幽霊に犯されたボリビアの女性たち
(*テキストによる詳細)
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幽霊に犯されたボリビアの女性たち (*テキストによる詳細)

彼女が朝目覚めると手首と足首にロープが巻きついており、皮膚には青痣が残っていた。

長らく、マニトバ居住区(Manitoba Colony)では、悪魔が女性住民に性的虐待を加えていると信じられていた。

朝目覚めると、シーツは血と精液にまみれているにもかかわらず、女性たちは何も覚えていない。服を着て寝ていたはずなのに、朝、起きると裸で、身体中に汚い指紋がついている。草原で男に押し倒される夢を見て、目覚めると髪に草がついている、そんな出来事を説明する手立ては他になかった。

被害者の1人、サラ・ギュンター(Sara Guenter)の場合、謎はロープだった。彼女が朝目覚めると手首と足首にロープが巻きついており、皮膚には青痣が残っていた。2013年に訪れたサラの家は、ボリビアのマニトバ居住区にある煉瓦柄があしらわれたコンクリートの質素な家だった。保守的メノナイトはアーミッシュと同様、現代文明や科学技術の利器に与るのを拒む。マニトバ居住区では、超保守的メノナイトのように、俗世からできるだけ離れた場所で生活している。近くの畑から大豆とモロコシの匂いが漂ってくるなか、私はサラに話を訊いた。不気味なロープの他に、虐待された翌朝、シーツは汚れており、彼女は割れるような頭痛、身体の痺れ、倦怠感に悩まされていたそうだ。

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サラの17歳と18歳になる娘2人は、壁に隠れ、青い目で静かに私をじっと見つめていた。悪魔は家中を蹂躙した、とサラは語る。2008年、娘たちまでも汚れたシーツの中で目覚め、性器の痛みを訴えた。

一家はドアに鍵をかけた。サラは、眠らず、何が起きているのか確かめようともした。マニトバ近くのサンタ・クルス(Santa Cruz)に住む誠実なボリビア人が夜警もした。しかし、マニトバ居住区には電気が通っておらず、夜は暗闇に包まれるため、埃の舞い上がる道路から離れた家族の平屋にまで監視の目は届かず、性的虐待は続いた。「何度も何度も起きたから、虐待された回数はわかりません」。ここに住む女性の大勢が母語である低地ドイツ語で諦めを露にした。

授業を受けるメノナイトの子供たち.ボリビア, マニトバ居住区.

当初、自らの他にも被害者がいるのを知らなかったため、家族は、夜な夜な起きる変事を口外しなかった。サラが娘たちに話したあと、噂は広まったが、「誰もサラの話を信じなかった」と事件当時、近所に住んでいたペテル・フェール(Peter Fehr)は回想した。「不倫を隠すためにつくり話をしているのだ、と住人は信じていた」

一家は、住民2,500人を統治する牧師たちの団体に助けを求めたが、彼らはいっさい対処しなかった。その後、同じような噂は何度も広まった。居住区のあちこちで、毎朝、同じような変事の痕跡が発見された。パジャマが引き裂かれ、ベッドは血と精液にまみれ、割れるような頭痛と知覚麻痺が居住区の女性たちを襲ったのだ。なかには恐ろしい瞬間を覚えている女性もいた。彼女たちが目覚めると1人、もしくは複数の男たちに押さえつけられ、叫ぼにも叫べない状況だったそうだ。しかし、彼女にその後の記憶は全くない。

この変事は、粗野な女性の妄想、神の災など、様々な解釈がなされた。「夜中に奇妙なことが起きている、としかわからなかった」。元マニトバ居住区長、アブラハム・ウォール・エンス(Abraham Wall Enns)は当時を振り返り、「犯人が誰かわからないのに、どうやって止める?」と当時の困惑した心境を振り返った。

誰にもなす術はなく、何の対策も講じられなかった。しばらくの間、サラは、恐ろしい夜毎の変事を避けがたい現実、と受け入れるほかなかった。変事の翌朝、一家は頭痛を押して起床し、シーツをはがし、日々の暮らしを続けていた。

2009年6月のある晩、隣家へ侵入しようとした2人の男が捕らえられた。彼らは仲間を密告し、芋づる式に19歳から43歳のマニトバ男性9名が捕まり、後に彼らは、2005年から居住区で性的虐待を繰り返していた、と自白した。被害者や目撃者の動きを封じるため、容疑者は、牛の麻酔に利用される薬品などを調合したスプレーを使用していた。後に撤回された当初の自白によると、容疑者は、ときに複数、ときに単独でベッドルームの窓外に隠れ、家の中にスプレーを噴射し、家族全員に効果が現れたのを確認したのち、屋内に忍び込んでいたらしい。

しかし、約2年後、2011年に裁判の開始前に、犯行の全貌が明らかになった。その記録はまるでホラー映画の台本のようだった。被害者は3歳から65歳。3歳の少女は、処女膜を指で傷つけられていた。既婚者、未婚者、住民、観光客、精神障害者を問わず、数多の女性が被害にあっていた。裁判では取り上げられなかったが、住民によると、男性や少年の被害者もいたそうだ。

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2011年8月、スプレー麻酔を調合した獣医は懲役12年、犯人たちは懲役25年(ボリビアの最高刑は30年)の実刑を課された。公式な記録によると、被害者は130人に上る。マニトバ居住区で生活する半数以上の家族に1人被害者がいる勘定だ。しかし、虐待を受けたのに名乗り出なかった女性も多く、被害者はさらに多いと予想されている。

サッカーに興じるメノナイトの子供たち.ボリビア, マニトバ居住区.

事件後、女性被害者に対する治療、カウンセリングなどはいっさい実施されていない。容疑者の供述より踏み込んだ調査もされていない。犯人たちが逮捕された後、住民が事件について話し合う機会も一度もない。それどころか、沈黙が続いている。

ウォール居住区長は「すべて過去の出来事になった」という。「ずっと心に留めておくより、忘れてしまうのがいい」。時折、ここを訪れるジャーナリストの取材に応じる以外、この事件について語る住民はいない。

しかし、9ヶ月の調査、マニトバでの11日間を経て、私は、この事件が解決していないのを確信した。精神的なトラウマ、性的虐待、性的いたずら、近親相姦の証拠が見つかった。主犯格の男性たちは服役中だが、薬を使用したレイプが事件が解決したはずの今でも続いている、という証拠もある。

つまり、悪魔の呪いは依然として解けていないのだ。

マニトバ居住区で130人以上もの女性に虐待した容疑で投獄されたメノナイト男性8名のうち1名は、脱獄してパラグアイで暮している、と噂されている.

一見、牧歌的なマニトバ住民の生活は、オフグリッド生活に憧れる自然派にとってマニトバ居住区での生活は羨望の的であろう。大地の恵みを享受し、ソーラーパネルが供給する電力を使い、風車で井戸から飲料水を汲み上げる。誰かが他界して悲嘆に暮れる家族がいれば、他の家族が食事の面倒をみる。教育施設の維持費、教師の給料は、富裕家族の支援によって賄われる。朝食は自家製のパンにマーマレード、絞りたての暖かい牛乳。夕暮れ時、子供たちは庭で鬼ごっこに興じ、両親はロッキング・チェアに揺られて夕焼けを眺める。

しかし、すべてのメノナイトが、現代社会と隔絶した世界で暮らしているわけではない。83ヵ国に170万人のメノナイトがいるが、居住区ごとに社会との関係は異なる。徹底的に現代的なものを避ける居住区もあれば、孤立しながらも、車、テレビ、携帯電話、様々な洋服の所有が許されている居住区もある。メノナイトの大勢は、外界の人々と大差ない生活を送っている。

メノナイト(Mennonite)、もしくはメノー派は、1520年代、ヨーロッパで起きた宗教改革のなかから生まれた教派で、名称は、カトリック司祭メノ・シモンズ(Menno Simons)に由来する。教会の有力者たちは、シモンズが唱えた成人の洗礼、非暴力、質素な生活を心がけた信者だけに天国への扉が開かれている、という教えを激しく非難した。新たな教えに脅威を覚えたプロテスタント、カトリック教会は、中央ヨーロッパ、西ヨーロッパで、シモンズの信奉者たちを迫害した。ほとんどのメノナイトは、非暴力の誓いに従って戦いを拒み、ロシアへ亡命し、社会から離れた生活を始めた。

しかし、1870年代には、ロシアでも迫害が始まり、メノナイトはカナダに移住する。彼らは開拓者を欲していたカナダ政府の歓迎を受け、移住後、多くのメノナイトは現代的な服装や言語など、新たな生活様式に馴染んでいった。しかし、一部の信者たちは、先祖の生活に習うのが天国に通じる唯一の方法だ、と信じており、仲間が新たな世界に誘惑される様子を憂いていた。その後、カナダ政府が英語教育を要求し、国家規模の教育カリキュラム統一をほのめかしたため、「旧開拓者」と呼ばれる信者たちは、1920年代、カナダを後にした。現在でも、旧開拓者はドイツ語による聖書に忠実な学校教育を続け、男子は13歳、女子は12歳で学校教育を修了する。

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「旧開拓者」たちは、農地が豊富で、科学技術が発展していないうえに、彼らの望む暮らしを政府が約束してくれるパラグアイ、メキシコに移住した。しかし1960年代、メキシコで教育改革が施行され、メノナイトの自主性が脅かされると、再び移住が始まった。移住先は、南北アメリカ大陸の僻地、なかでもボリビア、ベリーズに集中した。

散歩をするメノナイトの少年少女.ボリビア, マニトバ居住区.

こんにち、世界に散らばる旧開拓者約35万人のうち、6万人以上がボリビアで暮らしている。1991年に形成されたマニトバ居住区では、現代社会に居ながらにして、伝統的慣習に則った生活を墨守している。そこは、南アメリカのなかで最も貧しく、土着の文化が優勢なボリビアという混沌のなかに浮かぶサンクチュアリのようでもある。この居住区は、勤勉な住民、肥沃な農耕地、乳業のおかげで、経済的にも繁栄している。

マニトバは、オールド・コロニーの敬虔な信者にとって、最後の安息の地となった。ボリビア以外の居住区では戒律が緩和されたが、マニトバでは、自動車の使用が禁じられ、トラクターのタイヤは鉄製に限られ、ゴム・タイヤの使用は外界との接触を容易にするため、重大な罪と見做される。男性は髭を生やすのを禁じられており、教会でスラックスを着用する以外は、常にデニムのオーバーオール姿だ。少女、女性は髪を複雑に編み込み、目にしたことのないような、ミリ単位で丈や袖の長さの異なる、決まったデザインのドレスを身につけている。マニトバの住民にとって、これらの規則は専制的なものではない。このような規則が救いへの道であり、魂の拠り所であると信じているからこそ、住民たちは忠実に規律を守っている。

「旧開拓者」であれば誰もが、現代社会から隔絶された暮らしを望んでいる。殺人事件が起こった場合を除いて、ボリビア政府は彼らに犯罪の報告を義務付けていない。警察も国も自治体も、居住区の管轄権を持っていない。旧開拓者は、終身制の牧師9人と司教1人が組織する事実上の自治政府を通じて、法と秩序を守っている。すべての住民に身分証明書を持たせる権限をボリビア政府から委託されるなど、マニトバは主権国家のように統治されている。

アブラハム・ウォール・エンス(写真中央)とその家族. アブラハムは事件が起こった当時, ボリビア, マニトバ居住区民の指導者だった.

2011年、私は『Time』に寄稿するため、マニトバでのレイプ事件裁判について取材した。初めて居住区を訪れて以来、被害者たちがどのように生活を続けているのか、どうしても知りたくなった。この居住区で起こった忌まわしい犯罪は、異例なのだろうか、それとも居住区の深くに潜んでいた亀裂が露呈したのだろうか。オールド・コロニー、という閉ざされた世界は、現代社会の罠から解放された平穏な生活を実現しているのではなく、ひょっとすると、そこでの暮らしそのものが破綻を来たしつつあるのではないか。真相を明らかにするため、再び居住区を訪れずにはいられなくなった。

1月、ある金曜の月夜に、私はマニトバに到着した。アブラハム・ウォール・エンス(Abraham Wall Enns)とその妻マルガリータ(Margarita Wall Enns)は、小さな家の玄関先で、笑顔とともに私を出迎えてくれた。彼らの家は、舗装された並木道から離れた場所にある。「旧開拓者」は世俗から離れた存在として知られているが、彼らは生活を脅かさない部外者には寛容で、私は暖かく迎えられた。アブラハムは、そばかすのある180センチを超える長身の男性で、2011年当時、このコミュニティのリーダーを務めていた。彼は、私が再度、マニトバを訪れるならいつでも彼の家に泊まればいい、と誘ってくれた。こうして私はオールド・コロニーでの生活、事件とその後についての調査を開始した。

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清潔な家の中で、マルガリータは9人の子供たちが眠る2つの部屋の隣にある、私の寝室に案内してくれた。「安全のためにこれを取り付けたの」と彼女は、階段の下にある、約7.5cmの厚さの鉄製扉を見せてくれた。ここ最近、ボリビア人の仕業だと噂される窃盗事件が何件かあったそうだ。「おやすみなさい」と挨拶した後、マルガリータは外界と私たちを隔てるドアに閂をかけた。

翌朝、私は家族に合わせて夜明け前に起床した。22歳の長女リズ(Liz)、18歳の次女ゲルトルード(Gertrude)は毎日、皿洗、洗濯、食事の用意、牛の乳搾り、家の掃除に1日のほとんどを費やす。私も足手まといにならないよう家事を手伝ったが、昼食の時間までには疲れ果ててしまう。

アブラハムと6人の息子たちは、いっさい家事にかかわらない。もしかしたら、彼らは皿洗いをせずに一生を終えるかもしれない。普段は畑仕事もしているが、畑仕事のシーズンではなかったので、年長の兄弟たちは、父親が中国から取り寄せた部品でトラクターを組み立て、最も幼い2人の弟たちは納屋の柱に登り、ペットのインコと遊んでいた。彼らはサッカーボールを蹴り回し、サンタ・クルスから週にいち度だけ届く不定期の新聞でスペイン語を学んでいた。しかし、運動競技やダンス、音楽などは救済を妨げる可能性がある、との理由で厳しく禁じられていた。

ウォール家に性的虐待の被害者はいなかったが、他の住民と同じように事件については知っていた。ある日、私はリズを連れてレイプ被害者にインタビューした。ボリビア人料理人からスペイン語を習った、好奇心旺盛で機敏なリズは、外出して社会に関わる名分ができて嬉しそうだった。

私たちは1頭立ての馬車に乗り、埃っぽい土道を走った。道中、リズは事件が起きた時期の話をしてくれた。彼女が知る限り、犯人は彼女の家には一度も入ってこなかったそうだ。怖くなかったのか、と訊ねると、彼女は「信じていなかったから、怖くはなかった」と応えた。「だから、犯人が自白すると、とても怖くなった。事件が現実になったから」

私は、もし皆が被害者たちの話を真剣に聞いていたら事件はもっとはやく解決していたのでは、とリズに訊ねてみた。すると、彼女は眉をひそめただけだった。コミュニティが4年ものあいだ犯人を野放しにしていたのは、住民たちがこの事件を「野蛮な女の想像」と非難したのに原因の一端があるのではなかろうか。彼女はこの質問には応えなかったが、馬車に乗っているあいだ中、物思いに耽っていた。

私たちは、大きな屋敷の小石が敷き詰められた中庭に馬車を乗入れた。私が屋敷の中で性的虐待についてのインタビューをするあいだ、リズは馬車の上で時間をつぶしていた。暗いリビングルームで、私は、11人の子供の母親である中年女性ヘレナ・マルテンス(Helena Martens)と、彼女の夫に話しを訊いた。約5年前に彼女を襲った変事について会話するあいだ、部屋のブラインドは下ろされており、ヘレナはソファーに座っていた。

2008年のある日、ヘレナがベッドに入ると、彼女は「スーッ」と何かが噴射される音を耳にした。その後、寝室には異臭が漂っていた。しかし、就寝前に夫がキッチンのガスボンベの漏れを確かめていたので、気にせずそのまま眠りについたそうだ。彼女は、夜中に目を覚ましたさいの出来事を、生々しく語ってくれた。「ある男が私に馬乗りになっていました。他にも複数の男が部屋の中にいました。私は抵抗しようとしましたが、腕をあげられもしませんでした」。その後すぐに、彼女は深い眠りへと戻り、翌朝、彼女が目を覚ますと、頭が割れるように痛み、ベッドのシーツは土で汚れていたそうだ。

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それから、数年にわたって、彼女は強姦犯たちに複数回犯されたらしい。また、この間、彼女は、子宮手術の後遺症も含む、いくつとの内科的合併症にも悩まされた。リプロダクティブ・ヘルスは、保守的メノナイトのコミュニティでタブー視されており、ほとんどの女性は性に纏わる器官の名前すら教えられていない。そのため、女性たちは性的暴力内容、その後の出来事を的確に描写できなかった。ある朝、激痛に目を覚ましたヘレナは「このまま死ぬんだ、と確信した」と当時を振り返った。

ヘレナはセラピストによる診療を望んでいたが、マニトバの女性被害者と同様、その機会は与えられなかった。「虐待の最中、彼女たちは眠っていたんですよ。どうしてカウンセリングが必要なのでしょう」とマニトバで最高位のヨハン・ニュドルフ(Johan Neurdorf)司教は、2009年、加害者が逮捕されたさいに言明している。

私がインタビューした被害者のなかには、性的虐待の最中に目覚めていた被害者も、その夜の記憶が全くない被害者もいたが、皆、セラピストに自らの経験を打ち明けるのを望んでいた。しかし、それは実現しないだろう。なぜなら、ボリビア国内には低地ドイツ語が話せる性的トラウマケアの専門家がいないからだ。

私が会話した女性たちは、世界に広がるメノナイト社会の大きさに気付いていない。カナダやアメリカ国内の進歩的メノナイトグループが、マニトバに低地ドイツ語に通じたカウンセラー派遣を提案していたのだ。もちろん、マニトバの男性たちがこの提案を拒否したので、女性たちは、そのような申し出があったのを知る由もなかった。マニトバの指導者たちは、伝統を重んじないメノナイトたちとの長年にわたる確執のため、彼らからのコンタクトを拒否している。したがって、マニトバの指導者たちは心理的サポートの申し入れを、マニトバの古い慣習を捨てさせるための進歩的グループによる罠だ、と勘違いしてしまったのだ。

マニトバ居住区の指導者.

指導者たちの提案拒否には、他の理由もありそうだ。彼らは、女性被害者のトラウマがマニトバを混乱させたり、同居住区が世間の注目を集めてしまうのを忌避したのだろう。私は、オールド・コロニーの女性たちの役割は、夫の命令への従事だ、と告げられていた。また、現地の牧師から、マニトバの少女たちは少年たちより1年早く教育を修了する、と説明も受けていた。なぜなら、女性は数学と簿記を学ぶ必要がないそうで、それらの科目は少年だけが受けられる学期のカリキュラムに指定されている。女性は牧師にはなれないし、牧師を選出するための投票権も与えられていない。おぞましいレイプ事件が明らかになってさえも、彼女たちは意見を表明できなかった。原告として出廷したのも、女性被害者の夫や父親のなかから選ばれた5人の男性代理人で、被害者本人ではなかった。

マニトバでは、性別による明確な役割が受け入れられる傾向にあるが、私は訪問中にそのグレーゾーンに気づいた。男性と女性が家庭内での意思決定を共有しているのを目撃した。その他にも、日曜日に催される親族の集まりで、女性しかいないキッチンでは、感情豊かな大きな笑い声が響いていたが、男性たちは屋外で厳かに座り込み、干ばつについて意見を交換しているのを目撃した。さらに私は、リズや彼女の友だちのように、自信に満ち溢れ、婚約を済ませた若い女性たちと、何度も午後をともにした。時間があれば、彼女たちはどこであろうと集まり、気に食わない親の行動を愚痴ったり、先週失恋した友人の近況を噂するのが好きなようだった。

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一連の性的虐待事件が起こると、女性同士の強い繋がりと、社会とは隔絶された日課がもたらす安全なスペースは、彼女たちの心の拠りどころになった。特に、女性被害者たちは、裁判後、普段通りの生活に戻ろうと努めるのに姉妹や従姉妹を頼りにした、と教えてくれた。

裁判で名前が挙がった18歳以下の女性被害者は、ボリビアの法律に準じて心理アセスメントを義務付けられた。結果、少女たちは皆、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の兆候があり、彼女たちには長期的なカウンセリング受診を推める、と裁判記録に記載されている。しかし、心理アセスメント以降、誰もいかなるカウンセリングも受診していない。少なくとも姉妹や従姉妹から慰めを得られた成人女性たちと異なり、ボリビア政府による心理診断後、被害にあった少女たちは、誰かに経験を打ち明ける機会にすら恵まれていない可能性がある。

ヘレナのリビングルームで、彼女は、自身の娘も性的虐待の被害者だ、と私に打ち明けた。しかし、この件に関してヘレナと娘は会話していない。しかも、18歳になるヘレナの娘は、母親が被害者であるのすら知らない。オールド・コロニーでは、性的虐待は被害者にとって恥であり、彼女たちはひどく汚れた存在になってしまう。加えて、他の若い女性被害者の親たちも、性的虐待については口を閉ざすべきだ、と考えている。

「娘はその件について話すには幼な過ぎた」。そう語るのは、別の女性被害者の父親だ。ある朝、娘が痛みとともに目を覚まし、病院に連れて行かなければならないほど出血していたにもかかわらず、彼と妻は、その理由を娘には説明しなかった。その後、彼女は引き続き言葉の通じない看護師たちの世話になったので、レイプ被害に遭った、とは告げられなかった。「娘は知らない方が良かった」と父親はいう。被害に遭った当時、彼女は11歳だった。

私がインタビューした被害者たちは、ほぼ毎日のように性的虐待を思い出す、と口を揃えた。友人への相談に加え、彼女たちは信仰にすがり、どうにかやり過ごそうとしているようだ。例えば、ヘレナはグッと腕を組み、苦しそうにその腕を揺らしていたので、嘘をついているようにも見えたが、彼女は安らぎを見つけたらしく「私をレイプした男たちを許しました」と強調していた。

被害者は彼女だけでない。私は、被害者、その両親、姉妹、兄弟たちが同じ内容を口にするのを聞いた。また、もし有罪判決を受けた強姦犯たちが自らの罪を認め、神の赦しを乞うのであれば、マニトバ・コミュニティは裁判官に彼らの刑罰を却下するように求める、と告白する関係者もいた。

私は混乱した。一体どうしたら、ここまで凶悪な計画的犯罪者を受け入れられるのだろう。

私はフアン・フェール(Juan Fehr)牧師の話しを訊くまで理解できなかった。彼は、マニトバの牧師全員と同様、全身を黒い衣服で身を包み、厚底の黒いブーツを履いていた。「神は試練を与え、民を選びます」と牧師は断言する。「天国に召されるには、過ちを犯した者を許さなければなりません」。彼は、犠牲者のほとんどは自力で許しの境地に達した、と信じている。しかし、もし、ある女性被害者が加害者を許そうとしないなら、ニュドルフ司教がその女性を訪れ、「もしあなたが加害者を許さなければ、神はあなたを赦さないだろう、とその女性を説得するでしょう」とフェール牧師は見解を述べた。

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彼女は, 検察官に話をした最年少の被害者のひとりで, 事件当時11歳だった.女性被害者は心理カウンセリングを受けていないが, 専門家によると, 彼女たちは心的外傷後ストレス障害に苦しんでいる可能性があるそうだ.

マニトバの指導者たちは、住民たちに近親相姦の容認を推奨さえしている。アグネス・クラッセン(Agnes Klassen)は、身をもってそれを学んだ。ある蒸し暑い火曜日、ボリビア東部の高速道路のはずれにある、2部屋しかない彼女の自宅の外で、2児の母でもあるアグネスを取材した。そこは、彼女が以前暮らしていたマニトバから約65km離れている。彼女は2009年にマニトバを後にした。彼女はポニーテールで、Tシャツにジーンズ姿で、汗ばんでいた。

彼女と性的虐待事件について会話する予定ではなかったが、家に入ると、その話題を避けずにはいられなかった。「ある朝、私が頭痛で目を覚ますと、私たちのベッドは土で汚れていました」。アグネスはまるで買い物リスト上の買い忘れた商品を思い出すかのように、マニトバでの生活を回想した。裁判以来、彼女は、事件の翌朝を思い出さないように努めている。彼女は被害者にもかかわらず、裁判の対象にはならなかった。しかし、いまだに彼女は被害届も提出していない。犯人が逮捕された今、わざわざそうする理由が見出せないようだ。

私は、彼女と別の辛い過去についての話を訊いた。彼女の近親相姦体験だ。彼女は、それがどのように始まったのかも覚えていない。「複数の要素が絡み合った結果でした」と彼女は幼少の記憶を辿った。8人いる彼女の兄の何人かに体を触られた経験もそれには含まれる。「近親相姦がいつ始まったのかはわかりません」

アグネスは15人兄妹の1人として、メノナイト居住区リヴァ・パラシオス(Riva Palacios)で育った。彼女の家族がリヴァ・パラシオスに隣接するマニトバ居住区に移り住んだのは、彼女が8歳のときだった。アグネスによると家畜小屋、畑、兄妹でシェアしていた寝室など、いたるところいたずらされていたそうだ。10歳になると、兄がアグネスの体を触るのを目撃した父親は、容赦なく、彼女を1発を殴ったそうだ。このときまで、彼女はそれが不適切な行為であると気づいていなかった。「あなたは悪くない、あなたの過ちじゃない、なんて言葉、母親は、絶対に言ってくれません」

それ以降も性的いたずらは続いたが、アグネスは恐れのあまり誰にも助けを求められなかった。彼女が13歳のとき、兄弟の1人が彼女をレイプしようとしたので、彼女は母親に恐るおそる打ち明けた。彼女はぶたれもせず、母親は、しばらく当人たちを遠ざけるよう最大限努めてくれた。しかし、遂にその兄弟は、アグネスが独りでいるのを発見し、彼女は犯されてしまった。

兄弟による虐待はエスカレートして日常的になってしまったが、アグネスには逃れようがなかった。オールド・コロニーには警察組織がないため、牧師たちがコミュニティ内での悪事、不正行為に対処するのだが、若者たちは洗礼を受けるまで、正確には教会のメンバーではない。メノナイトが洗礼を受けるのは、通常、20代前半だ。したがって、洗礼前の不貞は各家庭で対処するほかない。

アグネスには、コミュニティの外に助けを求める、という選択肢はなかった。オールド・コロニーに生まれた子供たちの例に漏れず、コミュニティの外には悪魔がいる、と彼女も教えられていた。たとえコミュニティの外に出たとしても、子供や女性にとって、低地ドイツ語を話さない世界とは関わりようがない。

「そう暮らすように教わった」とアグネスは言葉を詰まらせた。彼女は、涙で会話を中断したことを。過去を他人に打ち明けるのは、彼女にとって初めてだった。彼女がコミュニティの少年と交際するようになると、近親相姦は止んだそうだ。そして、彼女は出来事を過去として、心の片隅に押し込んだ。

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その後、彼女は結婚し、実家から離れたマニトバ内の家に移り住み、そこで2人の娘を授かった。しかし、家族が来訪すると、彼女の娘たちに性的ないたずらを働くようになった。「娘たちもいたずらされるようになりました」。そう話しながら、彼女は部屋の窓から見える、屋外で遊ぶ金髪の少女2人を眺めていた。アグネスの長女がまだ4歳だった頃、祖父に彼の下着に手を入れるように頼まれた、とアグネスに告げたという。アグネスによると、彼女の父親は、彼女と姉妹に性的いたずらを決してしなかったが、娘たちとマニトバを離れるまで、父親は、定期的に孫にいたずらを続けたそうだ。しかも、現在でも彼は、マニトバで暮らすアグネスの姪たちに性的いたずらをしているらしい。また、彼女は、甥が彼女の次女の体に触れるのを目撃したそうだ。「このような出来事は日常茶飯事です」とアグネス。「私の家族だけではありません」

実際、オールド・コロニーで近親相姦が横行しているか否かについての白熱した議論が、国際メノナイトコミュニティで長いあいだ交わされている。なかには、彼らを擁護するものいる。擁護派は、「性的虐待はどのような場所であっても発生し、マニトバなどで起こった実例は、どんなに厳格な社会でも、社会悪の影響を受けてしまうのを証明しているにすぎない」と主張している。

しかし、アグネスを私に紹介してくれたカナダ人メノナイト、アーナ・フリーゼン(Erna Friessen)のような女性は、「オールド・コロニーで発生する性的暴力の範囲はとてつもなく広い」と主張する。フリーゼンは彼女の夫とカサ・マリポサ(Casa Mariposa、蝶の家)を設立した。性的虐待を受けたメノナイト女性と少女を対象にした保護施設だ。この施設の所在地は、ボリビア国内のオールド・コロニーの中心地であるパイロン(Pailon)の近くにあり、女性被害者をサポートするために、低地ドイツ語に通じた宣教師が継続的に出入りしている。しかし、この施設を利用する女性の数は少ない。まずは、メノナイト女性に施設の存在を知らしめ、助けを求めるのが最善である、と彼女たちに承知させるのが課題である。「女性たちにとって、カサ・マリポサに駆け込むのは、家族と彼女たちが知っている唯一の世界を離れるのを意味します」とフリーゼン。

フリーゼンは、オールド・コロニーの閉鎖性ゆえに、そこで発生する性的虐待の正確な数を把握するのは不可能である、と承知ている。しかし、彼女にはオールド・コロニーでの性的虐待の発生率がアメリカでの発生率よりも高い、という確信がある。事実、オールド・コロニーでは18歳以下の女性4人に1人が性的虐待を受けている。

彼女は、メノナイト・コミュニティで人生を過ごしている。パラグアイのメノナイト居住区で生まれ、カナダで育った。そして、ここ8年、ボリビアで暮らしている。彼女によると、ここ数年、たくさんのオールド・コロニー在住の女性と知り合ったが「被害に遭っていない女性よりを、被害に遭っている女性が上回っていた」そうだ。また、彼女はオールド・コロニーを「性的虐待の温床」と見做している。なぜなら、そこで暮らす女性のほとんどは、性的虐待を受け入れなければならない、と信じ込まされて育つからだ。「それはいつも、彼女たちに、女性は不当な扱いを受けるものだ、という認識の強要から始まります。彼女たち、彼女たちの母親、彼女たちの祖母も皆そのように育てられてきました。なので、常に彼女たちは、遣り過ごしなさい、と教えられているんです」

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フリーゼン以外にも、オールド・コロニーの性的虐待問題を扱う活動家たちがいる。彼らは、居住区における性的虐待の発生率を正確に示すのをためらうが、世界のどこよりもオールド・コロニーで発生する性的虐待は深刻な問題だ、と断言する。「オールド・コロニーで暮らす少女や女性には逃げ場がありません」とイヴ・アイザック(Eve Isaak)は現状を懸念する。彼女は、カナダ、アメリカ、ボリビア、メキシコのオールド・コロニーを対象にしたメンタルヘルスを扱う臨床医であり、中毒カウンセラーと死別カウンセラーでもある。「オールド・コロニーの外では、子供たちは小学校に入学するまでに、少なくとも頭の中で、虐待を受けたら警察、教師、その他の機関に相談できるのを理解しています。しかし、オールド・コロニーの少女たちは誰に相談できるでしょう?」

意図的ではないにせよ、オールド・コロニーの教会は事実上、自治政府の機能を担っている。「『旧開拓者』の移住は、社会悪を忌避しただけでなく、 望み通りの暮らしができる国への移動とも理解できます」とヘルムート・アイザック(Helmut Isaak)は分析する。イヴの夫であるヘルムートは牧師であり、パラグアイのアスンシオン(Asuncion)にある神学校CEMTAでアナバプテストの歴史と神学を研究する教授でもある。「旧開拓者」たちは新たな国に移住する以前、代表団を各政府に派遣し、彼らの自治権、特に、教義に基づく法執行を認めるように交渉していた、とヘルムートは説明する。

ボリビア国内のオールド・コロニーが居住区内の問題に関して外部の介入を許したのはマニトバでの連続レイプ事件だけだ。マニトバの住民たちによると、彼らが2009年にレイプ犯たちを警察に引き渡したのは、女性被害者の夫たちが激昂し、レイプ犯たちをリンチしようとしていたからだそうだ。マニトバ近隣の居住区でレイプ事件に関与したであろう男性が拘束されリンチされた。その後、その男性はリンチで負った傷が原因で死亡した。

私が会ったマニトバの指導者たちは、コミュニティ内で性的虐待が横行しているのを否定し、そういった問題が生じたさいはコミュニティ内で対処する、と主張した。ある夕暮れ時、牧師のヤーコブ・フェール(Jacob Fehr)と彼の自宅のベランダで会話していると、「ここでは近親相姦はほぼ皆無です」と彼は言明した。彼曰く、彼の19年の牧師のキャリアで、マニトバ内で近親相姦(そのときは父親が娘をレイプした)が起こった事例は1件だけだったそうだ。別の牧師は、この事例さえ否定した。

「ここの連中はいつも、家庭内で起こるたくさんの吐き気がするような出来事を黙認してきた」とアブラハム・ピーターズ(Abraham Peters)はいう。彼は、判決を受けた最も若いレイプ犯アブラハム・ピータース・ダイク(Abraham Peters Dyck)の父親だ。現在(2013年)ピータース・ダイクは、サンタ・クルス郊外のパルマソラ刑務所(Palmasola Prison)に収監されている。「男兄弟は姉妹を、父親は娘を犯す」。そう断言するピーターズは、息子をはじめ虐待犯たちは、マニトバ居住区に蔓延した近親相姦を隠蔽するためにはめられた、と信じている。彼は今でもマニトバで暮らしているが、彼の息子が逮捕された直後、コミュニティ内で家族に対する憎悪の感情が高まったため、マニトバを去うともした。しかし、12人の大家族全員で引っ越すには大変な困難が伴う。なので、息子の投獄以来、家族に非難の目が向けられているにもかかわらず、彼はマニトバ残留を決心し、この騒動も数年後に収まるだろう、と家族を説得した。現在、彼はコミュニティで元の暮らしを取り戻している。

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アグネスは2つの犯罪を表裏一体と捉えている。「レイプと性的虐待は、すべて結びついています」「レイプ犯罪と性的虐待を隔てているのは、家庭内で起こっているか、家庭外で起こっているかの差だけです。そのせいでコミュニティの牧師たちは、2つの犯罪を厳しく取り締まれないんです」

指導者たちは悪しき慣習を正そうとはしている。アグネスの父親の件では、孫への性的いたずらを続けた結果、宗教的指導者たちから召喚命令が下され、牧師や司教の前で自らの不貞を告白するよう迫られた。そこで告白した彼は、教会から1週間の「破門」という、一時的な除籍処分を受け、1週間後、不貞を2度と繰り返さない、と誓うのを条件に、教会への復帰を許された。

「父はその後も孫への性的ないたずらを続けた」とアグネス。「上手く隠す方法を学んだだけです」。彼女は、「誰であれ、1週間経てば改心した」と認められてしまうような宗教にたいする信仰心などない、と言明し、矢継ぎ早に「あんなおぞましい行為を犯した不信心者に許しを与える宗教など、私は信仰できません」とも続けた。

若い犯罪者たちはより簡単に許される。アグネスによると、実際、彼女を犯した兄弟は、受洗時に自らの罪を認め、神の赦しを得た。現在、その兄弟はマニトバ近隣のオールド・コロニー、リヴァ・パラシオスで2人の娘とともに暮らしている。

1度目の破門の場合、指導者たちが事態は収まったと見做せば、加害者は再度入信を許される。しかし、その後、悔い改めずに性的虐待を続ければ、加害者は教会から再度破門され、コミュニティ内で村八分になる。指導者は、コミュニティ住民にその家族を避けるよう指示を下す。コミュニティの雑貨屋は、その家族への商品販売を拒否すし、家族の子供たちは学校への通学が禁止されてしまう。最終的に、その家族はコミュニティから退去を余儀なくされる。もちろんそれは、被害者が加害者から離れられる、という意味でもある。

しかし、2009年、アグネスと彼女の家族がようやくマニトバを去ったのは、性的虐待が原因ではなかった。その理由は、彼女の夫がオートバイを購入したからだ。夫は教会から破門され、家族はコミュニティで疎外された。息子が牛の水飲み場で溺死しても、地域の指導者は、アグネスの夫の葬儀参列を許さなかった。そうして、彼はマニトバを永久に去った。結局、アグネス、彼女の娘たち、コミュニティの女性を苦しめる性的虐待よりも、オートバイの運転がマニトバの指導者たちへの甚だしい侮辱行為と見做されてしまったのだ。

現代社会において、マニトバのようにテクノロジーを拒絶する居住区を存続させるのは、ますます困難になってきている。オールド・コロニーを離れたのは、アグネスと彼女の家族だけではない。事実、サンタ・クルス近郊には、オールド・コロニーでの古い慣習に辟易したメノナイト家族たちが暮らしており、伝統的な慣習を重んじるメノナイトを取り巻く状況は重大な危機を迎えている。

ピックアップトラックにもたれかかる、反メノナイトグループの実質的リーダー、ヨハン・ウィーバー.

「マニトバの指導者にはもう従いたくない」と若い父親、ヨハン・ウィーバーはマニトバにある自宅で、私に語った。居住区には、教会から正式に退会した13世帯が未だに暮らしているが、ウィーバーの家族はそのうちの1世帯である。 ちなみに、彼らは自動車も所有している。数ヶ月にも渡り、ウィーバーたちはマニトバからの退去を申請していたが、マニトバの指導者は、ウィーバー家族が手放そうとしている土地にたいする補償を拒否した。したがって、ウィーバー家族はマニトバでの反メノナイト教会設立を決意した。

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「私たちが古い慣習に囚われた教会を退会し、新たな教会を始めようとするのは、『真理』を読んだからだ」とウィーバー。彼の主張する「真理」とは「聖書」だ。髪をポニーテールに編んだ彼の娘たちが庭で遊ぶ傍でウィーバーは、「指導者たちは、私たちに聖書を読むな、と説いた。なぜなら、もし聖書を読めば、女性は髪を編み込まなければならない、とどこにも書かれていないのに私たちが気づくからだ」と白いピックアップ・トラックにもたれながら説明してくれた。

マニトバでの宗教教育には、興味深い特徴がいくつかある。ある日曜日、私は、居住区に3つある特徴のないレンガ式教会のうちの1つで催された礼拝に参加した。マニトバ住民にとって、そこでの厳粛な90分の儀式は決して優先順位が高くないのが明白だった。世帯主たちは月に2〜3回礼拝に参加するが、家族の参加頻度はそれよりも低い。

聖書の特定の箇所を読むのが、学校教育の中心だ。また、成人メノナイト社会では、食前、食後の黙祷20秒を除いて、祈りを捧げる特定の時間はなく、それを要求されもしない。聖書も研究しない。

先出のメノナイト歴史学者ヘルムート・アイザックによると「メノナイト居住区では、多くの人々が聖書を解釈する能力を失いつつある」ようだ 。メノナイトたちは長期間にわたり、迫害者から彼らの教義を守り続けてきた。それにともない、実用的な教義だけがが優先されるようになった、と彼は分析する。「生き残るために、メノナイトたちは労働に時間を費やさなければなりませんでした」

さらに、メノナイト居住区に致命的な権力の不均衡が生じた。教会指導者のなかでも、一握りの識者だけが居住区唯一の聖書解釈者となった。居住区では、聖書は法律と見做されているので、一握りの識者は聖書を盾に、命令と服従を住民たちに強制している。

牧師はこれを否定する。ある晩、「われわれは、信者全員に聖書の理解を推奨しています」とヤーコブ・フェール牧師は語った。しかし、マニトバの住民たちは言葉を潜めて否定する。住民によると、聖書の勉強会は奨励されていない。それに加えて、居住区内の聖書は高地ドイツ語で書かれている。申し訳程度の学校教育しか修了していないメノナイト成人の大勢は、当然ながらこの言語を覚えていない。また、低地ドイツ語の聖書もあるが、時と場合に応じて、禁書扱いされる。いくつかのオールド・コロニーでは、聖書を深く探究した信者が破門されたそうだ。

これこそウィーバーが脅威的存在である理由だ。彼は、指導者とコミュニティ全体を揺るがしている。また、彼は、指導者や住人に、各地のオールド・コロニーを震撼させた過去の出来事を思い起こさせるようだ。「正に同じ問題がメキシコで起きたので、私たちはボリビアに移り住んだ」と60歳のペテル・ネルセン(Peter Knelsen)は回想した。彼は、10代の頃に両親と共にメキシコから移住してきたそうだ。それは、メキシコ政府がオールド・コロニーに改革を迫っただけでなく、オールド・コロニー内部から「生活様式の変革」を目指した福音主義復興運動が発生したからだ。彼曰く、彼が暮らしていたメキシコの居住区内でも、反メノナイトたちが自ら教会設立を試みたそうだ。

40年以上ものあいだ、ボリビア国内のオールド・コロニーは内部分裂を免れてきた。しかし、ネルセンや他の住民は、ウィーバーによる教会設立の試み(彼はまた自身の農場や、独立した学校の設立も考えている)は迫り来るマニトバの「終末」だ、と受け止めている。私の訪問後、6月にウィーバーのグループが実際に教会建設に着工し、マニトバ内の緊張は、一気に高まったそうだ。着工されるやいなや、100名を超すマニトバ男性が現場を襲撃し、足場をバラバラに解体してしまったらしい。「マニトバの純潔を維持するのはとても難しくなるだろう」とネルセンは懸念する。

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仮に亀裂が広がり続け、危機回避が不可能になった場合の対処法を、マニトバ住民たちはすでに心得ている。数世紀前に迫害されていたヨーロッパのメノナイトには「抵抗」か「避難」かの選択肢があった。しかし、彼らは非暴力と平和を誓っていたので、避難を選び、それ以降もずっと非暴力を貫いてきた。

マニトバの指導者は、ここから退去せずに済むよう願っている、と口を揃える。それはある意味、ボリビアが彼らの理想を容認する最後の国だからだろう。したがって、今のところヤーコブ・フェール牧師は祈りを捧げている。「私たちはただ、ウィーバーたちにマニトバから去ってもらいたいだけです。私たちは孤立を望んでいるだけなんです」

退廷するレイプ事件の犯人のひとりハインリッヒ・ネルセン・カルッセン(Heinrich Knelsen Kalssen). ボリビア, サンタ・クルス.

マニトバ取材の最終日、私は衝撃を受けた。

ある女性と、彼女の自宅近くで氷水を飲んでいると、「性的虐待がまだ続いているのを知ってるんでしょ?」とその女性は切り出してきた。そのとき、周りに男性の影はなかった。私は低地ドイツ語の通訳を付けていたので、彼女の発言が誤訳であるのを願った。しかし、通訳はそれが誤訳でないのを確認した。「麻酔薬のスプレーを使用した性的虐待は、いまも続いている」

私は彼女に質問を浴びせた。虐待された経験があるのか? 誰が犯人なのか知っているか? マニトバの全住民は性的虐待が続いているのを知っているのか?

最初の質問に対して彼女は「いいえ」と答えた。彼女によると、彼女の家に虐待犯たちは押し入っていないようだが、最近、彼女の従姉妹の家に押し入ったそうだ。次に、彼女には誰が犯人なのか見当がついているらしいが、その名前を教えてくれなかった。そして、最後の質問への答えは「はい」だった。マニトバ住民の大勢は、一連の虐待事件の犯行グループ投獄が、マニトバでの連続性的虐待に終止符を打っていないのを知っているようだ。

まるで妙な感覚を伴うタイムワープのようだった。数十ものインタビューで誰もが「一連の事件はもう解決した」と答えたが、その回答が、噂なのか、嘘なのか、はたまた真実であるのか、私にはわからなくなった。なので私は、その日の残り時間を費やし、必死になって確証を得ようと努力した。インタビュー対象のもとを再訪した。すると、多くは決まり悪そうに、その噂を耳にしており、おそらく真実だろう、と認めたのだ。

その日の遅く、ある若い男性が「性的虐待が以前ほど頻繁に起きていないのは明白だ」と断言した。2009年以前、虐待事件が発生している最中に、彼の妻も被害にあったそうだ。「犯人たちは以前よりも用心深くなっているが、犯罪は未だに続いている」。彼も加害者が誰か薄々感づいているようだが、それ以上詳細を語らなかった。

本稿の写真を撮影したフォトグラファーのノア・フリードマン=ルドルフスキー(Noah Friedman-Rudovsky)は、私との取材後、マニトバを再度訪ね、住民3名、検察官、記者、計5名を取材した。彼の報告によると、5名とも、強姦はまだ続いている、という噂を耳にしたそうだ。

私がインタビューした人々は、性的虐待を阻止する手立てはない、と諦めていた。マニトバには警察組織もなく、この先、調査隊の組織もないだろう。居住区の住民は、牧師たちに通報はできる。しかし、犯罪行為は、加害者本人の自己申告によって裁かれる。したがって、もし加害者が罪を認めなければ、被害者や告発者の信用が問われてしまう。マニトバの女性たちはそれの事実を重々承知している。

マニトバ住民曰く、唯一の対処法は、厳重な鍵や鉄格子を窓にはめたり、マニトバ取材中にお世話になったウォール・エンス家のように大きな鉄製扉を設置するしかない。妻が性的虐待を受けた男性は、「居住区に街灯や監視カメラは設置できない」と話す。どちらのテクノロジーも居住区では禁止されているからだ。彼らは、性的虐待を阻止するには虐待される前に犯人を捕まえるしかない、と信じている。「なので、犯人が現れるのをじっと待たなければならない」

取材最終日、マニトバを離れる間際、約5年前に手首をロープで縛られた状態で目を覚ましたサラを再度訪ねた。彼女もまた、レイプが続いているという噂を耳にしたそうで、深いため息とともに話してくれた。2009年、虐待事件の犯行グループが逮捕されたのち、彼女と家族は転居した。昔の家には悪魔のような記憶が満ちていたからだ。彼女は、もし誰かが、彼女同様、記憶に苛まれ恐怖に怯えて暮らしていると想像するだけで気分が悪くなる、と心情を吐露した。しかし、彼女は対処法を知らない。結局、他のメノナイト女性同様、彼女は苦しみ続けるしかない。別れる直前に彼女はこんな言葉を口にした。「これは神の思し召しなのかもしれない」。彼女はこれを慰めと捉えている。

§

性的虐待、レイプの被害者は、本人の希望により仮名にて表記した。