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リトアニアの国防

2014年、ロシアのクリミア進駐により、遠くはなれたリトアニア共和国ではロシアに対する警戒心が顕在化。大規模な軍事演習が実施されている。リトアニアはどのような意識で国防に臨むのか。軍事演習の現場、リトアニア各地から国防強化計画をレポート。

2014年、ロシアのクリミア進駐により、遠くはなれたリトアニア共和国ではロシアに対する警戒心が顕在化した。2015年、NATOの軍事演習「サーベル・ストライク作戦」に先駆け、大規模なリトアニア軍の軍事演習が実施された。ロシアとしか思えない仮想国「ウディア」の侵攻に対し、リトアニア軍は「ライトニング・ストライク作戦」でウディアを返り討ちにする。

「ライトニング・ストライク作戦」とはいかなる作戦なのか。リトアニア国民はいかなる意識で国防に臨むのか。軍事演習の現場、リトアニア各地から国防強化計画をレポート。

原題:THE RUSSIANS ARE COMING – LITHUANIA (2015)

1795年、ロシア帝国に編入後、フランス、ポーランドに翻弄されつつも、1920〜1922年の2年間だけ独立を勝ち取る。しかし、欧州情勢は、リトアニアの独立を阻み、1922年にポーランドに編入される。その後、ポーランドがドイツとロシアに蹂躙された結果、1940年、ソビエト連邦に編入されて以来、リトアニア・ソビエト社会主義共和国として臥薪嘗胆の日々を送った。

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ソビエト連邦末期の1988年、民族組織「サユディス」の結成に始まり、1989年、独立を希求するバルト三国民が「人間の鎖」もしくは「バルトの道」として繋いだ手は600kmを超え、1990年の独立宣言に繋がった。独立宣言後、独立を頑に拒否するゴルバチョフ政権率いるソビエト連邦は、1991年、武力介入により、リトアニアに流血と犠牲を強いた。しかし、崩壊へ向けてソビエトが揺らぎ始めると、世界各国がリトアニアの独立を承認し、引きずられるようにソビエトも独立を承認。

それから25年、リトアニア共和国は、WTO, EU, NATOへの加入など、ロシア連邦を警戒しながらも協調、宥和路線を歩み続けてきた。しかし、2014年のロシア軍クリミア侵攻は、リトアニアのロシアに対する潜在的な警戒心を顕在化させた。リトアニアの東隣にはベラルーシがあるため、ロシア連邦本土からの直接的脅威はない。しかし、西隣するロシア連邦の飛び地、カリーニングラードではことあるごとにミサイル配備騒動が起こる。カリーニングラードの軍備規模は明らかにされていないが、リトアニア国民の不安は拭いきれない。NATOの後ろ盾があるとはいえ、バルト海、カリーニングラードに展開するロシア軍の規模に比べると、総員約16,000人のリトアニア軍は小規模だ。

ロシアに対する懸念を振り払うべく、リトアニア共和国は国防体制強化に勤しむ。2015年5月、リトアニア軍は3,000名弱からなる即応部隊(Rapid Response Force)を結成し、当局関係者は否定するものの、どうみてもポーランド併合後のロシアでしかない仮想国「ウディア(Udija)」の侵攻を想定した軍事演習「ライトニング・ストライク作戦」を実施し、6月にはNATOの軍事演習「サーベル・ストライク作戦」が実施された。

リトアニアが注力するのは軍事演習だけではない。有事のさいは「国民皆兵」といわんばかりの国防覚書が国民に配布されている。内容は、竹槍で敵兵を突き刺す方法はもちろん、敵国の侵攻に対する心構え、ハイブリッド戦の可能性、SNS等を駆使した国防活動のススメだ。それに加えて、2008年9月に廃止した徴兵制が2015年5月に再会した。

リトアニア政府は国防体制強化に共和国の活路を見出したのだろうか……