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黒魔術の恐ろしさを伝える. 1973年に発行されたアイルランドの新聞一面.

1972年から1974年、、北アイルランド問題が激化の頂点を迎えようとするなか、北アイルランドで黒魔術にまつわる噂が広まった。政治、暗殺、爆撃を報じる新聞の記事に紛れて、黒ミサに集う亡霊、動物の生贄、子供の誘拐、といった見出しが散見された。

それから40年間、シェフィールド大学社会学の教授リチャード・ジェンキンスは、資料収集、関係者を取材しながら、この現象を研究し続けている。その過程で、黒魔術にまつわる噂の背景に、英国軍の策略が浮上した。

噂を盛んに流していたのは、紛争中、軍が計画していたクロックワーク・オレンジプロジェクトの内容を暴露され、時の人となったコリン・ウォレス大尉だ。

英国軍諜報部隊の心理作戦部門、前長官は、ジェンキンス教授に、自身の部隊が廃屋や墓地に偽の黒ミサ会場を設営した、と告白した。彼らはトマトを入れる箱から切り出した逆さ十字を吊るし、魔方陣を描き、黒いロウソクと、軍の調理場から持ってきた血を供えた。また、複数の新聞社に偽の投書を送り、出所不明の情報を記者に提供した結果、混乱した市民があらぬ噂を広めてしまった。

諜報部隊が直接噂を広めたわけではないが、市民たちの不安を煽り、アイルランド民兵組織を貶めた。資金悪用、共産主義、麻薬取引の噂など「古典的」なやり口で、黒魔術に関するプロパガンダや中傷的な噂を広めた。諜報部隊は、民兵組織を「キリスト教両派が非難するであろう事象」と結びつけ、アイルランドを内部から瓦解させようとしていたようだ。その結果、アイルランド国民の宗教観や超自然的な民間伝承の影響もあり、子供たちや若者は、夜間外出を控えるよう命じられた。

真実を知るため、黒魔術にまつわる一連の出来事を研究し続ける、リチャード・ジェンキンス教授を取材した。

黒魔術の噂に興味を持ったきっかけは?

1973年、ベルファストで社会人類学を学んでいたさい、ベルファストや、故郷のアントリム州ラーンで、見聞きした新聞や噂がキッカケです。人類学者を志していましたから、宗教、魔術、といった内容に興味を惹かれずにはいられませんでした。

噂の内容を教えてください。

1972年のハロウィンに、カトリックが強い影響力を持つ、北アイルランドのアードインで、得体の知れない「ブラック・マン」が犬を生贄に黒ミサを開いている、という噂が、子どもたちと若者のあいだで広まりました。逆さ十字と黒いロウソクを使うミサが繰り広げられている、という噂もありましたが、すぐに忘れ去られ、新聞に掲載されることもありませんでした。

9ヶ月後の1973年8月5日、ベルファスト・サンデーニュースに、ベルファスト湖のコープランド諸島で執り行われた、羊を生贄にした黒ミサにまつわるセンセーショナルな記事が掲載されました。その後、9月8日には、ブライアン・マクダーモットという10歳の少年が、ベルファストのオーム公園近くのレーガン川で、手足を切断された焼死体になって発見されました。その3日後、少年は黒ミサで殺害された、と新聞で報じられたのです。しかし、9月末、コープランド諸島の噂は証拠不十分により虚偽であった、と王立アルスター警察(the Royal Ulster Constabulary、RUC、現北アイルランド警察)が発表し、10月半ばには黒魔術捜査を打ち切りました。

その後、ベルファストの若者たちが「遊び半分で黒魔術を使用している」と新聞が報じました。これは、主に、暴行を受けて亡くなった死者と会話をするためのゲーム「ウィジャボード」を扱った記事でした。そのさい、コープランド諸島や、ブライアン・マクダーモット事件が引き合いに出され、噂はアイルランド全土を駆け巡りました。妖術や黒魔術が地元新聞の十八番になったんです。

1973年の10月中旬には、子供が生贄にされる、という恐ろしい噂が広まりました。金髪で碧眼の子供、特に少女が狙われやすい、と噂され、その年のハロウィーンは自粛ムードでした。また、ヤギ、羊、犬、猫などの動物も生贄として狙われる、とも噂されていました。結局、遺体は発見されませんでしたが、黒ミサが執り行われた可能性のある場所がいくつか、各新聞に掲載されました。例えば、10月半ばには、ニューリーの外れにある古城で、死者との会話を試みた儀式の痕跡が見つかった、と噂された。ベルファスト北部の廃家で、儀式に使われる魔法陣などの痕跡が発見された、との記録も残っています。

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噂に対する当局の反応は?

10月半ば、RUCが、黒魔術にまつわる証拠は発見されなかった、と公式に発表しましたが、噂は収まらず、妖術や黒魔術にまつわる噂は、両派クリスチャンたちの間で広がり続けました。報告された事件の数は、ハロウィーン前後の10月半ばから11月の3週目にかけてピークに達しましたが、翌年、1974年、噂をみみにすることはほとんどありませんでした。

当時この出来事をどう捉えていたんですか。

不明な点だらけでしたが、北アイルランドで、サタニズムやウィッチクラフトが突然広まったのには、疑問を感じました。この点に関しては今も同じです。

心理作戦部門の存在は、当時、共和党の公開状によって明らかになりましたが、支持する人は多かったのでしょうか、それとも陰謀論の噂もありましたか。

正確にはわかりませんが、英国軍が黒魔術の噂に関与している、という情報は共和党の公開状だけでなく、以前にも話題にはなりました。1973年10月26日、日曜日に、ダブリンのサンデーワールド紙がこの問題の「専門家」の発言を引用していましたから。11月2日には、ダンドークのザ・アーガス紙が、同じような見解を持つ聖職者への取材記事を掲載しました。疑いを持っている人もいましたが、今となっては、どのくらいの人々が軍の関与を疑っていたかはわかりません。噂を深刻に受け止めていた人も大勢いました。

多くの人が「黒魔術の恐怖」に巻き込まれた事実をどう考えますか。

1970年代始めの北アイルランドは、「黒魔術の恐怖」に取り憑かれてはいませんでした。一部の人々が、一時的に黒魔術や妖術の脅威を懸念していただけです。こういった懸念や恐怖は、新聞の記事とは無関係に一人歩きしていました。特に子供たちや若者は、噂に非常に敏感でした。しかし、大多数は、公式に否定する発表があったためか、疑い深かったせいか、噂を信ぴょう性の低いものとして信じていませんでした。一部の若者が面白がり、ハロウィーンの時期に噂の一部だけを誇張して吹聴して回ったんです。ハロウィーンも中止ではなく、小規模になっただけでしたから。

カトリックとプロテスタントで、噂に対する反応の違いはありましたか。

当時紙面を賑わせていた噂は(コリン・ウォレスや同僚たちが植え付けた可能性のある)暗示だったが、カトリック教徒たちは魔術を恐れていませんでした。その証拠に、バン川以西の地域で、噂はそれほど広がりませんでした。1970年始め、ベルファストのカトリック教徒たちは、アイルランド統一主義者たちが優勢だ、と考えていました。つまり、彼らは「勝利」を確信していたんです。とはいえ、彼らは軍に狙われ、英国連合維持派の暗殺計画に脅かされていました。誰もが苦しんだ時代だったんです。

プロテスタントの反応は、噂にどのような影響を与えましたのですか。

ほとんどの信者たちは英国やウェストミンスター議会に見捨てられた、と考え、アイルランドの「勝利」を恐れていました。彼らは、味方であるはずの過激派ロイヤリストの暴力、特に暗殺の矛先がいつ自分たちに向けられるのか、戦々恐々としていました。さらに、敬虔なプロテスタントたちは「終わりの日々」が迫っているのかもしれない、と怯えていました。噂の内容は、プロテスタントの信仰に通じるものがありましたが、彼らが噂に影響されることはありませんでした。

ありがとうございました。