セルビア人の写真家スルジャン・ヴェリョヴィッチ(Srđan Veljović)は、過去25年間にわたり、セルビアで起きた社会変動を記録してきた。ノヴィ・ベオグラード地区にある社会主義国家によって建設された集合住宅での夏の生活、スレブレニツァ虐殺の被害者の追悼式、セルビアのラップ・グループであるサンシャイン(Sunshine)の全盛期など、スルジャンは常にカメラを抱え、そこにいた。

彼の新たな写真展「1990s」は、セルビアの独裁的指導者スロボダン・ミロシェヴィッチ(Slobodan Milošević)が統治していた時代をテーマにした作品で構成されている。ミロシェヴィッチが政権を握った1987年から、彼が追放された2000年まで、軍の内部と外部で起きた様々な日常を垣間見ることができる。アートゲットギャラリー(ARTGET GALLERY)での写真展の開催に先立ち、戦争に始まり戦争に終わった10年間のセルビアを最も象徴している、とスルジャンが考えている写真について語ってもらった。

1980年代後半に撮影された白黒写真は、どこで撮影したのですか。また、なぜそれらの写真が1990年代のセルビアを象徴するのでしょう。

1987年から1988年、ユーゴスラビア軍に徴兵制で従軍していた頃に撮影した写真です。現在はクロアチアの、アドリア海沿岸にあるディヴリェに配属されていました。90年代に撮影した写真とは関連がないように見えるかもしれませんが、10年に及ぶ戦争以前のユーゴスラビアはどうだったのか、力強く表現しています。私たちが90年代に突入する以前、そして、90年代に何が失われたのかを示しています。友達のある2人の兵士に、キスするよう、冗談半分でお願いして撮影した写真があります。全てがとても無邪気でした。

ディヴリェ/スプリト、ユーゴスラビア軍、1988年

その後の出来事を踏まえ、今それらの写真を見て、どう感じますか。

撮影時に、その写真がどんな意味を持つかなんて考えもしませんでしたし、意味なんてありませんでした。写真展では、軍隊生活での2つの視点を提示しています。1987年から1988年の戦前、1999年のNATOによるセルビア空爆まで、両者を比較できるように展示しています。3つ目のセクションは、2つの枠組みの中間に位置する、市民の生活と政治的状況を撮えた写真で構成されています。

1990年代のセルビア市民の生活とは、どのような写真ですか。

その当時、撮影した写真は、ベオグラードのクラブ〈インダストリア(Industrija)〉で開催されたテクノのレイブパーティー、リバーボートでのターボ・フォークのパーティー、ベオグラードにあるカレメグダン公園でのフォークダンスの模様などです。それらの写真は、めげずに日々を生きるためにみんながどうしていたかを表しているとは思いますが、戦争中にありふれた日常などありませんでしたから、全て象徴的なものにすぎません。

ディヴリェ/スプリト、ユーゴスラビア軍、1988年

NATOの空爆が終わった後、どこで祝ったのですか。

私も軍人として戦地に赴いていました。ベオグラードから約13マイル離れた場所にある、スレムに駐屯していました。1987年と1988年に撮影した軍の様子は、無邪気さすら感じさせるでしょう。危険的状況でないのは明らかだし、とてもロマンチックな光景です。1999年の写真は、より荒んだ光景です。時を経て、状況は変わってしまいました。

空爆が終わった、と知らせを聞いた時、スレムの寂れたバーでパーティーを開きました。そのめちゃくちゃなパーティーで、兵士たちがグラインド・ダンスをしている写真を撮りました。1988年に撮った写真では、兵士にキスするよう演出しましたが、11年後、この瞬間に撮った写真は、私は何も演出しておらず、被写体自らキスしたんです。何もかもが激変したんです。

ありがとう、スルジャン!

NATOによる空爆後、1999年

ディヴリェ/スプリト、ユーゴスラビア軍、1988年

クラブ・インダストリア、1990年代

ベオグラード、1997年9月。「声明への欲望、ヴィルヘルム・ライヒ (Lust for Life, Wilhelm Reich)」というフェスティバルにて、仮面を被った人々と歩く芸術家サシャ・マルコヴィッチ・ミクロブ

ディヴリェ/スプリト、ユーゴスラビア軍、1988年

ベオグラード、1990年代

NATOによる空爆の最中、1999年

NATOによる空爆の最中、1999年

NATOによる空爆の最中、1999年

ベオグラード、1999年9月