Who Are You?:萩原由和さん(39歳)
ラーメン屋店主

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Who Are You?:萩原由和さん(39歳) ラーメン屋店主

「今日は、嫁がいてくれた方が安心だなって(笑)。結構、あがり症でして。最初は、軽い気持ちでこのお話を受けたんですが、近づいて来た瞬間に緊張してる自分がいました(笑)」

奥様は大丈夫ですか? 今日は旦那さんのHなことも訊きますよ。

らーめんHAGGY」といいます。萩原でHAGGYなんですけど。

古閑さんの「KOGA RECORDS」みたいですね。

家賃が安かったからです。物件をネットで探していて、それで今の物件が出て来たんです。ランク的にはCランクというか…

Cランクってなんですか?

物件のレベルですね。立地条件や、物件の状態とかで、Cランクみたいな位置付けをされていたんです。木造で築40年っていうとかなりボロですし、柴崎駅は各駅しか止まらないので、商売をやる立地としては、乗降者数が少ないんですね。だから、そういう場所で店をやるというのはあまり…

いや、いや、7年もやられているんですからねぇ。HAGGYさんのラーメンは何ラーメンなんですか?

メインは塩・醤油です。鶏ガラと魚のベースを合わせたスープです。いわゆるWスープといわれているやつですね。最初は醤油とつけ麺だったんですけど、売り上げがだんだん下がってくるに連れて、「アレやらなきゃいけない…コレやらなきゃ伸びない…」って、広げました。味噌とか辛いのとか餃子とか。だんだんメニューが増えまして、更に限定ものとかゴハンものとか…。気が付いたらバーミヤンみたいになってました(笑)。

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いいじゃないですか、バーミヤン!! 揚げワンタンでビール、最高ですよね! 「おつまみ小皿メニュー」、ふたつ頼むと500円になるの。HAGGYさんとこのおつまみは?

きゃー、HAGGYいやらしい!

えっと…LINEで告ったんだっけ(笑)?

ちょっとHAGGY、ちゃんと覚えてないとダメでしょ。その場で奥さまもOKしたんですか?

最初に恵比寿の「AFURI」で。

そうです。弟さんが中村屋で、お兄さんがAFURIを経営しています。

どうしてAFURIに?

別にAFURIに入りたかったわけではないんです。元々ラーメンは、豚骨とかが好きだったので、家系の店とかをあたっていたんです。それで、店の前にデカデカと「社員募集」とか張り紙を出している店に問い合わせたりしていたんですけど、「うちは社員募集してないから」とか理不尽なことをいわれて(笑)。

はい、「うまい ラーメンショップ うまい」って書いてある(笑)。本当は自分の店の看板も、ああいうビカビカなやつにしたかったんですけどね(笑)。でも結局は、ラーメンショップでも働けませんでした。そしたらAFURIがバイト募集をフロム・エーに載せてたのを発見したんです。それで「ここでいいや」と。

AFURIってお洒落でしょう? ラーメンショップとは真逆のような(笑)。

DISCHORDというよりもLOOKOUTな感じですか?

DISCHORDにアプローチしましたか?

でも高校のとき聴いてたのって、本当にC&C MUSIC FACTORYとか(笑)。

小学校とか中学ときの方が聴いてましたね。THE MODSとかX JAPANとか。中学ではSOFT BALLETにハマっちゃいました(笑)。

そこからのC&C MUSIC FACTORYは、なんとなくわかる気がしますね。

AEROSMITHくらいは聴いてましたけど、高校は普通にB’zとかも聴いてました。

うむー、EYEHATEGODのキャップまでは、まだまだ遠いですね。高校時代のムラムラは?

やっと来た! でもC&Cからグラインドコアって、相当な道のりですよ。

予備校時代に新しい友達が出来たんです。それで音楽好きなヤツが周りに増えて、そこら辺から、当時盛り上がってたメロコアとか聴かされて。最初はOFFSPRINGにすごくハマって。

アハン、アハンの前ですね(笑)。ドクロのレントゲンの写真みたいな。そしてNOFXとかメロコアにどっぷり。同時にスマパンとか、NIRVANAとかもそのときに聴き始めて。今までに知らなかった音楽を聴きまくったんです。それで大学で音楽サークルに入るんですけど、その当時、自分の入った法政の音楽のサークルにいろんな先輩がいて。

まぁ、そんな感じですね。当時はわからないことばっかり(笑)。「OFFSPRINGしか知らないから」って(笑)。毎月、毎月、新しい刺激が入るというか。パンクからグラインドコア、ガレージから70’s。はたまたノイズも。灰野敬二さんも来てましたからね。

HAGGY、やらしいですね!

その子は、バイト先の近くに住んでたんですけど、ご両親はどこかに引っ越してて、その3LDKのマンションにひとりで住んでたんですよね。

3LDKをフルに使って? やらしいなぁ!

別の音楽サークルに入ってたら違ったんだろうなとは思います。そこで、変にアンダーグラウンド志向を持ったっていうのはありますよね。違う大学とかに行ってたら、普通にOFFSPRINGのコピーバンドをやって、楽しんでいた気もします(笑)。アンダーグラウンドで活動すること自体が、格好良いとか、憧れとか、そんな感じになっちゃって。そうなると世の中を斜めに見たくなるみたいな。

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ギバちゃんを卒業して、普通の中分けだったかな? 学祭ではモヒカンにしてBIOHAZARDのコピーをやりましたね(笑)。

男でもOKだったんですか?

OKだったんですよね。初の男性職員として入りました。それが最初の就職でしたね。

HAGGY,GO!!!!

「●●●の工事担当なんですけど、これから光回線に変わっていきますよ。ISDNにした方がいいので、ちょっと調査にうかがいます」って意味のわからない電話をして。「この電話機は使えなくなるから取り替えましょう」って電話機を売りつけるわけです。

最初は自分も全くそういうのは知らないですから、会社に入ってISDNというものを教えられるわけですよ。「ISDNはこれだけ素晴らしいから、これだけ売りつける」っていわれて、最初はちょっと感動しちゃったんですよね。「俺は何て素晴らしい仕事に就いたんだ」と(笑)。

1回線から2本取れるとか、電話とFAXが同時に使えるとか、こんなにいいのは他にはないという説明を受けて。最初は入ってテレアポをしまくるわけですよ。でも営業の電話をかけても東京の人たちは皆わかってるので、ほとんど埼玉から上の方にかけて「●●●の電話工事担当」って装ってやってました。でも2日後くらいに「やっぱ、これもマズイんじゃないか?」って気付くんですよね(笑)。結局そこには2週間くらいしかいませんでした。真っ黒でしたから。

自分は地元が八王子の方ですから、八王子近辺のラーメン屋にはものすごく影響を受けました。今のラーメンオタクは、ものすごくネットの情報を使って、いろんなところに行くじゃないですか? 自分はそんなノリじゃなかったんですけど、予備校のときに八王子の友達に連れてってもらった長浜ラーメンを初めて食ったときに、頭に雷が落ちるくらいの…正にBAD BRAINSのジャケットみたいな感じの衝撃を受けて(笑)。「この美味い食べ物は何だ…!?」みたいな。

HRからお告げがあったんですね! それまで豚骨的なものはあまり食べたことがなかった?

それでAFURIに入られて。修行は厳しかったですか? 今まで料理をやったこととかは?

え? 今まで料理もされたことがなく、それでもAFURI側はOKだったんですか?

そういう店もありますけど、AFURIは違いました。ウェイターとか、つくる人で分かれているわけではないので。最初に注文を覚え、洗い物とかを教わったら、次は、具を入れてねとか、麺を茹でてねって。全部一緒くたにやるんです。確かにAFURIにも、細かいところはたくさんありましたが、うまくできるように計算はされていました。

それでAFURIには何年間いたんですか?

AFURIで3年やって、別の店で経験した方がいいなと思い、中目黒の豚骨ラーメン屋に転職しました。そこは家系みたいな味なんですけど、厳密にいうと直系ではない店です。AFURIだけで勉強しても限られますし、いろいろ知らないといけないなと思って。

それで遂に独立ですが、ご自身の味はどのようにして決めたのですか? AFURIっぽいものとか? 中目黒っぽい味とか?

自分がどういうものをつくりたいというよりは、何ができるか? という自分のスキルという部分を考えていました。今思うと、物凄く浅はかというか、よく今までやれてきたなと思うんですけど、これしか出来ないんだから、これをやればいいという感覚でしたね。AFURIのラーメンのつくりかたは、ちょびっとだけ教えてもらったんです。ただ全部ではないので、少ない知識と中目黒の店で教わった知識をミックスさせて、とりあえず醤油でいこうと。

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AFURIの店長時代にかなりガッツリ貯めました。手持ちの資金だけでもいけたんですけど、保険も兼ねて国庫と両親からもちょっと借りましたね。

試作も多少しましたけど、1番大きかったのは、中目黒の店のオーナーに「独立しようと思うんです」といったら、「今度の店の夏休み中だったら、店を使っていいよ。流れ営業という形でHAGGYをやってみろ」というお話をいただいたんですよ。そこで自分の味をつくりました。更に、中目黒の店のすぐそばに、すごく有名なラーメン評論家さんの事務所があって、その流れ営業のときに食いに来てくれたんですね。その方が、ネットとかで色々発信してくれて、全国のラヲタさんたちが注目してくれたわけですよ。それが本当にデカかったですね。

知り合いに来てもらってたんですけど、つくるのは全部自分でした。AFURIも中目黒の店も、結構繁盛してる方で、AFURIとかは20席くらいありますし、中目黒の店も10席くらいだったので、うちの8席だったら自分ひとりでも楽勝でしょ、くらいの軽い気持ちだったんですね。でも初日で満席になった瞬間に、頭が真っ白になって、初めて仕事が怖いと思いました。

はい。正直いって、最初のオープン時の勢いは、AFURI出身という部分もすごく大きかったんです。「AFURIで店長をやってた人がオープンしました」って。ただ正直実力はなかったですし、そこから続けるためのネタも持ってなかったんですよね。だからある程度したらガクンと落ちました。

うーん、大変なんですね。HAGGYの営業時間は何時から何時までなんですか?

BROILERといいます。ドラムをやっています。

別にいつやめてもいいと思ってるんですけど(笑)。ただ、店始めたらバンドは出来ないだろうと思っていて、実際最初の1年はやってなかったんですよ。少し余裕が出てきたときに、友達が「グラインドコアをやりたい」っていい始めまして。自分のバンドも当時あったんですけど、そっちは動けなくなったので、今のBROILERを始めました。

HAGGYったら。

山手線の駅全てにHAGGYが(笑)。

富士そばの横にHAGGYがあったら最高です。

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