2015年12月24日、昼、シリアのコバニ市街を地元のクルド人ジャーナリスト、ムスタファ・アリと歩いていた。道路には、コンクリートの破片、割れたガラスが散らばり、無数の銃痕が残る壊れた車数台が目に入った。爆撃が周りの空気を引き裂き、それが、ISによる攻撃か、イラク領クルディスタンから派遣されたペシュメルガの増援部隊の攻撃か、はたまた、米軍の爆撃か、と誰かが騒いでいた。この数日間、私は、ある女性兵士にインタビューするために、彼女の消息を探っていた。爆撃が起きたのは、南部の前線にある拠点で彼女は生きている、という知らせを受け取るのと同時だった。

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目的地へ向かう途中、ムスタファと私はボタン西部近郊に立ち寄った。そこには、クルド人民防衛部隊(YPG)の小さな拠点があった。YPGの軍服を着た十人程の若者たちが煙草をくわえ、冗談を飛ばし、盛り上がっていた。その中でリーダー格の男性、32歳のダヤンに、茶でも飲まないか、と誘われた。部屋に入ると、彼は、この地区が2、3週間前に米軍の空爆によって、どのようにしてISの支配から解放されたのかを説明してくれた。原理主義武装集団が所持していたであろうアメリカ製M16ライフルが二挺、彼の背後の壁に立て掛けられていた。

滞在終盤、地元のクルド人部隊にも進展が見られた。街中での持久戦が功を奏し、道路や建物を徐々に包囲し、12月22日、とうとうコバニ文化センタービルの奪還に成功したのだ。その数時間前には、YPGの例の若者たちの部隊が南部前線で早朝の奇襲に成功し、ISの幹部、エミール・アブ・ザーラを射殺した。

ダヤンによると「若い連中が、奴のヤサにあったモノを幾つか持ち帰って来た」そうだ。

われわれが茶を囲んでいる部屋に、ドイツ語を操る、やや大人びた印象の男が入って来た。探し物をしている様で、どうやらそれは分厚いデル製のラップトップらしい。ごつごつとした外観の、高い対衝撃性を誇るミリタリー・スペックのLatitude XFRs 、数十万円は下らない、製油業者や警察、軍隊などの職業で必要とされるモデルだ。値段の張る機器ではあるが、モスルの銀行を襲った後となれば、それほど高い買い物でもなかったのだろう。彼らの持ち物の中には、中東でよく見かける短刀があった。それも死んだISのリーダーから奪ったそうだ。驚いたことに、その短刀は本物ではなかった。粗悪なコピー品で、鞘にはエジプトのスフィンクスの模様、柄の先には山羊の角が施されていた。刃に血のりは付いていなかった。

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そして、最後に見つけたのは、白い粉が詰まった透明のビニール袋だ。YPGの兵士たちは、まるで中身が何なのかわかっていなかった。私が袋に人さし指を入れてみると、そう、それは疑いようもなく、コカインだったのだ。悩ましいことに、私はその白い粉の味をよく知っていた。

「コカイン? なんだそれ?」、彼らにそう尋ねられた。

彼らは、ドラッグに関する知識を持っておらず、その使い方も知らなかった。それまで一度も目にした経験がなかったのだ。だが、ダヤンによると、エミール・アブ・ザーラは、その白い粉を小分けにして構成員に配っていたそうだ。

ISでは構成員に薬物を供与している、という噂や非難をよく耳にする。ISの幹部たちは、戦闘へ挑む構成員を鼓舞すべく、薬物供与が推奨されている。ドラッグが上手く作用することもあれば、無謀な行動に走り、自爆攻撃を仕掛けようと敵陣に向けて飛び出し、いとも簡単に銃殺されたりもする。このようなIS構成員たちは 「ヤク狂い」 と呼ばれ、死体の傍には得体の知れない錠剤やカプセル、注射器などが落ちている、とクルド人は話す。西側諸国の民間人を誘拐し、殺害することで知られている、ろれつの回らない喋り方で知られる通称 「ジハーディ・ジョン」 は、興奮性物質を含む植物、カートを噛んで常に躁状態である、と噂されている。

このような事実は、ISが公に宣伝する「シャリーアを忠実に遵守する組織」のイメージとは、著しくかけ離れている。アレッポ近辺で発見されたであろう宣伝活動用のビデオでは、大量に積まれた大麻の束へ着火し、酒のビンを割り、煙草や薬物を燃やす様子が映っている。これらの行為はすべてシャリーアでは禁じられている。ドラッグへの依存は堅く禁じられ、煙草を吸うだけでも、罰として指を切り落とすことになっている。コバニのアブ・ザーラ宅で発見されたコカインは、IS構成員が薬物中毒だ、という初めての明白な証拠になるだろう。ISは、原理主義を謳いながら、戦場でハイになって大虐殺を繰り広げるような連中なのだ。