いままで生きてきて、自分がアイヌじゃなかったらいいのにと思ったことはありますか?

アイヌの人間関係が面倒で嫌になったことはあるけど、アイヌが嫌になったことはありません。アイヌだからって理由で嫌な思いをしたことがないの。たぶんそれは幼少期に聞かされた父の言葉が刷り込まれているからだと思います。「アイヌであることを恥ずかしいと思うんじゃないよ」という。私は運が強いタイプなんでしょう、いろんな人に助けられて育って、いまはアイヌの歌をうたって、アイヌの文身をして、アイヌ語を勉強して教えてもいる。生活は楽ではないけど、やりたいことをやれているのは凄く恵まれていると思うんです。だから、悩んでいるアイヌの子が私のところに相談しに来たら、自分の話をするかもしれない。最終的にはその子が考えて自分で解決することなんだけど。

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アイヌの文身には様々な呼称があるが「シヌイェ」がよく知られている

八谷さんが自分に文身を入れるのは、伝承活動という意識もあるんですか?

アイヌ文化の伝承のためにやっているつもりは一切ないですね。最初は、アイヌの文身をした人を見たことがなかったから、だったら自分に入れて見てみたいという好奇心がありました。いまは、きれいになりたいという気持ちで入れています。自分が目立ちたくてやっている。目立ちたいから入れるのは誠実じゃないと思いますか? でも、昔のアイヌの女も目立ちたい、きれいになりたいという気持ちだったと思うんです。だったら同じですよね。アイヌ語を学んだり教えたりする活動は、自分たちの言葉を伝えて残していこうという気持ちがあるから続けていることなんだけど、文身はそうではなく、個人的なこと。わざわざ山に行って白樺とアオダモを採って、伝統的な方法で入れようとする人はいないでしょ。私だけがやっていることがひとつある。そこに凄く優越感があるんですよ。その先の希望としては、文身をしてアイヌの衣装を着て、ふつうに街を歩いて、きれいだと思われたい。

口の文身は、みんな驚くでしょう。

いま私、写真のプロジェクトをやっているんです。アイヌの衣装を着て、口に文身を描いて、街で出会った人に写真を撮ってもらう。「あなたのイメージするアイヌの写真を撮ってください」と言って。そうするとその人なりのアイヌ像が出るんです。私はただ、言われたことをして写真を撮ってもらう。最初のころは一眼レフで撮ってもらっていたんだけど、使い方に慣れていないとそれだけで相手が緊張するから、iPhoneに変えたんです。いま、十数人撮ってもらったけど、やっぱり偏りが出ます。「木のそばで祈ってください」とか、どうしても自然や祈りといったイメージがあるんですね。で、写真を撮ってもらったあとで、毎回、私は決まって聞くんです。「恐いですか? きれいですか?」と。

みんな、なんて答えますか?

「ちょっと怖いです」と言う人もいれば、「でも、アイヌの人ってそんな感じですよね」と濁す人もいる。「きれいです」と言った人はまだいないけど、続けてやっていくうちにいつか言ってくれるかもしれないと思って。

アイヌ語は伝承のため、文身は自分のため。では、マレウレウでの音楽活動は八谷さんのなかでどういう位置づけなんですか?

伝承活動として紹介されることが多くて、もちろんそうなんだけど、私はメンバーが凄く大事で、一緒に歌ってるのが楽しいんです。伝承していくことと個人的なことの中間みたいな。アイヌ語も文身も歌も、どれも大事。

今日、文身を入れるところを見せてもらったけど、あんなに血が出ていたのに不思議とグロテスクに感じませんでした。入れはじめてから終わるまで1時間ぐらい、無言で見入ってしまいましたね。

不思議なんですよね。いままで入れるところを見せた人も、最初は「見るの恐い」と言う。でも、いざ始めると私も相手も真剣で、終わったらふたりともフーッとなる。何かを一緒にしたような気持ちになるんですよ。

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