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マイケル・ムーアが語る『アメリカン・スナイパー』、政治家サラ・ペイリンの終焉、そしてPTSD

クリント・イーストウッドの最新作『アメリカン・スナイパー』公開後、ツイッター上での発言が物議を醸したマイケル・ムーア。彼はツイッターやフェイスブックで数回投稿をした他、テレビに出演することもなく、この騒動から距離を置いていたが、VICEのインタビュー依頼を受け、映画『アメリカン・スナイパー』について語ってくれた。
Michael Moore at the Oscar Celebrates Docs reception in 2013. Photo by Tommaso Boddi via Getty.

クリント・イーストウッドの最新作『アメリカン・スナイパー』公開後、ツイッター上でのマイケル・ムーアの発言が物議を醸した。

「僕の叔父は第二次世界大戦中、スナイパーに殺された。彼らは後ろから打ってくるから臆病者だと教えらて育った。スナイパーはヒーローなんかじゃない。侵略者はさらにタチが悪い。」

「1万キロも離れた場所から侵略してきた奴らから、自分たちの土地を守ろうと銃を持って戦ってる人をスナイパーとは呼ばない。それは勇敢な戦士だ。」

このツイートに対して右翼からは非難が殺到。ブレイトバートは「哀れな”釣り師”だ」と非難し、ジョン・マケインは「馬鹿げてる」と批判、キッド・ロックは自身のウェブサイトでこう綴った「ファックユー、マイケル・ムーア!お前の叔父さんもお前の存在を恥じてるよ」

中でも衝撃的だったのはサラ・ペイリン。ダコタ・メイヤー軍曹の名誉勲章式で「ファックユー マイケル・ムーア」と書かれたポスターを手にしてポーズを決めている写真がツイッターに流れた。アルファベットの「O」には十字が書き込まれている。これは「標的だ」というメッセージだと読める。

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この写真で右派からも左派からも批判を受けたペイリンは、土曜にアイオワで開かれた自由討論会でダメダメなスピーチを披露。当の写真を指して「このポスターは我々が考えていること」だと述べた。ムーアはツイッターやフェイスブックで数回投稿をした他、テレビに出演することもなく、この騒動から距離を置いていた。しかしVICEのエディ・モレッティのインタビュー依頼を受け、映画『アメリカン・スナイパー』について語ってくれた。

VICE:どうも、まずは例のツイートのことから話そうか。ツイートをした理由、伝えようとしていたこと、書いたときの思いを教えて。

マイケル・ムーア:書いたことを弁明するつもりも、改めて擁護するつもりもない。自信を持って書いたし、その後の騒動についても気にしてない。無責任に、国家を違法な戦争に突入させるような奴らに何を言われたって、何のダメージもない。自分が思ったことは言う。間違いだと思えば、もちろん訂正する。でも今回は間違いだったとは思ってない。言い返したとして、誰かに「マイケル・ムーアがあの言葉を撤回した!」なんて言われるのは御免だからね。戦争をけしかけようとする動きを止めたいという気持ちに偽りはない。

ここだけの話、テレビの出演依頼は全部断った。ここではあえて「明白にする」という言葉を使うけど、140文字だと深みのあることを説明しきれない。フェイスブックやこういった会話なら、ツイッターで言い切れないことを補える。

気になったことがある。君はまずツイッターでスナイパーのことを書いて、それから映画『アメリカン・スナイパー』について書いた。スナイパーについての意見をもっと聞きたいとこだけど、一旦置いておくね。二つのツイートでは、全く違うことを書こうとしたのかな?

その通り。最初のツイートで『アメリカン・スナイパー』について発言するのは意図的に避けた。あの日、映画のおかげでスナイパーに関する議論が盛り上がってた。映画が公開されたこともあるけど、週末にマーチン・ルーサー・キング・デー(各地で慰霊祭やコンサートなどの催し物が開かれる)があったことも影響してると思う。けれど、スナイパーによって殺された偉大なアメリカ人を讃える日に『アメリカン・スナイパー』っていうタイトルの映画が公開されるなんて不快だった。おかしいと思わないか?例えば、『アメリカン・スナイパー2』が公開日が11月22日(ジョン・F・ケネディが暗殺された日)だなんて言われたら、どう思う?

たしかに、アメリカが攻撃された日を描いた悲劇的な映画を9月11日に公開しないだろうね。

そう。家電店が「今日はオーブンがセール!」だなんて、ホロコースト・デイにはやらないだろ?それは一番極端で異常な例だけど。制作者は「よし『セルマ』が公開された。白人はあの映画を観に行かないだろうから、マーチン・ルーサー・キング・デイに白人が観たいものを出そう」とでも思ったんだろう。定かではないけど、とにかく不快だった。それからスナイパーについて考えてた。僕はスナイパーに対して強いアレルギーを持つ家族で育ったから余計にね。

僕の叔父はローレンス・ムーア、ローニーって呼ばれてた。会ったことはない。僕は戦争が終わって9年目に生まれたから。でも幼いながら、叔父の死が家族に与えたインパクトの大きさを感じてた。特に祖母は激しく落ち込んだ。船で叔父の遺体が戻ってくると、フリントにあるカトリック墓地に埋葬して、祖母は祖父を説得し、墓地のすぐ近くの家に引っ越して、毎日お参りに行ってた。年に2~3回は親戚の子供たちも全員集まってお参りへ行った。毎回お墓には国旗を立てた。みんな叔父を愛してた。だからこそショックが大きかったんだ。

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勝ち戦だったけどフィリピンのルーゾン地区で戦いを終えて、基地に戻ろうとしていたときだった。当時の日本兵は諦めが悪くて知られてたけど、高い木から米兵を狙ってた。叔父は頭を後ろから撃たれて死んだ。戦争の間は自分たちの行為がどれだけ卑怯なのか、分からなくなるんだろう。

ツイートを二つ続けてしたのは、スナイパーという言葉の意味を明確にしたかったから。スナイパーという言葉は、侵略者に対して使うべきだ。ビルや木に隠れてターゲットをおびき寄せ、反撃する隙を与えずに殺す、兵士や悪い奴に対して使うべきだ。アメリカに他国の軍が侵攻してきて、ブロードウェイを行進してたとする。なんとしても彼らを止めるためにビルの屋上に登った奴をスナイパーとは呼ばない。それは自己防衛だ。『アメリカン・スナイパー』に登場したようなアラブ人のスナイパーは、何をしていたと思う?侵略を止めようとした。

第一次世界大戦までスナイパーは「シャープシューターズ」や「マークスマン」と呼ばれていた。第一次世界大戦中のドイツで、今で言うスナイパーの要素を満たす存在が登場した。調べれば分かるだろうけど、第二次世界大戦中のスナイパーによる殺人の内、ほとんどはドイツや日本のスナイパーの仕業だ。それをロシアが学んだ。1956年、アイゼンハワーはアメリカのオハイオにあるキャンプ・ペリーのスパイ養成スクールを閉鎖した。

なぜ?

分からない。少し調べてみたけど、1987年にレーガンがフォート・ベニングでキャンプを再設するまで30年間は封鎖されたままだった。元米兵の人によれば、朝鮮戦争のときも議論があったらしい。侵略を受ける側と侵略する側の見方は違う。侵略する側はスナイパーを必要する。侵略を受ける側はあちこちで駆け引きを行うけど、攻撃を受けたらスナイパーになるだろうし。その言葉が正しければ。逆に領地を解放しようとする者が来たら、スナイパーが待ち構えてるだろうね。FOX Newsなんかを見てると、そこら辺を混同しやすい。

『アメリカン・スナイパー』に関して言えば、米兵をイラクの解放者として描いてる。アメリカは彼らを解放してなんかしてない。認めた方がいい。我々はベトナムでも、イラクでも、アフガニスタンでも失敗したって。そう言えた方が将来は明るい。自分たちの過失を、どうしておとぎ話のように語るんだ?そんなの、何ももたらさない。長い目で見れば多くの問題が生まれるだろう。

この映画は右派からの評価も高いし、興行成績もいい。主人公が良くてこの映画を気に入ったんだとすれば、アメリカ人はこのスナイパーを認めてるってことになる。でもなぜだろう?たしかに君が言う通り、スナイパーは妙に恐怖を煽る。街角で声を掛けられた貧しい男が、こそこそとターゲットを狙うみたいな。でもこういったスナイパーのイメージが、一般的なアメリカ人の意識にどう影響を与えてるのかな?劇場へ足を運ばせるほどの何かが、スナイパーにあるのかな?ものすごく壮大な国家レベルの心理戦がこの映画で展開されてる気がする。

そうだね。おそらく肌感覚として、あの戦争が間違ってるってことは分かってると思う。イラクには大量殺戮兵器なんてなかった。4400人のアメリカ人の子供と数え切れないほどのイラクの人々が犠牲になったことも知ってる。その根底には、深い罪の意識があるんじゃないかな。

この映画を観たような、冷戦期を経験した共和党議員たちはバブルを生きてこなかった。彼らの周りにいる家族や近所の人が戦争からボロボロになって帰ってきたことを知ってる。僕は映画を2度観たけど、劇場は最後静かになった。ブラッドリー・クーパーがアラブ人のスナイパー、ムスタファを連れ出したときも、歓声は上げらなかった。信じてくれ、この映画を観ていたのは、僕とは違う政治的信条を持ってるはずだ。彼らは映画に心動かされて、悲しそうに劇場を後にした。映画の登場人物たちは、最終的に戦争でボロボロになるか死ぬかで終わる。それを美化してるわけじゃない。映画を観に行く時は意気揚々としていても、映画館から出て行くときは悲しげだった。

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ネットで議論が盛り上がりを見て、この映画を観に行きたいと思う人は多いだろう。オスカー賞にノミネートされたってこともある。単純にいい映画は観たいだろう。さらに言えば、クリント・イーストウッドの映画が好きな人も多い。たしかに彼はいい監督だ。この映画を観に行く理由は多様にある。ただこれだけは言わせてくれ。僕は公開二日目に、この映画をユニオンスクエアへ観に行った。けれど、グリニッチ・ヴィレッジに住んでいる人は一人もいなかった。ニュージャージーやロングアイランドから電車に乗ってやって来た人ばかりだった。制作サイドはどんな人が映画を観てるか知りたいだろうね。この映画を見に来るのは、年に1、2回に映画に行くか、あるいは全く行かないような人ばかり。『Passion of the Christ』を観に行ったような、特定の群衆だ。

スナイパーの話に戻りたい。スナイパーに対する発言と『アメリカン・スナイパー』に対する発言には明らかに差がある。君の個人的な思い入れは一旦置いておいて、一般的なアメリカ人の意識として、スナイパーは第一次世界大戦や第二次世界大戦といった過去のものという印象がある。現代的なスナイパーの話は、あまり聞かない。

アメリカでは、スナイパーはヒーローとして語られない。文化的なフィールドに落ちてきてないだけだ。ジェシー・ジェームスの有名な話がある。彼は後ろからスナイパーに殺された。家の壁に絵を掛けていると誰かが窓のところへやってきて、彼を殺した。ジェシー・ジェームスは盗人であり、殺人犯だったけど、悪党としては語られなかった。彼を殺した犯人だけが、悪者扱いされた。

こういった物語に囲まれて僕たちは育った。少なくとも男の子は父親に教わるんだ「突然襲うなんて、臆病な行為だ」って。後ろからやってきて相手が知らない間に殴るなんて、間違いだって。スナイパーっていう言葉だってそう。「snip」っていう言葉がいい意味で使われてるケースなんてないだろ?

たしかに、ないね。

どうしてもネガティブな意味合いが含まれる。これはツイートをしたときに思いついたことじゃない、一般的な観念としてね。だからこそスナイパーの名が知られることはない。これまでアメリカが関与してきた戦争でも、敵国にいるスナイパーのことしか話題に上らない。かつてアメリカにシャープシューターズやマークスマンがいなかったわけじゃない。僕は子供のとき全米ライフル協会からマークスマン賞をもらったけど。でもスナイパーは常に悪いイメージで語られる。大戦時のドイツ人とか、僕の叔父を殺した日本人のようにね。

映画『Fury』も公開されたけど、もう観た?

うん、観たよ。

あの映画にもスナイパーが出てきたよ。最終的に”アメリカン・ヒーロー”を殺す役として。この映画では、スナイパーの受け取られ方は観客に委ねられてると思う。カモフラージュした悪いスナイパーが、SS兵士の兵隊をブラピが殺すんだ。

あの映画は良く出来た戦争映画だった。乗り出して観ちゃったよ。映画の冒頭、米軍が侵攻した町にはドイツ人スナイパーがいて、侵攻を妨害する。侵攻を受けるドイツ軍は、解放軍から町を守ろうとする。対等に戦っても勝てない。米軍の兵力の方が勝っているし、資金も武器も潤沢だ。ただもっと「禅」的に見ると、抑圧者であり侵攻者であり占拠する側は、歴史を見ても常に負ける運命にある。言葉を変えれば、悪は善に勝てない。例外もあるけど、ネイティブ・アメリカンの例は顕著だ。

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こんなメールを大量にもらった。「(『アメリカン・スナイパー』のモデルとなった実在の狙撃手)クリス・カイルは米軍を守った。彼らの命を救った。」「救った」だって?そもそも兵士の命を危険に晒すこと自体が間違いだっていうのに。僕たちは過ちを犯した。自ら侵攻し敗北した。現実から目を背けてきた。行った時よりも事態を悪化させた。

スナイパーにまつわる個人的な記憶や感情を含めて、映画を観る前と後に感じたことを教えて。

公開2日目に行ったんだけど、映画を公開していた映画館は4つだけだった。僕はクリント・イーストウッドが好きだから観に行った。正直、今年一番良い宣伝だと思ってた。トレイラーも良かった。けどポップコーンを買って劇場の中に入ったときに思った。「オーマイゴッド!見てみろ、ヴィレッジにいるのに、ヴィレッジ出身のやつが全然いないじゃないか!」そこで僕に気づいた人が話しかけてきた「君がここにいるなんて嬉しいね」

800人くらい帰還兵か現役兵が家族や友人と来ていた。彼らは普段、映画館には足を運ばないタイプだ。僕と一緒に行った友達は、僕が案内役みたいで笑えたって。ニューヨークで映画館へ行くのと他の場所で映画館へ行くのは違う。ニューヨークの映画館では友達と隣同士で座れないし、映画館の構造も分かりにくい。今回来てた観客はすごく場違いだった。「ほら、あそこにバルコニーがあるよ」と何度言おうとしたことか。自分たちでは探せなかったみたいで驚いてた。「コートをどけてもらっていいかな?2人で座りたいんだけど」と聞いたら慌ててた。オックスフォードのディベーティングソサエティーにでも参加したみたいだったよ。

観客は映画に感銘を受けて泣いてた。純粋に反応してたんだ。エンドロールは音楽もなくシンプルだった。映画の登場人物は皆戦争に破れて、反戦感情を持つか死んで終わる。最終的にアメリカの偉業を讃えることもなく『Saving Private Ryan』でトム・ハンクスが死んだときみたいに「彼の死には価値がある」みたいな感情も湧いてこない。そういった描写はなかった。カタルシスがないんだ。

トラヴァース市で僕の映画祭を開いてくれたデブも同じことを言ってた。彼女はモールへ観に行ったらしい。最初から最後までとにかく悲しかったと言ってた。映画の最中、観客のおしゃべりが多かった。シーア派とスンニ派の違いも分からずに「この登場人物はどっちの味方なの」と聞いたり、無知な観客が多かった。

でもそれが面白かった。これまでのR指定映画の興行成績を塗り替えるんじゃないかな。『The Passion of the Christ』とこの映画の観客層は似てる気がする。この映画を観に来た観客には、3種類の人間がいたと思う。半数は普段映画館なんて行かない。たまに行く人が25%くらいか。そういう人たちが映画館に行きたくなるのは、集団として映画を観て一体感を感じたいときなんじゃないか。

じゃあ、スナイパーに対する個人的な感情や、戦争に対する政治的態度は抜きにして、映画自体には問題がないと?

映画自体はね。君が僕のツイッターをフォローしてるならコメントは控えるけど、他の映画制作者や監督が共有している、暗黙のルールがある。互いの映画を批判しないっていうね。他の監督の作品が気に入らないと思ったら何も言わない。気に入れば何かしら発言する。他の人に映画を観てもらうようにね。いい映画を作ることがどれだけ難しいか知ってるから、互いを批判することはあまりしない。過去に一度だけ、労働者の人が気を悪くするような映画を観たときは、作品を批判したことがある。毎日一生懸命働いて、キャンディーや何かを子供に買ってやるのも大変な人にとって、映画に観に行くのは大変な出費だろうに。僕はそう感じたんだ。

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最初のツイートでは何も言わなかった。でも140文字を超えたとき、フェイスブックでこう書いた。「ブラッドリー・クーパー、君にはお手上げだ。今年で一番の演技だった。」改造ぶりがすごくて、あれがブラッドリー・クーパーだと気づかないだろうね。

『Fox Cather』のスティーブ・キャレルもすごかった。彼が消えてモンスターが現れた。

君の言うとおり、いい俳優の証だ。『アメリカン・スナイパー』に関して僕がした最初のポジティブなコメントだ。もう一つ、この映画は技術的に優れてる。エンドロールに曲が流さないのはいい選択だった。暗い背景にクレジットだけで静謐な感じがした。ストーリーラインはしつこい部分もあったけど、クリントはオールドスタイルの西洋劇を作りたかったんだろうと思う。物語はシンプルに、複雑にしない方がいい。ツインタワーが崩されたとき、兵士が招集されてイラクへ送られたようにね。

細かい部分を無視すれば、映画から「我々は攻撃を受け、イラクへ反撃をした」というメッセージが伝わって来る。もちろんイラクが9.11とは無関係だったとは誰もが知ってるだろうけど、映画にはそのメッセージも暗に含まれてる。彼がこの国を守るために織り込んだメッセージだろう。

アメリカはイラクへ行って自分たちを守ることは出来なかった。アフガニスタンへ行って戦争と止めようとか、ビン・ラディンを捕らえようとか、他の方法だってあった。それは正当な理由だ。無能な司令官に仕事をさせる前に、大量殺人犯を捕らえるべきだった。ブッシュが8年かかって出来なかったことを、オバマは13ヶ月で成し遂げた。

ストーリーラインには若干無理がある。観客も困惑しただろう。『アメリカン・スナイパー』イラクを5~6年、あるいは3~4年のスパンで捉えてる。けれどそんなに長い間、同じ街に同じ男がい続けるなんてあり得るかな?典型的な西部劇みたいな展開は、B級映画みたいでマヌケだった。

それともう一つ、決定的なミスがある。歴史の捉え方だ。けれど、そこには入り込みたくない。これは映画で、ドキュメンタリーではないからね。

けれど映画は人に大きな影響を与える。これからもずっとね。トラヴァースに住んでるとき、復帰兵に対してPTSDプログラムを実施してた。仕事を探してる人を集めて、イラクやアフガニスタンの帰還兵の採用活動を積極的に行った。現役バリバリの軍人と家族は、僕の映画を無料で見られるようにしたりもした。一銭も払わなくていい。通年毎日無料だなんて、なかなか出来ないサービスだけど。僕は、修繕した映画館を3つ、全部非営利で運営してる。彼らが自分たちのコミュニティー内で運営できるように調整してる。

この映画も上映するの?

3つの内、1つの映画館で上映する予定。国を巻き込んだ議題だから一度は観るべきだ。見てなければ話せないからね。ジョン・マケインはスナイパーについての僕の発言を批判してきたけど、レポーターが聞いたんだ、映画を観たのかって。そうしたら「まだ観てない」と答えたらしい。マケインは以前にも、レターマンの番組で『9/11』を批判した。レターマンが「映画を観たんですか?」って聞いたら彼は「まだ観てない」って。「先生、観てもいないものを批判する権利があるんですか?」って言ったら「君の言う通りだ、見なくちゃね」と言ってた。

『トランスフォーマー5』みたいなクソ映画を上演する気はないけど、『アメリカン・スナイパー』はクソ映画じゃない。実際クリント・イーストウッドはこの映画に反戦的な要素を盛り込んだって言ってる。エディ、教えてくれ。映画を観た後「若者がこれを観て軍に入りたくなるかもしれない!」と思ったか?

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こういった右派的な映画を観るときは身構えるから、素直な反応じゃないかもしれないけど。観たときは、シューティングゲームを体験したみたいで怖くなった。これに刺激を感じたら「イラクではゲームを実際に体感出来るのか!クール!」と思うだろうね。それは危険だ。ただ映画の一瞬一瞬に引き込まれたよ。スクリーンから一度も目を離せなかった。でもこうして君と話してみると、反戦的なメッセージが含まれてる気もする。

OK、クリントは道端で弟に会った。戦争へ行った弟に会うのをすごく楽しみにしていた。弟は戦地から逃げ出すために飛行機へ乗ったんだ。可哀想なことに、弟は完全に戦争神経症にかかっている。クリス・カイルも兄弟に会うのを楽しみにしてた。けれど弟に会って、彼はこう言うんだ。「あんな場所、最悪だ」って。帰還兵から何度この言葉を聞いたことか。「あんな場所、二度と行くか」って。彼は戦争で友人を失い、妻と葬式へ行く。友達が最後の手紙を読み上げる、反戦的なね。ほら、戦争は間違ってるだろ。

クリント・イーストウッドは右翼的なイデオロギー主義者じゃない。どちらかと言えば自由主義者だ。彼はアメリカ合衆国が世界の警察になるべきだとは思ってない。彼の兄弟や友人が反戦主義者だということを示すのは容易なことじゃない。唯一クリス・カイルを見て、「おお!クレイジーなのか?さっさとこんなの追い出そう」って思ってる。

クリスは自身に言い聞かせてるんだ、これは価値のあることだって。言い続けなければ自分を保てないんだろう。戦争は国を救わない。国を救うことこそが唯一の使命なのにって。僕らの税金はそこへ流れる。攻撃を受ければ守ってもらえる。恐怖も感じない。イラクは僕らを攻撃してこない。攻撃するつもりもなかっただろうけど。

兵士からの手紙をまとめた本を出版したことがあった。9/11以降にあまりに増加した志願兵たちはイラクで2年間過ごした後に「こんなとこで何してるんだ?こんなつもりじゃなかった」って思ったらしい。

Photo via Wikicommons

つまり、映画はその後の論争よりも複合的なもので、君に対する攻撃も視野が狭かったと言ってるんだね。

その通り。そこで問いかけて欲しい、なぜ僕がこの議題に強く反応したのか。ノーム・チョムスキーやマッティ・タイビー、クリス・ヘッジズといった極左の思想家がこの件について書いたものを読んだけど、彼らは映画を厳しく非難した。彼らの意見も理解出来る。けれど、彼らは僕やセス・ローゲンの後追いだ。僕たちの声が中央アメリカのメインストリームに届いたからだろう。僕のベースになってる左寄りの教会も僕の仕事を気に入って、本も映画も観てくれる。けれど彼らにしか届かなければ、僕は行き詰まる。僕の映画はショッピングモールやシネコンでも上演するけど、左派はそういうことはしない。僕は、メインストリームのアメリカ人に届ける努力をする。僕のオーディエンス層は彼らの読者層とは違う。たまにはいいよね。「ツイッターでは200万人のフォロワーをどう集めたの?誰か教えて!僕たちの生きてるのはどんな世界?」っていうコメントをもらうのは好きだよ。

僕はレイチェル・マドーのように深夜番組を持ってないし、ビル・マハールのように番組を持ってるわけでもない。最後に映画を作ったのは5年前、最後に出した本は2~3年前、日常的に発言してるわけでもないし、TVにも出ない。けれど左寄りの教会より、大きな影響力を持つファンベースを持ってる。セス・ローゲンもね。彼は政治的な人間じゃないから僕よりもファンが多い。彼はメインストリームの人間だし、特に若者に受けがいい。だからこそ危険も伴う、彼を止めないと。彼は政治的なことは考えない。それは賢いし、彼の考察は面白い。セスローゲンと僕が出禁になってるレストランがミシガンにあるんだけど、#tableforsethandmikeのハッシュタグを作って「僕たちを入れてくれる店は名前を入れて送って!」ってツイッターでキャンペーンをしたこともある。(笑)

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サラ・ペイリンがポスターを持ってる写真は見た?

あの日、政治家としての彼女のキャリアは終わったね。

たしかに。

日曜日にツイートをしたけど、次の日はフェイスブックの方がいいと思った。140字は少なすぎるから。この写真については何もツイートしてない。金曜までは黙ってることにした。クレイジーな人たちに消耗させて、叫びたいだけ叫ばせた。初めから分かってた。アメリカ人の大半は生まれたときから新生クリスチャンだから。”いい”クリスチャンなんだ。「ファックユー」って書かれたポスターを持ってるってだけで驚いただろうね。

「真のアメリカの母」を謳ってた人だからね。

そう、家族愛とかアップルバイとかね。僕に向かってキレて自分を守ろうとして、正体をさらした。クリスチャンは怯えてるだろうね。ソーシャルメディアでも土曜にスピーチをする前も批判にさらされて。これまで彼女の味方だった人が反旗を翻したから動揺したんじゃないかな。裏で支えてくれるスクリプトライターもいなくなったんじゃないかな。それで引き戻れなくなった。C-Spanで見たけどあまり覚えてない。彼女が僕に噛みつき始めたとき、このポストが流れてきて、周りから攻撃を受けたから、僕に対する当たりが強くなった。もう終わりだね。

ここ4日間くらいのニュースで彼女はもう終わったって言われてる。かつては固い後ろ盾だったビル・クリストルもFoxで批判してた。こういった人もみんな彼女を見捨てた。一つは、ファックっていう言葉が書かれたサインを持ってたから、それと僕を責め立てたことでこれまでのプロットを失ったから。

クロスヘアーとOOで、以前も問題になったよね?自身のウェブサイトでアメリカにクロスヘアーを書いてさ。

そう、結局撤回したけど。「ファックユー」サインで、僕の名前の二つのOの中にクロスヘアーを入れた。それで終わった。思い出させてくれてありがとう。F-ワードを使って、人にクロスヘアーを突きつけたんだ。

興味深いのは、写真を見てみると、彼女もホワイトトラッシュっぽいサインをしてるんだよね。親指と小指を出してさ。このポーズなんて呼ぶんだっけ。

わかるよ。

パーティーなんかのときにやるサインでさ。これが笑える。すごくトラッシュっぽくて下品だ。

(笑)「このクソ野郎を殺してパーティーしよう」っていうメッセージに見える。

じゃあ最後の質問。サラ・ペイリンの話題で終えたくないからね。PTSD患者に映画を見せてると言ったけど、映画はPTSDに何が出来るのか、意見はある?

そうだね、帰還兵を助ける中でも、個人的にも感じることがある。僕たちはイラクから帰ってきた彼らと必ずしも、同じ体験をする必要がないってこと。僕はオスカーのスピーチで極限の恐怖を味わった。『華氏911』の後に集中攻撃をくらって。元海軍と元特殊部隊を6人雇って、セキュリティーチームを組んだ。それで肥料爆弾を作って僕の家を爆破しようとした男を捕まえた。僕にもトラウマがあるんだ。

映画でPTSDが扱われてて良かった。クリントは、兵士と帰還兵を画一的に描こうとはしなかった。だからこそPTSDの問題に関心がある人にとっていい映画だったと思う。感情的にはそうであってほしい。認知科学的なレベルで言えば、この映画を観たアメリカ人はこんなことは起こすまいと思うだろうね、二度と。

あまり注意が払われてないけど、キャラバンの最後に戦死した人に対する大きな葬式があった。彼は自国の戦争であると同時に、アメリカ文化の戦いでもある。特にテキサスのカルチャー。「銃を持って、位置につけ。PTSDだって?問題ない、銃を持て」ってね。アメリカの銃、アメリカ文化、銃に対する態度が、クリス・カイルを殺した。映画でも短く触れられてる。僕たちは彼がどう死んだかしか知らない。クリントは、クリスが男を拾って射撃位置に着くシーンを描いてない。イラクでこんな風に死んだって話は同胞から聞く。リベラルな人でも、プロテスト参加者でもなく、彼自身から。全ては間違っている。戦争の全てが。倫理に反してる。違法だ。教皇はかつて言った。これは聖戦じゃない。絶対に。家庭内暴力に走る帰還兵の割合を見れば、一目瞭然だ。

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麻薬中毒も。

オーマイゴッド。人からこういう声も聞く。目を背けろ、考えるな。考えたくない。でもこの映画をきっかけに、何か考えることがあればいい。けれど映画の後で「次の戦争が待ちきれない!悪いやつを懲らしめるんだ!」って思うやつがいたら、ごめん。

「僕たちが悪いんだ。向こうで間違いを起こしたのは僕たちだ。彼らは自分の地を守ろうとした。彼らが僕たちを殺そうとするのも当然だ。僕たちが殺そうとしたんだから!イラン人やイラク人、あるいはカナダ人の集団が、僕たちの街にやって来たらどうする?彼らと同じ行動をするだろう。

それより事態は複雑だ。彼らは米兵を殺しただけでなく、殺し合いを始めてしまった。正直、この映画がこのタイミングで出たことは完璧だったよ。ISISがイラク戦争の記憶を呼び起こした。アメリカがイラクへ侵攻を始めた当時には想像もしてなかったような複雑さを孕んで。当時は意識を向けようとも、学ぼうともしてなかったから。事態が複雑化した今、このタイミングで出てきたのは良かった。

サダム・フセインが善人だったとは言わない。けれど、イラクが解体を防ぐ方法は、世俗化することだと彼は知ってた。宗教を捨ててね。宗教が導入されれば、戦争になってただろうね。彼は正しかった。それが今起きてることだ。

このインタビューを終える前に言っておきたいことがある。この映画でのイラクの人々やアラブの人々、それからムスリムの人々の描き方は侮辱的だ。僕の地元ミシガンでも話したけど、そこには多くのネイティブがいる。その地でネイティブアメリカンを「野蛮」として描く映画を上演するか?「ONE」っていう言葉がなんども出てくる。最初は、まあいいか、兵士の話し方なんだろうと思ってたけど、なんども繰り返されるうちに、それがクリントの言葉に聞こえた。彼はそれを強調してる。強調する必要があったんだろう。物語の筋として。

子供達や女性にまで手榴弾を持たせたというのはベトナム時代の神話だった。彼がベトナムとイラクを重ね合わせたことについて、僕が初めに書いたことだ。実際ベトナムではそういった事件が数回起きて、人々を震え上がらせた。ベトナム人は動物だと。けれどイラク戦争でそんなことは起きてない。あの子供は爆弾を仕掛けたんじゃない。手榴弾を持ってたわけでもない。パレスチナでは、自爆テロを起こした女性もいた。ヨルダンにも。彼らが求めてたのは解放だ。イラク戦争は違う。

僕たちは多くの犠牲者を出した。携帯電話や簡易爆弾のおかげで、どんな道も破壊出来るようになった。ラムズフェルドがかつて拒否したのは、ゼネラルモーターからハンヴィー軍用車へ質を上げること。ペンタゴンは彼らが生き抜けるような乗り物を何も与えなかった。だからこそ、映画中ずっとそんな言葉を聞くのは不快だった。悪い奴らからではなく、良く描かれてる人たちからね。イラクの人々を「野蛮だ」と言っても平気なんだって、観客は思うだろう。

さらに、アラブやムスリムに対する考えも不快だった。ごまかせって言ってるんじゃない。そこには複雑な問題がある。肥料爆弾を持ってた男を、僕は10年間も覚えてる。他の国に住んでいたら、もっと頻繁に起きてたかもしれない。だから比較したくはないけど。今日フェイスブックに投稿したんだ。クリントイーストウッドに関することを、この2、3日で何度も聞かれたからね。彼は僕を殺そうとしたか?って。スノープスがやってくれた。2005年にグリーンのタヴァーンで。みんな冗談だと思ってただろうけど、彼は真剣だった。誰かが笑ったとき、「おい、俺は真剣だ、撃つぞ」って。場が静まって「どうしちゃったんだ?」ってみんな心配した。笑い事にできないこともあるだろう。女性に向かって「レイプするぞ!」って言って「本気だ!今すぐレイプしてやる!」なんて言わないだろ。かっこ悪い。

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これで最後だ。映画ですべては語れない。この映画ではカバーできなかった、イラクでの物語もたくさんあるはず。でも映画の最後にクリスがドアから出てきて、次に何が起こるか、観客の誰もが予期出来た。この時殺人犯は何を考えてたんだろう?こういう人たちの思いを知るべきだろうか?心理学的に完全に閉じた人についての話を語ろうとする人はいないんだろうか?

たしかに、語られてないね。普段考えることもないだろう。この問題がどれだけ深刻かなんて、考える人はいない。誰かが声を上げなければ、代償を払うこともない。深刻な問題で、最優先課題だ。

どこに行けばもっと知る事が出来るかな?どこか思い当たる場所が?

帰還兵が設置したホットラインを扱った短編ドキュメンタリーで『Chrisis Hotline』ていうのがある。今年オスカーにもノミネートされた。強烈な作品だ。ここから川を一つ挟んだところにある、帰還兵ホットラインでの話がベースになってる。草の根で出来ることといえば、そういったことに時間を費やすことだろうね。政府がやってるやつにはいかなくていい。イラクやアフガニスタンからの帰還兵がいるけど、たくさんのことを学べる。支援すべきだ。自分たちの代表はそういう人であるべきだ。そこにはヘルスケアの問題がある。精神病の人は平等に扱われない。精神病も疾患と同様に、平等に扱われるべきだ。

1日にどれくらいの帰還兵が自殺するの?

1日22人だ。

すごい数だね。

帰還兵でホームレスになった人の数もすごいよ。高校生の男の子に「国のために奉仕してくれてありがとう。」っていう国から届いた手紙のを見せられて、去年ブログを書いたけど。兵士や帰還兵に対して「国のためにありがとう」だなんて言わないでほしい。彼らだって聞きたくないはずだ。黙って他のサポートをしてくれって思ってるはずだよ。精神病のケアもある。意味もなく戦争に送り込むような政治家はいらない。