友だちのお父さんはイスラム国の戦闘員

イスラム国に入る人はモンスターじゃない。だからこそ自分に近くて恐ろしい。

「同級生のお父さんが、イスラム国の戦闘員だったんだよね」

12歳の少年が大きな目でこちらをきっと見据えて答えた。彼の口から出た、「同級生のお父さん」というありふれた言葉の後に、「イスラム国の戦闘員」なんていう恐ろしい言葉が続くとは予想もしなかった。そのあまりにもミスマッチな組み合わせに再度聞き返してしまう。

私は、イスラム国に加わる人たちは、〈モンスター〉のようなもので、別世界から来るもの、とどこかで想像していたのかもしれない。イスラム国の戦闘員について、報道でなんとなく知っているつもりだった。過激思想に感化された人たち、同組織に外国から参加する不満を抱えた若者たち、貧困層の人たち、と。でも少年の話を聞くとイスラム国という組織が、顔の見えるすごく近い存在として迫ってくるのだ。

イスラム国のもとでの生活に疲れきっていたのか、少年には、その世代の子ども特有のあどけなさはない。でも臆することなく堂々と話し始めた。

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7月上旬にイスラム国からの〈解放〉が宣言されたイラク第二の都市、モスル。軍事作戦が続行中の4月下旬、私はそこから100キロほど離れたデバガ避難民キャンプを訪ねた。イラク軍、有志連合軍が本格的なイスラム国掃討作戦を開始したのは昨年10月。周辺地域に多くの避難民が溢れ出していていた。

避難民キャンプでは仮設小学校を訪ねた。突然現れた私を、校長先生は親切に迎えてくれ、イスラム国に支配されていた当時の様子を聞かせてくれた。校長先生いわく、イスラム国戦闘員がやってくると、学校の運営はのっとられたが、教員はそのまま働き続けるよう強制された。手榴弾や武器などを携えたイスラム国の戦闘員が校内を出入りし、生徒たちに武器の使い方を教えた。国語の例文、足し算引き算の例えは、爆弾や戦車に変えられた。校長先生は、イスラム国のメンバーに知られれば処刑されるのを覚悟で、子どもたちに、学校にはもうくるな、と伝えていたそうだ。その甲斐もあって、当時、学校にくる子どもたちはほとんどいなかったという。しかし、新しい学校に通う子どもたちはエネルギーに満ちていた。イスラム国支配のもと失った2年半の学校生活の鬱憤を晴らそうとしていたのかもしれない。

心に傷を負った子どもたちもいますか、と尋ねると校長先生は、落ち着きがなかったり、問題を起こしやすい子もいる、と教えてくれた。子どもたちと直接話してみてはどうですか、と提案され、数人を紹介してもらうことになった。

12歳のアハメド(仮名)と13歳のオマール(仮名)。二人は突然、校長室に呼び出されて、まるで悪いことをしたみたいにバツの悪い顔をしている。でも変な外国人に名前は、何歳などと聞かれるので今度はニヤニヤ笑い始めたが、「イスラム国のもとでの生活を教えてほしい」と切り出すと、2人の顔つきがはっきりと変わった。

「全部壊されて、憎み合って、みんながいる前で首切りの処刑もあった。最悪だよ」。薄茶色の短い髪をカールさせたオマール少年はふてくされたように答えた。ある金曜日にモスクに行こうとすると、モスクの前で公開斬首に出くわしたそうだ。「僕はみたくなかったけれど」とオマールはぎこちなく短い言葉で答えた。

年下のアハメドのほうが話したい気持ちが強いようで、オマールとのやりとりに横槍を入れてくる。ぽちゃっとした顔のアハメドは幼くみえる。しかしその話の内容は、12歳の少年のものとは思えない。アハメドは、半ズボンなど肌の見える格好をしていると罰せられたり殺されたりすること、いとこを含め親戚4名がイスラム国の情報を政府側に流したのを理由に路上で頭を撃たれて殺されたこと、イスラム国側がいとこの遺体の写真を家族に送りつけてきたことなど、溢れるように話した。

そんなアハメドも、最初の1ヶ月だけイスラム国の運営する学校に通っていたそうだ。教科書はすべて変えられ、算数の計算は、〈1+1=2〉の例えが、「爆弾1個と爆弾1個を足すと爆弾2個」になった。斬首の方法、人の殺し方を、絵や写真を使って教えるようにまでなり、それで学校に通うのをやめたという。

学校に通い続ける子どもたちはいたのだろうか。校長先生によると、誰も登校しなくなったそうだが、アハメドは、「1人知っているよ」と教えてくれた。「村の出身の友だち。お父さんがイスラム国の戦闘員だったから」。聞き間違いだろうか。まるでパン屋やタクシー運転手だったかのように話すのだ。知り合いがイスラム国戦闘員だなんて。通訳が確認すると、アハメドは「そうだよ、同じ学校の子のお父さんがイスラム国の戦争員だったんだよ」と繰り返す。

友だちのお父さんがイスラム国戦闘員で、しかも、友だちまでイスラム国に参加した。10歳前後でイスラム国に参加するとはどういうことなのか。そこで何をしていたのか。その子はそれでよかったのか。強制されたのだろうか。堪らず尋ねると、「お父さんにすごく説得されて、お前が死んだら天国にいける、といわれてた」。アハメドは、今その子がどうしているのか、彼に何が起きたのかは知らないという。

キャンプで暮らす、とある家族を訪ねたときにも、同じ衝撃に襲われた。モスル郊外の村から逃げてきた4児の母、ムンタハさん(仮名)。その品のよい振る舞いや落ち着いた様子から、今はビニール1枚のテントで暮らしているけれど、こうなる前は、それなりの暮らしをしていたことが窺える。12〜3歳の長女は、青いヒジャーブをおしゃれにまとっていた。イスラム国に支配されるようになってから、仕方なくそうするようになったそうだ。

ムンタハさんは少し目を潤ませながら、これまでの日々を語ってくれた。「5時間歩いたり、ボートに乗ったりして逃げてきたんです。夫は、イスラム国が来てから仕事がなくて、子どもたちも学校に通えなくて…」と通訳と私の目を代わるがわる見つめた。会話が途切れると、ムンタハさんは野次馬に来ていた近所の子どもたちにその場を去るよう命じた。騒がしかったのかな、と思っていると、お母さんはこう切り出した。「夫の兄がイスラム国の戦闘員なんです」。またもや私は聞き返さなければならなかった。

彼女の夫と、彼の兄の父親には2人の妻がいて、彼らはそれぞれ別の女性から生まれた異母兄弟だ。兄は、もともとが人望厚く、地元住民にとても慕われているような人だったけれど、彼がイスラム国に参加すると、あっという間にまわりから人がいなくなった。ムンタハさんによると、イスラム国の思想に極端に傾倒した結果、同組織のメンバーになったそうだ。イスラム国からお金をもらっていた、というわけでもなく、その思想に惹かれたのが理由だろう、と彼女は説明してくれた。兄は大学の教授だった。「教育を受けてないわけじゃないんです」とムンタハさん。

そんな兄が、ムンタハさんの夫にイスラム国に加わるよう、しつこく勧誘していた。夫が断ると兄は怒り、また、兄が他の若い兄弟をも勧誘しようとしたので夫がそれを止めようとすると、さらに激しく責めた。それを目の当たりにした家族は、身の危険を感じ、住んでいた村を去らざるを得なかった。夫は鋳造の仕事をしていた。「夫は兄のような高等教育を受けていません。でも、その兄に何度も誘われて、夫自身とても悩んでいました」

キャンプに避難してからも夫は、兄と同じ名字だ、という理由で、せっかく手に入れた仕事を2度ほど解雇された。兄の行方はわからず、死んだ、という噂もある。

彼女になんと声をかければいいのかわからなかった。「ここでの生活はどうですか」。そう尋ねると、ムンタハさんはひと呼吸置いて「いいです」と答えたものの、その目からは涙がこぼれ落ちた。

モンスターの集団かのように想像していたイスラム国だが、ここで暮らす人たちの会話を聞いていると身近な存在になってくる。恐ろしさは変わらないのに、とても生活の近くいるのだ。みんなから好かれた夫の兄が参加しているのも、みんなの生活を壊したのも同じ〈イスラム国〉。いとこを殺したのも、友達の父親が参加しているのも同じ〈イスラム国〉。

イスラム国に加わるのは〈誰〉なんだろう。イラク戦争の頃から活動していた筋金入りの原理主義者、という話も聞く。あるいは、鬱憤のたまったヨーロッパ出身の若者、移民の二~三世、という話も聞く。指導部はそうなのかもしれない。実際、イラク人に「イスラム国のメンバーって誰?」と尋ねると、「もういろんな国から! アメリカ人も中国人もチェチェン人もフランス人もサウジアラビア人も!」と。でも「イラク人はいないの?」と水を向けると、「いるよ。ほとんどはイラク人」という答えが返ってくる。

2014年、180万の人口を擁するモスルは、一説によると少なくとも200人、多くてもたった1,300人のイスラム国戦闘員によって4日間で占領された(イラク軍は6万人)。その後、6,000人のイスラム国戦闘員によって支配された、と報じられている。しかし、キャンプで聞いたとおり、この巨大な街を支配するには、地元住民の関わりも少なからずあったのだろう。

モスルの公務員だった、ある男性の話が忘れられない。彼は、公務員だったのを理由に拷問された。「でもね、イスラム国が来た当初は、彼らが街を解放しにきた、と思っていたんだよ」。モスルはスンニ派が多数を占める都市だ。シーア派政権からは、長年、目の敵にされ、街の自由を奪われていた。イスラム国に拷問されたその彼が当時を思い出していうのだから、嘘、偽りはないだろう。イスラム国は、食糧を配給するなど、人心掌握に長けていたといわれる。しかし、それだけでなく、住民の心を惹きつける何かがあったのだろう。

同じ街の住民が同じ体験を共有しながら、被害者と加害者になってしまった。隣にいた学友のお父さんは、隣にいた人望ある夫の兄は、もともとモンスターだったのだろうか。イスラム国とは、いったい〈誰〉なのだろうか。

怯えた少動物のような人たち

モスルから東に30キロの街、カラコシュは、昨年10月にイスラム国から奪還された。キリスト教徒が多く暮らしていた街で、イスラム国の侵攻後、ボロボロになるまで破壊され、〈異教徒〉であるキリスト教徒たちは街を追われた。奪還後の街の入口には再建されたばかりの大きな十字架が立っていた。しかし、イスラム国への恐怖のせいで、5か月経った2017年4月の時点では戻ってきた住民はほとんどいなかった。そのカラコシュに、戦闘が続くモスルに替わり、臨時裁判所が開設されたのだ。

建物は裁判所というには大げさで、一見、ちょっと豪華な民家のようでもある。午前8時過ぎ、建物の周りの空き地に、書類を持参して順番を待つ人たちがたむろしている。イスラム国、あるいは米軍率いる有志連合軍の空爆で自宅を破壊された人々、家族を失った人々、それぞれが補償を求めて申請にきているのだ。イラク政府は、この戦争による損害を補償をする、と発表している。

しかし、同裁判所は、補償を申請するためだけにある施設ではない。聞くところによると、イスラム国戦闘員あるいは関係者である、と容疑をかけられた人たちが尋問を受けるために同施設に連行されているという。別棟でのお偉方への挨拶回りを経て、ようやく、容疑者を尋問している部屋に入ることを許された。

通された部屋ではすでに何事かが進んでいるようだった。茶色のダボダボの囚人服を着た男性が部屋の真ん中に立っている。そう、その彼がイスラム国戦闘員の容疑者だった。すでに尋問が始まっていたのだ。

「出身はどこだ」「他の仲間の名前を知っているか」。裁判官が大きな声で質問している。ありふれた造りの部屋の中でイスラム国戦闘員容疑者がすぐ目の前に立っている。手錠をはめているわけでも、横でしっかりと看守が抑えているわけでもない。裁判官らしき男性が事務机につき、緑のポロシャツを着た書記らしきスタッフが、その横で記録をとっている。部屋のまわりにはソファが置かれており、軍人やら、ピンクの派手なシャツの人やらが座っていて、ひっきりなしに人が出入りしている。あまりにもありふれた部屋。でも、間違いなくその部屋の真ん中で立っている彼が、戦闘員としてイスラム国に参加した容疑で拘束されている人物で、今、尋問されているのだ。

その男性は小柄なずんぐりした体型で、歳は50代くらいだった。頭はごつごつして、黒く日に焼けている。尋問の内容によると、19人を殺して、6人をレイプしたという。彼は、処刑された遺体を運ぶ役割も担っていた。イスラム国は独自の裁判所を設立し、軍人や市民を裁き、処刑していた。同組織は、処刑された市民たちの遺体をモスルの南にある自然にできた巨大な穴(ハスファ)に投げ入れていたそうだが、この男性は、遺体を運んだりもしたそうだ。捕まった当時、モスルの西側で自爆ベルトを装着して戦っていたという。

19人も殺し、イスラム国の内部にいた男性だ。話で聞くと恐ろしい。でも、目の前にいるのは、ただのみじめな男性にしか見えない。イスラム国に参加する以前、仕事は何だったのか、男性の弁護士だという人物が教えてくれた。「何でもする肉体労働者ですよ。家具を運んだり、ブロックを集めたり、なんでも」

大きな声で質問する裁判官と、ほとんど声の聞き取れない男とのやりとりが続く。でも、どうして彼の罪が明らかになったのだろう。弁護士が横で説明してくれた。「男が自ら、私はイスラム国の戦闘員で、罪も認める、といったんですよ。彼は、非人間的なことをしている、と自ら気づき、後悔し、それで罪を認めたんです」。イスラム国のために働き、19人も殺してしまった後で、自分のしたことが罪だったと気づく。なんとも言い難い気持ちになってしまった。殺された人間や、その家族にしてみればたまったものではない。でも、自らの罪に気づいたときの苦しみはどんなものだろう。イスラム国に参加する前に気づかなかったのだろうか。参加したとしても、19人も殺す前にもっと早く考えなかったのだろうか。そう聞きたくなった。裁判官が続ける。「イスラム国のメンバーになれば天国でよい地位に就ける、と誘われたそうです。サウジアラビアから来たアブ・ハジズという男にいろいろ聞かされた、とね」

押し黙ったままの男性。泥土を何度も踏みしめて爪の中まで泥が入り込んだのであろう汚れた足、ずんぐりとした体型。なで肩で、ごつごつした頭。きっとイラク人の大好きなチャイに砂糖を何杯も入れて飲むのだろう。もし、イスラム国がくる前に出会えたなら、ちょっとムスっとしながらも道を教えてくれたようなおじさんだったのかもしれない。彼は自分が絞首刑になるのを知っているという。

尋問が終わったところで、裁判官がこの裁判所の概要について教えてくれた。イスラム国戦闘員や関係者の容疑者たちは前線、あるいは避難民に紛れているところをイラクの警察部隊か、対テロ部隊によって捕らえられる。その後、諜報部員の検査を受け、それからイラク軍に引き渡されてこの裁判所に連行される。4~5ヶ月の間に判決が下される。裁判所はイラク各地にあるが、モスルで拘束された容疑者はすべて、ここカラコシュに連行される。容疑者は基本的にはその地域の拘置所にいて、最終的な判決はバグダッドで下される。現在、1,500~2,000の容疑者が審議を受けている。通常の裁判と同様、容疑者1人に弁護士1人がつく。弁護士のなかには国選弁護人もいる。

容疑者には、特別な法律が適用される。2005年に成立した〈対テロ法〉だ。サダム・フセイン後の混乱するイラクを治めるために施行された法律だが、イスラム国構成員にも適応されている。罪状が確定すれば、基本的には終身刑か死刑。この反テロ法は悪名高く、施行されて以来、数多の死刑を執行し、無実の市民をテロ協力者として長期間拘束してきた。シーア派政権がスンニ派市民を弾圧するために利用したといえなくもない。国際社会からの批判もあり、2016年、同法は改正され、重罪を犯していなければ釈放も認められるようになった。また、イスラム国に参加したのが2か月未満の場合など、罪に問われない可能性もある。ただし、容疑者が裁判所に連行されるまでに時間がかかるので(原則、拘束されてから24時間以内)、そのあいだに仲間から入れ知恵され、「2ヶ月しかかかわっていない」などと嘘をつくようなケースも多いそうだ。現在は、この法律改正が原因で、イスラム国の関係者が処罰されず野放しになっているのでは、との懸念もある。そのいっぽうで、カラコシュの裁判所に連行されるうちの50%が無罪だ、という声もある。しかし、ここで判決が下されるわけではないので、どれだけの容疑者が解放されて、どれだけの容疑者が有罪なのか、カラコシュの裁判所関係者にはわからないのだ。

新たに部屋に入ってきた2人目の容疑者は、弱々しい老人にしか見えなかった。彼は、イスラム国のための水の運搬に携わった疑いがあるという。囚人服がたりなかったのか、男性の上着は紺色のセーターだ。男性は最初から容疑を否認しており、彼は、イスラム国を手伝ったのではなく、もともとはドライバーをしていたけれどもイスラム国が来てから仕事がなくなったので水の運搬を始めたという。イスラム国のために働いたのではなくて、水を注文した顧客に配っただけ、そのなかにイスラム国がいただけだ、と繰り返していた。

さっきまで強い口調で話していた裁判官は、私たちに向かって、イスラム国戦闘員や協力者ではないとわかれば彼は釈放される、といった。紺色のセーターの老人はすぐに外に出ていった。

次に現れたのは、頭髪を綺麗に剃った男性だ。年齢は32歳、小学校には通ったけれど、その後の教育は受けていないという。彼は、月100ドルもらえる、と聞いてイスラム国に参加した。同時期に、イスラム国に15人の仲間がいた。そこで、宗教コースか戦闘トレーニング・コースを受けなければならなかったので、彼は戦闘トレーニング・コースに参加したそうだ。自分が参加していたのは2ヶ月だけで、父親に説得されてイスラム国を去ったという。男性はイスラム国が好きだったわけではなく、お金がほしかっただけだ、と説明した。本当は学校の先生になりたかったらしく、ヨーロッパに行きたいそうだ。

「なんでイスラム国に入ったの?」。やりとりの始まりは自然だった。一緒に取材していた地元のジャーナリストが、壁を向いて立たされていた男性にそう尋ねた。男性は「イスラム国が好きだったわけではない。お金がほしかっただけ。あと、結婚できると聞いたから」と答えた。後ろを向いたまま繰り返し答えている。言い訳がましく説明するところが妙におかしかった。彼が後悔しているのかどうかは想像するしかない。でも生き延びるためだったらイスラム国を信じている「ふり」も、後悔している「ふり」もする。したたかなのだ。男性に「良心」があるかもしれないと考えるより先に、親近感を覚えてしまった。裁判官が、男性の答えを解説しようとするが、ジャーナリストはかまわず話しかける。「えーっと、それまで何をしていたの?」。アラビア語なので詳細はわからないが、ごく普通に、ジャーナリストは「あのさ」「ねえねえ」と男性に話しかける。すると男性は、裁判官に壁に向かえ、と命じられたのに、ジャーナリストのほうに振り返ろうとする。最初は、質問がよく聞こえないのか、もしくは、意図を汲み取れないのか、裁判官のほうを見るついでに、ちらり、と振り返っていた。しかし、ジャーナリストが質問続けると、男はジャーナリストの顔をしっかりと見て返事をしようとするのだ。話しかけられたらつい相手の顔をみてしまう。後ろを向けと命じられていたのに、聞かれるから、わかってほしいから、相手の目を見て答えてしまう。それもまたあまりに人間的だった。

「子どもに首を切るところ見せられる?」「それは難しいかな」。「自分のことを人間だと思う?」とジャーナリストが質問をすると、男性は「私は人間。イスラム国にいるときは人間だとは思わなかった。でも今は人間だと思う」と答えた。