ドイツ、テューリンゲン州の小さな町、テマールは、どんよりとした灰色の空に覆われていた。2017年7月15日、ここ10年のなかで国内最大の極右ロック・フェスが開催されたのだ。開場前にもかかわらず、6000人ものネオナチがテマールに集結していた。「そんなイベントに割く時間はない」とばかりに太陽は身を隠していたが、カメラマンのザラ・レナート(Sarah Lehnert)と私は、そのイベントに時間を割こうとしていた。しかし、会場に向かう道で渋滞にハマってしまった。会場に近づくにつれ、車の動きは遅くなった。

私たちの車の両側を、何百人もの男たちが会場に向かって歩いていた。皆一様に、ヒトラーやナチズムを称賛する、激しいスローガンが書かれたシャツを着ていた。スローガンは、たとえば〈Wer A sagt, muss auch Dolf sagen〉(〈A〉といったら、〈Dolf〉と続けろ:ヒトラーのファーストネーム〈アドルフ〉を意味している)という、古いドイツのことわざをもじったものなど。男たちは缶ビールを握りしめていたが、「これからフェスに向かいます」というようなリラックスした雰囲気ではなかった。町から会場まで、約10キロごとに、警察のチェックポイントが設けられていたが、もはや警官の姿は見えなかった。いるのはネオナチだけ。会場に近くなったので、私とカメラマンは車の窓を閉めた。イベントの名称は〈ロック・ゲーゲン・ユバフレンドン:Rock Gegen Überfremdung〉、すなわち〈反ユバフレンドン・ロックフェス〉。〈ユバフレンドン〉とはドイツ独特の言葉で、〈過剰外国化〉〈外国人が押し寄せてきている〉という意味である。

会場に向かって歩く参加者のなかでも、わりと楽しそうだったうちのひとり.

フェスの主催者がテューリンゲン州をイベント会場に選んだのは、巨大なネオナチ・コミュニティがあるからだ。「難民問題が深刻だったときにも、われわれは、難民をひとりも受け入れていません」。テマール町長フーバート・ブーズ(Hubert Böse)は『シュピーゲル・オンライン』で誇っている。「この町の人口のうち、外国人は2.7%のみ。その彼らも、ちゃんと町の社会に同化しています」

このフェスに出演するバンドのひとつ、STAHLGEWITTER(鋼鉄の嵐)は、ヒトラー軍の勝利と、その力について歌っている。STAHLGEWITTERは、ミヒャエル・レゲナー(Michael Regener)率いる新バンドだ。レゲナーはLANDSERという、ドイツで最も有名なネオナチ・バンドの元リードシンガーだった。しかし2003年、LANDSERは犯罪組織グループに認定され、活動を禁止された。更に彼は、ユダヤ教コミュニティへの暴力を扇動した罪で、禁固3年の刑に処せられていた。

全国から何百人もの警官隊が集まった.

また、このフェスに出演する講演者リストには、ドイツの有名な極右運動家たちも記載されていた。ドイツの主要な国家主義的政党である〈ドイツ国家民主党:NPD〉〈右派党:Die Rechte〉〈第三の道:Der Dritte Weg〉〈ズーギダ:Thügida〉など、地元の右翼組織のメンバーたちだ。また、ロシアの武術組織である〈ホワイト・レックス:White Rex〉も登壇し、国家主義者たちに戦法を伝授するプログラムも準備されていた。

こんなにたくさんのネオナチが集っている光景は、正直、物凄く怖かった。ゲーラという町で開かれた〈ロック・フュー・ドイチュランド:Rock für Deutschland(ドイツのためのロック)〉も、これに似たようなイベントだったが、そこに集まったネオナチの数は800人。しかし、テマールには6000人が集まっていた。そんな数のネオナチが集結し、ドイツ有数のファシスト・バンドに合わせて、自らの信条を称賛しようとしていたのだ。

私たちは車を停め、外に出て少し歩いた。フェスに向かう男たちの出立ちは、ドレスコードが決められているかのようだった。スキンヘッド、ジーンズ、ドイツ語で何か書かれた黒いTシャツ。男たちは、可能な限り威嚇的に歩いている。力んで歩くその姿は、まるで自分の内側にある憎しみを胸のなかにぎゅっと押し込んでいるかのようだった。

イベント主催者トミー・フレンク(Tommy Frenck)がオーナーを務めるパブ、〈ゴールデン・ライオン〉.

会場入りする前に、フェス参加者が大勢立寄るのがパブ〈ゴールデン・ライオン〉だ。この辺では、よく知られたネオナチ御用達の店である。店のオーナーは、このイベントの主催者でもあるトミー・フレンク(Tommy Frenck)だ。彼はNPDに所属する政治家であり、〈市民保護〉団体も設立している。また、テマールから10キロほど離れた彼の地元、シュロイジンゲンで開催されたデモのオーガナイザーとしても知られている。

フレンクのウェブサイトでは、石弓やナタ、そして〈I love HTLR〉ステッカーなどが購入できる。「〈Hitler〉という文字を衣服に書くと違法になる」。かつてフレンクは地元のテレビ取材に応えていた。「しかし〈HTLR〉は家(Home)、伝統(Tradition)、忠誠(Loyalty)、敬意(Respect)を表している。誰にも販売を禁止することなんてできない」。パブの前に停めてある黒い大きなハマーは、彼のビジネスが順調な証左だ。ヒトラーの誕生日である4月20日には、シュニッツェル(=ドイツのカツレツようなもの)を準備し、さらにナチス式の敬礼とともに「ハイル・ヒトラー」と叫ぶ。その日は予約しないと入れないほど繁盛するそうだ。

テマールの中心部から、フェスが開催されている事実は知りようがない。なぜなら、警察が主要道路を封鎖し、3000人が暮らす町にネオナチが近づかないよう警戒しているからだ。よって、町にはひと気がない。玄関のドアは閉ざされ、カーテンも降ろされている。この日はスーパーも営業せず、毎週開催されているフリーマーケットも開かれなかった。

フェス会場の近くに、芝を刈っている男性がいた。30年前、彼が奥さんに出会ったのは、現在、ファシストのたまり場になっている、あのパブだったという。現在はあのパブに出入りはしていないが、あの辺にたむろする国家主義者にはもう慣れた、と語る。「アイツらもお前さんも俺たちも、まったく同じ人間だよ」と彼はいう。しかし、とある脇道の奥で出会ったサンダル姿の男性は、いらだちを隠せない様子だった。「極右のヤツらは別のところに行ってほしい」とサンダルの彼はいう。「この辺の住民は皆、早く週が明けて、普通の生活が戻ることを願っている」

テマールに住む男性。彼が妻と出会ったのは地元のパブだった。今やそのパブは、ネオナチのたまり場となっている.

ヒトラーが権力を握る以前、テマールには、たくさんのユダヤ人が住んでいた。町のいたるところに、〈つまずきの石(Stolpersteine)〉が埋め込まれている。〈つまずきの石〉とは、ホロコーストで殺されたユダヤ人たちが、最後に暮らしていた場所を示した記念碑だ。今回地元住民と話したなかで、テマールが差別主義者の集う場所になるのを阻止するためにもっと何か手を打つべきだった、という意見も聞いた。州議会は、右翼政党〈ドイツのための選択肢(AfD)〉の元メンバーであるボードー・ドレッセル(Bodo Dressel)が、自ら所有する土地をフェス主催者に貸さないために尽力したが、結局、裁判所はフェスを合法と結論づけ、禁止に追い込めなかった。

フェス開始後には、反対を叫ぶ団体が、テマールをデモ行進し、会場の近くに集まった。反対の声はこれだけではなかった。町中の街灯に、反ナチスを表明する横断幕や看板が掲げられていた。

反対の声を挙げる人々が町を練り歩く.

駐車場からフェスの入口へとつながる主要道路の両端には、20名前後の記者たちが佇んでいた。入場するネオナチは、ヨーロッパ全土から集まっている。なかには、ドイツで禁止されている〈ブラッド・アンド・オナー(Blood & Honour)〉という英国ネオナチ団体のバッジを身につけた参加者もいた。道を歩いているあいだ、カメラに向かって陽気なポーズする男たちもいて、まるでレッド・カーペットのようだった。もちろん、フレンドリーなネオナチばかりではない。「このロクデナシ野郎ども」。そう叫ぶ男もいたし、「テメエ殺すぞ」と脅かす輩もいた。中指も立てられた。

彼らの怒りの矛先は、特に女性に向けられた。「この淫乱め」「犯すぞ」。そんな言葉が途切れなかった。ツバを吐きかけられた女性カメラマンもいたし、スカーフで顔を隠した女性はひどく脅され、罵倒されていた。会場に流れ込むネオナチたちの列は夕方まで途切れなかった。主催者側も予想しなかったほどたくさんの来場者が集まったため、スタッフは保護柵で囲んだエリアを広げ、より多くの観客が入場できるようにしなければならなかった。

黒い保護柵は、私たち記者からフェスの模様を隠すために設けられていたはずだが、柵の上にはためく第三帝国の旗は、視界に入らないようにするほうが難しい。ステージを覆う白い巨大なテントの入口では、ドイツ中から召集された警官が武器所持確認のためボディチェックをしていた。また、暴動が発生した際に使用する高圧放水銃も準備されていた。これら追加のセキュリティ対策費用は、テューリンゲン州の住民たちが払った税金で賄われた。しかし、フェスの主催者は、40ドル(約4500円)のチケットを6000枚分、つまりチケットだけで20万ドル(約2200万円)を売り上げたのだ。

黒い柵が会場を囲み、記者たちの視界を遮る.

私たちがいたところからは、どんな曲が演奏されているのかはわからなかった。しかし、ナチスの副総統を務めたルドルフ・ヘス(Rudolf Hess)を支持するチャント、〈自由で社会的、そして国家主義!〉というスローガンが断続的に聞こえてきた。またあるとき、数少ない女性参加者のひとりが柵にのぼり、カメラマンに食ってかかった。警察が取り押さえたが、彼女は連行されながら叫んだ。「私には子どもが2人いるんだよ! こっちにもプライバシーがある!」

道の反対側にある小さな庭から、ひとりの男性が叫んでいた。彼は、記者はネオナチをネタにするな、と主張していた。「結局、私たちにはなにもできない」。それが周辺住民たちの総意のだったようだ。ハンブルクで起きたG20サミット抗議デモのような暴力沙汰さえ起こさなければ、ネオナチたちも好きなように過ごせばいい、と住民の多くがが考えている。明日からはまた普通の生活に戻れるのだから、と。

フェス会場の警察隊.

しかし、現実はそう単純ではない。このフェスが終わっても憎しみは続く。なぜなら、この後は〈ロック・フォー・アイデンティティ〉という、2016年には3500人を動員した同様のフェスがここでで開催される。ネオナチはここにまた戻ってくる。そのフェスに出演するバンド、FRONTALKRAFは、こう歌っている。「ブラックは俺たちが攻撃する夜の色/ホワイトはドイツに勝利をもたらす人間の色/レッドはコンクリートに流れる血の色」

結局〈ロック・ゲーゲン・ユバフレンドン〉が終わるまでには傷害罪、器物破損罪、危険物所持、違法シンボルの掲示など、さまざまな罪で46名もの観客が警察に取り押さえられた。そのなかには、ステージ上でナチス式で敬礼した出演者たちもいたそうだ。

2017年、ドイツでは、同性愛者同士の結婚が認められ、大麻も合法化された。しかし、こんなイベントが開催される国でもあるのだ。夜になり、私たちは車に乗り込んだ。巨大な白いテントの下で、何千人もの人々がナチス式の敬礼とともに「ハイル!ハイル!ハイル!(万歳!)」と叫んでいた。そんなテマールの会場を後に、時速約170キロでアウトバーンを走り抜けた。