クイアの黒人男性は、絶えず〈男らしさ〉を強要される。「男だろ」「ホモみたいな振る舞いはやめろ」「カマ野郎の真似はするな」「おいニガ、お前ゲイみたいだぞ」などと侮辱されると、そのうちに、彼らは精神、欲望、身体を守るために、テレビや街で見かける〈男らしさ〉を真似るようになる。目指すのはマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)ではなくDMXだ。しかし、少し油断すると「あいつの走り方をみろよ!だからホモ野郎だっていっただろ!」などと囃し立てられる。周りに溶け込もうと必死になるあまり、自分より女々しい子どもをからかったりするかもしれない。しかし、結局は罪悪感にさいなまれて、寝室でひとり自問する。「いつになったら、ありのままの自分になれるのだろう?」

この問いは、クイアの黒人写真家、シキース・キャシー(Shikeith Cathey)の作品における核心的テーマだ。彼は、最近、ロンドンのMAKギャラリー(the MAK Gallery)で個展〈This Was His Body / His Body Finally His〉を開いた。個展のタイトルは、リッキー・ラウレンティス(Rickey Laurentiis)の、人種差別との闘いから始まる〈男らしさ〉を強要する歴史から、黒人男性の肉体を取り戻すべきだ、と訴える内省的な詩「Boy with Thorn」の1節だ。キャシーによると、展示された12枚の写真に写る黒人男性や少年は「二元的な性の外側」にいるという。「これらの作品を制作する過程で、自分の調和、変身、存在についての物語を描きたかったんです」

シキース・キャシー

特に目をひくのが、ふたりの若い黒人男性の裸の背中と刈り上げたヘアスタイルをとらえた作品《Brush Your Blues》だ。彼らは不可思議な、現実離れしたポーズをとっている。互いの肩にのせられた頭は、ハート型を描いている。アフロ・シュルレアリズムを彷彿させるポーズは、世間が思い込む黒人男性のイメージからかけ離れており、親しみすら覚える。28歳のキャシーによれば、彼らの肉体は〈グレーのグラデーション〉のなかで清められているという。「黒人男性はあらゆる場面で、黒か白かの二元的な区分で判断されます」とキャシー。「私たちが生活するグレーゾーンは認識されていません」

今回、シキースに会い、写真、彫刻作品への挑戦、幼少期の体験が作品づくりに与えた影響などを通じて、拡大する〈男らしさ〉という概念がもつ力について話を聞いた。

《Brush Your Blues》

今回展示された写真は、黒人の〈男らしさ〉とクイアとしてのアイデンティティーが交わる様子をとらえています。黒人、クイアとして育った経験は、あなたのアイデンティティーに、どのような影響を与えましたか?

私はフィラデルフィアの北部で育ちました。そこでは、確固たる黒人男性としての振る舞いが周りに浸透していました。学校の友人たちは、女性や同性愛を連想させる、もしくは、黒人男性のイメージにそぐわない全てを拒否していました。男らしさを装って偽りのイメージに〈移行〉するか、ありのままの自分を貫いて社会に立ち向かうか、選択を迫られた私は、両方を選びました。周りの男の子たちに溶け込むよう、努力しましたが、黒人の〈男らしさ〉の基準は満たせませんでした。その結果、孤立してしまいました。

孤立したあなたは、黒人の少年、男性、女性のうち、誰に受け入れられた気がしましたか?

子どもの頃はミュージシャンになりたくて、DMXやMaster Pの音楽やヒップホップのミュージック・ビデオを通じて、〈男らしい黒人〉を演じていました。アッシャー(Usher)の真似をし、彼のような器用さを身につけようとしたのです。アッシャーのような黒人男性の格好良さは、バークリー・L・ヘンドリックス(Barkley L. Hendricks)などの画家も表現しています。しかし、同時に、私が密かに憧れていたのはブランディ(Brandy)だったので、そのような〈格好良さ〉には反感も覚えました。コミュニティーのなかで生き抜く方法を探すだけでなく、〈男らしさ〉の表現を学ぼうともしていました。

「This Was His Body / His Body Finally His」の作品を制作する際は、どのような音楽を聴いていましたか?

朝から晩まで、ソランジュ(Solange)の『A Seat at the Table』を聴いていました。小さい頃にブランディに憧れていたのを思えば納得ですね。彼女たちの存在、芸術作品、音楽、映画に、黒人ならではのフェムを目指すべきだ、と励まされたのです。

《A Drop of Sun Under the Earth》

ありのままのあなたと、こうあるべきとされる姿のあいだで葛藤した、子どもの頃の経験が、作品の核心にある〈問い〉になっているようですね。

あるとき、アートを使って自分の真実を表現したい、と意識しました。この個展「This Was His Body/His Body Finally His」で私は、幼い頃の混乱から抜け出し、自意識を取り戻すまでの過程と、想像力を妨げていたイメージを、暗喩的に表現しています。黒人の〈男らしさ〉を説明するメタファーとして、写真を使っているのです。

最近のポップカルチャーにおいて、〈男らしさ〉を強要するイメージはありますか?

コメディアンのリル・ドゥバル(Lil Duval)は、トランスジェンダーの女性が交際前にセクシュアリティーを明かさないなら殺してやりたい、などと発言しています。このように、多くの男性はフェムをないがしろにし、彼女たちへの暴力を誘発する〈男らしさ〉の定説に慣れてしまっているのです。ドゥバルの発言は、〈男らしい〉黒人男性は性欲が強く暴力的だ、という解釈を広め、黒人女性やクイアの人たちの生活を脅かしています。

あなたの写真は、どのように彼の発言に反論しているのですか?

空想、神秘主義、魔法などの分野が、既存の身体表現を壊すのに最も効果的なはずです。クイアや黒人は、昔から新しい世界を頭に描いてきました。私たちは、いつでも、何もないところから〈治療薬〉を創らなければならなかったのです。私の祖母は、腹痛の特効薬はジンジャーエールと祈りだ、と信じていましたが、黒人男性としてのポテンシャルを取り戻す世界を思い浮かべている私と、大した違いはありません。

黒人の〈男らしさ〉についての悪しき慣習についてを話してきましたが、あなたが写真を通じて表現しようとしている、美しさ、力、魔法を体現している男性はいますか?

間違いなくマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)です。彼は異常なほど現実離れした、神秘的な魅力をもっていました。マイケルは、私が考える典型的な黒人男性を、あらゆる面で超越していました。私が映画作品を通じて獲得したいのは、まさに、彼のような超越性です。

〈#Blackmendream〉は、あなたが初めて挑戦した、黒人のクイアに関する映像作品ですね。最近公開された映画『ムーンライト』は、クイアの表現に成功したのでしょうか?

『ムーンライト』の力強さは無視できません。あのような交流をスクリーンで観たのは初めてでした。しかし、あの作品は、ある特定の黒人クイアの成長物語なので、完全に感情移入できたわけではないし、時代遅れな気もしました。私が知っている黒人同性愛者の物語ではありません。あの映画は、ある意味、単純すぎます。私たちの物語がアフロ・シュルレアリズム的に視覚化されることが重要でしょう。そうすれば、単純な人物描写を越えて、スクリーンにおけるクイアの黒人男性のあるべき姿の領域に踏み込めるんです。

影響を受けた写真家はいますか?

ルネ・コックス(Renee Cox)です。大学生のとき、ある教授が彼女の〈Yo Mama (The Sequel)〉を授業で取り上げました。あれほど斬新な方法で、黒人の身体を表現するアーティストは初めてでした。これほど物議をかもす作品があるのだ、と驚きました。彼女の写真に出会った瞬間は、一生忘れません。裸で子どもを抱きかかえてる女性の被写体を見て、母を思い出しました。

あなたの被写体は裸の黒人男性が多いですね。昔から黒人男性の性的な側面が強調されてきた歴史を考えると、ヌードを撮るのは、そのステレオタイプを覆すためですか?

そうです。黒人男性の裸体は、パブリック・イメージにおいて、ある特定の含みをもっており、米国の歴史における暴力の象徴でもあります。このイメージは、米国の建国当初から根付いていました。トマス・ジェファーソンは『ヴァージニア覚書(Notes on the State of Virginia)』のなかで、黒人は想像力が鈍く、とくに男性は獰猛で異常なほど性欲が強い、と主張しています。芸術分野においても、ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)の黒人男性のヌード写真を見ると、彼の身体に対する視線に違和感を覚えるはずです。私は作品に〈拒絶〉を埋め込んでいますが、それだけでなく、光と影の使い方や展示方法を工夫して、黒人男性の肉体の美しさや可能性を表現するようにしています。

《Neuroses in Blossom》

つまり、あなたとメイプルソープのヌードの違いは〈視線〉にあるんですね。

その通りです。芸術における白人男性の、特に黒人の肉体への視線は、支配的でした。私は、黒人の肉体を取り戻し、その表現方法や、私たちのお互いの捉え方を改善しようとしています。

展示品のひとつに、展示会と同じタイトルが付けられた、実寸大の黒人男性の胴体とペニスの彫像の写真があります。新たな挑戦ですね。

イェール大学の美術学博士課程で彫刻を専攻して2年目に入り、自らの写真を立体物に変える試みを始めました。その流れで、人体から直接、型を取る〈ライフキャスト〉をしています。今回展示する彫刻作品について考えていたとき、黒人の〈男らしさ〉の変化と、黒人の肉体を取り戻すというアイデアを表現しようとひらめきました。

《This Was His Body》

《Nobody Knows My Name》

《In Black In_White》

《Jireh》

《Those Shadows Spoke》