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Who Are You?:寺沢良行さん(52歳)飲食店勤務

「本当にね、東京がグラングラン揺れていた時代ですよ。熱かったなぁ。ブルーハーツとかね、凄かったですよ」
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近所に体育大学があるので、柔道部の寮とかもあるんです。で、かなり頻繁に柔道さんたちとコンビニで会うのですが、「おまえ何買うの?」「カルボナーラです。先輩は?」「まだ決まんない。決まるまで待ってて」「押忍!」なんてのがありつつ、先輩は立ち読み始めちゃったりします。楽しそー!

日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。

寺沢良行(てらさわ よしゆき)さん(52歳):飲食店勤務

まいどー、紫金飯店ですー。

お仕事終わりにわざわざありがとうございます。今回はいつも出前でお世話になっている中華屋さん、紫金飯店(シキンハンテン)原宿店の寺沢さんです。いつも遅くに注文しちゃって申し訳ありません。

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いえいえ、毎度ありがとうございます。

寺沢さんは、紫金飯店でのお勤めは長いのですか?

長いですよー。かれこれもう20年かな。

わあ、もうこの地域のマスターですね!ご出身はどちらなのですか?

北海道の夕張です。メロンの夕張ですね。

では今52歳でいらっしゃるから、30歳位のときに東京に来られたのですか?

いえ、これがちょっと、まあね、ありまして。札幌学院大学のときに軽音楽部に在籍していまして、そのまま音楽やろうと上京したんですよ。

では音楽をやるために東京に?

はい、そうです。それで2年後にメジャー・デビューしちゃったんですねぇ。

ええ!?ちょっと待ってください!!いきなりそんな展開!もっと詳しくお願いします!

ちょうどバンドブームでしてねぇ。

イカ天とかの頃ですか?

それよりちょっと前です。同期がパーソンズとかザ・プライベーツとか。本当にね、東京がグラングラン揺れていた時代ですよ。熱かったなぁ。ブルーハーツとかね、凄かったですよ。

でもそれで上京ってかなり勇気のいることですよね。

まぁ、そうですね。ただ最初私はメンバーではなかったんです。先に先輩のバンドが上京したんですね。そしたら「本気で音楽やりたいのなら、東京出てきた方がいいぞ」と言われまして、私も大学を中退して上京しちゃったんです。

ミュージシャンになろうと思ったきっかけは?

中学のときに吉田拓郎を観に行ったんですよ。そしたらまわりの大人のサラリーマンがみんなスーツをグルグル回しながら「ウォー!」ってねぇ。「これで明日からも頑張れるでやぁ!」って。ああ、こんなにみんなを熱くさせる職業っていいなぁーなんて思ったんですねぇ。それがきっかけかもしれないです。

上京の際、ご両親にはなんて言ったのですか?

いやぁ、もう何も言わずにね。家出する感じで。カッコイイでしょ?ROCKでしょ?

(笑)!

今考えると悪いことしたなぁ、と思いますよ。俺が親だったら殴り倒してますね。

上京して、寺沢さんはどのように音楽活動を始めたのですか?

最初は何もしないで、その先輩のバンドにくっついていたんです。ローディーみたいな感じ?そしたら何が起こるか分かりませんねぇ~、あるライヴの日…ルイードだったんですけど、メンバーが病気で出られなくなったんです。そしたらリーダーが「じゃあテラ、お前何もしなくていいからステージに立ってろ」と。「キーボードを弾くフリしとけ」と言われたんです。それで弾いてるフリしてたら、その日のライヴを事務所のマネージャーが見てまして、そのままプロ契約ですよ。

スゲー!ちなみにバンド名聞いてもいいですか?

はい、エデンといいます。

わわ!知ってますよ!!スゲエ!!

でもね、プロ契約ったって、俺ちゃんと楽器出来なかったんすよ。軽音のときもヴォーカルとかだったから。でも事務所のマネージャーも「いいよ、それはそれでコミだから」って。

あ、寺沢さん、ルックス担当だったんでしょ?分かる分かる!!

ま、そんな感じかな(笑)。でもね、事務所もすごかったんですよ。「りぼん」でしたから。RCサクセションとかシーナ&ザ・ロケットですよ。それでいきなりメジャー・デビューでしたから、ビックリしたよねぇ。それで実家の敷居を跨ぐことが出来ました(笑)。

ご両親はなんておっしゃってましたか?

「どのツラ下げて帰って来たんだ」なんて感じでしたが、やっぱりデビューは喜んでいたみたいですね。

デビュー後はいかがでしたか?

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やりましたよー、色々と。事務所も俺たちを「Aプッシュ」扱いだったから、イベントにもたくさん出てねぇ。久保田利伸と永井真理子の間に俺ら…みたいな。いやぁ、よく考えるとやっぱスゲエなぁ。楽屋にブルーハーツが挨拶に来るんですもん。俺たちも「お…?おおう…」なんて。田舎もんだったからねぇ。

女の子にはモテモテでした?

ああ、正直モテモテでしたよ。

(笑)。どんくらいのものでしたか?

東京より、なぜか大阪の方がモテモテだったかなぁ。でもね、街中でサインしたのとかって二回くらいしかなかったですよ。オールナイトフジに出た次の日に。

オールナイトフジ!女子大生にまみれたんですね!

でもねぇ、マネージャーは厳しかったですよ。「中途半端なことはするな!」って。「喰うんだったら、格上のアーティストを喰え!」って。そう言えばレコード会社のパーティーがあってね。同テーブルに佐野量子さんがいたんですよ。武豊さんの奥さんですね。可愛くってねぇ。でもマネージャーが「絶対に失礼なことするなよ!欽ちゃんの事務所だから!!」って。

確かに欽ちゃんはマズイですね(笑)。それでやっぱ「俺、スターに一直線!!」なんて思っていましたか?

いやいや、それどころじゃないっすよ。だって俺なんにも楽器出来ないんだから。ホントに、ホント。だから俺の立ち位置は「パーカッション」だったんですね。

ほほう!

だから練習はしてたんですけど、まぁ、バンド内では一応ルックス担当みたいな感じだったんで、そのジレンマっちゅーか、バランスがキツかったですねぇ。レベッカとかうまかったもんなぁ。プロですよ。恥ずかしかったですよ。

それで、エデンはどれくらい続いたのですか?

活動は4、5年。結局アルバムも二枚だけでしたからねぇ。

失礼ですが、売れました?

そうならなかったですねぇ。ライヴもピークで600人くらいの会場…日清パワーステーションとかでしたから。先輩たちもだんだん苦痛になってましたね。楽しくて始めた音楽なのに、もう楽しくなかったから。事務所とかレコード会社からも色々言われるし。北海道の人間だから真面目なんですよ。全部真に受けちゃうから、なんのために音楽やってるのか分からなくなっちゃったんですね。もちろん素晴しい事務所でしたし、レコード会社もよくしてくれましたけど、ちょっとこっちが参ってきちゃったんですよ。それで3枚目のアルバムに取り掛かろうってときに、メンバーが骨折しちゃって、アルバム制作が一旦中止になったんですね。さらに「普通の生活がしたい」って声も出てきてね。それで「もういいかな」って解散したんですよ。

そのとき寺沢さんは何歳だったのですか?

20代後半ですね。

バンド解散後は、どうされたんですか?

バンドのリーダーがね、洋服屋をやろうと。下北沢に店を出して、一緒にやってました。でもその前に楽器が欲しかったのでバイトも始めていたんですね。それが紫金飯店の六本木店だったんです。その後洋服屋も閉めてしまったんで、そっから紫金一本ですよー。

遂に紫金飯店スタート!最初は六本木だったんですね。

ええ。六本木店でお客さんとかと友達になりましてね、「もう音楽は絶対にやんない」って思っていたんですけど、「ギター教えて」とか頼まれてね。しかしあの頃は面白かったですよ。当時テレビ朝日で新日本プロレスやってたでしょ。で、闘魂SHOP知ってます?新日本プロレスがやってるショップでね。そこのスタッフと友達になってバンドを組んだんですよ。でもスタジオ代がもったいないからって、新日本プロレスの事務所で練習してね。長州力の椅子に座ってギター弾いたり。「かっこいいよなぁ、今の俺」なんて思ってました。

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(笑)。ちなみに現在は音楽やっていないのですか?

今もなんだかんだやってるんですよ。

どんなのやってるんですか?

フォークロックですよー。エルクヘアーカディスっていうバンドです。今は4人でやっています。12月にもクロコダイルでライヴやりますからー、ね。12月13日、ね!

はい、ぜひ!で、紫金飯店さんなんですが、今、六本木店はないのですか?

はい、今は青山店と原宿店だけです。でも当時は六本木でしょ、赤坂、そして青山、原宿、新宿もあったかな。

わー、スゲエ。寺沢さんは、調理とかはされないのですか?

ええ、俺はもう出前中心ですね。

じゃあ、この辺の道なんか…

そうっすね、完璧っすね。

ちなみに1日どれくらい出前されるんですか?

そんなに無いっすよ。5~60件くらいですよ。

え!多いと思いますよ!!大体の場所は頭に入ってらっしゃると?

そうですね。でも新しいところもあるんでね。それでスマホに替えました。便利ですよねぇ。

ちなみにVICEの紫金飯店さん人気ナンバーワンは、玉子チャーハンなのですが…

ありがとうございます。

一番人気は…

酸辣湯麺(スーラータンメン)です。

おおー!!

今日もソフトバンクさん取ってくれてね…

ええ。

ヤクルトは青山店が行くんですよ。ビジターは原宿店。

ん?これって野球の話ですか?

そうそう。

神宮球場に出前に行く話?

そうそう。

神宮球場のスタッフとかじゃなくて…

そうそう。選手、選手。

スゲエ!!

ヤクルト・スワローズへの出前は青山店が担当で、相手チームが俺ら原宿店なの。

面白い!!同じ場所なのに担当が違うと。

青山の店長なんか、スワローズの友達みたいなもんなんですよ。

カッケー!!で、今日のソフトバンク…っていうのは、日本シリーズのホークスってことですか?

そうそう。いっぱいサイン貰っちゃった。

イイナー!!

黒田投手も酸辣湯麺がお気に入りですよ。

黒田?カープの?

神宮来るたびに出前してくれますからね。それで口コミで広がってるのかなぁ、酸辣湯麺。でも一番の貢献者は大竹投手ね。

大竹!カープからジャイアンツに移籍した?

ええ。大竹投手は、広島時代ずっと取ってくれていたんです。でもジャイアンツ行ったでしょ、今までジャイアンツはケータリングがしっかりしてるから、あまり出前無かったんですよね。でも大竹投手は、ジャイアンツ行っても相変わらず酸辣湯麺。

大竹イイ!!

でしょ!俺もそれからずっと大竹投手応援してますもん。

あれ、寺沢さんはどこファンなのですか?やっぱスワローズ?

いや正直…金額が多いところー。

アハハ!!

だってそれが筋じゃないですか。たくさん注文してくれるんだから。

じゃあやっぱスワローズでしょ?

いや、そこは青山店だから。もちろん紫金飯店としてはスワローズ応援してますよ。でも原宿店は売り上げには関係無いからね。だから今期、原宿店を一番取ってくれたのはと考えると…ジャイアンツなんですよ。

おおー、大竹効果!!

酸辣湯麺出ますよー、ジャイアンツ。特に今年は澤村投手ね。可愛い。

可愛い??なんか太々しいイメージがありますけど。

でしょ。俺もそう思ってたのよ。「なんだこのガキ」って。でも可愛いかったのよ、コレが。紫金飯店、午後は17:30から営業なんですよ。そしたら澤村が早く食べたかったんでしょうね、「17時に来れますか?」って。いやぁ、それはちょっと無理だと…

ちなみにこれって澤村からの直電ですか?

そうですよ。

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うおー!!

でね、可哀想だからちょっと早めの17:20に届けてあげたんですよ。そしたら「明日は17:15にお願いできますか?」って。「ぜひお願いします!」って指切りするんだから。

可愛いスギル(笑)!!

でしょう!それからいっつも時計の下でニコニコしながら待ってるんだよ。酸辣湯麺と生姜焼きをね。で、コーチに「投げるのに食い過ぎだ!」って怒られたりして。「大丈夫です。消化させます!」って。もう、好きになっちゃったよ。

(笑)。たまらないですね。…っていうか、直接選手に出前を渡すのもビックリしました。ちなみに神宮球場以外では他にあります?

ありますよー、警察署とかね。出前届けた後、トイレとか借りるじゃないですか。オシッコしてたら、お巡りさんにつながれた人が入って来て、横で「…どうも」なんてね。

アハハ!

あと取調室も一度だけありましたね。「あ、中華丼でもいいんだ」って。ま、うちにカツ丼無いんでね。

え?犯人の方に直接?

はい。そういう時代だったのかな。六本木店の頃ですね。犯人に渡したのはそれっきり。

すごい!!

だからこの前もトルコ大使館で乱闘騒ぎあったじゃないですか。ニュース見てて、知ってるお巡りさんいっぱい映っててね。気になっちゃって、気になっちゃって。「お巡りさん、大丈夫か~?頑張れ~」って。

(笑)!!ちなみに怖いところとかは?

ありますよ。六本木は多かったですねぇ。全身びっちりモンモン入ってる方にお届けね。でもね、そういう方って、キレイにお皿洗ってくれるの。

アハハハ!!!!!

キレイに洗って、キレイに重ねて、ねぇ。逆におしゃれな若い子とかさ、食べかけのままとか、そのまんまでさ。ちゃんとしないといけませんよね。

すいません、ちょっと細かいことお訊きしたいのですが、酸辣湯麺、やっぱ伸びちゃうじゃないですか。お届け先に合わせて茹でるんですか?

そうそうそうそうそう。固めとかね。ちょっと道に迷っちゃったら大変。ベストにおいしい時間で茹でないとね。

ちなみに寺沢さんも酸辣湯麺がオススメですか?

もちろん好きですけど、私はるーすやきそばとかね。チンジャオロース味。あの桑田佳祐さんが愛してくれた。

そうなんですか!?

はいはい。ビクターのスタジオがあるでしょ、だからお届けですよ。るーすやきそば食べながらTSUNAMIを書いたんすよ。桑田さんもいい人でねぇ。エレベーターの中で一緒になると「これ、僕が頼んだの。いつもおいしいですね」って。あとさ、キムタク。会ったことあります?いやぁ、そんなに好きでもなんでもなかったんだけど、やっぱビクターで会ってね。なぜか個室で二人っきりになっちゃって、「ども!」なんて言われてさ、ポッ…となっちゃったよ。

好きになっちゃったんですか(笑)?

なりましたよ。男も惚れちゃう男ですね。かっこよかったなぁ。あとたけしさんと猪木さんね。もうなんか「グォォォォォォ~」って感じ。まわりから音が鳴ってる感じなんだよなぁ。

それにしても本当にたくさんの人に会ってるんですね。

そうですね、まぁ、有名人にもたくさん会って、特別なところにも行けて、自分もちょっと優越感に浸ったりもするんです。でもね、同時に障害者の方とかご老人とかね、月に一回とか、紫金のごはんを楽しみにされている方々もいるんですね。その方々に会えるのも本当に嬉しいし、これが、いい笑顔なんですよ!なんか学ばせてもらってるっていうのもおこがましいんだけど、いろんな人に会えてね、それが本当に楽しいんですね。野球選手に名前覚えてもらってさ、それもすごく嬉しいんだけど、何より嬉しいのが近所の子供たち。「おじさーん!紫金のおじさーん!」って手を振られちゃうのがたまらなくてね!ガンガン胸に来ちゃうんすよねぇ。

じゃ、子供たちの成長も見てます?

そうそう!思春期になった子とかいるでしょ?さすがにもう挨拶しねぇだろって思ってたら「ペコッ」だってさ!「オメー、この野郎、可愛いじゃないか!!」ってね。最高ですよ。確かにね、バンド続けてね、三枚目のアルバム出してたら成功してたかもしんない。いい感じになってね。でもさ、もしそれが成功してたら、ホントにろくでもない、ギョーカイにぶら下がってるだけのお調子者で終わったんだろうなって思うんですよね。ま、たらればの話ですけど、でも今ね、本当にキツイですよ、肉体労働だし、時間も長いし、雨の日なんてドブネズミですからね。でもなんか良かったな~って思えてるんですよね。自由に遊べているし、音楽も楽しく出来ているしね。飲食店なのに祝日は休みだし、お正月もゴールデンウィークもあるんですよ。本当に感謝してますよ。…ってな感じでオッケーですかな?さて、またご注文お待ちしてます!

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