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カミソリで皮膚に傷を入れ、シラカバを燃やした煤を塗り込み、アオダモの煮汁で止血する。北海道札幌市在住の八谷麻衣さんは、アイヌの伝統的な手法で自らの肌に文身を施す。ヴォーカルグループ、マレウレウのメンバー(マユンキキ)としての活動で知られる彼女の、もうひとつの貌をドキュメント。写真は、2008年からアイヌの人々を追いつづけている池田宏が撮影。

八谷さんは、子供のころから自分がアイヌだとわかっていましたか?

わかっていました。うちは両親ともアイヌなんです。「お前はアイヌだからね。それを恥ずかしいと思うんじゃないよ」と、物心つくまえから父に言われていました。

ご両親はアイヌの活動をなさっていた?

父はやってなかったけど、母はやっていました。母は川村カ子ト(かわむらかねと)の娘なんです。川村カ子トアイヌ記念館での行事もあるし、保存会でアイヌの古式舞踊を踊っていました。小さいころは私も一緒に踊ってたんです。

近所には一緒に遊ぶようなアイヌの友達はいましたか?

旭川の近文(ちかぶみ)地区に住んでいたけど、まわりにアイヌの友達はいませんでした。小学校でも、自分がアイヌだとオープンにしているのは私ぐらい。まぁ、川村カ子トの孫だと知られていたから隠しようもなかったんですけど。地元のニュースでアイヌの踊りのことをやるときは、担任の先生が「八谷さんが出ているのでみんなで観ましょう」と言って教室のテレビをつけたりして。恥ずかしいからやめてぇ! と思ったけど。

クラスの子たちの反応は?

「凄いなぁ、テレビに出るなんて」みたいな。小学校の友達は私がアイヌって知ったうえで仲良くしてくれていたから、差別みたいなことはなかったんですよ。中学に入ってからは多少あったけど。

多少あったというのは?

男の子に「アイヌは学校来んな!」と言われたり。でも、私は父からアイヌは人間という意味だと教わっていたので、来るなと言った子に「人間が学校来たらいけないんだったら自分だって来なきゃいいのに」と言い返してました。私、性格悪かったんですね。だから、いじめたくなる要素のひとつにアイヌがあっただけで、アイヌだから差別されたわけではなかったかもしれない。両親が離婚して、私は小4からずっとひとり暮らししてたんです。家にうるさく言う親がいなくて、中学が面白くないと、行かなくなりますよね。ちょうど、悪いことや楽しいことをいろいろ知りはじめたころだし。旭川の一条通と宮下通のあいだの道にナンパスポットがあって、そういう目的の車が何台もいたんです。友達と一緒に歩いてるとき、車を横づけして声をかけられたこともありました。

そのころ八谷さんはアイヌの活動をやっていましたか?

いいえ。とっくに踊りとかもやめちゃって、ヤンチャな生活をしていました。

その後、高校へは進学しましたか?

私は高専に行きたくて体験入学もしたんだけど、お金がなくて入れなかったの。しかたなく旭川の行きたくない高校に入ったんだけど、ひとりで住んでるから学校行くのが面倒くさくなって、友達とお酒をがんがん飲んで歌いまくって朝まで遊んで。

いまから20年ぐらいまえですね。アムラー、細眉、ルーズソックスの時代。

そう。「新緑の時期だから緑にしましたぁ」なんて言って、季節ごとに髪の色を変えていたんです。緑にしたりピンクにしたり。「そんな髪で学校来るな」と先生に怒られました。やりたいことなんてわかってなかったけど、ここにいたらやりたいことできないと思って、名古屋の友達に電話したら「来る?」って言ってくれて。その子は中学を卒業して名古屋に行って美容師の勉強をしてた。学校で使うお金だと噓をついて父に2万円振り込んでもらって、飛行機で名古屋に行ったの。当時はスカイメイトがあったから安かったんです。退学届けをもらって自分で書けるところだけ書いて、「残りは書いてください」と書き置きしたら、週末に家に来た父が見てパニックになったみたい。退学届あるし、どこにいるかわかんない。携帯電話なんてなかったころだから連絡つかないし。

それから?

居酒屋でバイトして楽しく暮らしました。ところが数カ月して、父が来ちゃった。友達全員に連絡して、名古屋にいるのがわかったらしいんです。ひとこと「帰るぞ」と言っただけで、あきれ果てて怒りもしなかったですね。帰りの飛行機でタバコを吸ったのを覚えてます。「ちょっと火借りていい? もういいよね、父さんのまえで吸っても」と言って。当時は飛行機のなかでタバコを吸えたんですよ。

帰ってどうなりましたか?

「もういい、好きにしろ」と言われました。「俺が悪かったよ。お前をひとりにして全部やらせて、行きたくない高校に行かせて。高校に戻らなくていいから、生活できるように自分で働け。家賃の心配はしなくてもいい」と。「やったぁ!」と大喜びして、旭川のライブハウスで働きだしたんです。

ライブハウスの名前を覚えてますか? 

ソウルトレイン。いまはもうそのお店ないですよ。70年代のソウル、ディスコ中心の選曲で、お客さんもそういう世代の人たち。みんなホールで踊って。

音楽的には嫌いじゃなかった?

大好き! フィリピン人のバンドが箱バンで、1日に7ステージぐらい出てました。私はヴォーカルのフレディという男と付き合ってたんです。歌がうまくて、ジェイムズ・ブラウンのセックスマシーンが凄くよかった。そのころ50歳ぐらいだったから、いまは生きてるかどうかもわからないけど。