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レコーディング・エンジニア、 ライアン・グリーンの来日 ドキュメント公開によせて

生ドラムが音楽業界にどれだけ貢献して来たか。それは計り知れない。

生ドラムの音を聴く機会が減った。もちろん、音楽フリークの皆様は、好きなバンドの演奏を楽しみに、ライブ・ハウス、フェス、その他諸々、生ドラムの音を耳にする機会はまだまだあるはずだが、なんとなく音楽を聴く、暇だからついイヤホンを耳にハメる、行きつけの飲食店でなんとなくBGMが気になる、といったフリーク未満の音楽好きな皆様のプレイリストを覗けば、間違いなく、生ドラムがビートを叩き出す音楽が以前より減っているはずだ。

生ドラムがいい、マシーンのビートが良くない、といった類いの話は、飽くまで、音楽通が自らの音楽通っぷりを再確認するための儀式なので、生のビートに絶対の価値はない。とはいえ、生ドラムが音楽から徐々に閉め出されている音楽シーンの現状は、少なからず由々しき問題を孕んでいる。リスナーは好きな音をチョイスするのが役目なので、リスナーにとっては問題も弊害もへったくれもない。弊害の煽りをモロに喰らっているのは、音楽業界だ。

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生ドラムが音楽業界にどれだけ貢献して来たか。それは計り知れない。まず一つ目に、イカれたキャラクターに、ドラマー、という社会的ポジションを提供して来た。なぜだか、他の楽器演奏者に比べ、ドラムやんなかったらオマエどうなってたの、といった愛すべきドラマーが非常に多い。そんなキャラクターが音楽業界から閉め出されているのは寂しい限りだ。最近では、どうやら、バンドマンがライブの後に酒も飲まないのが通例となっているようで、バンドマンのイメージがクリーンなのが本当にもの足らない。クリーンなイメージのバンドなんざぁクソである。20世紀であれば、バンドマンは、荒くれ金くれ飲んだくれ、ワイルドでなんか悪い?、といったイメージがあったが、それもドラマーが率先して牽引していた、古き良きイメージ。ワイルドも、昨今もてはやされるワイルド系ではなく、まさに、野生、としか表現しようのないワイルドだ。

そして、二つ目に、ミュージシャン、バンドマンの行儀がよくなるにつれ、音楽業界スタッフの行儀が変に良くなり、人間的スキルが下がってしまっている。古き良き時代から音楽に携わる伝説の先輩方は、未だ現役なのでその例ではないが、とにかく音楽業界でワクワクするような危ない輩に出会うことがめっきり少なくなってしまった。

例示すればキリがないので、最後の三つ目。ドラム・レコーディングが減っているせいで、若き有能なエンジニアが少なくなっている。ここで云う、有能、とは巧みにデジタル機器をつかいこなすハイ・スキルではなく、レコーディング・スタジオの中で、どうすれば悶絶するような楽器の生音を録音出来るか、という荒行に嬉々として挑む変態的スキルである。

そんな音楽業界の現状を憂いてか否か、真実はわからないが、去る6月7、8日の二日に渡り、30年以上もの間、第一線で世界の音楽シーンを牽引し続けて来たレコーディング・エンジニア、ライアン・グリーン師が来日し、Red Bull Studios Tokyoで釈迦の説法のようなワークショップを繰り広げた。

I AM RYAN GREENE

何がどう釈迦の説法だったか、というと、とにかく素晴らしい。ドラッグと欲望で荒れ狂う80年代のアメリカ音楽業界をトップで走り抜け、今なお、自分を見失うことなくレコーディング・エンジニア業を続けているグリーン師。その師が語る一言一句には、つまらないジョークも含め、一句千金の値打ちがあった。

余談だが、師ではなく、BATTLESのドラマー、ジョン・ステニアーによると、80年代、あらゆるジャンルでドラムに過剰なリバーブ効果が施されていたのは、音楽業界がコカインに染まっていたせいで、関係者の耳がイカれていたそうだ。ジョン・ステニアーも間違いなく素敵な変態だ。

それはさておき、グリーン師は、ドラム・レコーディングのノウハウまでレクチャーしてくれた。希少楽器になりつつあるドラムのレコーディングこそ音楽制作の基礎だ、という師の信念のもと繰り広げられたワークショップは間違いなく、聴講者を微睡みから叩き起こすものであった。

師がエンジニア哲学とともにレクチャーしたのは、マイクの角度、ミュート、位相、イコライジングの極意。門外漢には聞き慣れない技術的キーワードはわからなくても構わない。細かい技術はさておき、師が何度も強調していたのは、反復と現場経験で技術を習得することの重要さだ。なんだそんなことか、と思った皆様は、達人かどうしようも無い人生の素人だ。技術的詳細を書き連ねるのも退屈なので、例え話で茶を濁させていただく。

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師の謂わんとする、反復、というのは地道な積み重ねだ。腹筋エクササイズを1回も出来ないモヤシに、腹筋を100回やれ、と命令してもできる道理が無い。まずは1回、次に2回、そして3回…10回。10回出来れば20回、30回までは、人によって時間を要することもあるだろうが、30回出来れば50回がみえる。それの繰り返しで、いずれは100回も軽くこなすようになる。100回が200回になれば、シックス・パックの出来上がりだ。しかし、ビーチでモテるかはポテンシャル次第。

腹筋では、肉体派にしかピンと来ないかも知れないので、英単語暗記を例に、今一度茶を濁す。よく耳にする間抜けな話が、英語をしゃべれるようになりたい、とのたまう皆様が、何年経っても英語をしゃべれないことがしばしばある。大抵は、しゃべりたいのにしゃべる努力をしていないケースが多い。加えて、一足飛びに英語をしゃべれるようになるメソッドがあると信じている。そんな皆様は、反復、積み重ね、といった地道な努力を忘れているのではなかろうか。一日百単語覚えられる人間は稀なので、そんなモノを目指す必要は無い。一日ひと単語覚えればいい。それならば、やる気次第で誰にでも出来るはずだ。一日一単語でも、一年続ければ365単語覚えられる。365単語のストックがあれば、英語慣れも手伝って、次の年は、一日二単語覚えられるはずだ。そうすれば、英語がしゃべりたいのに、何もせず数年過ごしたワナビー・スピーカーは何単語覚えられただろう。

そろそろ腹筋や単語だけで役に立つのか、と訝しむ慧眼の士もいるはずだ。そこで、グリーン師の云う現場経験の重要さが、鈍い光を放ち始める。どんな、スポーツも英語によるコミュニケーションも基礎のみでは役に立たない。格闘家に憧れていても、腹筋をしているだけでは蹴りも突きも習得出来ない。英単語も然り。現場経験があってこそ、基礎の使い方に熟達するのである。グリーン師が、反復と同じく、現場経験を強調する所以だ。基礎的反復が現場経験に役立つのは、言うまでもない。

技術的な説明以外にも、グリーン師が語ったエンジニアの心構えは、そのままレコーディング・スタジオの外でも通用する心構えであった。一つ間違えば自己啓発セミナーになりかねない内容であるが、そこは超一流エンジニアの音楽バカ一代だけのことはあり、どこまでいっても、音楽人としての人間のありかただ。

中でも繰り返しでてきたキーワードが、音楽を感じること、職場をクビにならない秘訣、その二項目。職場をクビにならない秘訣は、状況把握、それに尽きる。つまり、空気を読むことがどれだけレコーディング・スタジオの雰囲気造りに役立ち、仕事をする上で役に立つかを懇切丁寧に説明してくれた。アシスタント、インターンへのアドバイスとして際立っていたのが、「スタジオの雰囲気が険悪になるとどうしていいかわからなくなる、対処法を教えて下さい」との聴講者からの問いに「スタジオの雰囲気が険悪になったら、その場を立ち去れ。ただし、了解は得ること。可能であれば、事後、ナゼ立ち去ったのか説明はすべきだ」との応え。これ以上素晴らしい発言も連発していたが、退くことを積極的に捉える師の心構えは達人のそれだ。

音楽を感じる、というのは難しい。グリーン師も、それがいかなることかは最後まで説明していなかった。しかし、ワークショップを最後まで聴けば、師が何を謂わんとしていたかは、朧げながら観えてくる。音楽を感じる、それだけではなかなか解釈の仕様がない。しかしこれは、五感を通じて何かを感じるワケではなさそうだ。おそらく、音楽に接した際、その音楽について考える必要がなくなるまで自らを鍛え上げろ、ということではないだろうか。

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例えば、レコーディング・スタジオで、ある曲を初めて聴く。それは、これからアーティストがレコーディングを始めようとしている、新曲のデモだ。まあ、その場でデモを聴くことなど、まずないが例え話として読み進めていただきたい。その曲を聴いて即座に、適切なレコーディング方法をひらめく。もしくは、レコーディング中に問題が発生する。アーティストが何度レコーディングしてもOKテイクが録れない。プレイを聴いて即座に問題の所在を突き止め、アーティストのテンションが切れそうになる前に解決方法を提示する。そんなことを苦もなくやってのけるエンジニアの妙技こそ、音楽を聴いてではなく、感じてこそ初めて可能になるのだろう。

音楽を感じる、それは、反復と経験を積み重ねてこそ、習得可能な能力かも知れない。それに加え、グリーン師が語っていたのは、音楽に敬意を払い、音楽を愛することの重要さであった。

サンプル音源、ソフト・音源、リズム・マシーン、ノート・パソコン、あらゆる手軽なツールが音楽制作の敷居を下げ、今や、誰もがミュージシャンになれるご時世だが、本来、音楽とは、ミュージシャンとスタッフが仮初めであろうとも一致団結し、何かを犠牲にしてこそリスナーの耳に届く貴重なエンターテイメントであった。ライアン・グリーン師の仕事、言葉から、そんな当たり前な音楽のありかたが聞こえて来た。