第二次世界大戦の混乱が善悪のすべてを覆い隠していた時代に遡る。それは、現在のアート業界を覆うオフショアリングの闇に似ていなくもない。「Seated Man with a Cane」の元来の所有者であるとされているユダヤ人画商のオスカー・シュテッチナー(Oscar Stettiner)氏は1939年、ナチスによる支配を恐れてパリから逃がれたが、彼のコレクションは置き去りにされた。

裁判所に提出された文書によると、パリ陥落後、ドイツ軍はシュテッチナー氏のコレクションを押収し、フランス人を「暫定的な管財人」に任命した。その管財人はナチスの代理人として、オークションで当該作品を売却した。「Seated Man with a Cane」はその後、1944年10月に米国軍の士官によって、あるカフェで25,000フランで購入されている。

シュテッチナー氏の孫の代理人が裁判所に提出した文書によると、同氏は1946年、フランスで「Seated Man with a Cane」を取り戻すための訴訟手続きを開始した。しかし、その2年後に亡くなってしまったため、訴訟は未だ、解決に至っていない。

ナーマド家の弁護士リチャード・ゴラブ氏は、シュテッチナー氏が「Seated Man with a Cane」の所有者であったのかどうか疑わしい、とパナマ文書の内容に異議を唱えている。

ニューヨークの裁判所に提出された文書によると、「Seated Man with a Cane」は、International Art Centerにロンドンのクリスティーズで320万ドルで購入される1996年まで、個人のコレクションとしてどこかに埋もれていた。その後、1998 年にロンドンのヘリ―・ナーマド・ギャラリーに、1999年にパリ市立近代美術館に展示され、6年後にはニューヨークのヘリ―・ナーマド・ギャラリーのモディリアーニ展に出展された。

トロントを拠点とするモンデックス社(Mondex Corp.)は、ナチスが略奪した美術品の奪還を専門とする会社である。フランスの当局でファイルに目を通していると、偶然、「Seated Man with a Cane」の来歴にまつわる記述を発見した同社は、オスカ―・シュテッチナー氏の孫、フィリップ・マエストラッシによる、同作品を取り戻すための訴訟提起を支援した。同社は、サービスの手数料を開示していない。

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ICIJが入手した流出文書によると、マエストラッシ案件を担当するナーマド家の弁護士ネヘミア・グランク(Nehemiah Glanc)氏は2015年2月11日、ジュネーヴのInternational Art Centerの弁護士に電子メールを送っている。グランク氏自身もIACの弁護士として登録されていたが、手続きを進める前にIACに関する重要な事実を知る必要があったからだ。

彼は電子メールで、IACの代理人として署名する権限を与えられているのは誰なのか至急教えて欲しい、と依頼した。

ナーマド・ファミリーがIACのオーナーとして書類に署名してしまえば、同社が隠蓑にならなくなってしまうからだ。

グランク氏は、ジュネーヴの弁護士の勧めにより、モサック・フォンセカ、ジュネーブ事務所のアナイス・ディナード・ディマイオ(Anaïs Di Nardo Di Maio)氏と連絡を取ると、ディマイオ氏は、ナーマド・ファミリーが手数料を支払いさえすればパナマにいる名義人の署名を取得できる、と応えた。

裁判が進むにつれ、グランク氏とモサック・フォンセカの電子メールの遣り取りが頻繁になった事実がパナマ文書から伺える。折に触れてIACが行動を起こし、その都度、名義重役が署名しなければならなかったようだ。

2015年9月、簡素で飾り気のないニューヨーク州最高裁判所の法廷で、裁判官のアイリーン・ブランステン(Eileen Bransten)はマエストラッシ案件を棄却した。同裁判官は、原告はパナマに足を運びもせず、ニューヨークのナーマド・ギャラリーで書類と向き合っていただけで、IACを提訴した訴訟に真摯に対応していなかった、という所見を述べ、原告となり得るのはマエストラッシ氏ではなく、裁判所が任命した資産管理人であるとした。その資産管理人は2ヶ月後、ニューヨーク州最高裁判書で原告として再訴訟を起こした。

新たな訴訟の提起により、「ファミリーの狙いを露呈させないために、世間をはぐらかし」アート作品取引で発生する「利益を隠蔽するために」設立されたIACとナーマド・ファミリーの関係がさらに調査された。

裁判は今も続いており、モディリアーニの肖像画「Seated Man with a Cane」(1918)は、スイス、ジュネーブにあるフリーポートの倉庫に保管されている。それは、隠されている財宝の1つにすぎない。